私の生活や自分史・読書、旅などの記録


by ttfuji(トコ)

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郷土史準備会 ほか

 今日は11月最終日だ。改めて、時間の経過の早さに呆然とする。
昨日は小春日和。一転冬空に。気温の差は、10度近くあるようだ。どんよりとした天空、時々雨がぱらつく。
 郷土史研究会の役員会は、10時からだったが、先日、忘れて欠席したため、気が逸り大分前に着いた。まだ誰も見えていない。もう一人の女性役員のNさんは、昨日からスペイン旅行。先日は打合会。今日はレジメ原稿のコピーと折りたたみ、ホチキス止めがある。50人分、結構な量だが6人でやったから瞬く間に終わる。資料は、当日受付でお渡しする。今日欲しい人は持ち帰って良いといわれ、2人が先に受けとった。私も頂く。
 11時過ぎには解散。買い物して帰る。

 夫は、出かけるときにはまだ起きていなかったが、帰ると起きていた。先ほど、サンドイッチを作って食べたようだ。サンドイッチといっても、食パンにハムエッグとレタス、マヨネーズで挟んだもの。食パンの耳はスパッと大量に切り落とす。私には抵抗のある切り方。ゆで麺とかき揚げを買ってきたので、私の昼食のあと、聞いてみると、半分だけでいいという。半量の天ぷらうどんを夫の暖かい部屋に運ぶ。
 
 昨夜は、タカベと湯豆腐、牛肉しぐれ煮、みそ汁の予定と書いたが、作る直前、聞いてみると、おかゆと塩シャケがいいという。牛肉はいらないという。牛肉は、大根と酒、ショウガでじっくり甘辛く炊き込んだ。しかしこれには手つかず。少し多めに作ったおかゆはきれいに食べてくれた。勝手に、気を利かせたつもりでも、欲しくなければ箸も付けない。キャベツ、キュウリ、ちくわの千切り、マヨネーズ和えはきれいに召し上がる。
 
 昼過ぎ、日が差してきた。洗濯物を、私の部屋からベランダに出す。
 明日から一番、気の重い12月。これもあっという間に過ぎるだろう。
 夫は、防寒着を着て、歩いてくる、と出かけた。
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by ttfuji | 2006-11-30 16:18 | 郷土史・講演会・学習 | Comments(10)

風邪は治った?

 夫は、元気になった。熱が下がると、途端に食欲も出てくる。朝、風呂に入りたいと言う。私は必死に宥めた。今日一日は我慢した方がいい、風邪は治りがけが肝心だから、と。
 夜、ねる前に入ったら、湯冷めしないし。 夫は三日間入浴してないので、気持ちが悪いという。わかるが、どうなのか。サウナならいいだろう、充分暖まるし、そのあとぬるめの風呂にも入れる。(わが家にサウナの設備はない、平塚まで行かなければならない) 
 夫が私の意見を聞くのは珍しい。そのあと余程の用心が必要ですよ。病人を強迫するものじゃない、という。ぶり返したからと言って、私は何も言いませんよ。今まで同様。
 今日は、気温が上がる。明日からまた寒くなる、と天気予報では言っている。それにしても、風邪と入浴の関係はどうなのか。熱がなければいいとも言う。今は、薬で治った気でいるのかもしれないとも思う。
 夫が、やはりふらつく、と言って階段を下りてきた。たいしたものを食べていないし、三日間、寝ていたのだから当然と思う。サウナへ行って体力消耗したらどうなるか、と心の中でいう。夜中に、シチューとパンを食べている。朝は、希望で月見うどん。ほうれん草の茹でたのをタップリのせる。
 昼は何を食べたいか、お伺いを立てると、今聞かれてもわからないという。ご飯なら魚を焼くし、みそ汁も作る。納豆は常備、大根葉の佃煮、昆布の佃煮もある。うーん、と唸るのであまり所望ではないと判断。プレッシャーをかけてもいけないと思い、ホットケーキに紅茶、野菜スープは?、と聞くとウンそうだね、とすっきりした返事。昼からスイミングに行くつもりなので、早めに用意。小さめ4枚焼き、バターとメープルシロップ、紅茶。スープはいらない。私もこれで昼食。久しぶりでおいしかった。いつもはこんなにやさしくない。ご随意にどうぞ。である。相手もマイペースが好きなのである。
 スイミングに行った。普段と同じペースなのに、疲れた。気疲れ?。
 きのう、スーパーでタカベを売っていた。塩焼きにすると上品な味である。煮魚にもなる。料亭でも出る魚といわれている。それと、湯豆腐できまり。牛丼にするつもりで解凍した牛肉がある。しぐれ煮を作っておけば、物足りない時は間に合う。 私も、夫の食べなかったもので済ませているので、ダイエットになっていると思う。
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by ttfuji | 2006-11-29 14:40 | 食・献立・料理 | Comments(10)

