2013年 08月 03日
日記 義姉のお見舞い |
(前回の日記の続き)
7月31日(水)
身内の生死に係ることをブログに書いていいものかと、躊躇いもある。しかし、自分たちの今後の参考になると思うので書いておきたい。
昨日、電話をもらった後、何回かの電話の往復があって、今日明日の問題ではないと解った。延命治療は行わないと、本人も以前言っていたし家族も望んでいる、という話をしている。息子2人の夫婦がどうしても仕事や用事があり、付き添えないので私たちが行くことになった。
明日は11時45分の電車で行くというので、その前に図書館の返却を済ませたいと,Tさんに電話した。金曜日の午前の盆踊りの造花造りも午後の体操も、緊急事態発生で詳しいことがわからない段階で、関係者や役員さんに事情を話し、欠席させてもらうことにした。場合によっては盆踊りも手伝えないかもしれないと。
夜、お向かいのYさんの奥さんから電話。夫が今帰ったので、先日の理事の件でお伺いしたいと言っている、とのこと。風呂から出てパジャマに着替えたところ。5分待って下さい、といって素早くTシャツに着替え、こちらから伺った。中に招かれたが、玄関の中でここで結構ですと話を伺った。さすが、要点をプリントしている。不在状態はまずいと感じる。理事の仕事も多い。残り8か月を引き受ける人がいる場合、1年をやったことにし、次回回ってきたときに免除すべきだ。もし、誰も受け手がいない場合は、自分がやってもいい、しかし、その時も同じ条件にして欲しい。このプリントは誰にも見せないで欲しい。いろいろ言われたくないから。また、理事を放棄したOさんには、もう少し自覚を持って欲しいと促してほしい。今、家庭の事情で受けられなく手も、次回は必ず引き受けると確認すべきだ。理事の問題は、班に任せるのではなく、本部でも係わるべきと思う。という意見だった。貴重な意見と協力、ありがとうございます。わが家は今、取り込んでいるので落ち着いてから、皆さんと相談します、と伝えお暇する。
8月1日(木)
朝、9時にTさんと図書館へ。日を遅らせることなく済ませることができてよかった。
11時半ごろ家をでる。夫は郵便局へ寄ると言って一足先に家を出る。私は、近所のNさんが、駅まで送って下さった。大いに感謝する。
伊勢原から小田急線で登戸まで。南武線乗り換え、立川の手前の「西国立」で下りる。駅から10分ほどのところに、○○苑がある。受付で面会者の手続きをすますと、ご苦労様とねぎらわれ、部屋に案内してくれ、○○さん、弟さんが来てくれましたよ、と大きな声で呼びかけると目を大きく開け夫の顔をじっと見る。懐かしい人に会ったという表情だ。夫が、Sですよ。わかる?と呼びかける。私も、Tです。ずっと来られなくてごめんなさい、と言い、手をにぎりしめた。じっと見つめられながら、穏やかな表情なのでほっとした。手を放すときかすかな力を感じた。介護士さんの話では熱も下がり穏やかたという。つい3日ほど前までは、名前も言えたし、おはよう、ありがとう、はい、など言えたという。3日前までは、食事も自分の手でたべられたという。多分流動食で、介護士さんの立ち合いの上であったとしても。しかし、その時誤嚥が起き、大騒動になったらしい。処置が早く肺炎には至らなかったが、口からの食事は無理で、胃ろうによる延命をのぞむかの選択が迫られたらしい。あとは、点滴による栄養だけである。延命拒否の選択の後、我が家に電話をしたのだった。いまは本当に穏やかに苦痛もなく過ごしている。
夫も、こんなように最後を迎えられたらいいという。私も同感だ。会いに来てよかったとつくずく思った。
1時間以上見守っていたが、眠れないだろうから、と夫がいうのでお暇した。その間、3人の介護士さんが、顔を見せ、姉に声をかけ、私たちとも話した。体位の交換やベッドの傾けなど調節してくれた。
夫は寄り道があると言って、西国立の駅で別々のホームから電車に乗った。夕食はいらないというので、私も伊勢原駅前から家の近くを通るバスで帰宅した。
帰宅しばらくすると、次男の奥さんE子さんから電話でお礼を言われた。2所帯住宅で暮らしているが嫁姑の問題もなく、良く介護し、明るく優しい人で親戚間の評判もすごくいい。誤嚥があるまでは、とても元気で話もしていたという。この頃は、名前を聞かれると、旧姓(わが家と同じ)で答えたりしていたという。
8月2日(金)
平常の生活にもどし、体操にも行く。午前の盆踊り用造花作りは、別の人に頼んだので、ゆっくりお休みくださいといわれた。
8月3日(土)
夫は連日のお出かけで、疲れていて古代史講座は休むと思っていたが、出かけて行った。
今日明日は5地区合同の盆踊り。こちらは大して役に立ちそうにないが、班長なので出席する。理事不在なので、一人はいないとまずい。
