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昨日は、午前中に、忘れてはならないコミュセンの予約。予め書いて置いた申込書を10時10分前に行って、出し10時ぴったりに受理の判を押した控えを渡され、帰宅は10時2分でした。こんなに簡単に予約出来るのに、前日から張り紙をテレビや鏡台にぺたり貼る始末。瞬間の健忘症がこわいのです。
午後は、体操がありました。先週は、雪の予報のためお休みで固くなった身体を、しっかりストレッチ体操やリズム体操、体調点検運動などし、フォークダンスもすると、身体がすっかり温まりました。 帰りは、とうきゅうへ寄って買い物。夫は東京行きでしたが、夕食の準備に入ろうとしたとき、電話で食事を済まして帰るという。用意したコロッケやホタテの煮物は明日に使えると、しまいました。私は、明太子と納豆、豚汁ですませました。それと残りの野菜炒めが沢山あり、蒸し麺もあるので、ソース焼きそばも作っておきました。夜食に食べるかも知れないし、食べなければ私が明日食べればいい。片付けなければならない食材が多いのです。 一月に入って、忘れないうちに読書記録を書いておこうと思いながら、いつもの癖で、本の半分が手元にないので簡単に記録します、といいながら思いついたまま、だらだらと書くかも知れません。 観月観世 曽野綾子 集英社 満月の夜、年齢も職業も異なる男女が集う「観月観世の会」。そこでは、毎回誰かが体験した人生が静かに語られ、月夜に酔う。物語は嘘でも本当でも構わず、詮索などしないというのが暗黙の了解事項。発起人の宇佐美暁照は、戦中にボルネオで死に損なった。以来、生の実感が喪失し、「すべてうたかた」という思いを色濃く胸に宿している。他にも、照明器具のデザイナー、農業を営む男、易者、ホテルマンなどの会のメンバーは、その素性の真偽を問うこともしない。そもそも、この世に対しての情熱が希薄で、人生から遊離した感覚を持つ人間達が寄り集まる。そして、世間から切り離されたところで、それぞれが想いをめぐらすのだ。 (「BOOK」データベースより) 私が紹介したかった内容がそっくり書かれているので、流用させて頂きあらすじは手抜きしました。 曾野さんらしい小説ですが、私の好みに合っています。こんな会があったら入ってみたい。しかし、何事も受け流せる度量と寛容が必要でしょう。 くるみ街道 青木奈緒 講談社 幸田露伴から始まって幸田文、青木玉、青木奈緒と続く4代目。文筆の才能はしっかり受け継がれている。 ドイツに1年間留学したときのことを書いた、『ハリネズミの道』は以前通読した。こちらはエッセー。寮生活の楽しさや文化の違いから来るいろいろの体験、青春が明るく書かれていた。 『くるみ街道』は続編ともいえるものだがこちらは小説ということになっている。著者自身が投影されていると思われる。どちらも主人公は京(みやこ)である。ドイツ行きの飛行機で隣りに乗った男性は、京が6年前に、空港で荷物が出てこない時に一生懸命助けてくれたドイツ青年の友人。本人ではないが友人が京に執心だったことをよく知っていて、その時のことを話しかける。鬱陶しく感じたが、機内では旅の友となる。 京は、留学後、翻訳や通訳の仕事をするため、再びドイツに渡っていた。ドイツ人の恋人も出来、学生時代とは違った親友も出来た。自分の中にどちらが自分の居場所か分からなくなっている。好青年の恋人も、やさしく協力的だが、しっかりした仕事についていず、結婚も難しい。 こちらは、悩める年代にさしかかった京が書かれている。 寝ても覚めても本の虫 児玉清 新潮社版 テレビのアタック25やBSの『週間ブックレビュー』でおなじみ、大の読書家としても有名だが、本への情熱はすさまじい。洋の東西を問わず、読んでいるだけでなく、翻訳を待っていられず外国へ行って原著を買って読んでしまうのだ。面倒な外国人作家の名前も、登場人物の名前も筋書きもさらさらと口をついて出る。英語もフランス語も完璧という。 私も、翻訳物は、若い頃は好んで読んだが、この頃は億劫になって、紹介されて興味をもった本も、読むことはないだろうと淋しくなる。 ドクトルマンボウ回想記 北杜夫 日本経済新聞社 ユーモアがあってナイトキャップに相応しい愉快な本。生い立ち、松本中学時代、父、斎藤茂吉のこと、母、斉藤輝子のこと、妻とのこと、娘のこと、さらに孫のこと、作家になってからの交友、自身の躁鬱病のことが忌憚なく書かれている。写真もふんだんに載せていて親しみやすい。