2006年 03月 31日
入院日記 ( 白内障手術 ) |
昨日(3月30日午前11時)、両目の白内障手術を終えて、めでたく?退院しました。まずは、夫に感謝の意を伝える。娘にも入退院、入院中と大いに世話になりありがたかった。
手術2日目なので防護メガネのままである。少し色の付いたゴーグルを大きくしたようなメガネで1週間ほどはしたほうがいい、特に睡眠中は無意識に目をこすったりするので、装用するようにといわれる。いくら医学の進歩で白内障の手術は簡単になったとはいえ、眼球にメスを入れ濁った水晶体を除去し、人工レンズを装着するのだから、相応の緊張感はあった。年間5・600例を施術するベテランの先生と聞いていたので、安心してお任せしたが当然のことながら、手術中の緊張感もひしひしと伝わってくるし何か神秘的な体験もした。
簡単な入院日記を記録したいと思います。(書いているうちに簡単ではなくなりました。)
3月23日(木)
指示により9時半眼科外来へ。娘の付き添い。眼科で診察後、入院受付、西病棟5階513号室へ。同室者二人。一人は若い。二人とも呼吸器系の深刻な様子がうかがえる。ちょっと言葉がかけにくい。一人はこの日のうちに転院して行かれた。昼食に、糖尿病食と書かれていたのにビックリ。血糖値が高めという認識があったが、はっきりと指定されたのは直前の検査で、高血糖だったのだろうか。もっと自覚を持つべきだったと反省する。と同時に、より慎重に対処して下さっていると思うことにした。
20分おきの点眼、内服薬、薬剤師の薬の説明、これからの予定の説明と、手術前日も結構忙しい。それでも、ベッドにじっとしているのは退屈で、談話室で持参の本を読む。
3月24日(金)
手術当日。朝、外来で眼圧検査、視力検査。午前中は、手術のための15分おきの点眼、指先に針を刺しての血糖検査5回、血糖値は即座に出て、98から121までの間。血圧測定、検温、手術のため朝食後から飲食はできず。2時半頃眼圧を下げる内服薬。このときだけ少量の水を飲む。午前中は、談話室で、午後からは、ベッドで所在ないので読書する。
3時半頃から、いよいよ秒読みに入る。いつ呼ばれるか分からないので、看護師さんの指示に従い、手術着に着替えて待つ。指輪、時計、化粧大丈夫ですね、と念を押される。朝から化粧水一つつけていない。車椅子で運ばれ4時頃、いよいよまな板の鯉になる。点滴、心電図、血圧計装着。局部麻酔、眼球洗浄などもある。手術経過は略。
眼帯で固定され、終わりました、といわれ先生やスタッフの皆さんに感謝の気持でいっぱいになる。夜、担当医の先生が回診に見えられ、順調ですね、と言って下さった。そして、ご家族の方は?と聞かれ、来ていませんと答えたが、これは、ちょっと普通ではないのかも、と思った。先生は、手術の結果を説明して下さるつもりだったのではないか、一人暮らしならともかく、一応家族はいるのだからと、体裁が悪かった。先生は、別に問題がないからいいですよ、といわれたが。
実は、入院の時、夫に来なくてもいいと、かわいげのないことを言ってきたのだ。入院説明の時、看護婦さんに、ご主人さびしいですね、といわれ、照れ屋の夫は、いえいえなんなら1ヶ月くらい病院で預かって下さいと、冗談を言ったのを、私が腹を立てていたのだ。いまだにこんなジョークはお断りだが。
今夜、この部屋は私一人。目を閉じるが眠れないため片目ながら、本を読んでしまった。そしてラジオをかけたり、また本を読んだりの繰り返し。それでも3時間は眠ったようだ。私の日常と変わらない。
3月25日(土)
