私の生活や自分史・読書、旅などの記録


by ttfuji(トコ)
 1月10日(水)
 いつもは午前中、スイミングで午後から読書会に出ていたが、この日は、新年初日で、簡単な新年会のご馳走と話し合いがあるため、いつもより1時間早く、準備があるため、スイミングは振替にしてもらった。
 まず、12時におすしを取りに行った。Tさん,Nさんが、すでに売り場に来ていた。予約の受取書を渡し、品物を確認、支払いをして、3人で南公民館へ。すでに,Sさんは見えていた。会場は、いつもの図書資料室が取れなくて、サークル室になっていたが、受付の職員さんが、12時までの人達が、終わって帰られたので、学習室が空いた。サークル室は、北側で暗いし寒いので、第1学習室を使ってもいいですよと言われ、エアコンを消して日当たりのいい部屋に変更させて頂いた。
 日差しも強く、まぶしいのでカーテンを引くほど温かくラッキーだった。
 Mさんは、午前中、よその公民館のサークルがあり、遅れるとの報告を受けており、暫く、色々な雑談をしたり、持ち寄りのお菓子やお惣菜を分けたりした後、一足お先に食事を始めることにした。Nさんからもそうしてほしいと言われていた。集まったものは、金柑の甘露煮、ジャムのビンにめいめいに下さったり、柚子大根やカブの甘酢漬け、蕗の煮物、私は、紫花豆の甘煮、五色きんぴら(実際は9色)を持参。それぞれ好評だった。お菓子も色々多彩に差し入れられた。Nさんからは、種々の漬物のほかに、菜花がサランラップにきちんと包んで、めいめいに下さった。
 予約で受け取りに行ったおすしも好評で10貫をぺろりと食べた。病後で食が細くなったといい残していた人もいたが。でもおいしく頂いたと、言ってくれたが。
 1時頃、Mさんも来られ、遅れてすみません、皆さん今年もよろしくと挨拶された。水曜日の午後は、同じ公民館で、郡上踊りの練習があり、それにも出ていたが、今日は断ってきたという。Mさんは、4年ほど前に、この会に入った人で、一番若手で元気だ。食事やお茶、おかずなど頂きながら、話題も社会問題や,政治、国際問題と豊富だったが、何といっても、家族や健康問題が一番多かった。色々深刻な問題も抱えていた。でも、そんなことが話せる仲間がいるというだけで有難く幸せだと思った。
 3時半頃、散会。次回の定例会は2月14日、池波正太郎氏の『食卓の風景』に決まっている。

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# by ttfuji | 2018-01-15 16:12 | Comments(0)
 1月5日(金)
 10時、コミュニティセンターへ、太極拳の1月29日分の会場予約に行く。本体なら、12月20日が予約日だが、年末で28日から休み。1月の受け付け開始の初日に申し込んだ。
 会場に最も近い私が引受けたのだった。
 そこで、娘の親友のお母さんであるNさんにお会いし、色々話す。R子ちゃん、お正月に帰ってこられたんですか、と聞かれ、2月3日帰るとつげる。Nさん宅は娘さん二人が家族づれで集まりお孫さんも多くそれはそれで忙しく、大変だったらしい。3軒分のおせちも一人でつくったという。賑やかなのは羨ましい限りだが、大変だなとも思う。
 1月7日(日)
 年末に、行こうかどうしようかと迷っていた美容院へヘアダイに行ってきた。ヘアダイが毛髪によくないと言われているが、もう少しもう少しと言いながら、染めてもらってしまう。1か月はなんとか持たせる。美容師先生とはとても気が合って、おしゃべりも楽しい。月火が休みで、山登りが趣味の先生、私より10歳ほどお若いが、魅力的な先生であり、山で怪我されたときは、私も本当に困った。明日、明後日は休業になるので、今日、ヘアダイに伺ったのだった。帰りに、大きな大根を頂いた。私も紫花豆ときんぴらをお届けした。