『楡家の人々』、『どくとるマンボウ航海記』を読み逃しているので、周辺のものを幾つか読んでいる。 世界は俺が回してる なかにし礼 主人公はTBSテレビのディレクター、プロデューサーとして、昭和30~50年代、その名を馳せた渡辺正文がモデルという。渡辺という人物は、局が違うが、渡辺恒夫氏(なべ恒さん)のことかと思ったが違っていた。叔父が電通の社長、吉田秀雄氏で、その縁故で東京放送に入ったという。兎に角破天荒な人物で、大イベント『東京音楽祭』を成功させた。業界人、音楽家、歌手、芸能人、評論家など有名人が実名で出るので、小説とは思えない。なかにし礼さんも登場する。エンタメ小説なのか評伝か伝記ものなのか、眠れぬ夜に一晩で読んだ。 霊長類人科動物図鑑 向田邦子 文藝春秋 単行本より一回り大きい。妹のところにあったのを借りてきた。身内の本はいつまでも借りていられると思い、図書館の本や友人の本を優先して読むのでなかなか読まなかった。ひと頃話題になった向田邦子のエッセー集。向田さんは私と同時代、と思っていたが、少し年上でいらっしゃる。でも昭和を長く生きたので、書かれていることは、いちいち相づちが打てる。そうだそうだった、と。家庭に何世代か同居し、ちゃぶ台があった時代。父親が威張って、こどもたちが騒ぐと雷を落としていた。でも家族は愛情に包まれていた。 勿論、子ども時代のことばかりではない。著者の目は、鋭く諸現象やものを観察し連想している。 原っぱ 池波正太郎 新潮文庫 この作者には珍しい現代小説。しかも本人の自伝小説でもあるらしい。 劇作家、牧野は引退し、妻が残してくれた貸しアパートの二部家に住み、なき妻に感謝感謝の日を送っている。時々映画評などを書いて雑誌に載り、生活には困らない。 牧野には30歳を過ぎた女優をやっている娘杉江がいる。杉江には小学生の男の子がいる。牧野の孫である。娘が離婚した相手は川田といい劇団の仕事をしており牧野は気に入っていた。家族3人はお互いに気になりながら温かい言葉を掛け合うわけではない。むしろ反対だ。娘がテレビのドラマに出ていても見ようとしない。それでも途切れることなく仕事があるのは、演技がいいからとの評判も聞こえるが、牧野は認めようとしない。大先輩達に迷惑をかけていないか心配でたまらない。 孫は、時々父親と会い食事などをする。それを知って牧野は、娘が復縁すればいいと願っているが、娘にはその気がない。牧野は孫が来ると、デパートに連れだしゲームなど買ってあげたりおいしいものを食べたりする。 そんなとき、役者の大御所とも言うべき市川扇太郎から、牧野の昔の作品の再演の話が来る。その相手役は引退した大舞台女優萩原智恵子だったが、その役を娘にと言われるが、力不足という不安で許可出来ない。いかし、扇太郎に結局すべてを任せることにする。 牧野は心臓発作で倒れたことがあり、それ以来丸薬は手放せない。そんな日々の中で、原っぱにはマンションが建ち始め、あちこちで地上げ屋の話が聞こえてくる。昔なじみの店も閉店したり別の土地に移ったりしている。アパートもいずれこわされることになるだろう、これは家族小説でもありと滅び行く街への惜別であると解説の川本氏は書く。それは、池上正太郎の時代小説と何ら変わりのないという。それ程、内容が多いし、社会的時代的にも共通するものがある。 この小説の冒頭は、牧野がAという地下鉄の駅で、ホームレスの老人の顔を見ることから始まる。ホームレスは虱をつぶしている。戦後は誰もが経験したことと作者は書いている。老人のそばには一升瓶が立てかけてある。そして、小学校時代の恩師の顔が思い出された。 牧野は東京、浅草近辺の生まれ、子ども時代、広い原っぱがどこにもあり、こどもたちは暗くなるまで遊んでいた。小学校5・6年の時の担任はS先生といって、若い独身の教師。注意が必要な生徒を外に連れ出し、ピンと張ったゴムひもでピンタのお仕置きをした。祖父や母は、きちんと叱ってくれる先生とありがたがった。通信簿に操行に乙、をつけられ祖父を悲しがらせた。先生のお弁当は、いつも小さな水筒に入った酒とキャラメル一箱だった。ある日、先生のそばを通り、先生、それお酒でしょ、というと微笑んだ。先生の操行も乙、というとウン、と頷いた。その先生は、祖父が亡くなったとき、一ヶ月の生活が出来るお金をお香典として持ってきてくれた。牧野少年は、先生にありがとう、と言うと、先生は、牧野、苦学って知ってるか、といい、知っていると答えると、苦学をしろ、先生も苦学生だった、と言った。 勉強が嫌いで絵が上手だった。