私の生活や自分史・読書、旅などの記録


by ttfuji(トコ)

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今日で夏休みもおしまい

8月31日(木)
 天気は回復し、晴れ渡ったが、カラッとして秋の気配だ。日中は気温も上がったが、凌ぎやすい日になった。今日は、銀行、買い物に行く。もう一つ、水着が欲しいと探すが、サイズと色柄の気に入ったものが見あたらない。皆さん、町田や横浜、新宿などに行くらしい。次の機会を待とう。

 いよいよ、夏休み最後の日。小・中学生は宿題が終わっただろうか。
 はるか昔の中学校時代のことを思い出す。宿題は、終盤追い込んで、大体終わっているものの、自由課題が完全とは言えない。読書感想文、絵、観察日記、家庭科や工作品。作文。といろいろあったような気がする。2~3日前になると、友人が何人かやってきて宿題一緒にやろう、と言い出す。数学の応用問題や虫食算などは、得意なのでよく教えた。あとは答え合わせ。結構点取り虫が多かった。私はできないところはできないなりに、提出するつもりだった。見かけはどうか知らないが、私は点取り虫ではない。目をつむって必死に暗記し、テストだけはよくても、理解してなくて実になってない人が多い。私は理解して憶える方だ。そうしないとすぐ忘れてしまい、身に付かないと思う。友達の悪口を言うつもりはないが、優等生で、進学校に進みながら、同窓会などで話題になると、習ったことを憶えていない人が多い。勿論、私が憶えてないことをその人は憶えているかも知れないが。
(今日の日記は変な日記!)
午前中、読書に専念できた。つまり、パソコンから30分で離れられたから。
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by ttfuji | 2006-08-31 17:43 | つれづれ日記 | Comments(4)

記憶と忘却

 物忘れが日常的になると、そのショックは大きい。心穏やかでいられなくなる。不安や諦めとともに、生活に支障を来さないよう対策を講じなくてはならなくなる。予定は、手帳とカレンダーに書き込み、毎日、朝晩確認をするよう気をつける。買い物など、どうしても必要なものはボードに書いておき、メモして出かけるようにしている。数点だから、大丈夫、と思っていても一番肝心なものを忘れたりする。2・3年前まではそれはなかったと思う。絶対に忘れてはならないことは、メモをテレビに貼り付けたことがある。ンチャさんは、パソコンにセロテープで貼り付けたらいいですよ、と教えて下さった。誰々に何日何時に電話する、返事をいつまでにする、会場の申し込みを何日、何時にする、等々。
 本を読んでいて、途中で、急に別な本を読まなくてはならなくなることがある。前の本の、筋が思い出せず初めから読み返し、暫くすると呼び水のように思い出せることがある。新聞記事に、これは切り抜いておこう、と思っても印しでもつけておかないと、その記事自体を忘れている。かなり来ているんじゃないですか、と言われそうだ。同年代の人に聞くと、同じようなことをいわれる。
 ふたみさんの高齢者情報によると、痴呆は防げるという。脳は鍛えなければますます衰える。鍛えれば脳細胞は活発に動くようになるという。一生懸命思い出す努力も必要のようだ。
 よく、子どもの頃のことは、多少呆けても忘れないという。それは確かだ。昔読んだ小説の登場人物の名前を憶えているのが自慢だったが、最近は自信がなくなった。確かに、近過去のことは、忘れても、遠過去は忘れないのだが。気にしなくていいのよ。忘れなければ次が入っていかないから、ということもいわれる。
 それにしても、いくつになっても、記憶力のいい人がいる。政治家や財界人に多いように思う。年月や、出来事、人の名前、数字などをスラスラという。驚異だ。そういう人は一般人にも勿論いらっしゃる。もともとの頭の良さと訓練の賜だろうか。
 日記や読書録など書く。備忘録だが、これも記憶を呼び戻す手だてにもなる。脳を鍛えよう。

