2016年 06月 27日
読書録 『羊と鋼の森』 宮下奈都 文芸春秋 |
6月の読書会の課題本は、宮下奈都著『羊と鋼の都』という本に決まった。ちょっと変わった題名だがピアノの調律師のことを書いたものと聞き、どんな繋がりがあるのだろうと興味を持った。
2016年の本屋大賞他大きな大賞を受賞されているという。
高校生の戸村は、放課後教室に残っていたという理由で、担任から来客を体育館に案内するように頼まれた。「悪いな、戸村、職員会議なんだ、4時に来客があるから、体育館に案内して」といわれ、暇だったから、はい、といい「誰が来るんですか」と聞いた。「調律師だよ」と言う。僕は、調律師という言葉も知らず、空調の修理でもするのだろうか、と思った。4時に玄関に行くとその人はすでに来ていた。「空調の方ですか」と聞くと「江藤楽器の板鳥です、今日は会議が入ったと聞いています、ピアノさえあれば構いませんから」「体育館へお連れするように言付かっているのですが」「ええ、今日は体育館のピアノを」。先に立って歩き出すとその人は後ろについてきた。
会釈して引き返そうと廊下に出ると、ピアノの音がした。ピアノというより特別な何かとてもいいものを聞いたような気がした。僕はしばらくそこに立ってそれからピアノの方へ戻った。
その人は、ぼくに構わずピアノを鳴らし続けた。ピアノの蓋を開けた。それは羽のように思えた。支え棒で閉まらないようにしたまま、もう一度鍵盤をたたいた。森の匂いがした。夜になりかけの、森の入り口。日が暮れたらもうそこへ入ってはいけない。子供の頃、聞かされた話や情景が浮かんだ。
気がつくと、その人は床に置いた四角の鞄を開けていた。見たこともない様々な道具が入っていた。色々な質問したい思いがわいたが、なにも聞かず、邪魔にならないようそこに立っていた。森の匂いがした。僕は自分のかばんを床に置き、ピアノの音が少しずつ変わっていくのをそばで見ていた。多分、二時間余り。・・・「ここのピアノは古くてね」・・「とてもやさしい音がするんです」・・「いいピアノです」。僕は、はい、としか言えなかった。「昔は山も野原もよかったから」・・「はい?」「昔の羊は山や野原でいい草を食べていたんでしょうね」、「いい草を食べて育ったいい羊のいい毛を贅沢に使ってフェルトを作っていたんですね。今じゃこんないいハンマーは作れません」・・「ハンマーってピアノと関係があるんですか」、「ピアノの中にハンマーがあるんです」・・「ちょっと見てみますか」言われてピアノに近づいてみる。「こうして鍵盤を叩くと」トーン、音がなった。ピアノの中で一つの部品が上がり、一本の線に触れたのがわかる。「ほら、この弦を、ハンマーが叩いているでしょう。このハンマーはフェルトでできているんです」。そのあと、いくつかのやり取りがあってあなたはピアノが好きなんですね、とか「よかったら、ピアノを見にきてください」といって名刺をくれた。楽器店の名前が書かれ、調律師 板鳥宗一郎、とあった。
その後、店を一度だけ訪ね、板取に弟子にして下さいと、直訴した。私は一介の調律師、弟子など取れないが、と言いながら、もし、ほんとうに調律の勉強がしたいのなら、この学校がいいでしょうと手帳に書き、破って渡してくれた。僕は高校を卒業すると、家族を説得しその学校へ進学した。
長々と導入部を紹介したが、題名が何を指しているかを書いたつもりです。
戸村は、真面目で純真な青年だ。仕事に才能も自信もないが、一生懸命で試行錯誤し技術を身につけようと努力している。先輩たちも優しく見守ってくれている。顧客も、おおむねいい人たちだ。物足りないくらい順風で大きな問題もなく、どちらかと言えば、癒し系の小説ではないかと思えてくる。顧客の中の、双子の高校生姉妹の存在が戸村にとって、ときめく存在だろうか。
わが家にもピアノはあった。音楽に鈍い私は劣等感から、娘に音楽への感性を持ってもらいたいと、情操教育のつもりで、小学校低学年の頃、ピアノ教室に通わせた。私に似たのか、上達もせず、2・3年で本人の希望でやめてしまったが。1年に一度、調律の人が見えた。殆どお任せ状態だったので覗くこともなく、ハンマーが羊の毛のフェルトだったことも知らなかったし、説明も聞かなかった。以来、ピアノは部屋の調度品となっていたが、20年程前、リタイアした夫がピアノ教室に通い始めた。夫は、音符は読めなくても口ずさめる簡単な曲は何でも弾けた。
調律したピアノの音は、森のようなにおいがし安らぎを感じると、本のいたるところに書かれているが、ピアノに使われる木材は北の国の森の松の種類であるとも知った。
ピアノにとって調律はいかに大事か、調律されないピアノはかわいそうだという。世界的な演奏家は世界を回る時、専属の調律師を一緒に伴うという。
