私の生活や自分史・読書、旅などの記録


by ttfuji(トコ)

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4月最終日

 今日は、4月29日の「昭和の日」の振り替え休日。去年までは確か「みどりの日」だったはず。そうだ、みどりの日は5月4日に移ったのだった。その前は、「天皇誕生日」。わたしの小学校低学年の頃は「天長節」といった。
 昭和は遠くなりにけり、である。昭和といえば、戦争に突き進んだ時代。
 戦争、敗戦、饑餓と明るいイメージはない。考えてみれば昭和天皇はお気の毒な天皇だった。
 そんなことを書くつもりもないのに、思考がどんどんそっちに行ってしまう。

 昨日は電話で娘に孫の夕食を頼まれた。本人は、遅くなるが食べてはこないので、持たせてくれればという。孫は、連休中は毎日部活だという。どろんこのユニフォームのまま7時過ぎに来る。
 ということで、はじめ予定していた、魚と野菜炒めは急遽変更。
 定番だが、ハンバーグステーキ、ポテトサラダ、レタス・トマト添え、きのう農協祭りで買ってきたおでん風煮物、大和芋のすり下ろし、(タマゴはおでんに付いているのでもみ海苔とお醤油のみ)、二人はご飯にかけて食べている。大根葉の佃煮。味噌汁はお豆腐・葱・わかめ。
 夫も、当たり前のように、こんなおかずを食べるようになった。いつもトレーニングにいく体育館の検査で体脂肪10%台、体重も3キロ減り、お腹周りも数センチ減り、きつかったズボンも楽にはけるようになったという。

 孫が帰るとき、すべてのおかずとご飯を空腹の娘のために持たせる。
 
 今晩は、きのうの献立の順延になるだろう。
 そう言えば、何日かの献立が、載せてない。
 4月の締めくくりに、やはり記録して置こう。
 
 4月27日(金)
 豚肉・モヤシ・ニラ・タマゴの炒め物
 甘塩鮭
 大根葉の佃煮
 あさりの味噌汁
 4月28日(土)
 マグロ山かけ
 大根・がんもどき・さつま揚げの煮物
 生野菜 (レタス・京菜・きゅうり・トマト)のドレッシング)
 味噌汁
 4月29日(日) 上記記述済み
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by ttfuji | 2007-04-30 14:35 | つれづれ日記 | Comments(4)