きのうに続き今日もスイミングに行ってきた。きのう、かなり疲れたので今日は行くつもりはなかった。昼近くになると、急に行きたくなった。昨夜から今日にかけてとても蒸し、気分が悪い。泳ぎとウオークで、気分は爽快になり、帰って、急にこの記事が頭に浮かび、一気に書き上げた。
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by ttfuji | 2006-08-30 14:30 | 家族・身内・私 | Comments(4)
 8月29日(火)
4日ぶりにスイミングに行く。ウオークとクロール。そのせいか疲れを感じる。
隣のコースに行ったり来たり。クロールは2往復で息が切れる。ウオークで3往復歩くと疲れがとれる。今日は、少し息継ぎが上手になったと思う。途中何度も立ってしまったのが、1・2回で50メートル行けるようになった。帰ってブログ。読書のつもりだったが、ついついパソコンに吸い寄せられる。
 孫の夕食を頼まれている。いつもよりボリュームのある献立。数も1品は多い。これが毎日なら完全に成人病になるだろう。
ちなみに、今日の献立は、八宝菜、生野菜(レタス・キュウリ・タマネギスライス・トマト)の上にローストビーフ(既製品)数枚、とろろ山かけ、みそ汁、ご飯。シソ味噌や昆布佃煮も。
 夕食後、夫が孫の散髪。3歳の時からで、腕は玄人なみ?。かっては、部品がはずれて、スキンヘッドにしたこともある。それでも床屋さんには行きたがらない。電動バリカンも3回買い換えた。
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by ttfuji | 2006-08-29 23:01 | 食・献立・料理 | Comments(4)

九条の会 いせはら

 午前中、太極拳。
 午後から、「九条の会」の集会があった。今日は、「戦争体験を語る、聞く」がテーマ。戦争を体験してない人から、体験者のナマの話を聞きたいという要望が、前回出ていた。新聞記事や本を通して、体験談はよく聞いている。しかし、直接本人から聞く話は、また違った意味で心をえぐる。
 Uさんは、S20年4月15日、川崎でB29の爆撃を受け、父、姉、弟を、失う。母は妹をおんぶし、爆弾の破片が腰と赤ちゃんの間を貫通し、妹は足の先を失い、母はおしりをえぐられたという。おんぶしていなかったら命はなかっただろう、妹の足が母を救ったという。姉は、タマが貫通し、その時着ていた衣類がタンポンの役割をして、出血を防ぎ命が助かった。Uさん自身、破片が手の甲に入ったが、腫れのひどさに麻酔なしの手術を2度にわたってされ、今でも傷が痛むという。父たちは殆ど即死に近かったがうめき声はあったという。母は、防空壕にUさん達を入れるが、火の手が迫って蒸し焼きになることを恐れ、防空壕に井戸の水を何度もかけたという。3人の遺体に、せめて布団を掛けたが、いつの間にか、盗まれていたという。救護所で傷の手当てを受けるが、赤チンと包帯程度。遺体は、廃材を集めて焼き、遺骨をお寺に納める。その後の母の苦労は筆舌に尽くしがたいという。
 Eさんは、小学校5年で終戦、茨城の水戸近在で、戦災には遭わなかったが、父が招集され、母は乳飲み子の妹を抱えていたが栄養失調で母乳が出ず、長女のEさんが、母乳代わりの重湯を作るのだが、飲んでくれず泣く妹に苦労したという。父は、終戦後まもなく帰還したが、中国戦線より帰り、人間性が変わってしまったという。辛い体験をしたのだろうと、今になって理解できるという。
 Hさんは、昭和3年生まれ。
まず、箱根のニュー富士屋ホテルで見た、米兵の話をする。ベトナム戦線から、一時休暇で日本を訪れたが、ベトナム復帰の日が近づいても、回転ドアのところをぐるぐる回って帰るのを拒んだ米兵がいたという。戦争は、勝ち負けに関係なく、人の心に深い傷を残す。イラク戦争から帰還した元アメリカ兵の中にも、心の病んでいる人が多いという。
 Hさんの実家は材木商だったが、戦争末期に近づくと、統制経済で商売ができなくなった。家族が食べていくために、満州に渡る。18才だったHさんは、満拓(会社)に就職。事務的な仕事だったが、匪賊が出ると、日本軍が駐留したりする。将校の接待なども、会社から命じられることもあり、一緒に派遣された先輩の機転で逃げ帰ったこともあるという。そこで終戦を迎え、ソ連参戦の報が入り、上司から、大和撫子の名に恥じないように、いざというときにはこれで身を守れ、とごく少量の白い透明な粉を渡されたという。金属の容器に入れてはいけないと。ずっと後になってそれが青酸カリだったとわかり、火に投げ入れて燃やしたという。
 私も、「私の戦争体験」(ブログ2月)に書いたようなことを話す。

