2015年 03月 17日
郷土史研究会の史跡巡り・好事魔多し |
今月の郷土史定例会は、文化庁と共催の『戸田道と謎の千石用水を歩く』というもの。会員のほか一般市民からも募集するので、役員は綿密な計画を立て、史跡ごとに説明する担当者も決め、予備役員として協力しているNさんと私も参加者の把握と資料配りを引き受けた。近所の友人で体操も一緒のFさんに話すと、参加したいとのことで、当日は、役員並みの早い時間のバスに乗った。
市で用意したパンフレットによれば、この用水は人工のものでありながら、いつだれが作ったかも不明です。旅人にも役立ち、田の用水として利用されてきた。今回は新しくでた文書を読むなどして分かったことを交えながら、用水沿いの歴史を探りつつ歩いてみたいと思います。と書かれている。
集合場所は、大山の麓にある「子易明神」、バス停は「明神前」である。9時集合だが、役員は8時5分発のバスで8時半前についた。Nさんは会員の参加者チェックし資料を渡す。私は、一般の参加者を受け持った。ご夫婦も2組いられた。年齢層も私たちより多少若く思われた。今回、一般の人18人の参加があった。会員も高齢で、歩くのは困難な人もあり20数人ではなかったか。Nさんに聞き忘れた。
行程は
子易明神(比比多神社)―千石用水取水口―祝井巡査殉職碑ー石敷き道路状遺跡ー石倉不動堂―川跡遺跡―石倉橋ー空堀跡―上粕屋神社ー道灌塚ー洞昌院・太田道灌の墓ー三所の橋ー上行寺ー雨岳文庫・鳥居ー五霊神社ー八王子道・戸田道―峰岸ー三軒茶屋ー渋田川合流点―咳止橋 解散となる。
この中で、史跡の半分ほどは行っているし知っている。しかし、知らないところも多く今回楽しみで参加した。
取水口からしばらくは、穏やかな春の日を浴びて、里山の景色を眺めながら気分良く歩いた。昔、心敬が京から逃れてここに隠遁したといわれる「浄業寺跡」遠景もみられた。
そのあと、大山道の道標の上に不動像が乗っているのを見る。像の向きが後ろ向きなのがあり、ちょっとヘン、と感じたが、「山帰りの不動」といわれているそうだ。ここで、私は、大失態というか、とんだアクシデントに見舞われた。
新しい『不動堂』を写真を撮ろうとお賽銭を上げ、扉のしまっている窓のガラス戸越にカメラをぴったりつけて、安置されているお不動様の写真を撮った。
引き返すとき、2・3段の低い段差があるから気をつけようと思いながら降りて行った。階段も段差も怖くていつも慎重に足を運んでいる。ああそれなのに、最後、数センチの段差で均衡が取れなくなり、玉砂利の上に転んでしまった。足がもつれたような感じだった。と同時に血が飛び散っているらしい。皆さんが、大丈夫ですか、と駆け寄ってきてくださった。私は大きなバックの底にテッシュをたくさん入れてきたので出そうとしている間に、皆さんがたくさん渡してくれた。かばんや服についたのを拭いてくださったり、顔や手についたのをぬぐってくださったり、厚く重ねたテッシュもすぐ血がにじんできたり、大き目のペーパータオルを頂いたり、とにかくしっかり押さえてこのままでは皆さんに迷惑がかかる、ありがとうございます。申し訳ございません。ご迷惑をおかけしてすみません、と繰り返すばかりだった。会長さんも、他の人も、医者に行ったほうがいい、と言われたので、私、バスで帰りますから、痛みもないし大丈夫ですから、と恥ずかしさもあって、元気に答えていた。Fさんが、私も一緒に帰りますから、というのを引き留めて一人で大丈夫、と言ったのだが、娘が今朝、電話で、インフルエンザかもしれない、と言っていたので、気にかかっているので、といわれた。無理して参加したということか、私の気が楽にするためか、どちらにしても気を使っていただいたことには違いない。
近くにバス停があり、1台乗り過ごしたが、すぐ来ると待っていると、皆さんが次の目的地に行くので通って行った。Sさんが、血は止まった?、と聞きそっと傷口を見て、止まってるね、と誰かからか手渡された、絆創膏を貼ってくださった。駅前の整形外科へ行くと伝えた。
Fさんが外科の玄関まで送ってくださった。バックもずっと持っていてくださったが、もう大丈夫と受け取った。午前の部が、あと一人で、終わるところだった。一応レントゲンも取り、絆創膏をはがすときは、毛髪もべったりついて痛かったが、毛髪のために傷が浅かったのかもしれないと感じた。先生は、たいしたことはない。一応今日は絆創膏をしておくが、取り替えなくてもいい。水にぬれても大丈夫、普通の生活をするようにと、通院不要といわれた。自費なので、6千いくらか払ってきたが、今月中に保険証持参で9割返すと言われた。高齢で粗忽者、これからどんな失敗をするか心もとない。
回れなかった場所も、持参のお弁当を食べられなかったことも残念である。fさんの娘さんはインフルエンザではなかったとお聞きし、ほっとした。風邪でも大変だが。