小学校を出ると株屋に奉公した。この本にはないが、著者はその後、区役所に勤めたという。劇団に入り、劇作家になった。 その先生が、ホームレスになっている。アパートの部屋が空いているので住まわせたいが、おそらく断るだろう。酒好きの牧野は、後輩からおいしいお酒をもらうと、それを持って駅に向かった。先生は寝ていた。そっと置いて帰ってきた。その後、今度は2本もって行ったとき、先生の姿はなかった。隣のホームレスに聞くと、牧野さんですか、と聞き、渡してくれと頼まれたものがある、といってポケットから出した物は、新しいゴムひもだった。 この小説、靴磨きの老女や、いろいろの人生が折り込まれ、しみじみと心に沁みるよい小説だった。簡潔には書けなかったが書きたいことを書いた。 池波正太郎氏の書いた表紙、挿絵も載っており、小学校時代絵が好きだったことが窺える。 心に残る良い本だった。
マイミクのVINさんから、○○の本の紹介はどこに載っていますか、以前読んだ記憶があり、探したのですが、と尋ねられ1年以上カテゴリに分類してないことに気が付いた。気が付いたと言うより、気になっていたが、あまりに放っておいたため、面倒になっていたのだった。
私自身、探すことがあり、本人だから、大体いつ頃かは思い出せるので、見当で月の目次から探し出すことが多い。 そこで、今日はヒマだったので、150以上の未分類をカテゴリに分けた。私の日記は、何日分かまとめるので、いくつものカテゴリ分を一つに無理矢理入れるため、適当でないことが多い。比重が多いところに入れたり、迷うと生活雑記に入れたりする。 探すのは、主に、読書、郷土史会、サークル、家族や身内のこと、友人とのこと、医療関係なので、他は未分類でもかまわないのである。趣味、雑学もこれはちょっと面白い、話の種になると言うことを書いているのでカテゴリに入れている。 VINさんは、すばらしいレビューを書かれ、アイウエオ順に作者から検索出来、やはり違うと感心しきりである。 真似をしたくても、パソコン知識もなく、あえて覚えようとの気もなくなっている。 そういえば、ブログを始めて6年以上になる。毎日書いた時期もある。今は一日置きくらい。2・3日書かないと気になるし、記憶が失せ曖昧だと悔いが残る。すべて自己満足でしかない。 簡潔に、を目指しながら冗長な日記しか書けずこれでは飽きられる、読む気がしないだろうとわれながら思う。 自分への挑戦、いつまで書けるか試している面もある。初期の頃に較べ少々内容もいい加減になっている、と思う。 現在記事数は、1630件とでている。あと何年書けるだろうか。2000件あと4年を目指そう。○○歳まで。
わが伊勢原市は雪や雨の少ないところです。3日前の関東一円が降雪を記録した時でさえ、窓から見える大山の山頂や中ほどまでが雪景色が望めるだけで、平地は雨でした。
昨日は、太極拳で、雨は残っているものの、空は明るく時々陽も差しました。気温は低く、しかしエアコンは1時間で消されました。身体を動かしているので、何とか凌げ、節電にはみな納得でした。運動のサークルが暖房を求めるのも気が引けました。 午後、娘が車を貸してと来たので、駅まで送って、と乗り込みました。銀行と買い物があるというと、買い物代わりにしてきてあげる、と言いましたが、他にも用事があり、大丈夫と断りました。 天気予報では、天気はまた下り坂で、明日は関東南部も雪が降るという。銀行を済ませ、東急とヨーカドーへ廻りました。 どちらも冬物クリアランスセールでどうしても必要とは思わなかったのに、30%オフのセーターを買いました。気に入ったものが買えると心うきうきします。 地下で、食料品も買い予定外の買い物をするのはいつものこと。リュックも持参して背中、両手いっぱいの買い物になりました。 出口で、かなりの雨に驚きました。傘は持たずに来た、雨は止んでいたし空も明るかった。降ったり止んだりだから、少し待てば止むに違いないと待ちましたが、止みそうにない。出入り口近くにビニール傘が置いてある。1本490円。100円、200円ではない。それならば、ちゃんとしたコウモリ傘の方がいい。安物は何本あってもすぐなくなる。孫や夫が置き忘れる場合も多い。一階にあった傘売り場も、バーゲンのせいか2階に移動していました。 布の傘は2000円以上、中に男物で990円のがあり紺、緑、黒、茶でした。 大きいがしっかりしている。紺を選んで買いました。ところが、背中と両手が塞がり傘がさしにくい。 皮肉にも雨はかなり小降りになっている。もう少しで止みそうです。 