 帰途、わくわく広場へ寄り、何品か買い物。屋上に車を置き、富士山の写真を撮る。少しもやがかかり、3が日の快晴の時に撮ればよかったと思ったが、でもこの富士山もなかなかいい。
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 1月8日(月)
 10日水曜日がもくれん読書会の日。毎年新年の第2水曜日は、ささやかな新年会を行なう。お寿司屋さんで取っていたが、数年前から、買ってくることになり、おいしいと評判の小田急の店で予約して、当日取りに行く。その予約に行ってきた。出欠の確認電話をし、5人だけになったが皆さん出られるというので注文してきた。あとは、それぞれお菓子やおかずなど持ち寄るので結構賑やかになる。別の店で買い物して帰る。
 
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# by ttfuji | 2018-01-09 13:32 | Comments(0)
 2018年1月2日
 孫は暮れに、1月2日の昼にご飯食べに行ってもいいですか、あんまり長居は出来ませんが、とラインで知らせてきた。年に何回も顔を出さない孫に、いつでも来てね、待っているから、というのに長居は出来ないと予防線を張って断っている。その後も、2日は何時ごろになるか、大体でいいから教えて、とメールすると、3時頃との返事。若者にとって午後は夜中の12時までをさすのかもと言われ
そんな非常識ではないはずと反論する。
 お腹を空かせて来てね、ごちそういろいろあるから、と返す。
 来たのは3時半。おせちを並べ、すき焼きの準備も整っている。聞けば朝から何も食べていず、すぐにも食べたい様子。あ、蛸がある、有難い、というので、Tは海産物は駄目じゃなかった?、と聞けば、蛸は好きだという。イカやかまぼこも大丈夫、タラコもパスタにすればおいしく食べられる。
 子どもの頃は食事係だったバアチャンはしつけを間違ったかとふと反省する。
 すき焼きは殆ど一人で400グラム以上の(4分の3位)食べて、おかずももりもり、ばあちゃんを喜ばせた。
 蛸は、私の分も小鉢を渡すと、いいのと言って食べた。煮物類も一通り食べてね、サラダもね、というと頂いてます、あ、生野菜こんなに、トマトもある、といい、いま野菜やトマト、高いでしょう、と所帯じみたことを言い、自炊しているの、と聞けば、たまに、というが、多分外食が殆どだろう。野菜は食べないとだめよ、とか中学生相手にしているようだと我ながら思う。
 もっと近ければ、というより、もっと時間がある仕事だったら、来られるのにと思うが気にしたらキリがない。1時間ほどで、お腹を押さえ、もうこれ以上食べられない、少し、横になっていいですか、といい、座布団を枕にゴロっとなった。小ぶりの毛布を掛けてやる。
 言葉は、現代っ子風で何々してもいいですか、と他人行儀に丁寧だ。アルコールは強くない。ビールをコップ一杯半でもういいという。その分私が頂く。じいちゃんはこの頃ワイン。
 横になっても、話しかけには答える。友達と新宿で会うことになっており、6時には帰るという。じいちゃんも泊って行けというが、そうはいかないらしい。煮物や料理持って行く?、と聞いても持ち帰れないという。ケーキも午前中買いに行ってきたと見せると、食指が動き、もらっていくという。
 お汁粉もあるよ、と言えば、別腹らしく餅は要らないけど頂くといい、カップ茶碗にお代わりして2杯食べた。じいちゃんもつられた2杯食べた。
 私は、タッパーにおせちや煮物を、コンパクトに詰め、しっかりした小ぶりの紙袋に納め、すき間にお餅を入れ、上にケーキ3個分をアルミ箔で容器を作って入れた。孫に、コンパクトにまとめた紙袋をレジ袋でカバーしたのを見せると、それなら持ち帰れると言った。
 もし、孫が、友人と会って、食べてしまうかもしれないと思ったが、それも良し、と思った。6時過ぎ帰って行った。わずか、3時間足らずの滞在だった。でも、私は来てくれるだけでもうれしい。 
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# by ttfuji | 2018-01-09 12:57 | Comments(0)
 元旦。ぱっと晴れわたり新春にこれ以上ないという好天気。富士山が美しい。
 どうやら無事新年を迎えることが出来た。
 おせちも何とか整った。二人だけの元旦。娘は外国だし、孫は2日に来るとラインで知らせてきた。ちょっと寂しい正月だが、良しとしよう。正月ぐらいは平和に過ごしたい。
 体調も悪くなく、祝杯もあげられる、一通りの料理もゆっくりと味わうことができる。めでたしめでたし。お酒をたくさん飲みたい頃は、お雑煮はあとでいい、と言っていたが、いまはそれほど飲まなくなってお雑煮も一緒に用意する。お餅は一つだけ、お汁代わりに頂く。
 あとは、片づけず、いつでもつまめるようにしておく。朝昼兼行となのでのんびり。お腹が空いたらお汁粉もありますよ。お茶漬けでもどうぞ、という感じである。夜は年越しの残りのお蕎麦を所望された。言われたときに茹でる。天ぷらも残っている。
 
