2013年 05月 17日
郷土史バス旅行・長野県諏訪大社とその周辺 |
5月16日(木)
晴。まず天候に恵まれたことを何より感謝する。中央公民館前、7時50分集合なので、家を7時頃に出る。速歩が苦手で、他の人が30分で行ける距離を私はゆっくり歩くので40分近くかかる。速歩は息が切れて苦しい。
今日の参加費を払い、公民館裏に停車している小型バスに乗り込む。隣席は、いつも一緒のNさん。旅仲間4人組の2人が不参加なのはちょっとさびしい。
今日は18名の参加である。偶然、男女9人ずつ。参加率は良いとはいえないが、高齢者が多いため、バス旅行などは、いつも半数ほどの参加になる。
8時出発が少し遅れ8時10分。車内で資料とお茶が配られる。
行程は厚木より東名高速=御殿場IC=東富士五湖道路=河口湖IC=中央高速道路=諏訪IC=諏訪大社上社到着。11時到着の予定がかなり遅れる。男性、女性のガイドさんを大分お待たせしたと思われる。が、快く挨拶して下さった。男女9名づつ2組に分かれ案内して頂く。女性ガイドは大山口邦子さん。熱心に説明して下さった。何としても有名なのは大社の4隅に立てられた4本の柱。上社の「前宮」と「本宮」、諏訪湖を挟んで対岸の位置にある下社には「秋宮」と「春宮」がある。4つの大社にそれぞれ4本の柱が立てられている。本宮の御柱は、一之御柱から四の御柱まで、55尺、50尺、45尺、40尺と決められているという。
諏訪大社には2度来ているが、他の観光地を兼ねた旅行で、本宮しか来ていない。4つもあることは知らなかった。
兎も角、上社だけでも1時間はたっぷりかかる。社殿の幾つかは屋根や建物の葺き替え工事中でシートに蔽われていたが、建物は幾つもあり、案内立て札も多い。ガイドさんは詳しく説明して下さるが、御祭神や由緒などはしおりや資料でゆっくり読むことにする。
江戸時代の力士大関までいった「雷電」はこの近村の出身とのことで、雷電の実物大の像が飾られている。これは本来は国技館へ収めようとしたところ、大きすぎて、飾ることができず、諏訪大社に奉納されたという。そばに土俵もできている。一見、小さく感じるが上がってみると大きさがわかるという。ガイドさんに勧められて上がってみて納得していた。
千代の富士の写真も飾られており、これは優勝力士の写真として国技館に飾られたものだが、古いものから順に外されるのでそれを奉納したものという。
また、どんな干魃の時でも、宝殿の屋根の穴から毎日3滴の滴がおちてくる水を竹筒に集めて、雨乞いの神事に使うと必ず雨が降るといわれる七不思議の一つや、蛙狩(かわずがり)の神事も興味深かった。毎年、元旦の朝、氷の張った堀の水の中から冬眠中の赤蛙を探し出して、弓で入り、矢つきのまま龍神に供えるという神事もある。龍神の食べ物という説明にかわいそうの声もあったが、ガイドさんは、はっきりとこれは神事です、と感情論など無視。
また、肉食の習慣のない時代でも、イノシシや鹿を食べることを、神様(神社)が許したことを、草食だけでは闘えません。しっかり肉も食べなければ力がでません、ここは武運を祈るいくさの神ですから、と力強くいう。
また、水の神、農耕の神でもあり、諏訪を名乗る分社は全国に一万余社あるという。
御神紋は「殻(かじ)の木=梶の木」の葉3葉と根をあらわしたもの。上社は根が4本、下社は根が5本と区別されている。古い書物に殻の字が使われているので、殻の字の案内板があった。
約1時間余の駆け足案内だったが、一生懸命説明して下さるガイドさんの情熱や使命感、誇りのようなものが伝わった。
昼食は諏訪湖をぐるっと半廻りしたほどの距離にある、下社に近いおそば屋さん。こちらも予定よりかなり遅れ、お店に心配をかけたと思う。さすが、おそばの本場、おいしい、コシの強い天ざるだった。
下社に向かい、先に「秋宮」へ。こちらでも男性ガイドさんが待っていて下さる。
