私の生活や自分史・読書、旅などの記録


by ttfuji(トコ)
 読書や出かけた時のことなど、昔のブログで確かめたいと探すことがある。カテゴリーで分類するようになったのは、数年経ってからで、それ以前の記録は未分類になっていた。
 矢張り分類した方がいいと機会がある毎にコツコツと分けていた。
 3日前の13日と14日、たまたまその作業を始めた。
 未分類のカテゴリーをあけると、2006年頃から何年分かのパソコン関係の不具合や故障などに悩まされている日記が多い。よくもこんなに悩まされながらも続いたな、と思うほどだ。
 そこで、未分類のものを古い順に「パソコン・スマホ」のカテゴリーに入れては送信していった。
 一日目は、その日記は当然のことながら、日付の場所に収まった。14日も同じ作業をしたところ
翌日開いてみると、現在の2017年8月の所に、2006年のものが表示されている。10年以上前のものが、一番新しい所に載っている。投稿日時がカテゴリーを入れた日になっているのだ。
 これでは読んだ人も混乱するだろう、と思いすべてを非公開にした。
 パソコンも、次々の変更で混乱してしまったのかもしれない。折を見て投稿日時を当時のものに変えて送信してみようと思っている。それともあまり記録をため込みすぎるのが問題なのだろうか。
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# by ttfuji | 2017-08-16 16:53 | パソコン・スマホ | Comments(0)
 5月後半の日記をぼちぼちと非公開で書き、書き終えた時点で公開するという手法をとる。
 公開にしようか非公開のまま、記録だけ残そうかと迷った末、公開にした。というのも心の平穏でない日々を過ごしているからだ。
 こんなことを書くのも恥かしいのだが、私は6月初め膀胱炎に罹った。初めての経験で症状を話すと娘は膀胱炎だと言った。今まで何回かかかったという。兎に角、急激に尿意を感じ、トイレに駆け込むがほんのわずかしか出ない。いきむと痛みというよりしびれというか電流が流れたような不快感が腹部に走る。それが頻繁に起こる。他の友人に話しても、かかったことのある人と友人がかかったという話から、早く病院へ行った方がいいと言われた。身体が弱っている時やストレスが多い時に発症すると言われた。
 ストレスはいろいろあり納得できることだった。土・日が入り、6月6日、火曜日が内科検診の日。それまで病院行きは伸ばし、尿検査の結果、やはり膀胱炎と診断。薬を5日分処方され、3日服用したところで、症状はなくなった。薬は5日分のんだ。私は軽い方だったようだ。
 7日のスイミングは休み、振替も取らなかった。

 娘は、毎日仕事の残務整理や付き合いの多い友人たちとのお別れ会が続き、帰宅も遅く、気をもませた。荷物の整理や片付けもはかどらず、生活のペースが違うことに、父親のお説教はきつかった。 世話になっているのだから、反論できないのは承知で、頭を下げていたが、私がかばうと、こちらが口論となった。
 夜遅くまで片付けや電話が続き、朝はなかなか起きない。せめて8時には起きて生活のリズムを整えよ、というので、いいじゃないですか、という私のことばに、こんな生活していて仕事がうまくいくはずはないと叱る。娘はいちいち監視されている生活にうんざりで、外出がますますおおくなる。
 3人が心穏やかではいられない。友人たちに聞くと、父親は娘に甘く注意ひとつ言えないという。そんなに追い込んではかわいそう、と同情される。夜遅くまで、電話やメールをするのは残務整理であり、いる間にしておかなくてはならないこと、と私にはいう。もうじき家を出るのだから、もう少し寛大に接してほしいと思う。かといって、たまには談笑もしている。必要以上に心配性なのだ。
 
