私の生活や自分史・読書、旅などの記録


by ttfuji(トコ)

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歴史の生き証人

 Nさんに、ブログをコピーして送った。パソコンはなさっていない。年賀状をうっかりしていたら、いつもの独特の文字の味わい深い年賀状を頂き、返信年賀に近況を伝えるべくブログを添付した。高校の大先輩で、京浜支部長として長く同窓会のお世話頂き、母校とも常に連絡を密にし高崎市長より「もてなし大使」を委嘱され、東奔西走の活躍だった。2年ほど前?かNさんは病気に倒れられ、入退院を繰り返しているが、病気に負けてはいらっしゃらない。ブログで群馬交響楽団のことを書いたことに対し、群響がいかに生まれたかを詳しく教えてくれた。のみならず、いろいろ感動的な話も書いて下さった。 <>内は手紙をそのまま転載。
<敗戦後の虚脱の中で、故井上房一郎氏が、戦中にお世話していた音楽家、山本氏一家の縁もあって井上工業kk内で、昼休み、終業後に社員、松井、井上さん、女子社員・・に楽器を操ることを始めました。。希望者が少し増えた処、音楽を聴きながらコーヒーを楽しむ、「ラ・メーゾン」の2階の提供を受けて練習を楽しみました。このラ・メーゾンは今でも存続しており、昨年高崎訪問の折立ち寄りました。当時のことを知っている経営者(老婦人)がおり、小さな写真、・・当時の練習風景、・・白黒・・数点のみが店内に展示されています。 非常な喜びと ささやかな失望が去来しました。 それが、群響の出発点。>
 <馬の詩、いいですね。兵隊さんのことは沢山に、うんざりするほど書かれていますが、軍馬の悲しみに心をとめることはありませんでしたが、当時は、兵隊は一銭五厘で招集できたが馬は1頭○十円。大事にせよと兵隊は泣かされました。兵隊さんは水さえあれば1週間も10日も生きられましたが、馬は「水とかいば」がなければすぐ死んでしまいます。戦争の悲惨さに涙が止まりません。>
<小生は年の3分の2は病院暮らし、落ち込む暇はありません。苦しいときは、 
   ◎九九を唱え
   ◎「お山の杉の子」を口ずさみ
   ◎「なんだ坂 こんな坂」と唱えます。
 戦時中、教え子の小学生に力一杯唄わせました。
その中に陸軍中将南部譲吉の三男、三郎君がおりました。
 反東条 早期終戦論者で、予備役にされていたが、昭和19年、東条内閣
退陣の日に即日復役。前橋陸軍予備仕官学校に校長として着任。
 小生は20年6月に徴兵され
  送別に  
  絹の日の丸旗 
  祈武運長久  20.6.10.
   為 中林徳二 先生

 粋がって死ぬこと勿れ!!
 戦争終結作業中  もうすぐ終わる。
 死は犬死  無駄死
 これを肌身離さず持ってて下さい。お護符に必ずなります。と。
=この護符のお陰で助かりました。入隊即日
赤丸印つきの特別扱い兵となりました。= 死ぬなとは書けないから、武運長久(死ぬな死ぬな)の意と。>
<病院で書いてます。整いません。人生 人世 死ぬまで日々
明日も 何かをしなければ 何かをして「為し乍ら」
ストップ無しで突っ張りましょう。  祈 ご健勝  祈 ご活躍  >
 手紙に感動し、ことわりなく掲載させて頂きました。
強い意志の、とても温厚なNさんです。
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by ttfuji | 2006-01-29 17:12 | 友・師・人 | Comments(5)