手術後1日目。朝の診察、抗生剤点滴、午前と午後。点眼3回、昼、視力検査、夕、瞳孔拡大点薬後検査、血圧は常に正常範囲。午前中、首からしたのシャワー。午後、夫と娘が相次いで見える。私は、昨日、手術後に先生から言われたことを伝え、左目の手術の時は、先生にお礼を言って欲しい、と伝える。
3月26日(日)
朝の診察、順調と言われる。眼帯から防護メガネに。埃や細菌、手で触れたりこすったりしないための装用らしい。点眼4回。1回に3種類の点眼薬。抗生剤と胃薬の内服は毎食後。午前中、シャンプーをして頂く。運動不足なので5階から1階まで階段を往復2回上り下りする。(下り上り)
3月27日(月)
これからの日は、入院した日と同じサイクルで進む。一応両目が使えるので視界も開け行動もしやすくなった。談話室で、高齢の女性に、桜がきれいですよ、と声をかけられる。この方も、だいぶ前に白内障の手術をし、とてもよく見えるようになったという。窓から、お花見しカメラにも収める。
今朝、入院したTさんとも色々話すようになる。私より7歳近く年長だがとても若々しい。長い豊かな黒髪を一つにまとめ片方に垂らして乙女のようだ。大病もされたようだが、さっぱりした性格で淡々と話す。やはり両目の白内障の手術をするそうだ。
午後、友人のYさんと Kさんがお見舞いに来て下さる。病気ではないのだから、お見舞いなどしないでと、言っていたのに、来て頂ければやはり嬉しい。病室と談話室で1時間ほどおしゃべりを楽しむ。夕方、夫が、夜、娘が洗濯物を届けてくれる。
3月28日(火)
朝、Mさんが入院される。隣のベッド。ご主人が、夕方まで付き添っていられた。Mさんは、私は一人では何もできない、主人に頼りっぱなし、としきりに言われるが、ご主人は頼られるのを喜んでいるように感じられる。夫婦にも色々あると感じ入る。自分の無力を強調する奥さんは、男性ならかわいいと思うだろう。視力が著しく落ち、どこへ行くのもご主人の付き添いが必要でもある。偶然、TさんとMさんは、住まいが近く、歳も同じ。3人はとても話が合い、仲良くなった。年下の私の趣味の話も、気持ちよく聞いて下さりうれしかった。
午後からの手術は、今日は6人とのこと。Tさん、Mさん、私の順に行われた。自称、気が小さい白衣高血圧症のMさんだが、無事、手術を乗り越えられた。夜、3人は、セブンティーンズならぬセブンティーズの人生論が延々と続いた。それぞれ、山あり谷ありの人生を歩んできた人達だ。
手術中の体験
話は前後するが、手術台でのこと。私は、2度目なので、手術の経過をしっかり覚えておきたいと思い、手術にかかってからは、目に何が映るかしっかり覚えておきたいと思った。切開の時、血は流れているのだろうか、絶えず、水で流されているのは血液だろうか、粘液なのか、吸い取られた水晶体なのか、ピンクやオレンジの模様、円形だったり、流れる曲線だったり絶えず変化する。映像にとらえられたら、いいのに。万華鏡だったり、宇宙の光線だったり、宇宙空間を漂うようにも思える。こんな映像は、個人差があるのだろうか。とても不思議な感じだった。もっといろいろの色があったような気がするが思い出せない。最後は、楕円形の面白い図形だった。上部は菱形、下部は丸い船底型。それが暫く続き。楕円の中に、同じく、楕円がはめ込まれた。いま、レンズが入ったのかと思ったが、周りに隙間がある。第一、自分の目で見えるはずはないとも思う。謎のままでおくことにしよう。
3月29日(水)
3月25日と同様の経過をたどる。違うのは、連帯感のもてる仲間がいること。午前中、Tさんと屋上に上がる。天気良く大山が大きく見える。カメラに収める。