 娘と孫はラインで日常のやり取りはしている。必要なことは伝えあっている。今度いつ来られるか、等と聞くと、ちょっとわからない。またメールするとの返事。娘はお母さんもラインに入ってみる?、と聞く。グループで交流できるという。3人は会話を共有するので会話にいつでも入れるという。例えば、孫が、包丁とまな板もらえますか、と母親に入れると、私が脇から「あげるよ」と答える。有難うございます、と返事が入る。孫のことばは礼儀正しい。夫に話すとラインをやりたいと言って、娘から指南を受けていたが、結局申し込まなかったらしい。孫の仕事は特殊なので、土日休めるとは限らない。
 お別れ会のような事をしたいと思い、2人に都合を聞くと孫は、22日は都合がいいというが、23日早朝8時までに成田へ着かなければならないので前日は無理と答えた。結局13日火曜日の仕事を終えてから来ることになる。それも9時頃になるとメールが入り折角夕食を一緒にと思っていたので、できるだけ早くと急かせた。仕事のやりくりをして7時半頃帰着した。はじめ、レストランを予約するつもりでいたが、娘は、Tは外食は食べつけている。おばあちゃんの手料理が一番喜ぶと思う、というので、最後のひと踏ん張りを孫のためにしようと張り切った。といっても、煮物ばかりでは代わり映えしないと思い、メインはすき焼きにした。煮物も、お煮しめ風に大皿に盛った。漬物、サラダで賑やかな感じを出した。もっといろいろあったような気がするが思い出せない。孫に泊っていけば、と言えば明日仕事があるので今夜のうちに帰るという。
 その後、9時頃、ごろ寝をし、寝込んだのを見て、夫はまたもや、本格的に寝てしまわないうちに起こして駅まで送った方がいいと言い出した。せめてあと1時間ほど寝かせてあげたらといったが、夫は言いだしたら聞かない。目を覚まさせ、サクランボとデザートのオメザを食べ、娘が駅まで送っていった。包丁、まな板、おかず、おやつも持って行ってくれた。ひとり暮らしていい加減な食生活の助けになればと野菜炒めを勧めた。
 
 6月14日は、もくれん読書会の日。私の推薦した「平成大家族』は好評だった。色々問題点を抱えた家族だが、楽しく読めた。
 次の課題本も、篠田節子さんの「讃歌」に決まった。文庫本があるかと、スマホで調べてみると出ていつという。Nさんが、注文のため本屋さんに行ったとこら、文庫本は絶版とのこと。
 電話でそのことを伝えられ、アマゾンで探してみると伝えた。
 夜、アマゾンへの注文を試みた。5冊一括注文ははじかれた。その後、ほんの売り手が1冊づつの場合、一人ひとりに注文しなければならないと分かった。娘に相談しそのように教えられた。面倒でやめようとしたとき、娘がぱっぱと4冊の注文をしてくれた。1冊足りないが、私はすでに読んでいるし、ブックオフで探すか単行本でもいいと思った。たまたま娘が在宅しており、パソコンで 注文書を4枚作り、今からコンビニへ行ってくると、即実行してくれた。そのコンビニから出せる郵便物があるので、ついでに処理してくると言う。
 コンビニで端末機で注文番号その他を打ち込むと、金額が出てローソンの窓口で支払うとアマゾンに伝達され、本を出さた人から個別に1週間以内に本が送られてくると言う。こうしたことを夜更けに娘がやって来てくれた。アマゾンで買うというのがこんなに手間のかかることとは思わなかった。若い人でないと無理である。慣れればできないこともないかもしれないが、ますます恒例に向かう私には無理の用である。娘が在宅してくれてよかった。つくづく有難かった。

 
 
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# by ttfuji | 2017-08-12 11:32 | 家族・身内・私 | Comments(0)
 今日で7月も終わる。相変わらず猛暑だし、蒸し暑い。でもあっという間に8月も終わるのだろうな、もう少しの我慢、と思うとふと暑さまでいとおしくなる。

 昨日、今日と、パソコンに忙しい。たまっているブログの箇条書き、と思っていると、郷土史の会報に載せる原稿が書いてないことに気づいた。郷土史会の定例の記録は何とかブログにも載せられた。いつも長い記事を書いて、もっと簡潔にと反省ばかりしているが、才能がない為、魅力ある文章が書けない。そのくせ、会報には毎回書いているので、もし自分の書いたものがないと思うと、後悔と落胆がひどいと思う。
 いつもは、講義の前に、今度の原稿を書いて、と会長に指名されることが多いのだが、今回は指名も依頼もなかった。まだ日があると思っていたが、締切日はとうに過ぎている。
 今日、会報担当の顧問,Tさんに電話で聞いてみた。原稿は集まって編集も大体おわったという。今回は、休んでもいいというと、書いたものが有るか、と聞かれ、ずっと以前書いたものですが、「上杉鷹山」の学習会に出て、まとめたものがある、と話した。長いか、と問われ、いつもより短いと思うが、カットもできますと答えた。送ってほしいと言われ、今日、横書きのままのものをメールで送った。可否はまだわからない。やはり、採用されたいと未練たらたらである。
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# by ttfuji | 2017-08-12 11:24 | 郷土史・講演会・学習 | Comments(0)