夫の付き添い

3日ほど前から、夫が風邪気味である。一応家にある風邪薬をのんだが、一昨日は夕食に作ったものは殆ど手つかず。聞いても、食欲がないという。風邪の時はよくあること。そのうちお腹が空いたら食べるだろうと、それ程心配もしなかった。その夜戻したのを、昨日知った。おかゆと、煮魚、野菜スープを作ったが、あとで適当に食べるというので、きのうは太極拳へ行った。寒くてしょうがないと、夫の部屋は、24,5度に設定されむっとするほど暖かい。練習から帰ると、車はない。てっきり病院へ行ったと思っていたら、30分ほどで帰ってきた。病院ではなかった。用意したものは手つかずだった。コンビニで何か(サンドイッチか)買ってきたのかもしれない。聞かれるのを嫌がるから黙っていた。相変わらず寒い、食欲がないというので、一日ぐらい食べなくとも死にはしないわ、温かくして休んでいたら、とひどいことを言った。おかゆや用意したものも食べず病院へも行かない夫に少々腹が立っていた。昨夜は、野菜主体のシチューをつくった。タマネギ・ニンジン・ジャガイモ・セロリ少々、皆サイの目切り、ロースハムもみじん切りにして5枚ほど入れた。バターでタマネギとセロリ、ハムをよく炒め、小麦粉を入れていためる。牛乳500ccでのばしていき、別に茹でておいた人参、ジャガイモ、ブロッコリー煮汁毎、入れ煮込む。塩こしょう、ブイヨンで味と整える。夫は、これを主食代わりにパン1枚とともに食べた。夫の所望で作ったおかゆは相変わらずそのまま、火だけ通すが、私が処分することになりそうだ。
今朝、いかがですかと声をかけると、肩が痛い、食欲がない、という。「病院へ行った方がいいわよ、一緒に行きますから」。 「今日は予約日でないから、担当の先生はいない」。 「先生が違っても病気なのだから見てくれますよ。運転していきますから」、と支度をさせでかけた。車の乗り降りも大儀そう。いちいちうなり声をあげる。
受付で、体温を測ると、39度3分ある。寒気がするわけである。私も驚く。
診察のあと点滴が始まった。約2時間かかるという。一度戻られますか、と看護師さんに言われる。会計、薬局を済ませ、ガソリンスタンドに行って、戻るがまだ、大分かかりそう。勿論、本は持ってきているからいくらでも待つのは平気。すべて終わって12時半頃帰宅する。
今日はスイミングを予定していたが、明日にのばす。夫は、インフルエンザではなく、今はやりの風邪だったようだ。院長先生も同じ症状の風邪と看護師さんが言っていたという。
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by ttfuji | 2006-11-28 16:36 | 食・献立・料理 | Comments(7)
私のパソコンには、何枚の写真が保存されているだろうか。確か、マイドキュメントやマイピクチャー、にいくつものファイルがあり、旅行先別のファイルや、地名ファイル、行事ファイル、花博などのファイル、保存した日付のファイルが増え、探すのがむずかしくなってきた。縮小してまとめた、ブログポートなどもある。だんだん重くなったのか、パソコンの動きが遅くなっているように思う。そろそろゴミ箱に整理しなければと思うのだが・・。