午後、先生の精密検査のあと、退院の意向を聞かれる。私は、明日か明後日と思っていますが、と答えた。どちらでもいいらしい。片目手術のMさんは、明後日というが私は、明日を選択した。すぐに家に連絡。請求書を渡されるのが明日10時半から11時頃という。それを頂いてから、お金を持ってきてもらうので11時過ぎの退院となるようだ。少しずつ荷物を整理する。退院が決まるとそのあとは、看護師さんや薬剤師さんから退院後の生活指導、点眼の練習などが始まる。点眼の指導を受けるがむずかしい。まぶたやまつげに触れてはいけない、もっと上からもっと外側、と注意される。明日からは、もう一人のとしこさんはいませんよ、といわれる。彼女もとしこさんなのだ。明るくて面白い看護師さんだった。
本は、持参の2冊「箸墓幻想」(内田康夫)と「「オラが心の日本 アメリカ」(ダニエル・カール)談話室の図書、乙川優三郎の「かずら野」の3冊読了。「悪意」(東野圭吾)は半分だけ読んだところで返却になる。
3月30日(木)
朝の診察で順調ですね、といわれ感謝の挨拶をする。退院後の注意点について再度の確認。先生も看護師さん達もみな親切で優しかった。同室の皆さんが別れを惜しんで下さる。2日前から若い人が2人入院してきていた。早く良くないますようにと願う。
健康だけが取り柄の私の入院生活は、重病の人のことを考えると不謹慎かもしれませんが、どちらかといえば楽しいものだった。
一期一会の出会いもあった。
色々反省点もある。糖尿病のことももっと真剣に考えた方がいいかもしれない。治療食のお陰か、体重が入院時より1キロ減った。これはすぐ反動がくるだろう。
目の調子は至って順調。近くのものと、遠くはよく見える。中くらいの距離、2・3メートルの距離のテレビの文字や顔、細かいところが見えにくいが安定するまでに2か月くらいかかるとのこと。
長々書きました。久しぶりのパソコンで、書き込みをやめられませんでした。
追伸。 友人でありブログ友達でもあるI&Iさんが、退院直後に、きて下さったという。「遅かった」というタイトルのブログを書いていられた。もう一日いればよかったかなと思った。ありがとう。
手術2日目なので防護メガネのままである。少し色の付いたゴーグルを大きくしたようなメガネで1週間ほどはしたほうがいい、特に睡眠中は無意識に目をこすったりするので、装用するようにといわれる。いくら医学の進歩で白内障の手術は簡単になったとはいえ、眼球にメスを入れ濁った水晶体を除去し、人工レンズを装着するのだから、相応の緊張感はあった。年間5・600例を施術するベテランの先生と聞いていたので、安心してお任せしたが当然のことながら、手術中の緊張感もひしひしと伝わってくるし何か神秘的な体験もした。
簡単な入院日記を記録したいと思います。(書いているうちに簡単ではなくなりました。)
3月23日(木)
指示により9時半眼科外来へ。娘の付き添い。眼科で診察後、入院受付、西病棟5階513号室へ。同室者二人。一人は若い。二人とも呼吸器系の深刻な様子がうかがえる。ちょっと言葉がかけにくい。一人はこの日のうちに転院して行かれた。昼食に、糖尿病食と書かれていたのにビックリ。血糖値が高めという認識があったが、はっきりと指定されたのは直前の検査で、高血糖だったのだろうか。もっと自覚を持つべきだったと反省する。と同時に、より慎重に対処して下さっていると思うことにした。
20分おきの点眼、内服薬、薬剤師の薬の説明、これからの予定の説明と、手術前日も結構忙しい。それでも、ベッドにじっとしているのは退屈で、談話室で持参の本を読む。
3月24日(金)
手術当日。朝、外来で眼圧検査、視力検査。午前中は、手術のための15分おきの点眼、指先に針を刺しての血糖検査5回、血糖値は即座に出て、98から121までの間。血圧測定、検温、手術のため朝食後から飲食はできず。2時半頃眼圧を下げる内服薬。このときだけ少量の水を飲む。午前中は、談話室で、午後からは、ベッドで所在ないので読書する。