7月31日(水)
身内の生死に係ることをブログに書いていいものかと、躊躇いもある。しかし、自分たちの今後の参考になると思うので書いておきたい。
昨日、電話をもらった後、何回かの電話の往復があって、今日明日の問題ではないと解った。延命治療は行わないと、本人も以前言っていたし家族も望んでいる、という話をしている。息子2人の夫婦がどうしても仕事や用事があり、付き添えないので私たちが行くことになった。
明日は11時45分の電車で行くというので、その前に図書館の返却を済ませたいと,Tさんに電話した。金曜日の午前の盆踊りの造花造りも午後の体操も、緊急事態発生で詳しいことがわからない段階で、関係者や役員さんに事情を話し、欠席させてもらうことにした。場合によっては盆踊りも手伝えないかもしれないと。
夜、お向かいのYさんの奥さんから電話。夫が今帰ったので、先日の理事の件でお伺いしたいと言っている、とのこと。風呂から出てパジャマに着替えたところ。5分待って下さい、といって素早くTシャツに着替え、こちらから伺った。中に招かれたが、玄関の中でここで結構ですと話を伺った。さすが、要点をプリントしている。不在状態はまずいと感じる。理事の仕事も多い。残り8か月を引き受ける人がいる場合、1年をやったことにし、次回回ってきたときに免除すべきだ。もし、誰も受け手がいない場合は、自分がやってもいい、しかし、その時も同じ条件にして欲しい。このプリントは誰にも見せないで欲しい。いろいろ言われたくないから。また、理事を放棄したOさんには、もう少し自覚を持って欲しいと促してほしい。今、家庭の事情で受けられなく手も、次回は必ず引き受けると確認すべきだ。理事の問題は、班に任せるのではなく、本部でも係わるべきと思う。という意見だった。貴重な意見と協力、ありがとうございます。わが家は今、取り込んでいるので落ち着いてから、皆さんと相談します、と伝えお暇する。
8月1日(木)
朝、9時にTさんと図書館へ。日を遅らせることなく済ませることができてよかった。
11時半ごろ家をでる。夫は郵便局へ寄ると言って一足先に家を出る。私は、近所のNさんが、駅まで送って下さった。大いに感謝する。
伊勢原から小田急線で登戸まで。南武線乗り換え、立川の手前の「西国立」で下りる。駅から10分ほどのところに、○○苑がある。受付で面会者の手続きをすますと、ご苦労様とねぎらわれ、部屋に案内してくれ、○○さん、弟さんが来てくれましたよ、と大きな声で呼びかけると目を大きく開け夫の顔をじっと見る。懐かしい人に会ったという表情だ。夫が、Sですよ。わかる?と呼びかける。私も、Tです。ずっと来られなくてごめんなさい、と言い、手をにぎりしめた。じっと見つめられながら、穏やかな表情なのでほっとした。手を放すときかすかな力を感じた。介護士さんの話では熱も下がり穏やかたという。つい3日ほど前までは、名前も言えたし、おはよう、ありがとう、はい、など言えたという。3日前までは、食事も自分の手でたべられたという。多分流動食で、介護士さんの立ち合いの上であったとしても。しかし、その時誤嚥が起き、大騒動になったらしい。処置が早く肺炎には至らなかったが、口からの食事は無理で、胃ろうによる延命をのぞむかの選択が迫られたらしい。あとは、点滴による栄養だけである。延命拒否の選択の後、我が家に電話をしたのだった。いまは本当に穏やかに苦痛もなく過ごしている。
夫も、こんなように最後を迎えられたらいいという。私も同感だ。会いに来てよかったとつくずく思った。
1時間以上見守っていたが、眠れないだろうから、と夫がいうのでお暇した。その間、3人の介護士さんが、顔を見せ、姉に声をかけ、私たちとも話した。体位の交換やベッドの傾けなど調節してくれた。
夫は寄り道があると言って、西国立の駅で別々のホームから電車に乗った。夕食はいらないというので、私も伊勢原駅前から家の近くを通るバスで帰宅した。
帰宅しばらくすると、次男の奥さんE子さんから電話でお礼を言われた。2所帯住宅で暮らしているが嫁姑の問題もなく、良く介護し、明るく優しい人で親戚間の評判もすごくいい。誤嚥があるまでは、とても元気で話もしていたという。この頃は、名前を聞かれると、旧姓(わが家と同じ)で答えたりしていたという。
8月2日(金)
平常の生活にもどし、体操にも行く。午前の盆踊り用造花作りは、別の人に頼んだので、ゆっくりお休みくださいといわれた。
8月3日(土)
夫は連日のお出かけで、疲れていて古代史講座は休むと思っていたが、出かけて行った。
今日明日は5地区合同の盆踊り。こちらは大して役に立ちそうにないが、班長なので出席する。理事不在なので、一人はいないとまずい。
by ttfuji
| 2013-08-03 12:49
| 家族・身内・私