今のブログのトップの写真は、2002年11月5日~11月7日に行った安芸の宮島のもみじである。
このときの旅行では、福山、瀬戸内、尾道、竹原、広島と巡った。
印象深い写真を掲載する。

対潮楼は、瀬戸内の眺望が見事な楼閣から、島と太陽と月の位置が暦の役割をする。和尚が声を張り上げて講談調に解説なさる。
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尾道では西国寺、浄土寺を参詣した。
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竹原は、頼山陽のふるさと。ニッカウヰスキーの創設者、竹鶴邸ほか酒造業が多い。落ち着いた町並みは安芸の小京都といわれる。
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広島では、三滝寺、広島平和公園、広島平和記念資料館を見学する。
公園のベンチで雀と遊ぶ初老の男性が印象に残る。
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最終日は、日本三景の一つ、宮島厳島神社である。台風に遭う2年前だったと思う。波静かで朱色の鳥居も回廊も海面に美しく映えていた。もみじ公園の紅葉も鮮やかだった。
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by ttfuji | 2006-11-27 20:44 | | Comments(6)
 地球の温暖化の原因と見られる今日のニュースで、南氷洋の氷山が崩れる所をテレビで見た。数日前には、暖かい日が続き、年末出荷予定の大根が育ちすぎたが出荷できない。値崩れになるので、トラクターで踏みつぶす所を見た。大根の無念と生産者の悲鳴を聞いた気がした。何百㌧という量だ。かってキャベツもつぶされた。牛乳も流された。
 食料輸入大国でこんなことがおこなわれていいのだろうか。北国でそうするように、地中保存はできないのだろうか。保存用に加工できないか、干してたくあん用に、刻んで切り干し大根用に、福神漬けや刻み漬けくらいしか思い浮かばない。せっせとふろふき大根やおでんを食べよう。品薄になったとき、もう大根はたくさん。食傷するくらい今のうちに食べておこう。温暖化に対抗できるほどのいい知恵は浮かばないが。
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by ttfuji | 2006-11-26 13:28 | 時事・社会・地域・自治会 | Comments(7)

つれづれ日記

 11月23日(木)  勤労感謝の日
 どんよりと今にも雨になりそうな寒い日。
VINさんが大江健三郎氏の「暴力に逆らって」をアップされたのが、呼び水となり、大江ファンのつもりの私としては、何か書かずにはいられなくなった。そこで、午前中は、家事を早めに終わらせて読書。午後から、パソコンに向かい大江さんの本のこと、テロのことを書く。
 
 娘の仕事の関係で、夕食を準備する。老夫婦のヘルシーメニューは鯖のみそ煮と鶏の水炊きを予定していたが、運動量の多い孫のため、ヒレカツとエビフライ、今日はポテトサラダでなくマカロニサラダに変更。そしてまたも大鍋いっぱいのけんちん汁。トリそぼろも並べる。孫のおかげで時々若者メニューが登場するのが、老いの身になってもうれしいし抵抗もない。量を加減すればいいだろう、と。
 今日は、勤労感謝の日で先生もお休みのためか部活はなく、電話すると孫は家にいた。いつもは7時半頃なのに、6時過ぎには見える。夕食後、娘が来るまで持参した宿題をやっていた。

 11月24日(金)
 晴。温かい日になった。昼からスイミングへ。だらけないで気を入れて続けることに。それにしても、なかなか息継ぎが会得できない。自己流に、クロール、背泳ぎ、平泳ぎ、ウォークを繰り返す。かなり疲れるから、運動量は少なくないと自己満足。体重、体型とも改善は見られないが、そう簡単には問屋がおろさないのだろう。せめて1年。もっと続けばいうことない。
 リクエストの本読了。明日は返却日。一安心で次の本に進む。
 