3時半頃から、いよいよ秒読みに入る。いつ呼ばれるか分からないので、看護師さんの指示に従い、手術着に着替えて待つ。指輪、時計、化粧大丈夫ですね、と念を押される。朝から化粧水一つつけていない。車椅子で運ばれ4時頃、いよいよまな板の鯉になる。点滴、心電図、血圧計装着。局部麻酔、眼球洗浄などもある。手術経過は略。
眼帯で固定され、終わりました、といわれ先生やスタッフの皆さんに感謝の気持でいっぱいになる。夜、担当医の先生が回診に見えられ、順調ですね、と言って下さった。そして、ご家族の方は?と聞かれ、来ていませんと答えたが、これは、ちょっと普通ではないのかも、と思った。先生は、手術の結果を説明して下さるつもりだったのではないか、一人暮らしならともかく、一応家族はいるのだからと、体裁が悪かった。先生は、別に問題がないからいいですよ、といわれたが。
実は、入院の時、夫に来なくてもいいと、かわいげのないことを言ってきたのだ。入院説明の時、看護婦さんに、ご主人さびしいですね、といわれ、照れ屋の夫は、いえいえなんなら1ヶ月くらい病院で預かって下さいと、冗談を言ったのを、私が腹を立てていたのだ。いまだにこんなジョークはお断りだが。
今夜、この部屋は私一人。目を閉じるが眠れないため片目ながら、本を読んでしまった。そしてラジオをかけたり、また本を読んだりの繰り返し。それでも3時間は眠ったようだ。私の日常と変わらない。
3月25日(土)
手術後1日目。朝の診察、抗生剤点滴、午前と午後。点眼3回、昼、視力検査、夕、瞳孔拡大点薬後検査、血圧は常に正常範囲。午前中、首からしたのシャワー。午後、夫と娘が相次いで見える。私は、昨日、手術後に先生から言われたことを伝え、左目の手術の時は、先生にお礼を言って欲しい、と伝える。
3月26日(日)
朝の診察、順調と言われる。眼帯から防護メガネに。埃や細菌、手で触れたりこすったりしないための装用らしい。点眼4回。1回に3種類の点眼薬。抗生剤と胃薬の内服は毎食後。午前中、シャンプーをして頂く。運動不足なので5階から1階まで階段を往復2回上り下りする。(下り上り)
3月27日(月)
これからの日は、入院した日と同じサイクルで進む。一応両目が使えるので視界も開け行動もしやすくなった。談話室で、高齢の女性に、桜がきれいですよ、と声をかけられる。この方も、だいぶ前に白内障の手術をし、とてもよく見えるようになったという。窓から、お花見しカメラにも収める。
今朝、入院したTさんとも色々話すようになる。私より7歳近く年長だがとても若々しい。長い豊かな黒髪を一つにまとめ片方に垂らして乙女のようだ。大病もされたようだが、さっぱりした性格で淡々と話す。やはり両目の白内障の手術をするそうだ。
午後、友人のYさんと Kさんがお見舞いに来て下さる。病気ではないのだから、お見舞いなどしないでと、言っていたのに、来て頂ければやはり嬉しい。病室と談話室で1時間ほどおしゃべりを楽しむ。夕方、夫が、夜、娘が洗濯物を届けてくれる。
3月28日(火)
朝、Mさんが入院される。隣のベッド。ご主人が、夕方まで付き添っていられた。Mさんは、私は一人では何もできない、主人に頼りっぱなし、としきりに言われるが、ご主人は頼られるのを喜んでいるように感じられる。夫婦にも色々あると感じ入る。自分の無力を強調する奥さんは、男性ならかわいいと思うだろう。視力が著しく落ち、どこへ行くのもご主人の付き添いが必要でもある。偶然、TさんとMさんは、住まいが近く、歳も同じ。3人はとても話が合い、仲良くなった。年下の私の趣味の話も、気持ちよく聞いて下さりうれしかった。