ラインのこと

 娘が外国へ行ってから、通信手段は、娘が設定してくれたラインだけ、になってしまった。今までの携帯は解約。カード式の携帯を買ったという。その番号を、ラインメールで知らせてきたが、ラインで無料電話が使えるので、使うこともなかった。ラインは、孫を含めて情報が共有出来、写真も時々送ってくれるので、何の不自由も感じなかった。夫もラインに興味を示したが、自分では手続き出来ず、わたしも教えられないので、時々、私のスマホを覗かせていた。
 ところが、10日ほど前、ラインを開くと変なコマーシャル写真が載っていた。贅沢商品のコピーというもので、洋服・バッグ・靴・宝石のアクセサリー類が商品紹介されて、入会する、友達を誘うか選択するようになっている。悪徳商法の手口かと、何も意思表示できないでいた。画面は、全く動かず、上下にも左右にも動かない。娘に連絡もできない。これがスパムというものか、検索したら一方的に商品の宣伝を押しつけてくる。結局、「通報」という文字をクリックしたら、Fさん(私の名)が通信拒否しました、と表示された。そして、何も使えなくなった。
 娘の携帯に電話しても、この電話から国際電話に繋ぐには、NTTに連絡して手続きをするようにというメッセージが音声で出る。グループで孫とも交流しているので、そちらにラインのことをメールしてみた。電話もメールもなくなしのつぶて。
 しばらくは、ラインを何とかしなければと、あちこちいじっているうちに、以前の交流の場面が出てきた。何日か前、SOS(助けて)電話して!と入れたら、かかってきた。娘は緊急事態でも起きたの、という感じで、私だけが大騒ぎしていると思ったようで、私からのメールは全部読んでいるという。既読のしるしがついているでしょう、という。今、こうして話せるのだから、何の問題もないはずという。一応、納得したが、その後、また、コマーシャルの変な写真が入り、通信ができなくなる。どうしたものか、悩んでいる。
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# by ttfuji | 2017-08-11 22:45 | パソコン・スマホ | Comments(0)
 8月に入り、猛暑、酷暑が続いている。関東各地でも、35度を超す気温が伝えられている。私は、暑さが苦手で、高温の中では頭がぼーっとして集中力がなくなり、頭痛も起きる。仕方なく、エアコンの中で、じっとして本を読んだり、テレビを見たりしている。横になることはない。
 テレビでも、お年寄りは、エアコンをつけて、水分を十分にとり、不用な外出はしないでくださいと呼びかけてくれるので、電気料節約のエコ生活を気にしないですみ有難い。
 とはいえ、外出は買い物他いろいろあるが、車の中も、行った先も冷房が効いているので、むしろ凌ぎやすい。

 8月3日午前中に、郷土史会報「いせばら」の原稿を担当役員のT氏に届け、図書館に本の返却に寄ったことまで、前回のブログに書いたが、そのあとのことは、まだ書かずにいた。

 図書館を出たのは、10時50分頃、美容院にヘアダイを11時に予約していた。
 図書館から、美容院まで車で5分ほどの距離。いつも、急ぐときは、信号の少ない裏道を使う。交通量も少なく、信号もないので、この頃はこの道を使う人が増えてはいるが、ここで、一時停止違反で止められてしまった。T字路で右折する時、左右とも車が来ていないので、徐行しながら出た、
 30メートルほど行ったところで、若い婦警さんに車の停止を命じられた。農協売店の裏に、チェックポイントがあるらしい。近寄ってきた婦警さんは、色々のコードのついたヘッドホンをつけていて、同僚か上司とのやり取りもしている。
 今、あそこで一時停止しませんでしたよね、と私に言った。結局、違反なのは確かなので、言い訳をしても通らないことは分かっている。表示があるのは知っていましたか。見落としたとか知らなかった、と言ったら、もっと別な違反を言われるかもしれない。窓越しのやり取りだったが、免許証から車両ナンバーから書き入れて15分ほど書類を書いていた。何台かが通り過ぎたが、別な車が後ろに止まらせられた。バックミラーで見ると、若い主婦という感じだった。
 ショックだろうな、と思った。7000円の罰金だった。10日以内に納めなければ、小田原に出頭して頂くというので、すぐに納めます、というと一応、すべて説明します、と決まりを一から納得させるように説明した。
 まあ、ここでつかまらなかったら、また別なところで違反したかもしれない、今後の戒めにし、十分注意しようと肝に銘じた。
 美容院の先生に話すと、こんなに遅れる筈はないので、やっぱり何かあると思っていたそうだ。
 あそこはよく掴まる場所なのよ、と言われた。美容院らしくいろいろの情報の集まるようだ。