 妹より電話。パソコンが繋がり、わたしのブログが読めるようになった由。
 そこで、打ち間違いや変換ミスの指摘。
一茶の句で、「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」が「お馬の子そこのけ・・・」となっている。「通貨」が「通過」になっている。「名刺」が「名詞」になっている、と教えてくれた。わぁ本当?。ありがとうぉ。これからも校正係して、と頼む。
 
 夕方、郷土史の会長さんから電話。今日の役員会に欠席したことで指摘され、あっと驚く。すっかり忘れていた。カレンダーにも手帳にも記入し忘れた。申し訳ございません。ご迷惑ばかりで駄目ですね、と思わずつぶやく。
 友人のNさんは、前回の会の時断っていた。大丈夫、私が出るから、と安請け合いしていたのに、恥ずかしい。30日(木)10時より、準備会がある。レジメのコピーやホチキス止めなどがある。出られますかと聞かれる。今度こそ、間違いなく行きます。と答える。

 11月25日(土) 
 10時,Tさんと図書館へ。2冊返却。2冊継続。Tさんの、返却本の中から2冊借りる。また、頑張って読まなきゃ。図書館のミニギャラリーで、絵本の絵を見る。知っている人が出していられる。外に出ると落ち葉の最中。係の人が、箒で掃いている。真っ赤な桜の葉を何枚か拾う。本当に見事な赤。Tさんは、絵に描くと言うが、わたしは、自分の本に挟むぐらい。額に入れたもいい。一緒にスーパーに寄り、買い物して帰る。
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by ttfuji | 2006-11-25 15:49 | つれづれ日記 | Comments(6)
大江氏のことを、しつこいほど書いているが、最後に光さんのコンサートを聴きに行ったことを加えたい。昨年6月、朝日新聞のPR版で知り、友の会を通じて申し込んだ。これもその日の日記からの転載です。

2005年6月12日 PM2:00~
於 東京オペラシティ
大江健三郎氏の挨拶(ミニ講演) 「明るい方へ」
大江光 コンサート  「もう一度大江光」

 講演は、光さんに関してのものだった。光さんが作曲を7年間休んでいたこと。その間に妹さんが結婚し、毎日、電話で光さんと話し、FM番組のチェックなど、課題を持って会話し続けたこと、光さんは良き指導者を得て、音楽理論を学び、作曲をはじめたという。そして、精神的にもとても明るくなったという。新聞の「伝える言葉」の切り抜きを持っていったが講演の内容はそれに近いものだった。
続いて、光さんの作曲のコンサート、曲目10数曲が演奏された。
 曲は、それ程長くはないが、心が洗われるような、清らかな調べだった。
演奏曲の紹介と作曲の動機が話された。
 コンサートの最後に、光さんの挨拶があったが、その声は、静かな澄んだ声で感動的だった。短い言葉だったが、演奏者や協力者、観客への感謝の言葉のあと、パパ(papa)はこの頃元気がない、元気を出してください、と言って会場の人たちを笑わせた。本当に素晴らしいコンサートだった。
友人Mさんと一緒だった。
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by ttfuji | 2006-11-24 22:44 | 読書・読書会・図書館 | Comments(2)
3年前の日記より転載
 2003年2月2日(日) PM1時より
於 伊勢原文化会館
主催 「よい本を弘める会」
演題 「子供の本を大人が読む 大人の本を子供が読む」
 