戸村の尊敬する調律師・板鳥宗一郎氏も公会堂や大きなホールでの演奏会にはいつも指名されていた。戸村も大先輩のアドバイスを受け、きっと腕のいい調律師になるだろう、と感じた。
2016年の本屋大賞他大きな大賞を受賞されているという。
高校生の戸村は、放課後教室に残っていたという理由で、担任から来客を体育館に案内するように頼まれた。「悪いな、戸村、職員会議なんだ、4時に来客があるから、体育館に案内して」といわれ、暇だったから、はい、といい「誰が来るんですか」と聞いた。「調律師だよ」と言う。僕は、調律師という言葉も知らず、空調の修理でもするのだろうか、と思った。4時に玄関に行くとその人はすでに来ていた。「空調の方ですか」と聞くと「江藤楽器の板鳥です、今日は会議が入ったと聞いています、ピアノさえあれば構いませんから」「体育館へお連れするように言付かっているのですが」「ええ、今日は体育館のピアノを」。先に立って歩き出すとその人は後ろについてきた。
会釈して引き返そうと廊下に出ると、ピアノの音がした。ピアノというより特別な何かとてもいいものを聞いたような気がした。僕はしばらくそこに立ってそれからピアノの方へ戻った。
その人は、ぼくに構わずピアノを鳴らし続けた。ピアノの蓋を開けた。それは羽のように思えた。支え棒で閉まらないようにしたまま、もう一度鍵盤をたたいた。森の匂いがした。夜になりかけの、森の入り口。日が暮れたらもうそこへ入ってはいけない。子供の頃、聞かされた話や情景が浮かんだ。
気がつくと、その人は床に置いた四角の鞄を開けていた。見たこともない様々な道具が入っていた。色々な質問したい思いがわいたが、なにも聞かず、邪魔にならないようそこに立っていた。森の匂いがした。僕は自分のかばんを床に置き、ピアノの音が少しずつ変わっていくのをそばで見ていた。多分、二時間余り。・・・「ここのピアノは古くてね」・・「とてもやさしい音がするんです」・・「いいピアノです」。僕は、はい、としか言えなかった。「昔は山も野原もよかったから」・・「はい?」「昔の羊は山や野原でいい草を食べていたんでしょうね」、「いい草を食べて育ったいい羊のいい毛を贅沢に使ってフェルトを作っていたんですね。今じゃこんないいハンマーは作れません」・・「ハンマーってピアノと関係があるんですか」、「ピアノの中にハンマーがあるんです」・・「ちょっと見てみますか」言われてピアノに近づいてみる。「こうして鍵盤を叩くと」トーン、音がなった。ピアノの中で一つの部品が上がり、一本の線に触れたのがわかる。「ほら、この弦を、ハンマーが叩いているでしょう。このハンマーはフェルトでできているんです」。そのあと、いくつかのやり取りがあってあなたはピアノが好きなんですね、とか「よかったら、ピアノを見にきてください」といって名刺をくれた。楽器店の名前が書かれ、調律師 板鳥宗一郎、とあった。
その後、店を一度だけ訪ね、板取に弟子にして下さいと、直訴した。私は一介の調律師、弟子など取れないが、と言いながら、もし、ほんとうに調律の勉強がしたいのなら、この学校がいいでしょうと手帳に書き、破って渡してくれた。僕は高校を卒業すると、家族を説得しその学校へ進学した。
長々と導入部を紹介したが、題名が何を指しているかを書いたつもりです。
戸村は、真面目で純真な青年だ。仕事に才能も自信もないが、一生懸命で試行錯誤し技術を身につけようと努力している。先輩たちも優しく見守ってくれている。顧客も、おおむねいい人たちだ。物足りないくらい順風で大きな問題もなく、どちらかと言えば、癒し系の小説ではないかと思えてくる。顧客の中の、双子の高校生姉妹の存在が戸村にとって、ときめく存在だろうか。
わが家にもピアノはあった。音楽に鈍い私は劣等感から、娘に音楽への感性を持ってもらいたいと、情操教育のつもりで、小学校低学年の頃、ピアノ教室に通わせた。私に似たのか、上達もせず、2・3年で本人の希望でやめてしまったが。1年に一度、調律の人が見えた。殆どお任せ状態だったので覗くこともなく、ハンマーが羊の毛のフェルトだったことも知らなかったし、説明も聞かなかった。以来、ピアノは部屋の調度品となっていたが、20年程前、リタイアした夫がピアノ教室に通い始めた。夫は、音符は読めなくても口ずさめる簡単な曲は何でも弾けた。
調律したピアノの音は、森のようなにおいがし安らぎを感じると、本のいたるところに書かれているが、ピアノに使われる木材は北の国の森の松の種類であるとも知った。
ピアノにとって調律はいかに大事か、調律されないピアノはかわいそうだという。世界的な演奏家は世界を回る時、専属の調律師を一緒に伴うという。
戸村の尊敬する調律師・板鳥宗一郎氏も公会堂や大きなホールでの演奏会にはいつも指名されていた。戸村も大先輩のアドバイスを受け、きっと腕のいい調律師になるだろう、と感じた。
by ttfuji
| 2016-06-27 16:07
| 読書