2013年 07月 03日
よろよろと読書雑感 『ひそやかな花園』『道連れは好奇心』ほか |
7月になったら、読書録を書こうと思っていた。しかし、いざ書こうとすると、筆が?進まない。読みながら、感動した、共感したと感じ、書こうと思った場面は、確かにあったはずなのに、思い出せない。矢張り年貢の納め時かも知れない。 読書の楽しさまで奪われたら本末転倒だ。と、いつもの言い訳、恥ずかしながら記します。
『 ひそやかな花園 』 角田光代 毎日新聞社
読書案内をして下さるVINさんのレビューで、興味を持った本。
人工授精で生まれた子が、将来、その事実を知り、自分の本当の父親は、と悩む事はあると思う。また、いかなるリスクもすべてを承知で、子どもが欲しいと、医学の力を借りてまで精子提供を受ける両親もいる。父親も妻の遺伝子が受け継がれるということで実子として愛情を注ぐ。しかし、万事がうまくいくとは限らず、父親が去る場合もある。子どもに将来、告知すべきと悩む両親も多いだろう。ましてや、子どもが成長し、結婚する時になって、万が一父親が同じのきょうだいということもありうる。
そうした親の悩み、子の悩みを共有しようと、山の別荘を提供するという資産家の呼びかけで、7組の親子が集う。子どもは3才から小学校3年までの7人。夏の間、数日の楽しい時間を持ち、兄弟姉妹のようにうち解け、5年間続く。
子どもが成長し、幼い頃のあの集まりはなんだったのか、なぜ、突然あの楽しかった夏の行事はなくなったのか、あの頃のみんなは、どうしているだろうか、と懐かしくも思い、親に聞いても別荘は売られたらしい、わからない、知らないと教えてくれない。それぞれ、立派に成長した若者たちは、謎を解く活動を始める。
角田さんの、小説は、5册ほど読んでいるが、どれもセンセーショナルだ。
VINさんのレビューをお読み下さい。
http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/796
道連れは好奇心 澤地久枝 講談社
澤地氏の本をはじめて読んだのは、『もう一つの満州』だった。珍しく、私自身が本屋さんの店頭で手に取った本だ。何十年前だろうか。初めての著者であったが、引きこまれて読んだ。父の仕事で満州に渡り、小学校から女学校4年まで満州で過ごしたが、終戦で帰国。それでも満州は懐かしい土地だった。その後、満州の地に訪れたのも、懐かしさが強かった。ところが、取材するに従って、日本軍が彼の地で何をしたか、抗日分子殲滅のためいかなる事が行われたかが分かってきた。著者自身が愛国少女だったから、批判の目など持たなかった。満州を再訪した、この日以来、満州を懐かしむ気持は封印した、と書いている。
その後もこの著者の作品は必ずというように読んでいた。多くがドキュメント、ノンフィクション、またはエッセーだった。
本題から離れたが、『道連れは好奇心』について話を戻す。あっちへ飛びこっちへ飛びしてしまったので、タイトルに「よろよろ」をつけた。
澤地氏は、現在は、82か83才になっていられるはず。夫と生年が同じだから。澤地さんの人生は読んでみると、努力の人、筋金入りの信念の人、という感じを持っていたが、原動力になっているのは「好奇心」であるという。身体はもともと、丈夫ではない。重い心臓病を抱え、3度も手術している。何度ももう駄目、と思ったそうである。
中央公論社、編集次長の時、退社。執筆活動に入る。在職中、五味川純平氏の「戦争と平和」の資料助手を引き受ける。
その後のことを、長々と書いているとき、突然書いたものが消えた。
62才の時、スタンフォード大学に一学期の聴講が許され、聴講したこと。続いて、琉球大学に2年間の聴講したこと。その時の、我部教授から講座を持って欲しいと頼まれたこと。教えることはしない、と決めていたが、揺り動かされ引き受けたのは、矢張り「好奇心」だった。息子のような教授と、孫のような学生と、素晴らしい絆を結ぶ。この辺り、私も孫に受けさせたい講座内容で、学ぶ姿勢も変わるのではないかと勝手なことを思った。
沖縄との関わりは深く、その後も沖縄に住み続け、大島紬、芭蕉布、紅型など手仕事の現場を訪ね、食材と料理、芸能など紹介し、伝統を伝える人びととも深く付き合っている。
死顔 吉村昭
「一筋の煙」「二人」「山茶花」「クレイスロック号遭難」「死顔」の短編5編が載っている。そのうち「クレイスロック号遭難」が未発表となっている。遺作で題名がなく、津村節子氏が付されたと書かれている。
「最後のページに、妻の津村節子氏が「遺作について」と題して書いている。
