2007年 10月 21日
ポーランドと東部ドイツの旅 ② ポーランドの歴史・ヤスナ・グーラ修道院ほか |
10月8日(月)
ホテル出発9時。ワルシャワを後にし、220キロ離れたチェンストホーヴァへ3時間半のドライブ。バスもドライバーさんも変わる。アリチアさんとも別れる。車中説明は添乗員のTさん。ベテランの活力ある女性だ。どんなことにも駆け回って対応して下さる。ポーランドの歴史にも詳しい。王朝時代の系図や姻戚関係。例えば、ハプスブルグ家との関係なども聞いたが聞き流す。5~7世紀にかけてスラブ部族が団結。966年、メシロ一世?の時、新生ローマ帝国によりキリスト教化。その後いくつかの国に分裂。1320年再びバリスワブ一世?によってポーランドは統一された。王の死後やり手の息子が跡を継ぐが死亡。王妃がハンガリーとポーランド王を兼ねる。王女にリトアニアの王をムコに迎える。ヤギウオ王となる。1500年代国土はスエーデンに奪われていく。王朝はクラクフにあったが断絶する。首都はワルシャワに変わる。デンマークの侵攻に王は他国・プロイセン(ドイツ)、ロシアに助けを求める。しかし列強はそれに乗じて領土を奪い取る。オスマントルコの侵攻もある。ロシアはトルコに敗れる=クリミヤ戦争。アウグスト王はロシアを後ろ盾にすることによって廃位を免れる。1772年、1793年、1795年と段階をおって分割される。123年に亘ってポーランドの国はない。要人はロンドンに亡命。ドイツは独ソ不可侵条約を結び、ポーランドをなくそうとした。
1930年ワルシャワ蜂起、パリを拠点に地下運動。イタリアが独立。ポーランド人は刺激を受ける。第1次大戦と2次大戦で600万人が死亡、1200万人が不明。主要都市の半数が全壊、あるいは半壊した。
大戦後はソ連の支配下におかれた。フランス革命で労働者意識が植え付けられ共産主義で経済は崩壊した。能力に関係ない平等主義の悪弊で時間だけ仕事をすればいいと、努力や能率を考えない。
1980年、ワレサ議長が連帯を立ち上げた。東欧の物不足、ゴルバチョフのペレストロイカ、チェリノブイリ事故などが民主化に拍車をかけ1989年2月から4月反体制が勝利。しかし、年配者や保守的な人の不満で95年の選挙で共産党勝利。旧体制に。2年後、連帯勝利。大統領カチンスキー、首相カロソクフとなる。この二人は双子の兄弟という。
平均収入は?、答えるのはむずかしい。都会と地方の差は、3~5倍ある。車の所有は増えたが殆ど中古車。ガソリンは高い。高い分は道路の整備に使う。出稼ぎは運転手が多い。手先が器用で技術系の能力が優れる。勤勉なので他国でもポーランド人は評判がいいという。
ノートに書かれたものを羅列したが、耳から入ったことを書き留めたので人物名など自信がないし、歴史的出来事の把握も間違っているかもしれない。しかし、後で訂正するためにも書き留めておく。前日のアイチアさんの説明にダブるところも多い。
1994年に欧州共同体(ユニオン=EU)にはいる。人の出入りも自由、パスポートなし、国境なしになる。宣言条約として、加入は国の判断で決める。イギリスは入らない。デンマークもスエーデンも入っていない。
10時40分スーパーマーケット(ドライブインを兼ねる)でトイレ休憩。外気温11℃。天気がいいのでそれ程寒くは感じない。ここで、明日の小宴用のビールとおつまみを買う。
再びバスは平原の民のいわれを頷かせるように田園風景の中をひた走る。チェンストホーヴァへ1時到着。レストランで昼食。はじめて白身サカナのフライがでてさっぱりしておいしかった。
2時、ヤスナ・グーラ教会へ。ここは、ポーランドを代表するカトリックの巡礼地という。年間400万人以上の信者が巡礼に来るという。日本なら総本山というような、沢山の建物がある。聖パウロ教会の僧院として1382年に建設された。「黒いマドンナ」のイコンがあり、奇跡をもたらすと信じられている。
教会の建物群 ロマーニ神父と添乗員Tさん
教会内部はロマーニ神父の案内で見学させて頂き、ミサ中だったが、見学者は側面を静かに回りました。跪いて祈る姿にポーランド人の信仰の深さを感じました。ヤスナ・グーラとは「明るい済んだ山」の意味とのこと。
宝物館も見学したが、多くの奉納品が信仰の証という。
70人の修道士、30人の修道女がいられる。ヨハネパウロ2世もここにいらっしゃったという。
16時バスは今夜の宿であるクラクフのホテルに向かう。クラクフまで145キロ㍍。2時間半のドライブである。
再び、添乗員さんの話。
今日、みなさまから質問されたことですが、
ポーランド人の対日感情は? それぞれ
ポーランド人の対ロ感情は? 余りよくない
ポーランド人の対独感情は? 余りよくない
とのことでした。
6時半頃ホテル着。
今日・明日は私が一人別室。夕食・入浴後は、洗濯もし、浴室に洗濯ネットで覆ってかけておく。明日着るものの用意とスーツケースと鞄の整理など。自宅の時より早く休む。朝は早いし5時~6時起き、毎日結構歩く(一万歩近い)ので寝る前に誘眠剤を毎日のんでいた。