午後からの手術は、今日は6人とのこと。Tさん、Mさん、私の順に行われた。自称、気が小さい白衣高血圧症のMさんだが、無事、手術を乗り越えられた。夜、3人は、セブンティーンズならぬセブンティーズの人生論が延々と続いた。それぞれ、山あり谷ありの人生を歩んできた人達だ。
手術中の体験
話は前後するが、手術台でのこと。私は、2度目なので、手術の経過をしっかり覚えておきたいと思い、手術にかかってからは、目に何が映るかしっかり覚えておきたいと思った。切開の時、血は流れているのだろうか、絶えず、水で流されているのは血液だろうか、粘液なのか、吸い取られた水晶体なのか、ピンクやオレンジの模様、円形だったり、流れる曲線だったり絶えず変化する。映像にとらえられたら、いいのに。万華鏡だったり、宇宙の光線だったり、宇宙空間を漂うようにも思える。こんな映像は、個人差があるのだろうか。とても不思議な感じだった。もっといろいろの色があったような気がするが思い出せない。最後は、楕円形の面白い図形だった。上部は菱形、下部は丸い船底型。それが暫く続き。楕円の中に、同じく、楕円がはめ込まれた。いま、レンズが入ったのかと思ったが、周りに隙間がある。第一、自分の目で見えるはずはないとも思う。謎のままでおくことにしよう。
3月29日(水)
3月25日と同様の経過をたどる。違うのは、連帯感のもてる仲間がいること。午前中、Tさんと屋上に上がる。天気良く大山が大きく見える。カメラに収める。
午後、先生の精密検査のあと、退院の意向を聞かれる。私は、明日か明後日と思っていますが、と答えた。どちらでもいいらしい。片目手術のMさんは、明後日というが私は、明日を選択した。すぐに家に連絡。請求書を渡されるのが明日10時半から11時頃という。それを頂いてから、お金を持ってきてもらうので11時過ぎの退院となるようだ。少しずつ荷物を整理する。退院が決まるとそのあとは、看護師さんや薬剤師さんから退院後の生活指導、点眼の練習などが始まる。点眼の指導を受けるがむずかしい。まぶたやまつげに触れてはいけない、もっと上からもっと外側、と注意される。明日からは、もう一人のとしこさんはいませんよ、といわれる。彼女もとしこさんなのだ。明るくて面白い看護師さんだった。
本は、持参の2冊「箸墓幻想」(内田康夫)と「「オラが心の日本 アメリカ」(ダニエル・カール)談話室の図書、乙川優三郎の「かずら野」の3冊読了。「悪意」(東野圭吾)は半分だけ読んだところで返却になる。
3月30日(木)
朝の診察で順調ですね、といわれ感謝の挨拶をする。退院後の注意点について再度の確認。先生も看護師さん達もみな親切で優しかった。同室の皆さんが別れを惜しんで下さる。2日前から若い人が2人入院してきていた。早く良くないますようにと願う。
健康だけが取り柄の私の入院生活は、重病の人のことを考えると不謹慎かもしれませんが、どちらかといえば楽しいものだった。
一期一会の出会いもあった。
色々反省点もある。糖尿病のことももっと真剣に考えた方がいいかもしれない。治療食のお陰か、体重が入院時より1キロ減った。これはすぐ反動がくるだろう。
目の調子は至って順調。近くのものと、遠くはよく見える。中くらいの距離、2・3メートルの距離のテレビの文字や顔、細かいところが見えにくいが安定するまでに2か月くらいかかるとのこと。
長々書きました。久しぶりのパソコンで、書き込みをやめられませんでした。
追伸。 友人でありブログ友達でもあるI&Iさんが、退院直後に、きて下さったという。「遅かった」というタイトルのブログを書いていられた。もう一日いればよかったかなと思った。ありがとう。
by ttfuji
| 2006-03-31 21:25
| 健康・食・料理