 翌日、別なところでこの話をしたら、ほんの短時間(数分)の駐車違反をしただけで15,000円払ったとか、一晩、住宅地の自宅の前の道に息子が車を置き、4万円の罰金を取られた、とかいろいろ聞かされた。通報する人がいたとのこと。
 違反は違反、極力しないように気をつけよう。
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# by ttfuji | 2017-08-10 15:42 | 家族・身内・私 | Comments(0)
 早や、8月も3日。相変わらず暑いが、会報『いせばら』の原稿も急がれた。
 まず、この内容で採用してもらえるか、自信がなかったので、すでに書いてあった、B4横書きの下書きをそのまま、メール添付で送付した。そのあと、添付したものを開いてみると、べったりとした平坦な文面で、とても読みにくい。これでは読んで頂けないと思い、冊子の「いせばら」掲載の体裁でB5縦2段のレイアウトで題名や項目ごとに 文字の大きさなど、メリハリをつけた。
 まあまあ読みやすくなった、あとは文章の長さが問題にされるかもしれないと思いながら、原稿を送った。2度送った原稿も、返事がないので、SMSでメールを送ると、多忙のためまだ開いてないということだった。ボツならボツでもいい、返事がないのはつらい。
 今日、図書館に行く日なので、プリントした最終版を自宅にお届けした。丁度、リュックを背負って出かけるところ、道路にでるところで出会った。びっくりされたが間に合ってよかった。車のウインドーあけて、窓越しに、色々話しができた。少し前に、T氏に頼まれて送った、6月の講師S先生の写真数枚もまだ見ていないという。忙しいことはよく知っているので、納得した。

 私も、パソコン上での文の読み直しは、疲れた目には文字がぼやけて誤字も見落としがちになる。翌日、プリントしてみて誤字や文章の齟齬に気がつく。各章の見出しの不揃いにも気づく。すぐに直して、お詫びの言葉とともに添付で送付するのだが、いくつも書き直しがあっては混乱されると思い、最終版のプリントを持参したのだった。昨夜作った五色きんぴらもついでにお届けした。
 Tさんはこれと同じものがメールでも届いているのですね、と確認し、私がお出かけはどちらまで?、お送りしましょうかというと、駅の方に行くが、立ち寄るところが多いという。なるべく歩くようにしているとのこと。私より3歳上。みなさん、運転には悩まされている。今は、車になるべく乗らないようにしているとのことだった。

 私は、この後、図書館行きと美容院行きが予定してあったが、とんでもないアクシデントもあった。
 これは別記する。
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# by ttfuji | 2017-08-03 16:45 | 郷土史・講演会・学習 | Comments(0)
 7月8日(土)
 本日の講演は「幕末の大山を見た不動明王』。講師は当会顧問の田中米昭氏。
 擬人的なちょっと変わった題名だが、当市の大山は万葉の昔から神仏が祀られ、山容は穏やかで人々の信仰心や心の拠り所になってきた。
 頂いた資料は内容が詳細で広範で、概要をまとめるのはむずかしく、一部をそのまま記載させて頂くことにする。
 歴史的には万葉の古歌から『大山寺縁起』の天平勝宝7年に、東大寺初代別当の良弁僧正が大山に入って大山寺を開創、聖武天皇は大山寺を国家安穏祈願の勅願寺とし、相模・安房・上総三国の租税の一部を寺院経営に充当したと伝えられる。
 その後、元慶2年の大地震による倒壊焼失があり、天台宗の安然により再建された。
 その一方で阿夫利神社は相模十三座の一座として延喜式神名帳に記載されており、古来からのお山信仰、山頂の巨石信仰(石尊信仰)などがあって、日本固有の神祇信仰と異国の仏教などが習合をし、さらに武力の錬磨・霊力を得る修業など混然一体となっている状況ではなかったかと思われる。
 文永のころ東寺五重塔再建の勧進活動のため鎌倉に来ていた願行坊憲静によって荒廃していた大山寺は再建され、鉄造不動明王も鋳造された。
 長い引用文の前置きになったが、不動明王がその後の大山の宗教の変遷を見てきたわけが分かってくるように思う。大山寺にあった不動明王が、ふもとの大竹村光明院に移されたという、経緯を田中氏は、古文書や多くの資料から読み解かれた。
 江戸時代、徳川家康によって行われた、大山宗教の大改革、「清僧25口以外は山を下りる」次に明治の神仏分離令による廃仏毀釈で大山寺は「宝珠山明王寺」と改称され、明治6年、阿夫利神社へ権田直助の祠官就任があり、ほぼ明治時代を費やして大山の神仏分離は確立した。
 大山寺にあった不動明王が、いつどういう経緯で光明院に移されたかは明らかではないようだが、廃仏毀釈の難を逃れて関係者や信者などが寄進しあって守ったのであろう。2002年に仏像調査が行われ胎内物が発見された。2010年頃に資料が寺の役員に公開された。
 胎内から発見された文書と祈りを込めた内容物は珍しいものだが文書の内容は、
『士農巧商之助力を以て不動明王の尊容を造顕する請之状』と題した文書は現代でいう趣意書と考えられる。趣意書の大意、造顕の目的、趣意書に応じた施主の名前が記されている。貴賤男女を問わず、少しでもいいからと寄進を募っている。53名、男38名、女12名、分明でないもの、3名。
名前だけの記名も多い。関係者として僧侶、寺の従事者、仏師、等も記されている。
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# by ttfuji | 2017-07-31 21:18 | 郷土史・講演会・学習 | Comments(0)
 7月になって30度を超す猛暑続きで頭がぼーっとして家事も手に付かない。洗濯、炊事はどうにかこなすが、掃除や片付けが捗らない。あるいは、年令による体力、気力の減退もあるかもしれない。
 