   十五年ほど前、手芸の先生の手ほどきで完成させた
    大事な木目込み人形です 。             


                    a0055866_22444343.jpg a0055866_22463249.jpg   
                 姫小丸と若萌生
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by ttfuji | 2006-01-28 23:21 | 趣味・雑学 | Comments(0)
 「奔馬 河上肇の妻」 (草川八重子)
 戦中の思想家、学者であり京大教授、資本論やマルクスの研究者、当然思想統制や破防法ができた時代だから官憲に追われ地下に潜ったりかくまわれたりした。彼は弟子や日本中の多くの人に影響を持つ学者だったから官憲はその影響力をおそれ、必死に行方を追い逮捕した。
 この時代多くの人が何らかの理由をつけて逮捕され、痛めつけられ虐殺されたり、転向したりしている。河上肇も体も丈夫でなく、年齢的にも獄中生活は限界に来ていたので、出られたら資本論を完成させようという思いを断ち切って、署名しようとしたが、獄中生活をずっと支えてきた、妻、秀はそれを必死に止めた。1年早く出られてもあなたの生涯に汚点を残す、必ず悔いを残すと、訴えた。河上は強い信念の男であったが、決められた面会日には一日も休むことなく訪れ、短い時間でもいたわり続けた妻を心から信頼し頼っていた。
 奔馬とは妻、秀のことである。広島岩国の同郷で、東京帝大に通う兄の友人であった河上は、足尾銅山の悲惨さを見て、身ぐるみ与えてきたという熱血の人で、父親は、秀は苦労するだろう、と言ったが、もう一つの銀行員との縁談には目もくれず、肇を選んだ。肇も秀も兄弟姉妹が多く、長男以外は、他家に養子に出して、最高教育を受けさせている。秀の末妹は、末川博の妻になっている。困難に出会ったとき、兄弟は助け合う強い絆を持っていた。あの時代生き延びられたのはその絆が固かったからと。、感動した本だった。 
 
 「千住家にストラディヴリウスが来た日」 千住文子
 友達に勧められて読んだ。天才、千住3きょうだいとして名が知れている。NHKテレビ、生活ほっとモーニングでも母文子さん、長男で画家の博さん、バイオリストの真理子さんが出演しており、千住家の教育について、いろいろ聞かれていた。作曲家の次兄明さんは出演していなかった。
 父親は大学教授。母親は、結婚と同時に研究者の仕事をなげうって、夫を支えるために家庭に入った。母文子さんは、私の趣味も仕事も「子ども」、と言っておられた。3人の天才を育てたことを見れば、納得する。
 普通の家と違うからと、世界の名器を手にいれることも夢ではないだろうと浅はかにも考えたが、それはとんでもないことだった。家族の強い絆と、周りの理解と、奇跡といえる不思議なことの積み重ね、何よりも真理子の、家族の強い願望で千住家にやってきたのだった。父の収入だけで、3人の教育にかけ、決して豊かではなかった。しかし、このバイオリンは運命のように千住家へ来た。真理子が大事にしていた今までのバイオリンは傷んで崩壊寸前まで来ていた。真理子自身、弾かせてもらうだけと諦めるしかないと思っていた楽器を手にした途端、虜になり頭から離れなくなった。生前、父は何事も絶対諦めるな、と繰り返し語った。億を超える大部分は銀行からの融資だったようだ。だが真理子は喜んで返済していくだろう。この本の内容を伝えるのはむずかしい。母であり、現在エッセーストでもある文子さんの文章は、説得力があり読者を感動させる。
 
 「八度目の年おんな」 櫛田ふき
 これも素晴らしい本である。本の概要と感想を書いていたら、また、長いものになってしまった。簡潔を心がけようという矢先に。そこで、本の扉の紹介文をそのまま拝借することにする。
 1899年生まれ、この2月(1995)に96歳の誕生日を迎えた櫛田ふきさん。日本婦人団体連合会会長、新日本婦人の会代表委員として、今なお現役で大活躍です。この本では、幸せだった女子大時代、経済学者・櫛田民蔵の妻としての日々、戦時弾圧下のエピソード、夫の急逝とその後の苦闘、婦人運動をとおした素晴らしい人との出会いと別れ、そして今、平和への夢に挑むーひたむきに生きてきた道が生き生きと浮き彫りにされます。
 弾圧下のエピソードとは、夫民蔵の旧師、河上肇をかくまったこと。「当時夫の民蔵は、先生の書斎を捨てての実践活動入りの無謀に反対し、他方先生は、夫が行動を共にしないと、その弱腰を罵倒し、20余年の師弟の交友も絶縁状態になっていた。私にいわせれば、「あれほどののしり、そしられたのだもの、“いわんことじゃない”としらんふりすればいい」だった。しかし夫は、“窮鳥懐にいれば”の思いで旧師を慇懃に迎え入れた。
 10日ほど前に読んだばかりの「河上肇」が重なる。河上から櫛田に届いた手紙264通は捨てがたく、保管され後に大内兵衛によって出版されている。
<櫛田ふきさんは、2005.2.6 自宅で102歳で逝去されました>
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by ttfuji | 2006-01-27 10:40 | 読書・読書会・図書館 | Comments(4)