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# by ttfuji | 2018-01-06 18:29 | Comments(0)
 12月27日(水)
 夜、昔勤めていた時の友人、Oさんから電話。税務会計事務所の先生の奥様が亡くなられたとの訃報。とても悲しい知らせだった。以前にブログでも何度も触れているが、働いている職員、特に最高齢の私にとって本当に優しく温かく接して下さった奥様だった。先生も、息子さん2人もみな税理士。家庭的で、職員を大事にして下さる雰囲気の事務所だった。
 数年前、夫である先生に先立たれ、自宅でおひとりで暮らしていたが、勿論息子さん家族に常に見守られていたが、高齢でホームに入られた。それまでは私たち退職者3人も自宅に伺い歓談していた。
 1昨年、昨年と春、ホームに伺い、秋に伺いたいと話していたが、9月に肺炎にかかり、体調を崩されたそうで、Oさんも私やSさんに声をかけられなかったという。
 尋ねると、とても喜んで下さり、再会を約していた。奥様も、年令の近い私たちを友人のように接して下さった。
 30日、通夜、31日、葬儀とのことで、私たちは通夜のみ参列させて頂いた。先生は何年か前に、亡くなられ、その時も、3人で参列し、その後、お話し相手に自宅にも何度も訪問させて頂いた。
 私が、仕事を離れたあとも、いくつかの顧問先のアルバイトを紹介して頂いたのも、先生や奥様のおかげだった。感謝あるのみです。
 12月30日(土)
 5時にOさんが、車で迎えに来て下さり、すでに3人の同乗者と一緒に斎場に向かった。祭壇のお遺影の笑顔はとても素敵で10年ほど前の写真というが、少しも違和感がなくご遺体のお顔も美しかった。読経、お焼香のあと僧侶による長い講話があった。帰りもOさんが一人ひとり送り届けて下さった。
 
 
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# by ttfuji | 2018-01-06 16:44 | Comments(0)
 12月21日(木)
 年末の片付けと太極拳書類作り。
 12月22日(金)
 体操(さつきの会)なし。金曜日はOさんのご主人はデイサービスの日。自由に出かける日が欲しいと日頃聞いているので、付き合うと昨日電話した。11時お迎えに。銀行の用事と買い物、できればデパートに行きたいが無理なので、駅前の店で我慢しましょうということに。車をヨーカドーに置き、ローゼンへ。2Fのプティックへ。ゆっくり見てまわり、楽しそう。何回か来て、気に合う店主の店でおしゃべりも弾み結構時間を費やす。食事はローゼンよりヨーカドーのレストラン外の方が選べるということで、ヨーカドーへ。めいめい別なものを注文してお互いに満足する。丁度、Oさんのご近所のKさんご夫妻が入ってきて隣のテーブルに座る。病院の帰りとのこと。ここでは結構知り合いの人に会うことが多い。ヨーカドーでは実用衣類を買いたいとOさんは下着など買い、私は夫のパジャマと下着を買う。ところで、ヨーカドーの駐車場はいくら買い物しても、3時間しか無料駐車は出来ない。食料品を買う予定があるが、3時間以上は別料金がかかる。それなら、一旦出てローゼンの駐車場に入れ換えそこで買い物した方がいいと判断した。高々、200円くらいかかるだけだが、沢山買い物したのに駐車料がかかるということで、とてもケチな気分になる。
 いつもポイントが何倍かつく日で買い物するとき、わずかな金額でしかないのに損得にこだわる自分を阿保だと思う。
 そのあと、ヨーカドーの駐車場を出るとき、不足料金が発生してないか、ドキドキしそのまま出られたのでほっとした。ローゼンの駐車場に入れ直し、食品を買って帰宅。Oさんに楽しかったと喜んで頂いた。
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# by ttfuji | 2018-01-06 15:57 | Comments(0)