時間は3時少し前。私の家の近くを通る、1時間~2時間に一本のバスに間に合う。駅前の始発のバス停より一停留所目のバス停の方が近いのでそこへ急ぐ。その頃には雨は止んでいましたが、私は片方しか手袋をしてないことに気付く。ヨーカドーから出ようとしたとき手袋をバッグからだし左手にはめた段階で、雨に気付き傘売り場に行ったのでした。手袋は布製で高いものではないから、どこかに落としても諦めがつきました。 夜、戸締まりの時、庭をみると雪が降っていました。積もるだろうか、きっと明日までには止むだろう、と、積もって欲しい気持と、明日は眼科通院日で積もらないでほしい気持が半々でした。一度くらい雪景色を眺めたいし・・。 一夜明けて今朝は、一面の雪景色。しかしどんよりと暗い。 不燃ゴミを出さなければならない。蛍光管や瓶類、前回出さなかったのでたまっている。空気が頬に冷たかったし道が凍っていて滑ったら大変です。車の通った跡をたどる。 しかし、住宅地で車は少ない。ブーツを履いて滑らないように一歩一歩細心の注意で集積所へ運んだ。シャーベット状の所も凍っていた。 夫は、体育館へ行く日。午前中に溶けるだろうか。集金に来たJA共済の人に、夫は道路状況を聞いていた。日蔭の坂道は雪が残っておりコワイですね、と言っています。夫は、危険と判断し出かけることをやめました。 さて、私は今日は2か月に一度の眼科検診の日。11時半の予約だから、雪も消えるだろうと思い、それでも注意深く歩くため早めに出かけた。遊歩道は雪はないが下が木材の箇所は雪が残っていました。 眼科では、何人か友人に会いました。読書会のTさん、旅仲間のIさん。その他顔見知りのかた方も。Iさんとは病院内の喫茶室で軽食を頂きました。 薬待ちのIさんと分かれ、ヨーカドーへ行きました。ちょっと恥ずかしく思いながら、サービスカウンターで昨日手袋を落としたことを話し、遺失物はどこへ行けばいいでしょうかと聞きました。どうせ手袋の片方なんて捨てられるに違いない、と思いながらそれでも諦め悪く届けたことにわれながら驚きました。 断捨離とものを大切に、という気持が交差しました。 カウンターの女性は、私の片方の手袋を見ながら説明しています。黒い布製、手首の所にビーズと刺繍、右手の方、そして探して電話があるはずですから、少々お待ち下さい、と言われました。暫くして、電話があり、該当するものがあるそうです。一旦外へ出て受け付け口(通用口)まで案内しますから、と言われお礼を言いながらついて行きました。 受付に、男性ガードマンのかたが、袋に入った手袋を出してくれた。片割れを示し、お礼を言って署名しました。高級品、安物に限らず落とし物が出るのはうれしいものです。見栄を張らず届けてよかったと心から思いました。 今朝、雪景色に感激し、写真と撮りましたが、あまりに貧弱で公開が憚られます。 2階、ベランダは吹きだまりで大量の雪に埋まりました。あとは2階の部屋からの雪景色です。 ![]() ![]() ![]()
雨は止んで少し気温が上がったようだ。空の雲も薄くなった。
昨夜は、早めに床につきうつ伏せで本を読んだりテレビを見たりしていたが、12時半頃寝入ったようだ。テレビをつけているとき、必ず1時間後に切れるようにしているのでどこまで記憶があるかでわかるのだ。しかし、目が覚めて手元の時計をみると2時40分である。2時間しかねてない。それにしてはすっきりしている。それからもう一度眠ろうとしたが、どうにも眠れない。本を読んでいるうちに、眠くなればいいと思いつつついに眠気は来なかった。6時頃、後頭部に痛みを感じた。若い頃は頭痛持ちだったが、歳とともに頭痛は起きなくなっていたが、もしやくも膜下?、と恐怖を感じた。取り敢えず、スタンドを消して目を閉じた。 日頃、ポックリ逝けたらいい、と思っている癖に、あまりに身の回りの始末が出来てないので、恥をさらすことになり、今は死ねないと思った。 そのうちに頭痛も治まった。じっとしていてもジリジリするばかりなので、再び本を読んだ。一旦、いつもの時間に起き、洗面と軽く朝食を済ませ、もう一度蒲団に入った。 夫は、朝は不規則で9時過ぎだったり10時過ぎだったりする。起きたいときに起きるという生活だ。 私はそう出来たらいいな、と羨ましく思うこともあるが、洗濯はあるし、ゴミ出しはあるし、誰かが来たり電話がかかったり、サークルやプールに出かけたりするので7時には起きて、身支度し一人で食事する。 日曜はなにも予定がないので、寝ていて何の不都合もないが、起きだした夫に、頭痛がするので今日は寝ています、と断った。