私の生活や自分史・読書、旅などの記録


by ttfuji(トコ)

カテゴリ:郷土史・講演会・学習( 172 )

 8月5日(土)
 支え合いサポートの会。午後から参加。役員と常連さんだけだったが、楽しいひと時が過ごせた。
 午前中に来た人もいたが、子どもさん連れは今日はいなかったそうだ。田舎や実家へ行ってしまったのかもしれないとのことだった。
 8月14日(月)
 月曜日の太極拳は、8月はお休み。そこで、いつも火曜日に行くA内科を今日行ってきた。7月25日にいくつかの検査をしたので、診察と薬の処方をしてもらってなかったのだ。
 相変わらず混んでいて、8時半頃行っても呼ばれるのは11時過ぎである。7時ごろ来て1時間ほど外で並び、順番を取って一旦家に帰る人が多い。順番だけ家族にとってきてもらう人も多い。私は、一旦家に帰るということはしないので、3時間くらいなら待合室で本を読みながら待つ。医者通いは一日仕事である。頸椎ほか血管検査の結果は特に異状なしとのことだった。
 8月15日(火)
 T氏より封書。原稿の校正やアドバイス頂き、こんな形でどうでしょうと書かれてあった。行かえが多い。1行空きがところどころにあって散漫な感じをうける。ベッタリ続けるより、読みやすいと思ったのだが、その方がしまった感じになる言われた。体言止めが多い。敬体と常体が混ざっている、などの指摘を今までも受けてきたが、言われた通りに直すとまとまった感じになり、有難く思った。
 長すぎたら思い切って削除してくださってかまいません、とお任せしたのだが、何とかそのまま採用して下さった。電話をください、とあったので、感謝の電話をした。
 8月16日(水)
 スイミング。クラスは違うが、私の後のクラス(アクアエクササイズ)に友人のいつ子さんがいて、時々顔を合わせる。プールサイドとプール内で、始まる前言葉を交わす。カボチャの大きいのが採れたのであげたいけど、重くて歩いて持ってこられない、というので、練習が終わったらロビーで待っていると伝えた。私の車で一緒に家に立ち寄った。とても歩いて持ってこられる重さではない。まだ、頂いてないがとてもほくほくとしておいしいカボチャだという。Iさんからは、ご主人の丹精の野菜を時々頂いている。
 8月17日(木)
 神奈川県警察本部 運転免許本部 免許課から配達証明の書状が届く。先日、一時停止違反で罰金を払ったばかりで、まだ何かあるのかと、開けてみると、「臨時認知機能検査通知書」という公安委員会の捺印のある通知書が入っていた。8月23日に二俣川の指定教習所が書かれていたが、別紙で高齢者講習を受けた、自動車教習所でも受けられると案内されている。
 すぐに、そこに電話し、9月8日の予約を取った。
 また、書類には、免許証の自主返納制度のことも詳しく書かれ、こちらも、すすめられているような気がした。運転も肩身が狭い年齢になった。
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by ttfuji | 2017-08-18 10:54 | 郷土史・講演会・学習 | Comments(0)
 今日で7月も終わる。相変わらず猛暑だし、蒸し暑い。でもあっという間に8月も終わるのだろうな、もう少しの我慢、と思うとふと暑さまでいとおしくなる。

 昨日、今日と、パソコンに忙しい。たまっているブログの箇条書き、と思っていると、郷土史の会報に載せる原稿が書いてないことに気づいた。郷土史会の定例の記録は何とかブログにも載せられた。いつも長い記事を書いて、もっと簡潔にと反省ばかりしているが、才能がない為、魅力ある文章が書けない。そのくせ、会報には毎回書いているので、もし自分の書いたものがないと思うと、後悔と落胆がひどいと思う。
 いつもは、講義の前に、今度の原稿を書いて、と会長に指名されることが多いのだが、今回は指名も依頼もなかった。まだ日があると思っていたが、締切日はとうに過ぎている。
 今日、会報担当の顧問,Tさんに電話で聞いてみた。原稿は集まって編集も大体おわったという。今回は、休んでもいいというと、書いたものが有るか、と聞かれ、ずっと以前書いたものですが、「上杉鷹山」の学習会に出て、まとめたものがある、と話した。長いか、と問われ、いつもより短いと思うが、カットもできますと答えた。送ってほしいと言われ、今日、横書きのままのものをメールで送った。可否はまだわからない。やはり、採用されたいと未練たらたらである。
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by ttfuji | 2017-08-12 11:24 | 郷土史・講演会・学習 | Comments(0)
 早や、8月も3日。相変わらず暑いが、会報『いせばら』の原稿も急がれた。
 まず、この内容で採用してもらえるか、自信がなかったので、すでに書いてあった、B4横書きの下書きをそのまま、メール添付で送付した。そのあと、添付したものを開いてみると、べったりとした平坦な文面で、とても読みにくい。これでは読んで頂けないと思い、冊子の「いせばら」掲載の体裁でB5縦2段のレイアウトで題名や項目ごとに 文字の大きさなど、メリハリをつけた。
 まあまあ読みやすくなった、あとは文章の長さが問題にされるかもしれないと思いながら、原稿を送った。2度送った原稿も、返事がないので、SMSでメールを送ると、多忙のためまだ開いてないということだった。ボツならボツでもいい、返事がないのはつらい。
 今日、図書館に行く日なので、プリントした最終版を自宅にお届けした。丁度、リュックを背負って出かけるところ、道路にでるところで出会った。びっくりされたが間に合ってよかった。車のウインドーあけて、窓越しに、色々話しができた。少し前に、T氏に頼まれて送った、6月の講師S先生の写真数枚もまだ見ていないという。忙しいことはよく知っているので、納得した。