高齢者自動車運転講習

 3月に70歳を迎える私は運転免許証更新に当たり、高齢者講習というのを受けなければならない。1月始め警察署より、自動車教習所へ申し込むようにとのハガキが来た。まだ間があるとのんびり構えすぎ、23日に電話をかけた。金・土曜日しか実施されないので、今度の土曜日に受けたいというと、3月はじめまで、いっぱいという。3月10日(金)に受けられるがどうかという。免許が切れてしまうと答えると、1ヶ月まで大丈夫とのこと。何事もぎりぎりにならないと動かない性格を反省した。高齢になってこの悪癖はだいぶ直ったはずだったのに。
 近い将来、思い切って免許証返上をしなければならないと思っている。自分では自信を持っているつもりでも、反射神経や視野が狭くなると言われているから、十分気をつけて運転しているつもりだが。
 私は、東京で23歳の時、免許を取り、途中、3年近く乗らない期間があったが、40年以上運転している。女性ドライバーが少ない頃だったので、少し自慢である。ほかに自慢することがないので・・。 仕事先の関係でヘリコプターに乗ったことがあるのも、ちょっと自慢だ。
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by ttfuji | 2006-01-25 16:13 | 家族・身内・私 | Comments(0)
 1月21日夜、NHKの特別番組「日本の、これから」で、今の日本のかかえる現状や問題を、映像、データ、寸劇などで伝え、谷垣財務大臣、学識経験者、会場の視聴者参加で激論を闘わすというのを真剣に見入った。国の膨大な赤字、借金770兆円が国民に背負わされる。国民は税負担にどこまで耐えられるか。
消費税、所得税の増税、定率減税廃止、年金問題、そのどれをとっても少子高齢化問題がクローズアップされる。税金の無駄遣いを棚に上げて、バブルがはじけたことや、少子高齢化が元凶のように言われると、高齢者は立つ瀬がない。高齢者だって,未来を担う子供たちにツケを残さないために、何とかしなければと真剣に考えているのである。応分の税負担も、生活の切りつめも、覚悟出来ている。私たちは、貧しい時代を通ってきたから辛抱は出来る。もう一つ言いたいのは、高齢者は、一人当たり○千万円のお金を持っていると専門家が当たり前のように言ったこと。本当だろうか。一部そういう人はいるだろうが、非現実的な数字だ。せめて老齢でも邪魔にされず迷惑がられず平穏に暮らしたい。 
  
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by ttfuji | 2006-01-23 14:41 | 時事・社会・地域・自治会 | Comments(0)
 1月15日(日)
 市の広報を見て「大人のためのブログ作成講座」に申し込む。日程は2月21日から24日までの4日間。パソコンをどの程度しているかと聞かれ、ブログをやっているが、文章だけで面白みがないし、もっと写真を取り入れたり楽しいページにしたいからと伝える。受け付けられる。 
 
 1月16日(月)
 今年初めての太極拳。新役員なので、会場の予約、会費の徴収、会員名簿、連絡網の配布、先生への謝礼などある。役割分担はあるが3人で協力してやっていこうと申し合わせる。今年から会費を2ヶ月分の徴収にしたので楽になった。全員出席。
 
 1月18日(水)
 妹の通院付き添いで柿生まで行く。今日は、内科のほかに眼科もあり、時間がかかる。薬局、メガネ店のあと、よみうりランドの自宅までタクシーで帰る。12月に白内障の手術をしてからずいぶん元気になった。今まで、左手足の麻痺や痛み、視力の減退で、泣き言が多かったが、新聞やテレビが見られるようになって表情もとても明るくなった。年賀状にこんな俳句を書いて寄越した。 
    足癒ゆることを願ひて初詣
 たまに付き添うだけだがうれしい。以前のように一緒に出かけられる日を私も願う。おしゃべりをし、夕食を作り一緒に頂いてから家に帰る。