(暖房費も助かるし)。夫は、どうぞ、と言った。 夫は、食事もマイペースで、ゆっくりドリップコーヒーを飲み、それから何を食べようか考えるらしい。私が、何にしますか、と聞いても必ず、起きたばかりで食欲もない、ゆっくり勝手に食べるからと云う。お世話は要らないということらしい。 今日の所は、保温ご飯、けんちん汁、茹でうどん、天ぷら、焼き肉がある。昨夜の残りというよりいつも翌日の朝、昼を見越して多めに作っておいたものだ。その他、納豆、塩鮭、干物類はいつも用意してあるので、勝手に焼いて召し上がる。 何にしますか、夕食何が食べたいですか、と聞くのを嫌がる。今聞かれても答えようがない、と言う。 友人達は、ご主人に、夕食なに食べたい?、と聞くと何でもいいよ、とか何々食べたいと言うそうだ。私から見たら羨ましい。自立自慢も私に言わせればかわいくない。 友人は羨ましがる。お互い無い物ねだりか。 夫は、午前中に図書館へ行き、体操に廻ると出ていった。買い物を幾つか頼んだ。
昨年まで暖冬と言われ、地球温暖化を懸念されていたが、こう寒いと温暖化は収束したのかと思ってしまう単純人間である。
それにしても40日近く雨が降らず乾燥注意報が出ていたのに、降り出したら3日も続く氷雨に家で閉じこもるしかない。電力消費量が夏以上にピークと言われれば、もしや計画停電?と気になって暖房も最低に押さえる。もしも停電になれば、エアコンも電気ストーブも、灯油暖房さえ使えない。コンセントを使わない昔の石油ストーブが必要になる。炭やたどんで炬燵を作らなければ。薪を使う暖炉などがあったらいいとそんなことを考えた一日だった。 北国では雪に降り込められ、屋根の雪下ろしや道路の除雪に大変な思いをしているのに。 さらに被災地では仮設住宅で、暖房完備とは言えない我慢の生活を送っていらっしゃるだろうに。3日冷たい雨が降っただけで、こんなことを愚痴ったら申し訳ないと思いながら自問自責の日を過ごす。
1月17日(火)
今日は夫が体育館行きの日であったが、東京へ行ってくる、そんなに遅くはならない、と言って11時頃出かけていった。具体的に言わないことが多いし、私も推測するだけで細かいことは聞かない。前日、甥から電話があったから、多分そのことで相談だろうと思うだけである。 車でOKスーパーに買いだしに行った。ここでは、お米や乾麺、パスタ、インスタントラーメンなど保存食品や調味料、乳製品、嗜好品、日配品、手抜き用出来合いの揚げ物なども買い入れるのでカートに籠を3つ載せる。袋は幾つも持参する。1万円以内と押さえても越えることが多い。夫がみたら、あきれるだろう。冷蔵庫も食品庫もいっぱいじゃないか、と言われそうだ。なくなったものはボードに書いてある。他になくなりそうなものををチェックして買っているので問題ない。 2人だけでも注文が多いので結構かかるし献立のやりくりも大変なのだ。 しかし、毎日買い物に出ないようにするとこうなってしまう。野菜や生鮮食品はなるべく別の店で買うようにしているが、こちらは出かけたついでの買い物になる。 夫は、夕食の準備を始めたとき帰ってきた。 今日買ったカツオの刺身と焼き豆腐とほうれん草の煮奴(卵とじ)、昆布の佃煮、味噌汁など。 1月18日(水) 今日はそのあとの予定がないので、歩いてスイミングに行ってきた。寒さは昨日より緩んだようだ。午後は多分読書で過ごしたと思う。 1月19日(木) 午前中、図書館行き。4册返して3册借りる。この頃、少なくなった。 帰りにTさんを駅前に送る。銀行、買い物などしてバスで帰るという。自宅に迎えに行って自宅まで送るパターンが多いが、時折は、別の用足しがあるのでそちらに送ることもある。 夫は、このところ体育館にご無沙汰だと午後から体操に行った。 1月20日(金) 乾燥注意報が続いていたが、昨夜から待望の雨になった。関東一体も冷えて雪の予報も出ている。朝、プラゴミを出しに外へ出たら、肌を刺す横しぐれの雨だった。 東京、横浜が雪でも伊勢原は雪の降らない所だが、テレビのデータ放送によると、当地も雪のしるしになっている。 今日は、高齢者体操のある日。雪になったら車も走れないし、みなさん来られないのでは、と考えていたら、風雨と寒さでお休みにすると、連絡網が入った。 夫は。クリニックに行ったが、担当医の診察が午後3時になった、と言って帰ってきた。私が体操に使ったら、夫が使えなくなるところだった。休会になってよかった。
先週の月曜日、1月9日は、日記には書き落としたが、美容院へ行ってきた。