 入り口で渡されたチラシの中に、小学校5年生のS・Oちゃんの「『自分の木の下で』を読んで」という感想文があった。開演までの時間にこれを読んですっかり感心してしまった。「よい本を広める会」のT氏の挨拶でこの感想文が、コマーシャルになって、大勢の子どもが読んだ、とあった。続いて I 町の教育長の挨拶にも感想文に触れ、Sちゃんの今後を見守りたい、という言葉があった。
 大江さんの話は、この感想文に対してちょっと変わっていた。小説家としての、文章教室のように、ここの部分はいらない。なぜか、なぜかというと、という語が前後に使われている。想像と空想を適切に使い分けている、等々。全体的にはきちんと読んでいる、と褒めているのだが。
 教育長の、Sちゃんの将来を見守りたい、との言葉に、勝手に人の人生を期待しないで下さい、といわれ、子どもが大勢の前で、名前を紹介されるのはどうか、と考えるので、「少女」といわせて頂く、といわれた。大江さんらしいと思った。
 私は四国の山あいで育ったので今でも東京がこわい、だから用事以外は滅多に外に出ない、成城に住んでいるのに成城より先、小田原方面には一度も向かったことはない人間です、と思っていたら、電車が伊勢原に近づくにしたがって、窓から見えてくる大山に何か記憶があるのを思い出したのです、と言って話してくれたのは、以下のような話だった。堅い話に入る前の導入部に地元の話を入れるなんて、さすが心得ていらっしゃると感心した。話というのは、大学時代、小田急線に乗って帰ろうとすると、大学の森○○先生に呼びかけられ、一緒に帰ることになった。先生は、紙袋2つを持ち、下北沢で、別の電車に乗り換え、電車は一番前がいいのだ、と言って引っ張って行かれた。椅子のない所にしゃがみ込み、ポケットからウイスキーを出して飲み始めた。君も飲め、といって飲ませ、紙袋から南京豆を出しては殻をむいて食べ、カラの紙袋を大江さんに持たせ、殻を渡された。時々ウイスキーは飲ませてくれたが、南京豆は一人で食べ終わり、君、ピーナッツは?と聞く。気がついたときには、はるかに乗り越していたが、終電で帰る電車もない。先生は、鶴巻温泉に泊まろうというので山の方に向かって歩き、旅館に泊まった。翌朝、先生は、君なんで此処にいるの?と聞かれたという。会場は笑いの渦に満ち、作文の話はこのあとだった。参考までに、森先生とは森鴎外の孫とのこと。
本格的講演に入ってからは、民俗学者の柳田国男の想像と空想についての話。根拠があって考えるのが想像で、根拠がなくて考えるのが空想だという。海上の道、椰子の実と藤村の話、言葉の繋がりについて、祖父母~父母~子~孫という上下の繋がり、同世代との横の繋がり、について、繋いでいくことの重要性。言葉の選択は、本を読む、会話をすることででき、小説は自分で使う言葉を正確に定義すること。富永太郎氏の『私は私自身を救助しよう』について。大江氏の近著『憂い顔の童子}のこと。いろいろ話されたが、メモがとれず。
 後半は、大江氏と高橋氏との対談と会場の人の質問や意見応答。

『寛容について』
○ 寛容は不寛容に対して寛容になるべきか
○ 寛容は自らを守るために不寛容に対して
   不寛容になるべきか
○ ファシストに対して寛容にはなれない
○ 不寛容な人間が寛容の言葉を使うことがある
○ 『自衛隊員の夫がなくなりクリスチャンの妻は
   夫を護国神社に祀ることを拒否した、裁判長は
   妻に寛容を求めた」 この場合の寛容は使い方   
   が違うであろう。
○ 私はあなたの意見に賛成できない。しかし、あなたが
  それを言う権利は命をかけて、守る。
○ 憎む思想についても自由は認めるべき、反対意見を
   抹殺すれば、やがてすべての反対意見を抹殺する
   ようになる。
Q 近代日本の言葉。外来からのものが多いと思いますが・・・
A 寛容、民主主義、自由、多くの外国の思想を日本語にし
  た言葉が、
    すっかり日本語としてなじんでいる。それでいいと思うが。
Q ハーバート・ノーマンについて
A 日本にいたが戦争でカナダに帰られた。戦後、再び日本に
   きて、多くの知識人、文化人を力づけた。
Q 日本は、近代すらも乗り越えていない、について。
A 近代とは何か、近世か、考え方か、個人?義理人情の
  根源的なもの、
  イラク攻撃についてドイツのシラクさん他、はっきり反対して
  いるのに小泉さんはなぜアメリカに賛成するのか。
  最後に述べられたこと
    子どもの持っている知恵。子どもには誇りがある。
    大人に求めること。子どもの求めているものを妨害するな。
会場の人からの質問は、長々とした自説とむずかしい質問だったが、理解不能なので略す。以上。