図書館と農協祭りへ

 昼頃、図書館よりリクエストの本が2冊届いている旨連絡が入る。昼食後、運動がてら歩いて受け取りに行く。
 途中の農協広場で「農協まつり」をやっていた。
図書館の帰りに寄ってみようと思ったが、賑わいや売店に惹かれてちょっと様子だけでもと立ち寄る。2時過ぎだったが、野菜類は殆ど売り切れ。お惣菜やお弁当が半額で売っている。煮物などおいしそうだ。
 図書館の帰りに寄るというと、もうなくなっているといわれう。つられて買う。隣がパンやさん。フランスパンや調理パンがおいしそうだが、こちらは値引きなし。その隣が、大山のおばさん達のお饅頭。皮にヨモギの葉入りや何種類かある。中華饅頭の大きさ5個入りで750円、食べきれないというと、冷凍にして食べるときちょっと濡らしてラップに包みチンして下さいという。お昼の代わりにもなりますからと、熱心に勧める。頂くわというと、ほっとしたように、よかった、を繰り返す。隣は飲み物、130円のを100円で買う。ああ、車で来ればよかった。図書館まで7分ほど。2冊ともハードカバーで重い本。帰り道重い荷物を持って30分以上歩かなければならない。本当に考えなしの私だ。歩数は8054歩
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     午前中は賑やかだったようだが、3時頃は閑散
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       帰りに覗いたときはお饅頭も売り切れていた
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by ttfuji | 2007-04-29 17:12 | 時事・社会・地域・自治会 | Comments(6)
 朝からどんよりした日だったが、午後までは大丈夫ということで洗濯物を干した。時に薄日も差したが、午後から急に怪しい空模様。風の音も聞こえだした。
 洗濯物をもう入れようもう入れようと思いながら、降り出すまではとそのままにした。パソコンをやっている前が窓なので、すぐにも入れられる。乾ききっていないので室内で干すことになる。3時過ぎにパラパラときた。途端に、雷の音。嵐の気配が・・・。ゴールデンウイークも波乱の幕開け。
 大型の連休で、お出かけ予定の家族には気の毒である。私は、毎日が日曜日だから、予定も立てない。天気の良い日には歩こうと思う。
 ゴールデンウイークなんて関係ない、といいながら過ごし方が気になったり、どこかウキウキし、出かけたいと思うのも、若い証拠かしら??。
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by ttfuji | 2007-04-28 15:55 | つれづれ日記 | Comments(6)
 先日、郵便局でFさんに会った。その昔、子ども会の役員を一緒にやった人だった。公民館などでよく会うが、挨拶程度で、ゆっくり話す時間のない時ばかりだった。
 椅子に座って呼ばれるのを待つ間、何となく、ご主人は定年?、と聞いた。Fさんは私より5・6才若い人だから、ご主人も同年としても定年を迎えているだろうと思ったのだ。 定年を迎えて今は、デジカメのインストラクターの資格を取って頼まれると教えに行く、といわれた。パソコンも時々見てほしいと言われ直してあげているとのこと。わが家の、時々のパソコントラブルを話し、今度お願いできないかしら、と聞いてみた。不調の原因くらいはわかると思うということだった。わが家から3分ほどの所に住んでいられる。相談できる人がいるだけでも安心できる。夫に話すと、よかった、でも謝礼はきちんと決めてもらった方がいい。そうでないと頼みにくいという。私もちょっと聞いてみたけれど、いらない、受け取れない、といわれたと伝えた。
 私も、感謝の気持ちの薄謝は受け取ってもらいたいと思っている。
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by ttfuji | 2007-04-27 16:38 | パソコン・スマホ | Comments(10)

図書館と献立

 久しぶりに晴れ、洗濯物と布団を干す。気温も上がる。
今日は、本の返却日。いつものようにTさんと図書館へ。奈良旅行のおみやげをみなさんからと頂く。キャンセルして、タクシー代その他、一人前の負担が増えたのを申し訳ないと思っていたのに。
 5冊返却のうち未読が3冊ある。なかなか捗らない。個人的に借りた本や買った本もある。ダビンチ・コード3冊を一日で読んだ友人もいる。私には無理。未読のまま返したのはこの上中下3冊だ。読みたい気持はあるがとても時間がない。といいながらまた別の3冊を借りる。リクエストしてる本がなかなか届かないので、調べて頂くとまだまだらしい。4冊予約してある。

 また、献立の記録を・・・
 4月23日(月)
 親子どんぶり風 (鶏肉、タマネギ、椎茸、インゲン(青味)、タマゴ)。
       ご飯とおかずは別々に
 煮物   (ふきと厚揚げに煮物)
 生野菜  (レタス・京菜・タマネギ・トマトのドレッシング)
 みそ汁  (わかめ・豆腐・小葱)
 4月24日(火)
 エビとホタテのグラタン (蟹の甲羅にマカロニグラタンの具を詰めて
        焼くもの=既製品) 好評だった。
 ぶりの照り焼き
 モヤシ・シメジ・ほうれん草のニンニクオリーブオイル炒め
 佃煮(アミ)、漬け物(鉄砲漬け)、柚子味噌
 みそ汁 (モヤシ・ニラ・油揚げ)
 4月25日(水)
 マグロの漬け丼 (マグロ赤身・漬け醤油(醤油大匙・酒小さじ1
       ・みりん小匙1・わさび小匙1の中に30分ほどつける。
       すし飯をよそいもみ海苔を載せた上にマグロを載せる。)
 小松菜とさつま揚げの煮浸し
 生野菜   (京菜・タマネギ・胡瓜・トマト)
 みそ汁   (わかめ・小松菜・豆腐)
 4月26日(木)
 ぶり大根
 京揚げと牛蒡の煮物
 キャベツと胡瓜の酢の物
 奈良漬け(刻み漬け)
 ジャガイモと葱の味噌汁
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by ttfuji | 2007-04-26 19:55 | 食・献立・料理 | Comments(4)
 ふたみさんの【コミ・セミNet】コミュニティにダイエー社長になった、林文子さんのことが、紹介されています。ちょうど、私も素晴らしい女性として娘から聞いた原稿があるので、紹介します。

