2013年 04月 27日
老々老介護 |
昨日、妹の通院に、いつものように、妹の夫、そして私が付き添った(付き合った?)。
85才の妹の夫、75才の闘病の妹。そして77才の私。その中で、一番元気といわれる私だが、最近とみに疲れやすくなっている。労働しているわけではないし、特に動き回るわけでもないのに、昨日は、帰宅と同時に椅子に座り込んだら、立ち上がるのが億劫になった。夫には、夕食に食べるものを一応メモして出たので、もっと遅くなると思ったらしく、夕食を食べる用意をしていた。
何年か前までは、夜までいて、夕食も一緒にすませてきたが、年々、夜道や寒い季節は辛く、明るい内にお暇するようになった。
行くたびに、Jさんに、すまんですなあ、ありがとう、と頭を下げられると、頼られていると感じ、私が見放したらどうなるの、と思ってしまう。あと、2年ぐらいはなんとか頑張って付き添ってあげたいと思う。
昨日は、また筍ご飯を、沢山作り、持参した。他に、お弁当も買っていった。甘辛団子も買っていった。沢山あれば、夜に回せるし、妹も楽ができると思う。筍ご飯は、5度目であるが、出かけるたびに持って行ったり、近くの友人にあげたり、好評である。
わが家の夫も、お腹に病根(瘤)を抱えているが、元気で体操に行っているし、私がいないときには、パソコンでレシピを打ち出しては、好きなものを作って食べている。
夕食は、私が、品数も量も多めに作っておく。朝食には、夜の残りもの(と夫は思っている)と焼き魚や納豆、生野菜、味噌汁を食べ、かなり充実している。間にスムージーを作って飲む。本人もしっかり健康管理しているから私も楽な面もある。
しかし、食べることには注文の多い人である。栄養管理しながらの献立も気を使う。カロリー制限も、本来の嗜好をどこまで我慢できるかの狭間で悩む。血圧降下剤をのみ、高脂血症の薬ものみながら、年をとると食べることしか楽しみがない、だから献立も工夫してくれ、という夫に怒ったこともある。尿酸値がたかい、だからプリン体の多い食品はできるだけ避けるようにしたときには、食べるものがなくなるほどだった。
献立のことがいつも頭にある。それがストレスでもあるが私自身のためでもある、と思うことにしている。私1人ではおざなりになること間違いない。
85才の妹の夫、75才の闘病の妹。そして77才の私。その中で、一番元気といわれる私だが、最近とみに疲れやすくなっている。労働しているわけではないし、特に動き回るわけでもないのに、昨日は、帰宅と同時に椅子に座り込んだら、立ち上がるのが億劫になった。夫には、夕食に食べるものを一応メモして出たので、もっと遅くなると思ったらしく、夕食を食べる用意をしていた。
何年か前までは、夜までいて、夕食も一緒にすませてきたが、年々、夜道や寒い季節は辛く、明るい内にお暇するようになった。
行くたびに、Jさんに、すまんですなあ、ありがとう、と頭を下げられると、頼られていると感じ、私が見放したらどうなるの、と思ってしまう。あと、2年ぐらいはなんとか頑張って付き添ってあげたいと思う。
昨日は、また筍ご飯を、沢山作り、持参した。他に、お弁当も買っていった。甘辛団子も買っていった。沢山あれば、夜に回せるし、妹も楽ができると思う。筍ご飯は、5度目であるが、出かけるたびに持って行ったり、近くの友人にあげたり、好評である。
わが家の夫も、お腹に病根(瘤)を抱えているが、元気で体操に行っているし、私がいないときには、パソコンでレシピを打ち出しては、好きなものを作って食べている。
夕食は、私が、品数も量も多めに作っておく。朝食には、夜の残りもの(と夫は思っている)と焼き魚や納豆、生野菜、味噌汁を食べ、かなり充実している。間にスムージーを作って飲む。本人もしっかり健康管理しているから私も楽な面もある。
しかし、食べることには注文の多い人である。栄養管理しながらの献立も気を使う。カロリー制限も、本来の嗜好をどこまで我慢できるかの狭間で悩む。血圧降下剤をのみ、高脂血症の薬ものみながら、年をとると食べることしか楽しみがない、だから献立も工夫してくれ、という夫に怒ったこともある。尿酸値がたかい、だからプリン体の多い食品はできるだけ避けるようにしたときには、食べるものがなくなるほどだった。
献立のことがいつも頭にある。それがストレスでもあるが私自身のためでもある、と思うことにしている。私1人ではおざなりになること間違いない。
by ttfuji
| 2013-04-27 22:27
| 家族・身内・私