2008年 06月 29日
長雨・6月の読書録 |
梅雨らしい雨がしとしと・・静かな日曜日です。窓からの風景も雨にけぶって大山も富士山も見えません。こんな日は、風邪のあとだし自宅で静かに過ごすのが一番と、おとなしく読書と行きましょう、と思いつつ6月の読書録を書いてないと気づいていましたが、いろいろ体調不良や旅行もあって、まとめるのが億劫になっています。読んだ本はメモもとらず返してしまうので、記憶もおぼろげ。取り敢えず、読んだ本の題名だけでも・・。感想やあらすじも思い出せる範囲で・・・という次第です。
「雛を包む」 有吉玉青
著者は、有吉佐和子の娘で蛙の子は蛙。いつの間にかいろいろ書いていられる。「身代わり」ともう1冊読んでいるが、これはエッセーである。
茶道、香道、華道などの日本的なものに造詣が深い。歌舞伎や能、人形浄瑠璃などの古典芸能なども意欲的に学んだようだ。エッセーの中の1編、
「雛を包む」は、子どもの頃、おひな様を飾ってもらった思い出とともに、それをしまうとき、母は必ずお習字の練習書きした新聞紙をとっておいて、外側や隙間に入れたそうである。人形の顔や衣装に直接当たるところは白いきれいな紙を使い、墨の付いた新聞紙を外側に包んでしまったと書かれている。インクの薬で虫が付かないようにしたという。
「白蛇教異端審問」 桐生夏生
Yさんにお借りした本。初めてのエッセー集というが短編5編も載っている。一風変わった内容で、私には?だった。
著者は、自分の作品が匿名氏に酷評されるのを怒って自ら「白蛇教」の教祖と名乗って、怒りの焔で身を包んで反論している。
「窓を開けると」 池部 良
池部良のエッセーを読むのは久しぶりだった。20年ほど前から何冊か読んでいる。図書館の書架から目に止まり、最近も書かれているのかしらと手に取ってみた。2ページほど読んで、面白いので借りてきた。著者と等身大と思われる人が描かれている。80半ばの老人達や戦友会の仲間達が繰り広げる世界が、淡々と一種の悲哀感を漂わせながらもおかしさを以て綴られる。池部ワールドに引き込まれる。戦中、戦後の2枚目俳優である事を知っている人は少なくなっているかも知れない。
「総理とその女房」<橋本久美子は聞きしにまさる・・>吉永みち子
橋本元総理は、ポマードで髪を固めた外見や人を小馬鹿にしたようなひと言から、第1印象で好印象を持つ人は少ないという。この本は、妻を通して語られる夫像から、評価が変わる代表的な本だと思う。妻が夫教育をしたわけではない。どちらも自由にのびのびと自分を出している。夫の偉いところは、妻の発言や行動を規制せず、できるだけ自由にさせたことである。大抵の夫は妻の発言を規制する。妻は、いくら率直で天真爛漫といっても、夫の立場や妻の役割を弁え、夫に不利な発言はしないのではなく、そのようなことはないのだろう。5人の子どもを持つマイホームパパであり家族を何より大事にした。意外な趣味は金属や石を使ったアクセサリー作りで妻や家族に幾つもプレゼントしている。
生後まもなく生母を失い、人間的にも立派な養母に愛情深く育てられたこと、身体障害を持ちながら不屈の精神で登山や水泳も克服した父を心から尊敬している事など、橋本元首相の人間性に触れられたことは、人を見る場合、当然ながら外見だけでは判断できないと感じたことだった。
「孔雀狂想曲」 北森鴻
この作家の本をVINさんに何冊か紹介され、「花の下にて春死なんむ」読んでみようと図書館で探したが、貸し出されていて在庫があるのはこの本と紹介されてない本であった。この作家の本ははじめてであるが、読んでみて面白かった。
下北沢の片隅にある骨董品店・雅蘭堂。店主の越名集治は骨董の目利きであるらしいが、時々、怪しい客が訪れる。その度に越名は持ち前の洞察力と推理力、そして骨董屋ならではの視点を駆使し、謎の真相へと迫る。
連作8編の短編からなるが、軽いタッチのミステリーである。
「浅見光彦のミステリー紀行総集編Ⅱ」 内田康夫
内田康夫ファンという割には余り読んでいないので、あらすじ紹介や、おすすめ作品、取材の舞台裏など書かれているようなので、手に取ってみた。地名をつけた事件が全国に及び、各地からここを舞台にしたミステリーを書いて欲しいという手紙もよく来るという。自分の名前を登場人物に付けて欲しいという要望もあるそうだ。一緒に仕事する編集者の名前は殆ど使い尽くしたという。これを読んで、このくらいの作家になると、何を書いても本になって売れるのだと売れないライターの親は感じた。