 この日、アメリカのスペースシャトルが帰還寸前消息不明。大気圏突入直後空中分解したというニュースが流れる。    日記より
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by ttfuji | 2006-11-24 21:16 | 読書・読書会・図書館 | Comments(0)
 大江氏がテロに遭われているのではないか、という疑問は数冊の本から読み取れる。フィクションであるから、否定もできる。しかしこれに類することは、事実としてあったと私は思うのである。以下、本からの抜粋を紹介する。
以前、私が記録したものである。

=大江健三郎氏とテロ= 
「憂い顔の童子」 p147
ところでかれの見舞われた生涯で四度目の、特殊なものだったのである。最初の痛風の発作こそ、確かに尿酸の蓄積から引き起こされた。それをからかうゴシップ記事がヒントになった模様だが、二度目からの激甚の痛みの原因は別のものだった。古義人が父親の超国家主義のイデオロギーと敗戦直後の悲惨な死を書いたことへの、結社の残党による報復および警告がそれだったのだ。彼らは東京の自宅に現れて、三人がかりで古義人の身体の自由を奪うと、剥き出した拇指の根方に小ぶりの砲弾を落下させた。古義人が警察沙汰にしなかったのは、襲撃者のお互いにかわす言葉が森の奥の方言で、またかれらの行動が二度とも父をあつかった中編小説の発表すぐのことで、意図はあきらかであったからだ。

ストックホルムでの授賞式の三日前、(講演の打ち合わせをおえて)グランドホテルのロビーからミュンヘンナンバーのフォルクスワーゲンの車とこちらを見ている日本人三人に気づいていた。(中略)
反射的に古義人の取った行動はこちらに向かってくる見知らぬ日本人三人の方へ、約束でもあったようにぐんぐん歩いてゆくことだった。中央のマオカラーの上着の男が二人に指示して、古義人を囲む態勢をとった。そのまま古義人を迎え入れると (中略)
観光船やフェリーが停泊いている埠頭ぞいに市街へでる大橋とは逆方向へいざなって行く。そのうち指導者格の男より若く大柄なふたりが、両側から古義人の腕を強引に抱え込み、引きずり上げるようにした。古義人の膝元に指導者格の男が跪く。見下ろすと、こちらの左足の靴と靴下を手慣れたやり方で脱がせている。よく見るとやはり二度の襲撃に加わっていた人間なのだ。男は観念してじっとしている古義人の左足頸を掴んで地面に固定しようとつとめ まちっと降ろしてくれや!と仲間に注文した。裸足の足裏が冷たい敷石に触れるか触れぬかに、立ち上がった男の手で砲丸は落とされた。そいつは変形して瘤になっている拇指の付け根に当り、はじかれてゴロゴロ転がった。古義人は痛みに呻いた。(略)砲丸は水の中に落ちていく。

「憂い顔の童子」  p490
略)最初に家の庭でやられた時も、ストックホルムのホテル前の際も‥襲われた現場に居合わせたのではないが‥潰された足の面倒を見た千樫が、こう答えた。一連のテロで、夫の足は傷つけられました。これからも、夫がどこに行く、どこに戻るかとは別に、古義人の生きている以上、そして自分の足と一緒にいる以上、同じテロが続くのじゃないでしょうか?(古義人の妻である千樫さんの言葉)