12月の日記 年賀状

 12月下旬の日記を書かないまま日が過ぎていった。なんとなく集中できず年賀状も書かないまま年末を迎え、さすがに気になって、28日になって一昨年まで使っていた年賀状のソフトを立ち上げたが開かなくなったばかりでなく、更新するためには、新たに許諾の申し込みが必要のようで、面倒になって、宛名書きだけでも利用できないかと思って開いたが、データはすべて消えていた。仕方なく、文面も住所録もワードで手作りした。印刷になってまた、大変。印刷をクリックしても動き出さないので、何回かその作業を繰り返したところ、クリックした回数だけ、同じ宛名が何枚も印刷された。気づいて、今度は1枚づつ反故にしたハガキで試し刷りしたりハガキと時間を無駄にした。
 手書きの年賀状も増えたが、下手な字がますます乱れてほうほうのていだった。取り敢えず29日には投函できたが。
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# by ttfuji | 2018-01-06 14:54 | Comments(0)
ひと月前の11月25日、申し込んであった講演を聞きに行った。
伊勢原市立図書館と東海大学附属図書館による市民のための図書館教養講座、と銘打った講演だった。
 場所は、市立図書館の2FAVホール。 
 講師:三輪太郎先生  
 演題:『あなたは村上春樹の本当の怖さを知っていますか』
 
 私がこの広告を見たのは、図書館の掲示板で9月中頃だった。まだ、ノーベル文学賞が決まってない時期で、村上春樹氏が受賞しても、また、今回も受賞できずに終わっても、話題にはなる企画だと思った。
 東海大学図書館と市の図書館の共同企画であったので、当然、図書館利用者より学生の方が多いだろうと予測していた通り、圧倒的に学生の方が多かった。
 三輪先生は、作家であり文芸評論家であり、東海大学文学部文芸創作学科准教諭。早稲田大学文学部卒業。文芸春秋社で9年、書籍編集に携わる。1990年、「『豊穣の海』あるいは夢の折り返し点」で群像新人文学賞(評論部門)を受賞。評論の著作には『死という鏡』『村上春樹で世界を読む』など。小説には『あなたの正しさとボクのセツナさ』『大黒島』『憂国者たち』その他多数。
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 第一印象は、とても若々しい先生だなという印象だった。
 私は、前列から2番目の左側の椅子に座った。写真を撮りたいと思ったからだ。
一応、始まる前に写真の許可は取っておいた。
 自己紹介で、三輪と申します。今年の5月に今回の話を頂き、ラッキーと思いました。というのは、ルパン3世の脚本を書いている金子裕先生がこちら伊勢原にいらっしゃると知り、私は「ルパン3世」の大ファンですので、しおたさん?(市の担当者)にお願いして、駅前のサイデリアで会わせて頂いたのです。そんな縁で、ルパン3世の制作会社に繋がりができ喜んでいます。
 今回の講演日を11月25日にお願いしたのも、私が文芸に関わりを持った、きっかけを作ったある作家の命日だからです。毎年、この日に近づくとそわそわしてきます。その作家とは、三島由紀夫です。1970年11月25日、三島は割腹自殺を遂げ、日本中に衝撃を与えました。私は、小学3年生。高校時代三島文学を読みはじめ、大学で三島由紀夫研究会に入りました。つい最近(3年前)、三島のことを評論と小説を合体させたものを書きました。ボクの人生は三島漬け、なぜこんなに三島が好きなのか30年間考えてきました。
 なぜか・・、村上春樹が原因ではないか、ある時ハッと気づいたのです。三島の持っていたトーチを受けとったのは村上春樹だと。村上春樹は全共闘の時代だから左翼。三島はどう見ても右翼。果たして三島の本心はどこにあるのか。よい作家かどうかはわからない。好きなところも嫌いなところもあるはず。村上春樹は三島を嫌いと言っているが、内心は気になって仕方がない作家であったと思います。
 映像を映す。
 1、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ 旧ユーゴビルの風景 壁にアバタ状の弾痕
 2、セルビア・カラジッチ 内戦で大量の人を虐殺した罪で終身刑。
   彼、カラジッチが、三島文学の愛読者であることを、国連の日本人代表、明石氏から聞き、明石氏に確かめた処、事実だった。  三島作品は私の愛読書ですと語ったという。
 3、内戦のあとの街角の本屋に村上春樹の本が山積みに置かれていた。「ノルウェーの森」ほか1300万部が売れている。なぜそんなに読まれるのか。謎だ。川端康成も大江健三郎もなしえなかったことです。
   
