2010年 08月 04日
きっかけは・・・ |
ブログを通じての友、というか、私の読書のナビゲーターでもあるVINさんが、サマセット・モームの『月と6ペンス』のレビューを書いておられた。
サマセットモームといえば、『人間の絆』、遠い青春時代のことを思い起こされた。それは懐かしい思い出。
地方都市で働きながら短大を出た後、一足先に、東京でOLになっていた、妹と同居するため、上京し勤め先も決まった。短大時代の恩師は、都内の大学の助教授になっていられ、東京に転居されていた。短大時代も、ゼミの学生は先生との語らいが楽しく、新婚の先生のお宅によく遊びに行った。奥様はさっぱりした人で、友達夫婦という感じで憧れだった。むしろ奥様の方が、歓待して下さった。
短大を卒業しそのまま税務事務所で働いていたのだが、ある事情から、(娘のアパート一人暮らしは心配という父の考えもあり)それに同調して妹と一緒にアパート暮らしをするようになると、先生ご夫婦との交流も再開した。
都内で働いて妹と一緒に住んでいるという近況報告の手紙に、是非遊びにいらっしゃい、妹さんも一緒に、との返事を頂き、妹を伴って訪問した。月に1・2回は休日には訪問していたように思う。
ご夫妻は2人のお子さんにも恵まれ、子ども相手に遊んだりした。帰る時になると泣かれたりしつらいが嬉しかった。
その頃の私は、真面目で素朴な娘だったから、親友のSさんの新婚家庭にもちょくちょく遊びに行き、多少の遠慮はあるものの、ご夫婦の心からの歓待に、何度でも伺っていた。
今では考えられないくらい、相手の言葉に素直で疑うことをしなかった。勿論、M先生もSさんも、裏表のない人だったから、長い付き合いが続いているのだが。
先生は大の読書家で本の話をよくして下さった。その中にサマセット・モームの話もあった。英語を一緒に勉強しましょうと、誘われたとき、サマセットモームの『人間の絆』がテキストだったとVINさんのコメントに書いたが、妹に電話して聞いてみると、テキストは『人間の絆』ではなく、『黒猫』とかいう本ではなかったか、といわれた。会話の中の本の話と混同してしまったらしい。そう言えばあらすじなど全く覚えていない。
その後、先生は教育テレビに出られたり、本も沢山書かれお忙しく、私の結婚式には主客として挨拶を頂いたりし、娘が生まれたときは3人で挨拶に行ったりしたが、その後の交流は年賀状と、たまの電話をするくらいになった。
妹は、結婚で奥様のお世話になり、私以上に、奥様との付き合いは深かった。妹の闘病中も、電話で励まして頂いたりしたが、その後、肝臓が悪く通院していると聞いたのは、数年前のこと。妹もいろいろ余病や怪我で入退院を繰り返した。その後、電話が通じなくなった。
どうしたら消息が得られるかと、時たま思い出すが、きっかけはVINさんのブログだった。インターネットで検索して下さり、2008年7月亡くなられていた。2年前である。奥様と連絡が途絶えたのはそれより何年か前だから、奥様の方が、先に逝かれたのかも知れない。私より一回り年上のご夫妻だった。
時は流れる・・寂寞の感が強い。
お訪ねした頃、幼児だった、ご長男は、立派な大学教授になっていることも、検索で分かった。写真とゼミで学生達に囲まれている姿を見て、先生にそっくりだと驚いた。
専門は理数系だが、揃って文学博士であるのも血は争えないと感じた。
サマセットモームといえば、『人間の絆』、遠い青春時代のことを思い起こされた。それは懐かしい思い出。
地方都市で働きながら短大を出た後、一足先に、東京でOLになっていた、妹と同居するため、上京し勤め先も決まった。短大時代の恩師は、都内の大学の助教授になっていられ、東京に転居されていた。短大時代も、ゼミの学生は先生との語らいが楽しく、新婚の先生のお宅によく遊びに行った。奥様はさっぱりした人で、友達夫婦という感じで憧れだった。むしろ奥様の方が、歓待して下さった。
短大を卒業しそのまま税務事務所で働いていたのだが、ある事情から、(娘のアパート一人暮らしは心配という父の考えもあり)それに同調して妹と一緒にアパート暮らしをするようになると、先生ご夫婦との交流も再開した。
都内で働いて妹と一緒に住んでいるという近況報告の手紙に、是非遊びにいらっしゃい、妹さんも一緒に、との返事を頂き、妹を伴って訪問した。月に1・2回は休日には訪問していたように思う。
ご夫妻は2人のお子さんにも恵まれ、子ども相手に遊んだりした。帰る時になると泣かれたりしつらいが嬉しかった。
その頃の私は、真面目で素朴な娘だったから、親友のSさんの新婚家庭にもちょくちょく遊びに行き、多少の遠慮はあるものの、ご夫婦の心からの歓待に、何度でも伺っていた。
今では考えられないくらい、相手の言葉に素直で疑うことをしなかった。勿論、M先生もSさんも、裏表のない人だったから、長い付き合いが続いているのだが。
先生は大の読書家で本の話をよくして下さった。その中にサマセット・モームの話もあった。英語を一緒に勉強しましょうと、誘われたとき、サマセットモームの『人間の絆』がテキストだったとVINさんのコメントに書いたが、妹に電話して聞いてみると、テキストは『人間の絆』ではなく、『黒猫』とかいう本ではなかったか、といわれた。会話の中の本の話と混同してしまったらしい。そう言えばあらすじなど全く覚えていない。
その後、先生は教育テレビに出られたり、本も沢山書かれお忙しく、私の結婚式には主客として挨拶を頂いたりし、娘が生まれたときは3人で挨拶に行ったりしたが、その後の交流は年賀状と、たまの電話をするくらいになった。
妹は、結婚で奥様のお世話になり、私以上に、奥様との付き合いは深かった。妹の闘病中も、電話で励まして頂いたりしたが、その後、肝臓が悪く通院していると聞いたのは、数年前のこと。妹もいろいろ余病や怪我で入退院を繰り返した。その後、電話が通じなくなった。
どうしたら消息が得られるかと、時たま思い出すが、きっかけはVINさんのブログだった。インターネットで検索して下さり、2008年7月亡くなられていた。2年前である。奥様と連絡が途絶えたのはそれより何年か前だから、奥様の方が、先に逝かれたのかも知れない。私より一回り年上のご夫妻だった。
時は流れる・・寂寞の感が強い。
お訪ねした頃、幼児だった、ご長男は、立派な大学教授になっていることも、検索で分かった。写真とゼミで学生達に囲まれている姿を見て、先生にそっくりだと驚いた。
専門は理数系だが、揃って文学博士であるのも血は争えないと感じた。
by ttfuji
| 2010-08-04 23:39
| 友・師・人