 私も、パソコン上での文の読み直しは、疲れた目には文字がぼやけて誤字も見落としがちになる。翌日、プリントしてみて誤字や文章の齟齬に気がつく。各章の見出しの不揃いにも気づく。すぐに直して、お詫びの言葉とともに添付で送付するのだが、いくつも書き直しがあっては混乱されると思い、最終版のプリントを持参したのだった。昨夜作った五色きんぴらもついでにお届けした。
 Tさんはこれと同じものがメールでも届いているのですね、と確認し、私がお出かけはどちらまで?、お送りしましょうかというと、駅の方に行くが、立ち寄るところが多いという。なるべく歩くようにしているとのこと。私より3歳上。みなさん、運転には悩まされている。今は、車になるべく乗らないようにしているとのことだった。

 私は、この後、図書館行きと美容院行きが予定してあったが、とんでもないアクシデントもあった。
 これは別記する。
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by ttfuji | 2017-08-03 16:45 | 郷土史・講演会・学習 | Comments(0)
 7月8日(土)
 本日の講演は「幕末の大山を見た不動明王』。講師は当会顧問の田中米昭氏。
 擬人的なちょっと変わった題名だが、当市の大山は万葉の昔から神仏が祀られ、山容は穏やかで人々の信仰心や心の拠り所になってきた。
 頂いた資料は内容が詳細で広範で、概要をまとめるのはむずかしく、一部をそのまま記載させて頂くことにする。
 歴史的には万葉の古歌から『大山寺縁起』の天平勝宝7年に、東大寺初代別当の良弁僧正が大山に入って大山寺を開創、聖武天皇は大山寺を国家安穏祈願の勅願寺とし、相模・安房・上総三国の租税の一部を寺院経営に充当したと伝えられる。
 その後、元慶2年の大地震による倒壊焼失があり、天台宗の安然により再建された。
 その一方で阿夫利神社は相模十三座の一座として延喜式神名帳に記載されており、古来からのお山信仰、山頂の巨石信仰(石尊信仰)などがあって、日本固有の神祇信仰と異国の仏教などが習合をし、さらに武力の錬磨・霊力を得る修業など混然一体となっている状況ではなかったかと思われる。
 文永のころ東寺五重塔再建の勧進活動のため鎌倉に来ていた願行坊憲静によって荒廃していた大山寺は再建され、鉄造不動明王も鋳造された。
 長い引用文の前置きになったが、不動明王がその後の大山の宗教の変遷を見てきたわけが分かってくるように思う。大山寺にあった不動明王が、ふもとの大竹村光明院に移されたという、経緯を田中氏は、古文書や多くの資料から読み解かれた。
 江戸時代、徳川家康によって行われた、大山宗教の大改革、「清僧25口以外は山を下りる」次に明治の神仏分離令による廃仏毀釈で大山寺は「宝珠山明王寺」と改称され、明治6年、阿夫利神社へ権田直助の祠官就任があり、ほぼ明治時代を費やして大山の神仏分離は確立した。
 大山寺にあった不動明王が、いつどういう経緯で光明院に移されたかは明らかではないようだが、廃仏毀釈の難を逃れて関係者や信者などが寄進しあって守ったのであろう。2002年に仏像調査が行われ胎内物が発見された。2010年頃に資料が寺の役員に公開された。
 胎内から発見された文書と祈りを込めた内容物は珍しいものだが文書の内容は、
『士農巧商之助力を以て不動明王の尊容を造顕する請之状』と題した文書は現代でいう趣意書と考えられる。趣意書の大意、造顕の目的、趣意書に応じた施主の名前が記されている。貴賤男女を問わず、少しでもいいからと寄進を募っている。53名、男38名、女12名、分明でないもの、3名。
名前だけの記名も多い。関係者として僧侶、寺の従事者、仏師、等も記されている。
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by ttfuji | 2017-07-31 21:18 | 郷土史・講演会・学習 | Comments(0)
 6月の定例会の記録をしていないことに気づき今回まとめて書きました。
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 6月10日(土)
 今月の郷土史会は、会場が市民プラザ、青年活動室で行われた。中央公民館がコンピュータ抽選のため時々「落選」する。
 本日の講演は、杉山博久先生による『師 直良信夫の世界 ~最後の博物学者~』
 杉山先生には、以前、「ニホンオオカミの生態」についてお話を伺ったことがある。
 また、『師 直良信夫の世界 ~最後の博物学者~』はすでに弟子の杉山先生によって刀水書房より出版されている。以下レジュメによる紹介を一部簡単に記す。
 