 日本中、台風や豪雨の影響が出ているというのに、当地では空梅雨で台風の影響もない。ありがたいには違いないし身勝手な言い分だが、もう少し、地域の気候も均等であってもいいと思う。

 熱中症で亡くなる人もいてエアコンを使えと呼びかけている。私も、ちょっと体調を崩しかけた日があった。午前中から体が重く頭痛がしていた。そのうちに、引きずり込まれるように立っていられなくなった。いつも身近に置いておく冷たい水のポットの水を飲み、並べた座布団に横になった。熱はなさそうだ。熱中症とまでいかないが、暑さ負けと自己判断した。勿論エアコンはつけている。
 毎年、夏には1・2度は身に起こる現象である。
 外出中であったり、なにか運動をやっている最中だったら、重くなるかもしれない。気をつけるに越したことはない。
 7月16日に、電話の子機が故障して使えなくなった。2階で受けることが多いので、子機が使えないと不便だ。夫は、電池を替えれば治ると言って特殊な電池を買いに行って替えても駄目だった。
1階の親機は、ハンドフリーではない。電話の度に階段の上り下りは大変だ。夫が庭に出ている時は、子機を持っていって渡すこともできない。結局この日は子機を使えないまま過ごした。
 夫は、自分で買いに行く気はないらしい。機能なんてどれもそんなに変わらないと思うし、あんた、買ってきたらという。あとでケチをつけないでね、ハンドフリーならいいと思って出かけた。
 やはり、色々の機能がついているが、ゆっくり取説を見ながら覚えることにする。
 子機の配線交換など夫にしてもらいどうにか一件落着。
 7月17日(月)は海の日で、太極拳は休み。
 7月18日(火)は夫が東海大に定期健診の日。行きだけ車で送ったが、付き添うは不要、帰りはバスで帰るという。だいぶ、手がかからなくなった。
 19日(水)はスイミング。来週、再来週は夏休み。メンテナンスとのこと。体操も2週続けてお休み。暑い時だから休みは有難いが運動不足も気にかかる。かといって自主的に体操したり散歩したりする気はない。
 20日(木)は自治会の役員の人、何人かとお食事会。前から、会長が私に自治会では大変お世話になったから送別会をして下さると言っていたのを、お世話になったのは私の方、そんなことをされたら、集会所に遊びに来られない、と断っていたのだったが、私も皆さんとはすっかり気の合った友達になっている。友達として会費制でお食事会なら出たいと伝えた。私も、もし受け取って下さらない場合を考えて、気持ちばかりのお礼の品を用意した。
 暑い日で歩いて10分ほどの店だが、生ビールとお料理ですっかり気分良く、楽しい時を過ごさせて頂いた。
 23日(日)夫は、横浜の県民ホールへ申込制の講演の抽せんに当たり、古代史関係の友人と出かけた。暑さには私より強い。夕食を済ませて帰る。
 24日(月)コミセン、工事のため、太極拳取り消される。
 24日(火),A内科、頸動脈のエコー検査と血管検査。そのあと内診があると思っていたが、今日は検査だけで、薬と内診は8月8日と言われる。実は、協同病院眼科も11時半から予約してあり、それまでに内科の方が終わらなければ、午後来てもいいと思っていた。そのことを受付で話すと、診察と処方箋は8日と言われたのだった。2度手間と思ったが、これは医院側の都合があった。毎年、この医院では、8月初めに1週間の夏休みがあり閉院となる。先生も家族のため、バカンスと取られるのだ。従業員にとっても良いことだと思う。
 