 戦争がいかに悲惨はものか、侵略戦争で従軍、アジアでひどいことをした人だって、平和な時は、みんないい人だったと思う。戦争が人を悪魔にする。戦争中は、みな愛国(軍国)少年、少女であった。国のために戦うと誓った。そのように洗脳された。教育の怖さでもある。若い人たちは、真剣にうなずいて聞いていた。

 いま、日本の向かう方向が戦前のそれのように、怪しくなっている。「九条の会」は、憲法9条を守ろう、というただそれだけの会である。しかし、「九条の会」というだけで、敬遠または警戒される空気があるという。一切どの政党にも関係ない、戦争参加を避けることだけを目的とした会なのである。
これを、どう理解してもらうか、どう運動の輪を広げていくかが、後半の焦点となった。世界に一つしかない平和憲法は、日本の誇りなのである。
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by ttfuji | 2006-08-28 21:12 | 時事・社会・地域・自治会 | Comments(4)

繕い物

娘が、孫の野球ユニフォームのズボン2本をもってきて、膝当てを頼むという。穴があいたり、すり切れたりでかなりひどい。中学校の部活で野球部なので、並の運動量ではない。キャッチャーで膝をつく、滑り込む、で、どろんこになり洗濯しても泥汚れは落ちない。継ぎ当ては右が特にひどく、左は少し擦れている。アイロンで付くあて布を1枚だけ持ってきたが、あとはこちらで探すことになる。急がないと言うが、あと1枚しかなく、毎日洗濯だからグズグズしてはいられない。布もしっかりしたものがあった。夕方と夕食後、両膝2着分4カ所の継ぎ当てができあがった。よそのお宅では、こんなに繕って着せているのかしら。新しいのを次々買っていたらきりがない。
 孫が小学校の時も、普段着をすぐ膝に穴を開けるので、ばあちゃんの私は、せっせと繕った。刺し子のように丁寧に刺したり、大きな布をすっぽりかぶせたり、できるだけ体裁良く直したつもりだ。周りの子を見ても、繕いしてまで着ている子はあまり見かけない。本人は至って頓着ないので、平気で着せていた。中学生になってさすがに、かわいそうかなと思い、繕い物はしなくなった。ちょっとさびしい気もした。小学校の時も少年野球をしていたので、ユニフォームの繕いはあったが、今日、久しぶりの繕いに張り切った。
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by ttfuji | 2006-08-27 21:55 | 家族・身内・私 | Comments(2)
 8月26日(土)
今日は本の返却日。いつもはTさんと行くが、Tさんの絵がミニギャラリーに展示してあり、Tさんは近所の絵の友達と車でいかれるという。私の友人のI さんが、絵も見たいし、Tさんにもお会いしたいという。私を通して、画集を借りたり、話を聞いたりで関心がおありだ。Iさんは、きのう絵を見ているが迎えに行き一緒に行くことになる。図書館の外でTさんに会う。ご挨拶する。画材になる、丸ナスやオクラを差し上げている。
まず本の返却。4冊中1冊継続。予約の本が届いていた。横山秀夫の「第三の時効」。Tさんが、同じ作家の「出口のない海」を返却したので、リクエストのないことを確かめてから借りる。これは,VINさんやすみれさんが話題にしていた本。私も手帳に書いていた。思ったより早く借りられラッキー。継続したのは、吉村昭の「アメリカ彦蔵」。江戸時代末期、13才の彦蔵は、回船に乗り難破する。何日も漂流のうち、沈みゆく船から全員がアメリカ船に救助される。アメリカの教育を受け、アメリカの生活にとけ込みアメリカ国籍も取る。信用も得、やがて通訳として日本の地を踏む。日本に帰ってから、日本で初めての新聞を発行する。このことは、NHK「その時歴史は動いた」で取り上げていた。この小説がきっかけになったかどうかはわからない。江戸期、外国に漂着した日本人が、帰国できるのはまれだった。鎖国で、外国の思想を持ち込まれることを恐れたのだ。三浦綾子の「海嶺」もそうだった。彦蔵は、時期が少し遅かったのが幸運だったかも知れない。まだ読了してない。返却したのは、津村節子の「女の居場所」、夫、吉村昭氏のことも多少触れていた。佐藤愛子の「不運は面白い幸福は退屈だ」、田辺聖子の「姥ざかり花の旅笠 東路日記」は、実際の旅の紀行文や俳句が残っていて、女だけの気ままの旅を楽しんで居る様子が伝わってくる。荷物持ちの使用人の男性は同行しているが。俳優、高倉健さんの5代前の祖母に当たるそうだ。北九州からお伊勢参り、善光寺参りにまで行っている。旅で出会った逸話や時代解説の話も面白い。
 とりとめのない、本の話になってしまった。