 博物学とは、地質学や鉱物学、植物学など、自然科学系の諸学を総合した学問をいう。また、研究領域の広い研究者を博物学者と呼んだ。南方熊楠などが顕著な事例である。直良信夫も実に多方面に学問的関心を寄せ、それぞれの分野に優れた成果を残した。
 生家は没落士族で少年期は窮乏の中で過ごした。高等小学校卒で単身上京し、早稲田工手学校
や岩倉鉄道学校へは苦学(夜間)して通った。
 直良信夫は、その生涯に膨大な著作と報告書、雑誌掲載の論考や観察記、随想を残した。1981年の時点で単行本56冊その他520余編を数えた。研究の対象があまりに多岐にわたり過ぎて紹介しきれないが、松本清張の小説『石の骨』の題材にもなっているそうで興味深い。
 一人の研究者が生涯にどれだけの仕事ができるかということを実践して見せた人物と言えるだろうと杉山先生は書いておられる。
 尊敬する、恩師のことを、とても誇りに思っていられることが伝わってくる。 
 
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by ttfuji | 2017-07-13 16:34 | 郷土史・講演会・学習 | Comments(0)
 平成29年5月17日(水)
昨年に引き続き、2度目の「相模13社めぐり」が行われた。延喜式内社は全国で2861社あり、神奈川県下相模国には十三社が掲げられており、いずれも千年以上の歴史を持つ由緒ある古寺である。
 昨年は、藤沢・寒川・平塚方面だったが、今年は、大和市・海老名市・相模原市・厚木市にある、延喜式内神社を廻る。
 
 伊勢原中央公民館8時半集合、参加者は28名。マイクロバスは、8:45出発。
 石楯尾(イワタテオ)神社厚木PAで東名高速道路に入り相模湖ICで下りて石楯尾(イワタテオ)神社)に着く。
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 石楯尾(イワタテオ)神社は産土神。応神天皇の臨幸を仰いだという記録がある。江戸時代には武甲相三州からの参拝もあったという。武田信玄が小田原を攻めたとき焼かれたがその後再建された。かなり山間地にあり、自然は豊かだが住むには不便そうと感じる。再び相模湖ICから厚木PAへ。トイレ休憩と買い物、約30分間。海老名ICで下り「有鹿(アルカ)神社」へ。由緒によると有鹿谷の泉は縄文の水神信仰の対象。泉落ちる鳩川に沿い海老名の大地が成り農耕と豊穣と安全を祈り創建。奈良・平安の頃、相模国府の崇敬篤く…(略)、その後、室町の大乱により美麗な社殿と広大な境内を喪失。その後再建成り今日に至る。
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有鹿神社の参拝と説明を聞いた後、昼食のため手打ちそば「みかみ」に向かう。おいしい天ざるそばを頂く。これも役員さんが評判の店を紹介して頂き、試食して決めたものでおいしかった。(12:40~13:30)
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 次に、大和市深見にある「深見神社」へ向かう。祭神は三神あげられているが、建御名方神を覗いて、読めない書けないパソコンでも打ち出せない漢字ばかりなので略す。由緒は、雄略天皇22年3月に創祀と伝えられ、朝野の崇敬篤く、中世源頼朝、武田信玄、太田道灌らの武家の崇敬も熱く武運長久、平穏の生活の守り神としてあがめられている。
 