実はこのブログ、2回目である。昨夜、やっと書き、廻ったところまでの、写真を挿入しようと試行錯誤しているうちに、写真は載ったが、肝心の文章はきれいさっぱり消えてしまった。悔しくて2度と同じことを思い出しながら書くなんてできない、とあきらめていたのだが、やっぱり、シコシコと書いてしまった。写真は別のページに載せることにします。
市で用意したパンフレットによれば、この用水は人工のものでありながら、いつだれが作ったかも不明です。旅人にも役立ち、田の用水として利用されてきた。今回は新しくでた文書を読むなどして分かったことを交えながら、用水沿いの歴史を探りつつ歩いてみたいと思います。と書かれている。
集合場所は、大山の麓にある「子易明神」、バス停は「明神前」である。9時集合だが、役員は8時5分発のバスで8時半前についた。Nさんは会員の参加者チェックし資料を渡す。私は、一般の参加者を受け持った。ご夫婦も2組いられた。年齢層も私たちより多少若く思われた。今回、一般の人18人の参加があった。会員も高齢で、歩くのは困難な人もあり20数人ではなかったか。Nさんに聞き忘れた。
行程は
子易明神(比比多神社)―千石用水取水口―祝井巡査殉職碑ー石敷き道路状遺跡ー石倉不動堂―川跡遺跡―石倉橋ー空堀跡―上粕屋神社ー道灌塚ー洞昌院・太田道灌の墓ー三所の橋ー上行寺ー雨岳文庫・鳥居ー五霊神社ー八王子道・戸田道―峰岸ー三軒茶屋ー渋田川合流点―咳止橋 解散となる。
この中で、史跡の半分ほどは行っているし知っている。しかし、知らないところも多く今回楽しみで参加した。
取水口からしばらくは、穏やかな春の日を浴びて、里山の景色を眺めながら気分良く歩いた。昔、心敬が京から逃れてここに隠遁したといわれる「浄業寺跡」遠景もみられた。
そのあと、大山道の道標の上に不動像が乗っているのを見る。像の向きが後ろ向きなのがあり、ちょっとヘン、と感じたが、「山帰りの不動」といわれているそうだ。ここで、私は、大失態というか、とんだアクシデントに見舞われた。
新しい『不動堂』を写真を撮ろうとお賽銭を上げ、扉のしまっている窓のガラス戸越にカメラをぴったりつけて、安置されているお不動様の写真を撮った。
引き返すとき、2・3段の低い段差があるから気をつけようと思いながら降りて行った。階段も段差も怖くていつも慎重に足を運んでいる。ああそれなのに、最後、数センチの段差で均衡が取れなくなり、玉砂利の上に転んでしまった。足がもつれたような感じだった。と同時に血が飛び散っているらしい。皆さんが、大丈夫ですか、と駆け寄ってきてくださった。私は大きなバックの底にテッシュをたくさん入れてきたので出そうとしている間に、皆さんがたくさん渡してくれた。かばんや服についたのを拭いてくださったり、顔や手についたのをぬぐってくださったり、厚く重ねたテッシュもすぐ血がにじんできたり、大き目のペーパータオルを頂いたり、とにかくしっかり押さえてこのままでは皆さんに迷惑がかかる、ありがとうございます。申し訳ございません。ご迷惑をおかけしてすみません、と繰り返すばかりだった。会長さんも、他の人も、医者に行ったほうがいい、と言われたので、私、バスで帰りますから、痛みもないし大丈夫ですから、と恥ずかしさもあって、元気に答えていた。Fさんが、私も一緒に帰りますから、というのを引き留めて一人で大丈夫、と言ったのだが、娘が今朝、電話で、インフルエンザかもしれない、と言っていたので、気にかかっているので、といわれた。無理して参加したということか、私の気が楽にするためか、どちらにしても気を使っていただいたことには違いない。
近くにバス停があり、1台乗り過ごしたが、すぐ来ると待っていると、皆さんが次の目的地に行くので通って行った。Sさんが、血は止まった?、と聞きそっと傷口を見て、止まってるね、と誰かからか手渡された、絆創膏を貼ってくださった。駅前の整形外科へ行くと伝えた。
Fさんが外科の玄関まで送ってくださった。バックもずっと持っていてくださったが、もう大丈夫と受け取った。午前の部が、あと一人で、終わるところだった。一応レントゲンも取り、絆創膏をはがすときは、毛髪もべったりついて痛かったが、毛髪のために傷が浅かったのかもしれないと感じた。先生は、たいしたことはない。一応今日は絆創膏をしておくが、取り替えなくてもいい。水にぬれても大丈夫、普通の生活をするようにと、通院不要といわれた。自費なので、6千いくらか払ってきたが、今月中に保険証持参で9割返すと言われた。高齢で粗忽者、これからどんな失敗をするか心もとない。
回れなかった場所も、持参のお弁当を食べられなかったことも残念である。fさんの娘さんはインフルエンザではなかったとお聞きし、ほっとした。風邪でも大変だが。
実はこのブログ、2回目である。昨夜、やっと書き、廻ったところまでの、写真を挿入しようと試行錯誤しているうちに、写真は載ったが、肝心の文章はきれいさっぱり消えてしまった。悔しくて2度と同じことを思い出しながら書くなんてできない、とあきらめていたのだが、やっぱり、シコシコと書いてしまった。写真は別のページに載せることにします。
by ttfuji
| 2015-03-17 17:00
| 郷土史・講演会・学習