 ここで5分間の休憩。話が煮詰まってくるので・・と言われる。とてもユーモアというか稚気に富んだ先生と感じた。

 後半の講義は、村上春樹の20代の作品と20代の写真。経歴やエピソード。
 早稲田大学文学部入学。1968年。   
 1975年第1文学部映画演劇学科卒業。卒論の指導教授から、「君は小説が書けるんじゃないか」と 言われる。
 僕が小説を書こうと唐突に思いついたのは神宮球場の外野席だ。23年前のシーズンの開幕ゲームだった。その年の10月4日にヤクルトは優勝を決めた。その時も僕は球場にいた。スワローズ球団創設以来20年目にして初めて手にした優勝で僕もたまたま29才だった。その時書いた小説で僕は文芸誌の新人賞を取った。(『神宮球場の外野席で・・・』毎日新聞)
 と、村上春樹が作家として、世に認められたきっかけを知った。
 ●村上龍との対談の話も紹介された。
 うちはおやじとおふくろが国語の教師だったんで、で、おやじがね、とくにぼくが小さい頃にね、『枕草子』とか『平家物語』とかやらされるのね。でもやだ、やだと思ったわけ。それで外国の小説ばかりよみはじめたんですよね。でも、いまでも覚えているんだね、全部頭の中に暗記しているのね。食卓の話題に万葉集だもの。・・・絶対に日本の小説読みたくないと思ったんですよ、ちいさいころ。まして日本語で小説書くなんて思いもよらなかったな。
 ●エルサレム文学賞スピーチ(2009年)
 私の父は昨年、90才で亡くなりました。彼は引退した教師であり、パートタイムの僧侶でもありました。父は大学院在学中に徴兵されて陸軍に入り、中国での戦闘に参加させられました。戦後生まれの子どもだった私は、父が毎日朝食前にわが家の仏壇に向かい、長く深い祈りを捧げているのをよく見たものです。ある時、私がなぜそんなことをするのかと聞くと、父は戦場で死んだ人たちのために祈っているのだと話しました。父は敵も味方もなく、すべての死者のために祈っていると言いました。仏壇の前にひざまずいた父の背中を見つめながら、私は父の周りに漂う死の影を感じていたような気がします。父は死にました。父は、私が決して知ることができない記憶を持って行ってしまいました。しかし、父の周りに潜んでいた死の気配は、私自身の記憶の中にとどまっています。それは、私が父から受け継いだ数少ないものの一つ、そして最も重要なものの一つです。