  1月19日(木)
 ブログ講座のことで電話あり。申し込みが多く、4日間を2日間にし2回に分けて実施するとのこと。前半の21・22日に申し込む。ブログを書きたい人が多いのがわかる。

  1月20日(金)
 フラダンスの練習。適度の運動になる。

  1月21日(土)
 伊勢原にしては何年ぶりかの雪。昨夜から予報されていたが、朝、一面の銀世界を見て改めて別世界に驚く。郵便受けの新聞を取るにも滑らないようにと細心の注意を払う。雪国の人にとっては、甚大な被害をもたらしている大雪を改めて大変だなと感じ入る。それにしても、地球の北半球は寒気に被われ南半球のオーストラリアなどは47度の猛暑という。これも異常気象の一つだろうか。
 
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by ttfuji | 2006-01-21 12:32 | パソコン・スマホ | Comments(2)
 群馬交響楽団は親しみのある楽団である。中学生の頃、移動音楽教室というのが年に何回か回ってきて、3教室をつなげた教室でクラシック音楽を聴かせてくれた。(講堂も体育館もなかった)。交響曲の1小節や、小曲、ヨハンシュトラウスなど楽しいワルツやシューベルトの歌曲などだったような気がする。多くのの作曲家のものも演奏されたはずだが記憶に残っているのはわずかだ。クラシックの素晴らしさを知ったのも、この頃ではないかと思う。
 同級生にバイオリンを習っている男子がいて、この楽団で演奏させてもらっていた。その後、群響に入ったと聞いたが、何十年か後に同窓会で再会したときは、楽団から離れ別の楽器の音楽教室をやっているとのことだった。楽器が何だったかは思い出せない。
 群響がモデルの「ここに泉あり」という映画の撮影があったとき、高崎駅前で、小林桂樹さんを撮影隊のバスの中でみた。勿論映画も見たが、群響が有名になって良かったという印象しかなかった。

 昨年、プロジェクトXで「群馬交響楽団」がとりあげれれていた。楽団を立ち上げられた時の、代表の丸山さんの情熱とそれに続く苦難の日々が紹介され、今日までの波瀾万丈が伝わってきた。移動音楽教室は子供に音楽を聴かせたい、親しませたい、ということだけでなく楽団員の飢えを凌ぐ究極の選択だったと聞く。10円を子供の親に負担してもらったとテレビでは紹介されたが金額の記憶はない。群響で第九を演奏したい。そのためには、2000人の合唱の参加者が必要、と市民合唱団や高校の合唱部まで動員したという。音楽に惹かれた子供の中にはその後、楽団に入った人や合唱団から楽団員と結婚した人もいる。
 NHKに次ぐ日本で2番目の交響楽団という。その後、私は高崎というふるさとを離れたが、苦学の短大時代以来、友人のWさんは合唱団に入り、市民合唱団として第九を歌ったり、文化使節として外国へ公演に行ったり団長として大活躍である。昨年は、世界一のオーケストラの主席クラリネット奏者「カールライスター」という人を招き「モーツアルトのクラリネット協奏曲」が演奏され世界的レベルと絶賛された、と聞いた。ふるさとの交響楽団を陰ながら応援している。
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by ttfuji | 2006-01-17 12:18 | 映画・演劇・音楽 | Comments(0)
 NHKの「プロジェクトX」は好きな番組だった。放送終了になってしまってとても残念だ。
 昨年放送された中で、印象の強いものが2つあった。一つは、富士山に気象用ポラボラアンテナを建設するというもの。
 私はそのヘリコプター会社に勤めていた。運航課だったので、運輸省や羽田の航空保安事務所に飛行の許可の申請書を出す仕事をしていた。
 運航課にはパイロットがいつも顔を出していた。飛行機を固定翼、ヘリコプターを回転翼といい彼らはどちらも操縦できるベテランだった。軍隊で飛行兵だったのかも知れない。皆自信家に思えた。
 ヘリコプターは、写真撮影、ニュース取材、人命救助、物資輸送、薬剤散布、地図作製、遊覧飛行などがあった。
 そのころ、計画はずっと前からだと思うが、富士山にパラボラアンテナを建てるという話が広がった。社内あげてのビッグニュースだった。機長は大ベテランの神田さんという人だった。
 富士山頂の気象は激しい。強風が吹き荒れる。下から巻き上がる風もある。球形のアンテナの上半分を下にかぶせる。命がけの仕事だったということは「プロジェクトX」で知った。
 勿論、中心になった人たちはほかの会社でも大勢いた。台風の進路、大きさなど予測し少しでも被害を少なくするためにレーダーは絶対必要なものだった。
 神田機長は完成したとき、上司に詳しい状況など話していたが、私たちOLが賞讃すると、ううん、たいしたことないのよ、と女言葉で冗談を言っていた。その神田さんが番組に出ていられた。懐かしかった。40数年たっているのに、若々しく堂々とした風格は変わっていなかった。そのレーダーも気象衛星が打ち上げられ役割を終えた。