こちらも立派な諏訪大社だ。大きな鳥居と太いしめ縄は同じ。お詣りは左側の道を通って拝んだ後、左から社殿の後ろを通って右の道(社殿に向かって)を通るように教えられる。4本の御柱も御神紋の5本の根も確認。確認。次に、「春宮」へ。約1キロバスで移動。もうこうなると、区別が付かない。取り敢えずお詣りし、4本の御柱だけ写真に写す。
そのあと歩いて、近くに「万治の石仏」を見学する。巨大な半円の上に頭部が載っている。阿弥陀様という。 いわれは、明暦3年(1657年)、諏訪高島三代藩主忠治が、春の宮の鳥居を奉納しようとした。命を受けた石工がこの地にあった大きな石にノミを打ち込んだところ、その石から血が流れ出た。
驚き恐れた石工は、大鳥居の造作をやめ、改めてこの石に阿弥陀様を刻み、霊を納めながら建立したという石仏という。万治3年(1660年)に建立したため、「万治の石仏」といわれる。
新田次郎の句「石仏のいわれを秘めて秋の月」がある。資料からうつしたもので、石仏の近くにこの句の立札があるか資料にも書いてないし、私も確認してない。
こちらのガイド氏も熱心な方で、特に、驚いたのは、伊勢原について詳しく、大山や歴史遺跡、社寺など何度も訪ね、写真や記録など詳しくまとめられている。ファイルを見せて下さった。この郷土史研究会がガイドをお願いしたとき、担当を願い出たという。奇縁を感じる。
予定では、このあと「尖石縄文考古館」にも立ち寄ることになっていたが、時間が押せ押せで遅れたため、割愛する旨、昼食の時、知らされた。一同同意。私も一度来ているので、異存はない。
3時半頃、バスで「御柱木落し」の場所を通り車窓より確認、帰路に向かう。
富士道路あたりで大雨になり、御殿場辺では小降りになったように思えたが、小止みなく降り続いていた。伊勢原へは8時過ぎに到着。4箇所ほど、家に近いところで下ろして下さった。私も家から5分ほどのところでおりありがたかった。朝の予報で夜は雨になるといっていたので、雨具の用意もしていた。
このような、バス旅行の時、役員さんは必ず下見に行って計画をたてる。関係部署に相談したり、食事場所など予約する。役員さんに感謝です。
晴。まず天候に恵まれたことを何より感謝する。中央公民館前、7時50分集合なので、家を7時頃に出る。速歩が苦手で、他の人が30分で行ける距離を私はゆっくり歩くので40分近くかかる。速歩は息が切れて苦しい。
今日の参加費を払い、公民館裏に停車している小型バスに乗り込む。隣席は、いつも一緒のNさん。旅仲間4人組の2人が不参加なのはちょっとさびしい。
今日は18名の参加である。偶然、男女9人ずつ。参加率は良いとはいえないが、高齢者が多いため、バス旅行などは、いつも半数ほどの参加になる。
8時出発が少し遅れ8時10分。車内で資料とお茶が配られる。
行程は厚木より東名高速=御殿場IC=東富士五湖道路=河口湖IC=中央高速道路=諏訪IC=諏訪大社上社到着。11時到着の予定がかなり遅れる。男性、女性のガイドさんを大分お待たせしたと思われる。が、快く挨拶して下さった。男女9名づつ2組に分かれ案内して頂く。女性ガイドは大山口邦子さん。熱心に説明して下さった。何としても有名なのは大社の4隅に立てられた4本の柱。上社の「前宮」と「本宮」、諏訪湖を挟んで対岸の位置にある下社には「秋宮」と「春宮」がある。4つの大社にそれぞれ4本の柱が立てられている。本宮の御柱は、一之御柱から四の御柱まで、55尺、50尺、45尺、40尺と決められているという。
諏訪大社には2度来ているが、他の観光地を兼ねた旅行で、本宮しか来ていない。4つもあることは知らなかった。
兎も角、上社だけでも1時間はたっぷりかかる。社殿の幾つかは屋根や建物の葺き替え工事中でシートに蔽われていたが、建物は幾つもあり、案内立て札も多い。ガイドさんは詳しく説明して下さるが、御祭神や由緒などはしおりや資料でゆっくり読むことにする。
江戸時代の力士大関までいった「雷電」はこの近村の出身とのことで、雷電の実物大の像が飾られている。これは本来は国技館へ収めようとしたところ、大きすぎて、飾ることができず、諏訪大社に奉納されたという。そばに土俵もできている。一見、小さく感じるが上がってみると大きさがわかるという。ガイドさんに勧められて上がってみて納得していた。