いつもの美容院が建て替えで何ヶ月間か休業になり、臨時にどこか探さなければ、と思っていた。友人達が行っているところを紹介してもらってもいいが、1・2回だけ臨時にお願いするというのは、迷惑ではないかしら、と変な遠慮があった。 いよいよ分け目の白髪が目立ってきて、ヘアダイとカットをお願いしたかった。 Yさんに聞いてみると、幾つかの店と評判(カットが上手いとか、丁寧とか、値段が高いとか安いとか)を教えてくれた。 2、3回のことなら、どこでもいいわけだし、試しに色々替えて見てもいいし、と思い、ヨーカドーの5階へいった。11時頃だったが、午後1時になるといわれ、他店に当たることにした。 ヨーカドーを出て、Tさんに電話して、いつも行っている店を教えてもらった。図書館の帰りに美容院へ寄るというので近くまで送ったことがあったが、店の名前まで知らなかった。 Aという美容院だった。Yさんが教えてくれた店の名前の中に含まれていた。 その店は、外階段を上がって入り、中年の男性とアシスタントの女性がいた。 若い男性客が一人いたが、ヘアダイとカットをお願いしたいというと、女性がシャンプーをし、少しお待ち下さいといわれた。男性客が終わると、男性美容師さんが、担当した。 初めてなので、ヘアダイの色を聞かれ、Tさんから紹介された旨、話した。 いままでの美容院との経緯も話し、気の合う先生なので、建て替えるまでお願いしたいと話した。 Tさんとは長い付き合いで、高齢でも色々チャレンジしていることもご存知なので、私も長い付き合い、旅行やサークル、図書館なども一緒だしTさんの生き方を目標にしていると話すと、私もそうなんですよ、といわれた。 客商売だから当然かも知れないが、客の話にあわせ、感じのいい人で私も話しやすく、伊勢原の岡崎、無量寺の近くに住んでいると言うので、調子に乗って、伊勢原の岡崎城址、無量寺の話などした。長く住んでいるのにそのことは知らなかったと喜ばれ伊勢原の歴史に興味を示された。 今では男性美容師も多いが、始められたころは、珍しかったのでは、と聞くと、そうですね、その頃からだんだん増え始めたとのこと。駅周辺にも、同時期頃に始めた男性美容師は3人おり、いま市内には100軒の美容室があるとのこと。結構競争が激しいようだ。 しかし、私がいる間に、2件の予約が入り、時間を言っていた。予約制ですか、と聞くと、予約でなくてもやりますが、電話頂ければお待たせしないで出来ますからとのこと、たまたま空いている時だったらしい。髪も、応対も一応満足して帰ってきた。値段はこちらの方が高め。 帰ってからYさんに、A(美容室)、感じよかった、と電話すると、それはよかった、今、うちの人もそこへ行ってるのよ、会わなかった?と聞かれた。ご主人も今は美容室で整髪するし、男性で美容院へ行く人も多いようだ。 昨日1月14日(土)は、郷土史研究会は、高尾先生の講義があった。先生の講義は7回お聞きしているが、いつも斬新で面白い。 今回は、『御旗本の殿様生活ウソ・ホント』 ー判元見届けをめぐってー というもの。古文書の中から、これはちょっとおかしい、信じられない、という違和感が感じられるものがある、という。そんな話だった。 今日、1月16日(月)は今年初めての太極拳だった。どんよりした寒い日で、暖房が入っていた。設定は20度。快適だった。しかし途中からエアコンからの冷たい風が感じられた。皆が寒い寒いと言いだし、エアコンの送風、切った方がいい、といっても管理室任せ。一切いじってはいけないことになっている。係が管理室に行き、エアコンの電源を切ってもらったが、管理者が部屋に来て、暖房終了の時間です、と言った。 最後の30分は切られる時間らしい。節電のためとはいえ、厳しい。 先生も、これからは衣服で調整しましょう、と言われた。手も冷たく手袋も必要、といった人もいた。
今年は例年になく寒い冬。寒さには比較的強いつもりだが、いつも以上に着込み、暖房も欠かせない。