 
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by ttfuji | 2006-01-16 19:02 | 友・師・人 | Comments(0)

ボツ原稿紹介

 私は、新聞にたまに投稿する。「声」「ひととき」「いわせてもらお」など硬いものからユーモアのある軽いものまでいろいろだが、100%ボツである。昔は3回ほど採用され新聞に載った。投稿する段階でこれはイマイチだから駄目だろう、字数がちょっとオーバーかな、説得力が足りない、と自分でもボツは覚悟でそれでも記録しておきたいと投稿する。「90円スニーカー売り出しに思う」「自衛隊派遣反対の理由」「世紀末とミレニアム]etc。最新作は「いわせたもらお」に次の小文を昨年12月に投稿した。

     鎌足さんごめんなさい
 昔,OL時代職場に鎌足といわれた人がいた。かれは大食いだと聞いた。
 ヘエ 藤原鎌足は大食漢だったんだ、とそれ以来思っていた。
 11月に奈良に旅行し「大織冠 藤原鎌足 生誕地」の碑を見て遠い記憶 の糸が繋がった。

  こちらはだいぶ以前に投稿したもの
      共食い
 少し残ったご飯や釜についたご飯を洗って庭に撒くと雀が来て食べてくれる。 孫が保育園の頃、お弁当持参の日があった。チキンライスの残りを庭にまくと、孫は「仲間だと思って食べないんじゃないの」と言った。 (その頃は孫の食事係) 
     短文 
中学校の時、試験問題に<さだめし> <黙殺して>をつかい短文を作れというのがあった。回答の中に「早く定めしを食べたい」 「虫を黙殺して殺した}というのがあったと、先生は紹介した。 (元中学生)
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by ttfuji | 2006-01-14 21:27 | 趣味・雑学 | Comments(1)

「馬」の詩

 書をやっているTさんが、茶木滋という人が作った詩を書いて額装し展覧会に出品した。書も見事だったが、私はその詩に感動した。自室に飾ってある額を法要に来たお坊さんが感動し、書いたものがあったら1枚欲しいと所望され差し上げたという。何枚も書いて出品作を選ぶので、まだ何枚かあるという。謙遜されたが私も是非欲しいとお願いした。額屋さんはなじみのところがあるというのでまず裏打ちして頂いた。今年になってその店にTさんと額装を頼みに行った。待っている間にとても気に入った額に仕上げてくれた。
(茶木滋さんはメダカの学校やいくつかの童謡歌詞を作っていられます)
    
    馬    茶木滋  (題字の馬は象形文字です)
    
馬はだまって
    戦争に行った
馬はだまって
    大砲ひいた
馬は倒れた
    お国のために
それでも立とうと
    足うごかした
兵隊さんが 
    すぐ駆けよった
それでも馬は
    もう動かない
馬は夢みた
    田舎のことを
田んぼたがやす
    夢みて死んだ
               彩苑かく


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by ttfuji | 2006-01-13 12:05 | 友・師・人 | Comments(1)