千代の富士の写真も飾られており、これは優勝力士の写真として国技館に飾られたものだが、古いものから順に外されるのでそれを奉納したものという。
また、どんな干魃の時でも、宝殿の屋根の穴から毎日3滴の滴がおちてくる水を竹筒に集めて、雨乞いの神事に使うと必ず雨が降るといわれる七不思議の一つや、蛙狩(かわずがり)の神事も興味深かった。毎年、元旦の朝、氷の張った堀の水の中から冬眠中の赤蛙を探し出して、弓で入り、矢つきのまま龍神に供えるという神事もある。龍神の食べ物という説明にかわいそうの声もあったが、ガイドさんは、はっきりとこれは神事です、と感情論など無視。
また、肉食の習慣のない時代でも、イノシシや鹿を食べることを、神様(神社)が許したことを、草食だけでは闘えません。しっかり肉も食べなければ力がでません、ここは武運を祈るいくさの神ですから、と力強くいう。
また、水の神、農耕の神でもあり、諏訪を名乗る分社は全国に一万余社あるという。
御神紋は「殻(かじ)の木=梶の木」の葉3葉と根をあらわしたもの。上社は根が4本、下社は根が5本と区別されている。古い書物に殻の字が使われているので、殻の字の案内板があった。
約1時間余の駆け足案内だったが、一生懸命説明して下さるガイドさんの情熱や使命感、誇りのようなものが伝わった。
昼食は諏訪湖をぐるっと半廻りしたほどの距離にある、下社に近いおそば屋さん。こちらも予定よりかなり遅れ、お店に心配をかけたと思う。さすが、おそばの本場、おいしい、コシの強い天ざるだった。
下社に向かい、先に「秋宮」へ。こちらでも男性ガイドさんが待っていて下さる。
こちらも立派な諏訪大社だ。大きな鳥居と太いしめ縄は同じ。お詣りは左側の道を通って拝んだ後、左から社殿の後ろを通って右の道(社殿に向かって)を通るように教えられる。4本の御柱も御神紋の5本の根も確認。確認。次に、「春宮」へ。約1キロバスで移動。もうこうなると、区別が付かない。取り敢えずお詣りし、4本の御柱だけ写真に写す。
そのあと歩いて、近くに「万治の石仏」を見学する。巨大な半円の上に頭部が載っている。阿弥陀様という。 いわれは、明暦3年(1657年)、諏訪高島三代藩主忠治が、春の宮の鳥居を奉納しようとした。命を受けた石工がこの地にあった大きな石にノミを打ち込んだところ、その石から血が流れ出た。
驚き恐れた石工は、大鳥居の造作をやめ、改めてこの石に阿弥陀様を刻み、霊を納めながら建立したという石仏という。万治3年(1660年)に建立したため、「万治の石仏」といわれる。
新田次郎の句「石仏のいわれを秘めて秋の月」がある。資料からうつしたもので、石仏の近くにこの句の立札があるか資料にも書いてないし、私も確認してない。
こちらのガイド氏も熱心な方で、特に、驚いたのは、伊勢原について詳しく、大山や歴史遺跡、社寺など何度も訪ね、写真や記録など詳しくまとめられている。ファイルを見せて下さった。この郷土史研究会がガイドをお願いしたとき、担当を願い出たという。奇縁を感じる。
予定では、このあと「尖石縄文考古館」にも立ち寄ることになっていたが、時間が押せ押せで遅れたため、割愛する旨、昼食の時、知らされた。一同同意。私も一度来ているので、異存はない。
3時半頃、バスで「御柱木落し」の場所を通り車窓より確認、帰路に向かう。
富士道路あたりで大雨になり、御殿場辺では小降りになったように思えたが、小止みなく降り続いていた。伊勢原へは8時過ぎに到着。4箇所ほど、家に近いところで下ろして下さった。私も家から5分ほどのところでおりありがたかった。朝の予報で夜は雨になるといっていたので、雨具の用意もしていた。
このような、バス旅行の時、役員さんは必ず下見に行って計画をたてる。関係部署に相談したり、食事場所など予約する。役員さんに感謝です。
by ttfuji
| 2013-05-17 11:25
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