ところで、今週は連休で始まり、月、火とパソコンの不調、何とか夫とフレッツ光の相談コーナーのおかげで回復した。 月曜日に、読書会の方から水曜日の新年会の出欠の問い合わせがあった。私は2人の人に連絡。私を入れて3人出席と返事をした。 水曜日は、朝9時からスイミングがある。終わって帰ると11時近くになる。新年会は準備があるので11時集合となっているが間に合わない。20分ほど遅れると役員さんと家が近いMさんに連絡しておいた。Mさんは、それならお先にいってます、といわれた。 当日、いつもは車でMさんを誘って行くが、車がないので歩いて行った。着くと、Mさんと一緒じゃなかったの?、と聞かれた。え、まだ?先日連絡したとき先に行く、と言われたのでもうこちらに来ていると思った、と言った。 新年会と言っても地域の公民館でお寿司をとり、持ち寄りの料理やお菓子、みかんなどで済ませる簡単なもの、あとはおしゃべりなど楽しむ。 以前は、今年の読書会の方針、取り上げる本の希望なども語り合ったが、みな高齢になり人数も減って、いつどうなるか分からない会である。 いずれは顔を合わせて元気な顔を確かめあい、近況や四方山話を語り合うだけでもいいから続けましょうと言っている。おしゃべりはみな大好きで楽しい。 Mさんはいつまで待ってもいらっしゃらない。みな、気にしてどうしたんでしょうね、具合でも悪くなったのかしら、怪我でなければいいけれど、と心配した。何しろ最年長だが、独特のユーモアがあって人気者だ。まさか忘れたのでは、と思い、携帯から電話した。いくら呼んでも出ない。10分おきぐらいに3回電話した。 私の友人のOさんは、Mさんの2軒隣り、電話してMさんが在宅しているか見てもらった。折り返し電話で、いらっしゃらないみたいよ、別の隣人が10時頃、車が来て乗って出かけたのをみたという。新年会のことは忘れた公算が高い。 一番若いNさんも入院していたが、退院直後で今日は欠席だった。12時にお寿司が届き、4人で始めた。ちょっと淋しい新年会だった。 Mさんへは2日間電話したが繋がらず、気がかりだったが、今日、夕方、ご本人から電話があった。 Oさんから私が心配していたと聞いた。ごめんなさい、すっかり忘れていました、この頃、身体は元気なのだけど、頭の方が自信がなくなって、という。 水曜日、私、出かけたかしら。お出かけになったそうよ、と答えると、もしかするとT(息子)と出かけたかも、という。昨日も今日も友だちに誘われて、車で迎えに来られると、お食事でもなんでも、ホイホイと乗ってしまう、という。お元気な声を聞いて安心しましたと伝えた。 次の読書会は2月なので、近くになったら電話し、当日の朝も電話します、というとお願いします、と言われた。 私も物忘れが多いので、人のことは言えない。毎日、カレンダーと睨めっこしている。 今朝1月13日(金)は、コミュニティセンターへ2月13日の太極拳の場所の予約に行ってきた。10時に受け付け、遅れていったり、日を忘れたりしたら、大変だ。順番で廻ってくる会場予約、責任重大なので、テレビや電気スタンドにもメモを貼り付けた。予約は、使いたい日の一ヶ月前、10時と決まっている。競合してとれなかったら、太極拳の練習も出来ない。沢山のサークルの人が使用しているのでやむを得ないのかも知れないが、いい方法はないものかといつも考えている。 今日は、午後から体操の会もあった。こちらは中央公民館で、役員の方が申し込み、とれない場合は、近くの自治会会館を使わせて頂いている。 明日は、郷土史研究会がある。
パソコンが快調に動いているときは、トラブルが起きたときのことは余り考えない。
過去に、いろいろトラブったことも忘れている。 この頃、パソコンの起動に手間取る、動きが全体に遅くなった、いろいろの警告が表示される、迷惑メールが多い、などあるが、警告は無視、迷惑メール登録し、一括削除している。 昨日より、インターネットに繋がらなくなった。2日前までは幾つかのサイトで利用していたのに、どこをどう間違えて開かなくなったのか全く分からない。 全くお手上げだ。仕方なく夫に話した。業者に来てもらったら、かなりの費用がかかるという。 以前、夫のパソコンが故障したとき電話で丁寧に教えてもらい解決したことがあり、そこへ電話してくれた。 午後1時から4時までの間に、担当部署のものが電話するということで待った。 3時過ぎ電話があり夫が応対してくれた。画面を見ながら指示通りにクリックしていく方法で、幾つかの場所で、オンがオフになっており、最後にスタートからやり直し、一箇所チェックを入れて繋がった。 途端に安堵の喜びが広がった。 理由を聞くと、誤操作ばかりでなく機械のことですから、何かの弾みで狂うこともありますとフォローしてくれ、なるほど、ユーザーを傷つけない言葉だと思った。丁重にお礼を言った。夫が、体操に行く予定でったが、昨日の振替で休みと分かり、いてくれて助かった。感謝。
12月に読んだ本を書きとめてみる。