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 最後に廻ったのは、厚木市にある「小野神社」。この神社は、伊勢原にも近く、よく近く道を通るので、親しみやすく感じていた。小野小町伝説が伝えられたりヤマトタケルの草薙の剣伝説と関係があるという話も聞く。
 祭神は、日本武尊・下春命 由緒によると、鎮座の地は古く小野の里と称し、和妙祥所載愛甲郡の一つ玉川郷に属しその中心地であった。社殿によると、元正天皇の霊亀2年、僧行基が薬師如来の像を刻み奉安したという。愛甲郡の総社として崇敬篤く、大江広元、愛甲三郎、徳川家康などが社領を安堵し、当郡の総鎮守とした。現在社額に「閑香大明神」とあるように永く小野の「閑香さま」と呼ばれていた。最後の数行は資料の由緒のままだがもう一つ理解不能である。
 
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 でも、久しぶりの史跡めぐりで楽しかった。
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by ttfuji | 2017-05-28 12:21 | 郷土史・講演会・学習 | Comments(0)
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 4月8日(土)
 今月の郷土史の演題は『伊勢原 神宮寺と相模の村々』。
 講師は、伊勢原在住の荒井章次先生。
 以前に、「将軍に謁見した象の話」や「蛤御門の変」について講義を受けた事がある。どちらも大変興味深い話だった。
 
 江戸初期には尺八の吹奏を修行とする虚無僧の活動を支え統率する虚無僧寺が各地に建てられた。虚無僧寺を抑える大本山が青梅の鈴法寺と松戸の一月寺であり、伊勢原の旧神明社(大神宮)の境内におかれた照見山神宮寺も鈴法寺の末社として虚無僧活動を支えてきた。
 虚無僧は、外出時には必ず天蓋を被り「法器」と言われる尺八を持ち、活動許可証・通行許可証を持参すれば、関所や旅宿は比較的自由に通過でき托鉢等行ってきた。
 普化宗は禅宗(臨済宗)の一派とされ、幕府にも庇護されて江戸時代虚無僧の活動は比較的自由であった。普化宗が臨済宗として語られる一因となったのは、室町時代の大徳寺の僧一休とも関係があるともいわれる。大徳寺には一休愛用の尺八が残っている。

 しかし、時代が下ると虚無僧の活動は次第に制限され、各地で「虚無僧の入国を禁止する」「虚無僧に宿を貸してはならない」などの触れが出されるようになった。虚無僧は托鉢だけで収入もなく、さらに布施や喜捨だけでは苦しく、しかも寺への奉納金もあったようだ。
その経緯は、江戸期後半になると、農村の方でも、大凶作や大飢饉が多く餓死者が出る苦しさの中で、幕府の掟を盾に米銭を強請する僧が多くなると大迷惑だったのではないかと思われる。村は、一定の額のお布施を寺院に納め、その代り托鉢の僧が来ないようにという取り決めをしたもらう。 

 明治4年、普化宗は廃宗となり、尺八吹奏による托鉢は禁じられたが、この時、尺八そのものの吹奏は禁止されず、伝統楽器としての教授は認められた。
 特に福岡の黒田藩の藩士であった黒沢琴古は琴古流を創設し、優れた弟子にも恵まれて、筝や三絃との合奏や歌の伴奏をすることで、尺八は三曲合奏の重要な楽器として普及していった。また、関西でも大阪の中尾都山により、明治29年に都山流が始められ、愛好家を増やしている。
 昭和25年には虚無僧が「普化正宗」として宗教法人化され天下晴れて公認され現在にいたっている、という。

 先生は、尺八の音色に魅せられ修行されたようです。私たちに一曲吹奏して頂いた。
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by ttfuji | 2017-04-25 23:34 | 郷土史・講演会・学習 | Comments(0)
  2月11日(土)
 建国記念日。祭日だが、郷土史会の日。会場はシティプラザ4階。中央公民館は休館日のため。
 準役員のNさんが風邪でお休みのため、受付を頼まれていた。
 講義の演題は『伊勢原市史から見えてきたもの』。 講師は、市の文化財課の井上淳氏。
  1.市史編纂事業の目的とは何か
  2.旗本領主による支配
  3.北海道の国泰寺
  4.日向薬師の神仏分離
  5.大山町の兵事書類
  6.西富岡に建設途上だった53軍司令部
  7.GHQの影響
 