「取り替え子」(チェンジリング) p127
古義人は、十五年ほどの間、数年をおいて現れた足の故障を、外部に向けては痛風と称していた。実際に、三十代の終わりから尿酸値が高まって、痛風の発作を起こしたことがあるのだった。それ以後は尿酸値を抑制する薬を規則的に服用して、6から7の数値を超えることはなかった。しかもなお、古義人がステッキを突き左足を引きずって歩いている様子は、四、五年ごとに人の目にさらされた。その上で、マスコミの関係者にも友人たちにも、理由を聞かれれば、痛風に発作で、と答え思ったより容易に受け入れられた。しかし、実のところ二度目と三度目、さらに四度目の痛風の発作は、尿酸が蓄積してという内科的な理由によるのではなかった。時をおいて現れる三人の男たちが、一度目は行き違いもあったようだが、二回以降は手慣れたやり方で古義人を掴まえ、ともかくも難を逃れようとするかれの抵抗を押し切って、左足の靴を脱がすと、正確を期して靴下まではぎとり,剥き出しになった足の拇指の第二関節をみがけて、錆びた小ぶりの砲丸を落下させる。この外科的な処置によって痛風は起こったのだった。(中略)
また襲撃の直接の動機が、それより一箇月前に発表した中篇にあったのも確かなことに思われた。

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複数の本で、著者がこうした暴力を受けているのを読んだ。これはフィクションではない、と私は確信した。著者の家族や友人、生家周辺の様子や出来事などいくつかの作品に共通している。ノーベル賞受賞者を輩出したことは故郷の誇りかと思うが、なかなか厳しい。書いている内容で敵も多い。 
終戦前、古義人の父親は若い者を集めて山奥に「錬成場」を作った。自給自足を目指す一種の結社のようなもので、国粋主義者が育ったのではないか。父親は非業の死を遂げている。その後右翼化した残党や暴力団に長江古義人(大江健三郎)や吾良(伊丹十三)は狙われていたのではないかと思われる。       
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by ttfuji | 2006-11-23 21:59 | 読書・読書会・図書館 | Comments(7)
意外という顔をされるが、隠れた大江さんのファンである。若い頃は敬遠していた。ある時期から親しみを感じるようになった。それには、長男の光さんの存在が大きいように思う。誤解を恐れず、失礼なことを言うと、大江さんの人間としての成長にも、光さんの存在があると思う。同年なので、初期の作品も読んだが、殆ど難解で読み通せなかった。それからは、私の読書の範疇には入らない作家として敬遠していた。ノーベル文化賞を授与され、読んでみようという気になった。テレビでのインタビューやドキュメンタリーで、光さんのことを知り、生まれつきの障害を持ちながらも、音楽の才能を持ち、心に響く作曲をすることに感動した。光さんを中心に、家族が支え合っている様子も、家庭人としての大江さんにも親しみ、敬服の念を持った。フィクションとはいえ、「静かな生活」は大江家の様子を伝えているし、奥さんのゆかりさんが挿絵を描いている「ゆるやかな絆」「恢復する家族」「自分の木下で」は素晴らしいエッセーで手元に保存している。「二百年の子供」は過去と未来、時空を超えて出会う子供の友情、何とも不思議な物語。「取り替え子(チェンジリング)」は、親友であり、妻の兄である伊丹十三氏とのこと、松山高校時代からの交友、自分の祖父母、父母のことも、生き生きと描かれている。父の政治結社?の運動から来る、地元の冷たい目。いまだに狙われる身辺の危害。複数の本から読みとれる真実の姿にフィクションではない、大江さんの苦悩を感じる。他に「憂い顔の童子」「万延元年のフットボール」「新しい人よ目ざめよ」「雨の木」シリーズ。思い出せないがあと2・3冊は読んでいるはずだ。朝日新聞に連載された、世界の著名人との往復書簡。今は定義集というのが掲載されている。VINさんがアップされた「宙返り」も読みたいと思う。
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by ttfuji | 2006-11-23 21:37 | 読書・読書会・図書館 | Comments(0)