「おかあさん疲れたよ」上・下 田辺聖子
以前、田辺聖子の「私の履歴書」を読んだときに、この本のことが書かれていて読んでみたいと借りてきた本なのだが、時間がなくてそのまま返却した。いずれ読むつもりである。
「雛を包む」 有吉玉青
著者は、有吉佐和子の娘で蛙の子は蛙。いつの間にかいろいろ書いていられる。「身代わり」ともう1冊読んでいるが、これはエッセーである。
茶道、香道、華道などの日本的なものに造詣が深い。歌舞伎や能、人形浄瑠璃などの古典芸能なども意欲的に学んだようだ。エッセーの中の1編、
「雛を包む」は、子どもの頃、おひな様を飾ってもらった思い出とともに、それをしまうとき、母は必ずお習字の練習書きした新聞紙をとっておいて、外側や隙間に入れたそうである。人形の顔や衣装に直接当たるところは白いきれいな紙を使い、墨の付いた新聞紙を外側に包んでしまったと書かれている。インクの薬で虫が付かないようにしたという。
「白蛇教異端審問」 桐生夏生
Yさんにお借りした本。初めてのエッセー集というが短編5編も載っている。一風変わった内容で、私には?だった。
著者は、自分の作品が匿名氏に酷評されるのを怒って自ら「白蛇教」の教祖と名乗って、怒りの焔で身を包んで反論している。
「窓を開けると」 池部 良
池部良のエッセーを読むのは久しぶりだった。20年ほど前から何冊か読んでいる。図書館の書架から目に止まり、最近も書かれているのかしらと手に取ってみた。2ページほど読んで、面白いので借りてきた。著者と等身大と思われる人が描かれている。80半ばの老人達や戦友会の仲間達が繰り広げる世界が、淡々と一種の悲哀感を漂わせながらもおかしさを以て綴られる。池部ワールドに引き込まれる。戦中、戦後の2枚目俳優である事を知っている人は少なくなっているかも知れない。
「総理とその女房」<橋本久美子は聞きしにまさる・・>吉永みち子
橋本元総理は、ポマードで髪を固めた外見や人を小馬鹿にしたようなひと言から、第1印象で好印象を持つ人は少ないという。この本は、妻を通して語られる夫像から、評価が変わる代表的な本だと思う。妻が夫教育をしたわけではない。どちらも自由にのびのびと自分を出している。夫の偉いところは、妻の発言や行動を規制せず、できるだけ自由にさせたことである。大抵の夫は妻の発言を規制する。妻は、いくら率直で天真爛漫といっても、夫の立場や妻の役割を弁え、夫に不利な発言はしないのではなく、そのようなことはないのだろう。5人の子どもを持つマイホームパパであり家族を何より大事にした。意外な趣味は金属や石を使ったアクセサリー作りで妻や家族に幾つもプレゼントしている。
生後まもなく生母を失い、人間的にも立派な養母に愛情深く育てられたこと、身体障害を持ちながら不屈の精神で登山や水泳も克服した父を心から尊敬している事など、橋本元首相の人間性に触れられたことは、人を見る場合、当然ながら外見だけでは判断できないと感じたことだった。
「孔雀狂想曲」 北森鴻
この作家の本をVINさんに何冊か紹介され、「花の下にて春死なんむ」読んでみようと図書館で探したが、貸し出されていて在庫があるのはこの本と紹介されてない本であった。この作家の本ははじめてであるが、読んでみて面白かった。
下北沢の片隅にある骨董品店・雅蘭堂。店主の越名集治は骨董の目利きであるらしいが、時々、怪しい客が訪れる。その度に越名は持ち前の洞察力と推理力、そして骨董屋ならではの視点を駆使し、謎の真相へと迫る。
連作8編の短編からなるが、軽いタッチのミステリーである。
「浅見光彦のミステリー紀行総集編Ⅱ」 内田康夫
内田康夫ファンという割には余り読んでいないので、あらすじ紹介や、おすすめ作品、取材の舞台裏など書かれているようなので、手に取ってみた。地名をつけた事件が全国に及び、各地からここを舞台にしたミステリーを書いて欲しいという手紙もよく来るという。自分の名前を登場人物に付けて欲しいという要望もあるそうだ。一緒に仕事する編集者の名前は殆ど使い尽くしたという。これを読んで、このくらいの作家になると、何を書いても本になって売れるのだと売れないライターの親は感じた。
「おかあさん疲れたよ」上・下 田辺聖子
以前、田辺聖子の「私の履歴書」を読んだときに、この本のことが書かれていて読んでみたいと借りてきた本なのだが、時間がなくてそのまま返却した。いずれ読むつもりである。
by ttfuji
| 2008-06-29 15:00
| 読書