 レジュメは関係図書の紹介、伊勢原市史編纂の基本構想、古代から現代までの古文書などの資料がA3・13枚にぎっしり詰まったものを受付で手渡した。
 編集に携わった、郷土史家・専門委員などの討論や写真なども載っており、なかなか興味深い資料である。ただ、文字が小さく読むのに一苦労、根気がいる。
 私が、興味を持ったのは、3.の北海道の国泰寺についてである。
 30年以上前であったと思うが、郷土史同好会に入会しており、洞昌院の僧侶であり、郷土史家の安達先生の所で月1回の勉強会があり友人達と通っていた。先生は、「この町を語る」ほか何冊かの本も書かれていたが、『蝦夷の国泰寺と相模の禅僧』(伊勢原市文化財調査報告書第三集)を書かれていた。
 勉強会の折、先生はこの本の紹介とともに、伊勢原の禅僧が、鎌倉の寺にいた時、幕府から蝦夷地の鎮護のために三つの官寺を創設した。有珠の善光寺(浄土宗)、様似の藤澍院(天台宗)、厚岸の国泰寺(禅宗)で、これを蝦夷の三官寺と称した。相模の国の(現伊勢原)下糟屋村の神宮寺の文道玄宋和尚は五代目、池端村、蔵福寺の香国弁渕和尚が選任された。
 安達先生がこの本を書くきっかけは、任務を終えて相模に帰山後、北方の安寧を祈願して建てられた多宝塔に刻まれた文字を発見したことによると先生から直に伺った。
 その後、先生による国泰寺行きの旅行に同好会のメンバーも同行させて頂いた。安達先生は、本をまとめるまで数回訪れて、数多くの書物(国泰寺日鑑記)他を見せていただき立派な本にまとめられた。

 先生は、太田道灌の墓所である洞昌院の僧侶であったが、絵も書も立派で、穏やかな優しい何とも謙虚な先生でした。半紙に描いた墨絵を何枚か頂いている。
 今日の、講義を聞いて、思い出した懐かしい思い出である。
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by ttfuji | 2017-02-13 19:00 | 郷土史・講演会・学習 | Comments(0)
a0055866_14215558.jpg  1月14日(土)
 郷土史研究会の1月の講師は高尾先生といつの間にか定番になった。聴講生のことも、ご自分の  ことも率直に辛辣に話されるのが噺家が観客をからかうようなもので笑ってしまう。
 高尾先生は、囲碁の大家、昨年も名人となられた高尾伸路氏の実兄である。以前も何度もその話をされ、父親が弟の方の才能を認め、英才教育をしたが、私には才能がないと思ったようで英才教育はしてもらえなかったと話され笑いをとったこともある。
 碁はM先生自身もお好きらしく、将軍家の囲碁大会の話もされたことがある。新聞でも大きく取り上げられ、毎日のように載っていたので私も切り抜いていたが、先生もその話をされるかと思ったが、一言、家では全くと言っていいくらい囲碁の話は出なかったという。

 さて、本日の話は『塀の中の懲りない藩士たち』=江戸藩邸日記を読む=
 はじめに 身分制度と「生活」との矛盾
 (1)紀州藩下級武士酒井半四郎の江戸日記
 (2)美作国勝山藩の江戸詰武士だった鳩山家の先祖
 (3)美作国津山藩江戸日記
 江戸時代の古文書はあきれるほどある。
 落語の題材になるような話がいくらでもあるという。講義内容は非公開である。
 
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by ttfuji | 2017-01-16 17:03 | 郷土史・講演会・学習 | Comments(0)
 12月11日(日) 
 今回の郷土史の講演会は文化庁助成協賛事業で一般公開され、郷土史会が担当、教育委員会が後援という形である。広報にも載ったため一般からの聴講者が多かった。
 講師は、神奈川災害考古学研究所代表の
 上原進二氏 NHKのブラタモリにも鎌倉の道について説明されているとのこと。
 表題のほかに
 ~伊勢原断層沿いの遺跡と地震跡および神奈川県内の遺跡から検出された詩人跡~ 
という副題もついている。
 縄文・弥生時代からの断層から自信のあった時期、規模などが分かり、神奈川も伊勢原も断層が多く地震の多い所と説明された。
 
 神奈川県は比較的自身の少ない所と思っていたが、むしろ多い所だそうだ。映像による説明も多く、地震大国で海に囲まれているため津波の被害も多く、安泰としてはいられない。身近なところに断層がある、過去に地番の沈下で米俵が何俵も地下にうずまったという話を先祖の人から聞いた事がある、などの質問や意見報告が相次いで出た。

 郷土史会は通常第2土曜日に行われるが、一般公開のため、1日遅れの日曜日になったのは私にとってラッキーだった。昨土曜日だったら、自治会の会議があり休むわけにはいかなかった。
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by ttfuji | 2016-12-22 12:03 | 郷土史・講演会・学習 | Comments(0)