 できるだけ簡潔にまとめようとしましたが、難しく、殆どは、頂いた資料を写しただけになってしまいましたが、取り上げた本について、解説はさらに難解でした。
こちらも丸写しします。
 ●ジェイ・ルービンの驚き
 抑制された、灰色のリアリズムの研究に長年専念していたため、これほど大胆で奔放な想像力に富む日本人作家が存在するとは信じられなかった。(『村上春樹と私』より)
 ● 『風の歌を聞け』(1979年)の新しさ
 →従来の「文学らしさ」の暗黙ルールをことごとく覆す→見かけの軽さにそぐわぬ批評性
 ● 『羊をめぐる冒険』(1982年)の羊とは何か?
 →「義」の中に「羊」がいる。→親友「鼠」は「義」の始末をする→ありのままの「弱さ」を守るため→本格的消費社会の到来との符号
 以下、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』
    『ダンス・ダンス・ダンス」
    『ねじまき鳥クロニクル』
     村上春樹にとっての「影」
  と簡単な解説のヒントが書かれている、と言われるが、理解不能なので略す。
 三輪先生の感想は、何度もノーベル賞候補になった作家に、日本の論壇はなぜ芥川賞や直木賞を与えなかったが世界から疑問に思われているそうだ。もうこんなにこじれたら今から芥川賞もない、と言われた。村上の文学は批評的哲学的に読むと面白いそうだ。

実は、この感想を書いているうちに、どうまとめていいかわからなくなり中断してしまった。何日も放置した。
 村上作品の怖さを伝えているのに、私には伝わらない。私の頭では理解不能のようだ。先生は、作品のあらすじを話し、こわいですね、と問いかけるが、私には伝わらない。まるで、かって映画の解説で、淀川長治氏が繰り返したように「怖いですね!」がだぶる。余り良い聴講生ではなかったようだ。それにもかかわらず、私は最後に質問をした。学生のまともな質問や感想の中で、先生の著書への感想を述べたのでした。



 


 

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# by ttfuji | 2017-12-26 15:19 | Comments(0)
 年のせいか、今年の冬は特に寒さが身に応える。風邪を用心して、厚着で背中を丸めてしまうので、ますます老人ぽくなった。
 12月10日(日)
 屋根・外壁工事の際、ミサワの担当者の最後の点検時、指摘された網戸の破れや壁紙の剝れ、それはこちらでやりますからと頼まなかった。気になるところは沢山あるが、やっと終わったのに、また改めて契約するのは面倒だし、今回は見送ることにした。 
 そしてパソコン部屋の西窓の網戸の張替はわが家で行なった。他にも2枚きれいに張り替えた。
 12月11日(月)
 太極拳。1月29日のコミセン予約。予約日は1月前で、通常の月なら12月29日だが、年末で休みになるため1月5日に申し込むことになっている。遠くから予約を取りに来るのは大変なので、最も近い私が引受けた。何しろ2分の距離だし、10時前に行けば2・3分で済むから申し訳なく思わないでと言っている。
 12月12日(火)
 10時半、歯科医院行き。歯周病予防のため歯石除去や掃除、歯を何とかもたせたいと先生も私も必死だ。チェックしては、うん、まだ大丈夫だ、よく手入れもできているし、とほめられるが、時々痛んでは、1・2日で痛みが消えるということを繰り返している。いずれ、部分入歯も必要になるかもしれない。郵便局、エスポットで買い物して帰る。
 12月13日(水)
 スイミング。夕方より胸の息苦しさあり。しかし、じっとしていると1時間ほどでおさまる。
 12月14日(木)
 銀行行き。
 12月15日(金)
 午後より体操。今年最終日。FさんKさんと。帰り,Fさんとエスポットへ寄る。
 12月16日(土)
 娘と孫、特に孫の情報はラインで知る。唯一の連絡手段である。
 12月17日(日)
 リコーダーで2つの講演記録の下書き。それを後日ブログに簡単に書き換える。
 12月18日(月)
 太極拳最終日。特に反省会のようなこともなく、先生の一言と新年度からの役員交代がある。
 また、コミュニティセンターの場合、代表者が地元地区のものでないと困るという規定があるため、私に代表を頼まれる。来年度役員の2人が他地区住民のため引き受けるが仕事は何もない。
 会員名簿、連絡網、コミセン予約当番表、出欠表などの作成もパソコンに記録が残っているため、順番を変えるだけで作成できるので、毎年引き受けており、今回も引き受けた。こうしたことは他のサークルでも引きうけており、負担には感じない。
 12月19日(火)
 午前中、コスモで灯油とガソリン給油。勿論一人ではできず手伝ってもらう。
 12月20日(水)
 今年最後のスイミング。どの会も今週で最後。お世話になりました。来年もよろしく。よいお年を!とご挨拶。いよいよ押し詰まったという感じ。外回りはきれいになったが、中は手に付かず、断捨離も思うように進まない。
 夕方、太極拳の新役員さんが、名簿や順番など変更事項など記した原稿を持ってこられた。とても恐縮され、お忙しいのに申し訳ありませんと言われたので、気になさらないで、パソコンに入っている去年のデータを訂正するだけですから、と喜んで引き受けさせていただいている旨伝えた。
 送られてきたという、三ケ日みかんを下さった。とてもおいしいミカンでした。
 