 本の返却、借り出しのあと、ミニギャラリーで、絵の鑑賞。「彩(あや)の会」の人たちが一人2点ずつ出品。Tさんは静物画2点「山うど」と「赤だいこん」
素朴で素晴らしい。Tさんと Iさんは、いろいろ話しているうちに、童謡の会で一緒だったことが、わかる。
帰ってから、Iさんからいただいたイチジクの甘露煮を完成させる。冷凍にして少しずついただくことにしよう。血糖値が上がらないように。
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by ttfuji | 2006-08-26 19:44 | 読書・読書会・図書館 | Comments(5)

楽しいスイミング

きのうに続き、今日もスイミングへ行ってきた。
土・日・月と行けないので、2日続きで泳いできた。アクアウオークが主だが、時々クロールや背泳ぎの真似をするのが楽しくてたまらない。息継ぎが下手なので泳げるわけではないが、10メートルくらいは足をつけずに進めるようになった。50メートルを2往復すると、くたくたになる。そうなるとまた、ウオークのコースに戻って歩く。1時間のうち20分くらいは泳いでいるかも知れない。運動量はウオークだけより大分多いと思う。何より水の中は気持ちがいい。一人で行って一人で泳いでくる。きっかけを与えてくれたYさんには本当に感謝している。一緒になればコーチをしてもらえるが、一人でも適当に泳いでいる。
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by ttfuji | 2006-08-25 18:34 | 太極拳・スイミング・体操 | Comments(5)