ホテル出発9時。ワルシャワを後にし、220キロ離れたチェンストホーヴァへ3時間半のドライブ。バスもドライバーさんも変わる。アリチアさんとも別れる。車中説明は添乗員のTさん。ベテランの活力ある女性だ。どんなことにも駆け回って対応して下さる。ポーランドの歴史にも詳しい。王朝時代の系図や姻戚関係。例えば、ハプスブルグ家との関係なども聞いたが聞き流す。5~7世紀にかけてスラブ部族が団結。966年、メシロ一世?の時、新生ローマ帝国によりキリスト教化。その後いくつかの国に分裂。1320年再びバリスワブ一世?によってポーランドは統一された。王の死後やり手の息子が跡を継ぐが死亡。王妃がハンガリーとポーランド王を兼ねる。王女にリトアニアの王をムコに迎える。ヤギウオ王となる。1500年代国土はスエーデンに奪われていく。王朝はクラクフにあったが断絶する。首都はワルシャワに変わる。デンマークの侵攻に王は他国・プロイセン(ドイツ)、ロシアに助けを求める。しかし列強はそれに乗じて領土を奪い取る。オスマントルコの侵攻もある。ロシアはトルコに敗れる=クリミヤ戦争。アウグスト王はロシアを後ろ盾にすることによって廃位を免れる。1772年、1793年、1795年と段階をおって分割される。123年に亘ってポーランドの国はない。要人はロンドンに亡命。ドイツは独ソ不可侵条約を結び、ポーランドをなくそうとした。
1930年ワルシャワ蜂起、パリを拠点に地下運動。イタリアが独立。ポーランド人は刺激を受ける。第1次大戦と2次大戦で600万人が死亡、1200万人が不明。主要都市の半数が全壊、あるいは半壊した。
大戦後はソ連の支配下におかれた。フランス革命で労働者意識が植え付けられ共産主義で経済は崩壊した。能力に関係ない平等主義の悪弊で時間だけ仕事をすればいいと、努力や能率を考えない。
1980年、ワレサ議長が連帯を立ち上げた。東欧の物不足、ゴルバチョフのペレストロイカ、チェリノブイリ事故などが民主化に拍車をかけ1989年2月から4月反体制が勝利。しかし、年配者や保守的な人の不満で95年の選挙で共産党勝利。旧体制に。2年後、連帯勝利。大統領カチンスキー、首相カロソクフとなる。この二人は双子の兄弟という。
平均収入は?、答えるのはむずかしい。都会と地方の差は、3~5倍ある。車の所有は増えたが殆ど中古車。ガソリンは高い。高い分は道路の整備に使う。出稼ぎは運転手が多い。手先が器用で技術系の能力が優れる。勤勉なので他国でもポーランド人は評判がいいという。
ノートに書かれたものを羅列したが、耳から入ったことを書き留めたので人物名など自信がないし、歴史的出来事の把握も間違っているかもしれない。しかし、後で訂正するためにも書き留めておく。前日のアイチアさんの説明にダブるところも多い。
1994年に欧州共同体(ユニオン=EU)にはいる。人の出入りも自由、パスポートなし、国境なしになる。宣言条約として、加入は国の判断で決める。イギリスは入らない。デンマークもスエーデンも入っていない。
10時40分スーパーマーケット(ドライブインを兼ねる)でトイレ休憩。外気温11℃。天気がいいのでそれ程寒くは感じない。ここで、明日の小宴用のビールとおつまみを買う。
再びバスは平原の民のいわれを頷かせるように田園風景の中をひた走る。チェンストホーヴァへ1時到着。レストランで昼食。はじめて白身サカナのフライがでてさっぱりしておいしかった。
2時、ヤスナ・グーラ教会へ。ここは、ポーランドを代表するカトリックの巡礼地という。年間400万人以上の信者が巡礼に来るという。日本なら総本山というような、沢山の建物がある。聖パウロ教会の僧院として1382年に建設された。「黒いマドンナ」のイコンがあり、奇跡をもたらすと信じられている。
教会内部はロマーニ神父の案内で見学させて頂き、ミサ中だったが、見学者は側面を静かに回りました。跪いて祈る姿にポーランド人の信仰の深さを感じました。ヤスナ・グーラとは「明るい済んだ山」の意味とのこと。
宝物館も見学したが、多くの奉納品が信仰の証という。
70人の修道士、30人の修道女がいられる。ヨハネパウロ2世もここにいらっしゃったという。
16時バスは今夜の宿であるクラクフのホテルに向かう。クラクフまで145キロ㍍。2時間半のドライブである。
再び、添乗員さんの話。
今日、みなさまから質問されたことですが、
ポーランド人の対日感情は? それぞれ
ポーランド人の対ロ感情は? 余りよくない
ポーランド人の対独感情は? 余りよくない
とのことでした。
6時半頃ホテル着。
今日・明日は私が一人別室。夕食・入浴後は、洗濯もし、浴室に洗濯ネットで覆ってかけておく。明日着るものの用意とスーツケースと鞄の整理など。自宅の時より早く休む。朝は早いし5時~6時起き、毎日結構歩く(一万歩近い)ので寝る前に誘眠剤を毎日のんでいた。
by ttfuji
| 2007-10-21 22:32
| 外国旅行