 
 
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# by ttfuji | 2017-12-20 21:01 | Comments(0)
 12月9日(土)

伊勢原郷土史研究会。本日の郷土史会は、伊勢原図書館2FAVホールで行われた。文化庁協賛事業であり、会員以外にも広報その他で呼びかけ一般の参加もあった。そのため用意したレジュメや椅子が足りず開会の前に、レジュメを受け取っていない人に挙手してもらい急遽増刷したり椅子もほかの部屋から運び入れたりした。
 1時、市の担当者の挨拶。郷土史研究会会長の講師紹介で、以下のように講師紹介がなされた。
諏訪間氏は、昭和60年に市役所に採用されて以来、市史、文化財、遺跡発掘と携わり、郷土史会でも何度も講演して頂いている。予定していた講師が、急遽、都合がつかなくなった時も、お願いしてピンチヒッターを引き受けて下さり、何度も助けられました、と紹介された。

 演題  『相模丸山城』について
 講師   市教育委員会の諏訪間伸氏。
 
 
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 講師の自己紹介でも、現在は、子ども科学博物館担当のほか、雨岳文庫ガイドの会、いせはらおもてなし、城郭研究会などにも所属し、先日も母校の駒澤大学で、丸山城について講演してきたとのこと。 本題に入る。

 丸山城について、知っている市民はどのくらいいるでしょうか。知名度は低いと思います、といわれる。丸山城址は、伊勢原市の中央部よりやや東に位置し、国道246沿いにある。
 昭和60年頃、東海大学医学部や大学病院が立ち、隣接のこの地域は、あちこち開発が盛んにおこなわれるようになると、昔ここに、城があったようだとか、言い伝えや史料が出てくる。江戸時代末に刊行された『新編相模国風土記稿』には周辺に丸山という小名がありこのあたりに四面に堀の異形があり平安時代から鎌倉時代初期に活躍した「糟谷左衛門尉有季の居跡」と考えられる、と記されている。民間開発や宅地造成、道路改良工事に伴う試掘、発掘調査が実施され、旧石器時代から近世までの各時代の生活の跡が確認され、特に中世の建物址、井戸址、掘、土塁、地下式坑、溝などが多く検出されている。出土遺物は、青磁、青白磁、陶器、かわらけ等があり、城の時期については「15~16世紀}として報告されている。=レジュメより
 講師の諏訪間氏は、この時期の調査に携わっており、情熱が伝わる。調査は昭和59年の分布調査から平成24年の範囲確認調査までほぼ30年にわたって行われ、市だけでなく、県や、国、民間研究機関、学校なども参加している。
 現在、発掘場所は、埋め戻され城址公園とされているが市民公園という位置づけとなっている。
 諏訪間氏は、史跡公園となっていないのが残念という。史跡公園であれば、調査継続ができるということのようだ。
 また、丸山城は、誰の城か、断定はできず城の中にどのくらいの人数がいたかも不明という。
 開発のため、急遽発掘をしたので、十分な発見ができなかった。発掘はごく一部という。
  従って、丸山城は「幻の城」と言わざるを得ないそうです。
 そうはいっても、堀や土塁、遺構の写真や図面は50枚以上、情熱に頭が下がります。
 ありがとうございました。
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# by ttfuji | 2017-12-20 16:20 | 郷土史・講演会・学習 | Comments(0)