昨日、図書館行きで手元になく、返す前に少しメモしたいと思いながら、結局はその余裕もなく返してしまった。いつも言い訳ばかりで恥ずかしいが簡単に書いておく。 父 その死 幸田文 新潮社 文は、6才で母を失い、8才の時、姉が死んだ。父が再婚した継母は、リュウマチを病み、家事ができない。 父、露伴は文に14才から家事を仕込んだ。料理、掃除だけでなく、すべての基本姿勢を厳しく躾けた。 この書は、文43才で父を看取る前後のことを書いている。露伴の生誕100年を記念しての出版である。死の直後に書かれたものでないから、介護の様子も壮絶、迫力がある。 文もできるだけ父に尽くそうという気持ちがあるが、時代も戦後の食材難の厳しい時代、父の矜持と我が儘、文の頑張りを認めてもらえないという不満から依怙地にもなる。勿論、根底には父娘の情愛がある。 作家、幸田文が生まれた原点という 幸田文 台所帖 幸田文著 青木玉編 平凡社 父の死・・と同時期に読む。幸田文氏の死後、娘の青木玉氏が、母の作品をまとめた、だいどころシリーズの一つ。 折々に発表した随筆をまとめたもの、最後に「台所のおと」という小説も載っている。あとがきは、玉の娘、随筆家、小説家の青木奈緒氏が書いている。露伴から始まって4代が文筆家となっている。 内容は省くが、父は小学生の文にしゃれたノートを渡し、毎日の献立を書いてみるよう勧めたという。それが数年後、料理を任される原点になっているのではないか、と思う。 合わせ鏡 津村節子 朝日新聞 こちらも、続けて読む著者である。エッセー集だが、まだ夫の健在だった頃に書かれたもの。出版社に勧められて一度は断ったもの。長編を手がけており、とても今引き受けることはできないと。 著者の半生記のような内容である。娘3人姉妹だが母を若い頃に亡くした。父は事業のかたわら、3人の娘を育ててくれた。女学校時代、戦争で勉強どころではなく、軍需工場で動員された。繰り上げ卒業され、手に技術をつけようとドレメに通い、洋裁店を開いた。 しかし、自分は中学生程度の学力しかない、何としてももっと勉強したい、と切望していた。丁度、学習院短期大学で、生徒の募集しているとの広告を見た。学習院の門をくぐり、どうしたら、受検の資格を得られるか、聞きに行った。担当教官が応対し、それはこちらで調べましょうと、と言う。 後日、試験を受けに行くと、何と受験生は一人だった。面接があり、どうして4年も経って入学を希望するのか、聞かれた。今まで感じていたことを率直に述べた。あなたの入学を受け入れます、と言われた。 その後のことは、色々書いたもので、知っている。吉村昭も結核のため、数年遅れて学習院に入り、文学の同人誌で知り合った。 学習院出と聞き、お嬢さんというイメージを持っていたが、全く違い、感動した。その後、「さいはて」「玩具」などで、夫より先に賞をもらいながらも、夫を支え、行商などもしている。 古本屋歳時記 出久根達郎 河出書房新社 こちらもエッセー集。集団就職で就職した頃のことも書かれて興味深い。ところどころ、いい話だと思った箇所があったが、本がないので思い出せない。 私の東京物語 蘇る日々、わが家のアルバムから 朝吹登美子 文化出版局 こちらは戦前の上流階級が垣間見られる写真入り、家族の肖像といった本、姉妹、いとこはすべて学習院出。 学習院には、皇族、華族、旧藩主で爵位のある人や、有産階級の子弟達が入学していた時代。著者の家柄も係累もスゴイ。初め、縁のない人達の生活と思って読むのを躊躇ったが、これも歴史の一つと思い読んだ。著者の明るさと率直さ、優越感が感じられないのでだんだんと抵抗感なく読めるようになったし時代が分かって興味深かった。 著者は、90才を越えているはず。明治、大正の頃、何度も外遊し、留学もしている。翻訳家として名高いが、国際的活躍もしていられる。 暁の旅人 吉村昭 幕末の医師、松本良庵の小説。著者が徹底的取材をし、きめ細かく書いている。父は順天堂の基礎を作った藩医、佐藤泰然だったが、父の親友松本家の婿養子になる。当時は家を断絶させないため、養子、側室は当たり前の時代だった。 良庵は長崎に渡り、オランダ人医師ポンぺに西洋医学を学ぶ。種痘や外科医術も身につけ、弟子や後輩を育てる。江戸へ帰ってからは、幕府の医師となって懸命に尽くすが、やがて国の開国の時代だったため、官軍に追われる身になる。 この本を読むきっかけになった VINさんが、レビューを詳しく書かれていらっしゃいますのでお読み下さい。 yaplog.jp/ashy_ashy/archive/337
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