代車は乗らなかった

昨日、スイミングに行こうとしていたとき、車の修理ができました、という電話があった。夕方、伺うと返事をし、娘にその旨電話し、車は夕方取りに行くから使わないようにと伝える。3時半から歯医者の予約があるという。時間的に、スイミングが終わってから、すぐに引き取りに行くと何とか間に合いそうなので、2時に帰宅、すぐに取りに行った。結果的に、一度も代車は使わなかった。外出時、雨が降らなかったので、夫もバイクで間に合った。融通して頂いた修理工場には、悪かったかも知れないが、慣れない車だし、大きいので、敬遠ということもあったようだ。油量計のところに、使った分だけ給油して下さいの表示があり、往復だけだというと、無料にしてくれた。
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by ttfuji | 2006-08-25 11:11 | つれづれ日記 | Comments(2)
 昨日は暦の上では処暑。何日か前に比べると心なしか気温が下がったような感じがする。 妹の通院付き添いの日だったので、うっすら雲の浮いた空に喜んだ。それでも病院に着くまでに、顔に洗ったような汗をかく。妹は、こんどは背中の痛みを訴えていた。来月そのためのMRAを受けるという。  妹の夫は、自分では、滅多のことでは、医者にかからない。よほどの痛みでない限り一人で耐えている。だから、次々に不調のところを訴える妻を、半分呆れ半分心配して私に愚痴をこぼす。Jさんも、頼り切られているのに時には疲れるのだろう。 もっと歩かなければ駄目だとか、自立も促すが、背中が痛くて歩けないとか足が痛いとか、なかなか思うようにはいかない。それでも、食事の用意や洗濯物の取り入れなどはできる。
 私が病院に着くのは、内科診療と整形外科が終わる前。そのあと会計と処方箋をいただくのを待つ。Jさんには、少しでも早く開放してあげたいので、あとは私がやりますからと帰ることを促す。決して自宅へは帰らない。歩くことと、囲碁が趣味で、結婚以来40年以上家にいたことはないという。土・日で山登りもするし、近隣の散策もする。台風や雪の日でも家にいないという。囲碁と、喫茶店で読書などで時間を過ごす。小説なども書くらしい。妹も俳句や短歌を書くので、似合いの夫婦だったのだが。

 いつものように、煮物やサラダ、軽い夕食を用意し、Jさんの買ってきた、お刺身盛り合わせや牡蠣フライなどでビールをいただく。7時前には、辞去する。
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by ttfuji | 2006-08-24 10:12 | 家族・身内・私 | Comments(1)

反省しました

きのう、正確にはおとといからだが、ちょっと考え込む出来事があった。
ある学習会の、講義内容を、記録のつもりでブログに書き、公開した。一応自分の理解の範囲で、内容と感想を書き、勝手に写真まで載せた。事後承諾をいただくつもりで、コピーを先生にお渡しした。後日、会の、代表の方から電話があり、先生が当惑されているという。一応、講義に当たっては、十分な準備もし原稿も書く。内容を豊かにするために枝葉の話もする。(私は余談と書いた)。それを誰が読むかわからないブログに勝手に書く、しかも、間違いもあるし、言わないことまで書いている。これは先生としてはとても迷惑のことである。その辺のことを理解して欲しい、といわれた。
 言われてみれば、全くその通りであり、軽率のそしりは免れない。言い訳はできても反論はできない。書き取りができないところは、思い出して、多分こういうことだろうと、私流に解釈して載せたり、インターネットで、調べたことを書き足したりした。そして、間違いがあることも、指摘頂ければ訂正します、と断って済むものと思っていた。しかし、根本的なところで、私のしたことは、間違っていたと気づかされた。専門の学者の研究を横から抜粋して、しかも不完全なものを勝手に利用して良いものではないと心から反省した。

 お電話を下さった会長さんには、すぐ、ブログは公開をやめますといい、先生にお詫びの電話をする旨伝えた。当日は、連絡が付かず、昨日、先生に電話。失礼と軽率を心からお詫びし、先生も穏やかに受け入れて下さった。
勿論、今までの講師の違う、3回の講義録は即刻非公開にした。

 なお、この会以外に、研究されたものを、紹介したブログが幾つかあるが、こちらは、すべて了解して頂いており、問題はないが、今後、著作権にかかわるかも知れないことは、より慎重にしなければと心した次第です。
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by ttfuji | 2006-08-23 22:30 | 郷土史・講演会・学習 | Comments(3)