吉村氏の、発病や、死までのこと、若い頃の壮絶な闘病記、手術のことなど、他にも書かれていて読んでいるが、最後の3編は最晩年の遺作と思われる。
永遠の0 百田尚樹
かなり厚い文庫本。引きこまれ半分まで読んだが、書評は次回に回す。
『 ひそやかな花園 』 角田光代 毎日新聞社
読書案内をして下さるVINさんのレビューで、興味を持った本。
人工授精で生まれた子が、将来、その事実を知り、自分の本当の父親は、と悩む事はあると思う。また、いかなるリスクもすべてを承知で、子どもが欲しいと、医学の力を借りてまで精子提供を受ける両親もいる。父親も妻の遺伝子が受け継がれるということで実子として愛情を注ぐ。しかし、万事がうまくいくとは限らず、父親が去る場合もある。子どもに将来、告知すべきと悩む両親も多いだろう。ましてや、子どもが成長し、結婚する時になって、万が一父親が同じのきょうだいということもありうる。
そうした親の悩み、子の悩みを共有しようと、山の別荘を提供するという資産家の呼びかけで、7組の親子が集う。子どもは3才から小学校3年までの7人。夏の間、数日の楽しい時間を持ち、兄弟姉妹のようにうち解け、5年間続く。
子どもが成長し、幼い頃のあの集まりはなんだったのか、なぜ、突然あの楽しかった夏の行事はなくなったのか、あの頃のみんなは、どうしているだろうか、と懐かしくも思い、親に聞いても別荘は売られたらしい、わからない、知らないと教えてくれない。それぞれ、立派に成長した若者たちは、謎を解く活動を始める。
角田さんの、小説は、5册ほど読んでいるが、どれもセンセーショナルだ。
VINさんのレビューをお読み下さい。
http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/796
道連れは好奇心 澤地久枝 講談社
澤地氏の本をはじめて読んだのは、『もう一つの満州』だった。珍しく、私自身が本屋さんの店頭で手に取った本だ。何十年前だろうか。初めての著者であったが、引きこまれて読んだ。父の仕事で満州に渡り、小学校から女学校4年まで満州で過ごしたが、終戦で帰国。それでも満州は懐かしい土地だった。その後、満州の地に訪れたのも、懐かしさが強かった。ところが、取材するに従って、日本軍が彼の地で何をしたか、抗日分子殲滅のためいかなる事が行われたかが分かってきた。著者自身が愛国少女だったから、批判の目など持たなかった。満州を再訪した、この日以来、満州を懐かしむ気持は封印した、と書いている。
その後もこの著者の作品は必ずというように読んでいた。多くがドキュメント、ノンフィクション、またはエッセーだった。
本題から離れたが、『道連れは好奇心』について話を戻す。あっちへ飛びこっちへ飛びしてしまったので、タイトルに「よろよろ」をつけた。
澤地氏は、現在は、82か83才になっていられるはず。夫と生年が同じだから。澤地さんの人生は読んでみると、努力の人、筋金入りの信念の人、という感じを持っていたが、原動力になっているのは「好奇心」であるという。身体はもともと、丈夫ではない。重い心臓病を抱え、3度も手術している。何度ももう駄目、と思ったそうである。
中央公論社、編集次長の時、退社。執筆活動に入る。在職中、五味川純平氏の「戦争と平和」の資料助手を引き受ける。
その後のことを、長々と書いているとき、突然書いたものが消えた。
62才の時、スタンフォード大学に一学期の聴講が許され、聴講したこと。続いて、琉球大学に2年間の聴講したこと。その時の、我部教授から講座を持って欲しいと頼まれたこと。教えることはしない、と決めていたが、揺り動かされ引き受けたのは、矢張り「好奇心」だった。息子のような教授と、孫のような学生と、素晴らしい絆を結ぶ。この辺り、私も孫に受けさせたい講座内容で、学ぶ姿勢も変わるのではないかと勝手なことを思った。
沖縄との関わりは深く、その後も沖縄に住み続け、大島紬、芭蕉布、紅型など手仕事の現場を訪ね、食材と料理、芸能など紹介し、伝統を伝える人びととも深く付き合っている。
死顔 吉村昭
「一筋の煙」「二人」「山茶花」「クレイスロック号遭難」「死顔」の短編5編が載っている。そのうち「クレイスロック号遭難」が未発表となっている。遺作で題名がなく、津村節子氏が付されたと書かれている。
「最後のページに、妻の津村節子氏が「遺作について」と題して書いている。
吉村氏の、発病や、死までのこと、若い頃の壮絶な闘病記、手術のことなど、他にも書かれていて読んでいるが、最後の3編は最晩年の遺作と思われる。
永遠の0 百田尚樹
かなり厚い文庫本。引きこまれ半分まで読んだが、書評は次回に回す。
by ttfuji
| 2013-07-03 21:30
| 読書