 
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# by ttfuji | 2017-07-29 14:59 | 家族・身内・私 | Comments(0)
 7月8日(土)
 午前中、郷土史の講演があった日。Nさんと昼食をデニーズで済ませ、かねてから予定をしていたTさんのホームにNさんと訪問した。
 旅行も、美術館や映画、食事などもいつも一緒だったTさんが、ホームに入所することになり、今年1月から郷土史も退会した。95歳という高齢で家族も親を一人で置くのも心配と気遣ってのホーム入所だったが、図書館行きも郷土史もその他のサークルも参加できなくなった。ご本人も、淋しい思いをすると覚悟していたが、思ったより快適と満足していられる。息子さん夫婦も、色々気遣って部屋を快適に整えてくれ、息子さんは図書館にも連れて行ってくれるという。
 毎日午前中散歩とリハビリもあり、買い物も聞きに来てくれるという。至れり尽くせりの対応だが、負担もそれなりにあり、入れる人は限られると思う。絵をかいたり本を読んだりの生活だが、昼寝はしないという。夜眠れなくなるからという。
 1時半頃、ホームに着き、受付で訪問の手続きをすると、直接本人に確かめて下さる。予告してあるので、すぐ手続きは済んだが、手洗いうがいを促され、体調を聞かれ、検温もされた。2回目なのでなれていたが。勝手知りたるとはいかず、付き添いで案内される。Nさんの訪問をとても喜んで下さった。何にも持ってこないでと言われたので、その通りにしたが、ゼリーなど家族から届いている菓子があり、ふるまって下さった。
 家にある画集なども、持って来てもらったといい、丁度、昭和天皇崩御の日に描いた花の絵もあり、見せてもらった。よかったら抜いて持って行ってと言われたが、折角そろっているのだからと思い遠慮した。約1時間ほどおしゃべりし辞去した。3階の窓から,Tさんが手を振って見送って下さった。
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# by ttfuji | 2017-07-28 15:25 | 友・師・人 | Comments(0)
 6月の定例会の記録をしていないことに気づき今回まとめて書きました。
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 6月10日(土)
 今月の郷土史会は、会場が市民プラザ、青年活動室で行われた。中央公民館がコンピュータ抽選のため時々「落選」する。
 本日の講演は、杉山博久先生による『師 直良信夫の世界 ~最後の博物学者~』
 杉山先生には、以前、「ニホンオオカミの生態」についてお話を伺ったことがある。
 また、『師 直良信夫の世界 ~最後の博物学者~』はすでに弟子の杉山先生によって刀水書房より出版されている。以下レジュメによる紹介を一部簡単に記す。
 
 博物学とは、地質学や鉱物学、植物学など、自然科学系の諸学を総合した学問をいう。また、研究領域の広い研究者を博物学者と呼んだ。南方熊楠などが顕著な事例である。直良信夫も実に多方面に学問的関心を寄せ、それぞれの分野に優れた成果を残した。
 生家は没落士族で少年期は窮乏の中で過ごした。高等小学校卒で単身上京し、早稲田工手学校
や岩倉鉄道学校へは苦学(夜間)して通った。
 直良信夫は、その生涯に膨大な著作と報告書、雑誌掲載の論考や観察記、随想を残した。1981年の時点で単行本56冊その他520余編を数えた。研究の対象があまりに多岐にわたり過ぎて紹介しきれないが、松本清張の小説『石の骨』の題材にもなっているそうで興味深い。
 一人の研究者が生涯にどれだけの仕事ができるかということを実践して見せた人物と言えるだろうと杉山先生は書いておられる。
 尊敬する、恩師のことを、とても誇りに思っていられることが伝わってくる。 
 
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# by ttfuji | 2017-07-13 16:34 | 郷土史・講演会・学習 | Comments(0)