 「輝く未来へ~仕事を通じて人生を学ぶ」

 去る10月29日(2005)、立教大学にて東京中小企業家同友会と立教大学の共催で、「東京経営研究集会」が開催されました。
 近年、大学と企業、行政や政府関連機関との産・官・学の連携や交流が盛んに行われていますが、こうした流れの中でもこのシンポジウムは、大学と経営者団体が共催し、東京都、豊島区、練馬区、北区、新座市という地域が後援しているという点で画期的です。こうした「産・学・公・地域連携」という形は日本で初めての取組みだといわれています。
13時からは、立教大学のタッカーホールにて、今年5月にダイエーの代表取締役会長兼CEOに就任した林文子氏による記念講演が行われました。
 講演は、かつて林さんが東京中小企業家同友会の後藤せき子代表理事の著書に触れ、
「友人に『あなたにとてもよく似た考えの人がいる』と言われ、勧められて読んだんですが、お電話をするかお手紙を書こうと思ったほどお会いしたかった」と、この会の結んだ縁を喜びました。
 「輝く未来へ~仕事を通じて人生を学ぶ」という講演は、会場内の学生を中心とする若い世代への力強いメッセージとなったことでしょう。


 1965年、林さんは都内の高校を卒業後、東洋レーヨン(現・東レ)に入社。その当時、多くの若い女性にとって大手企業に就職することが夢でした。
 林さん自身も8~9倍の難関を突破して入社したわけですが、すぐに女性が働くことの厳しく辛い現実を目の当たりにします。同じ部内で働いていた女性の最年長者は25才、つまりほとんどの女性が入社して数年以内に結婚退職するということです。
 「私は家庭の事情で小学五年生の頃からアルバイトをしていました。学校を卒業してこれで精一杯働ける、と張り切っていただけに、がっかりしてしまいました。けれども当時には、それが当たり前だったんですね。」
 同期入社の男性たちは、先輩に連れられて営業に出かける。残った女性たちは、帳簿付けやお茶くみなど男性社員のお世話をする。それまで自由な環境で育ち、男女の分け隔てというものを意識してこなかった林さんにとって、この現実ははじめて立ちはだかる大きな壁でした。
 「今のように女性のキャリアプランなんて発想がなかった時代です。18才の私にとって、自分の将来像を思い浮かべられないことがとても苦しかったですね。後で営業の仕事をやろうと思ったのは、このときに男性たちがさっそうと営業に出かけていく姿を見て『自分もやりたい』という気持ちがあったからかも知れません。」
 その後、松下電器産業に転職。事業部長秘書の仕事に就くが、入社三日目にして夫君との運命的な出会いをします。このときのエピソードを話すときの幸せそうな様子に会場からは温かい笑いがこぼれました。
 「この話をすると、いくらでも時間が経ってしまいます(笑)」と林さん。この話題は講演後のパネルディスカッションでも話題に上りました。
 結婚退職を余儀なくされた林さんは立石電機(現・オムロン)に転職し、夫婦共働きを続ける。あるとき、車を買うことになり、ホンダのセールスマンを家に呼びました。このことが林さんのキャリアに大きな転機をもたらすことになります。
 「この方が大変大人しい方で、彼と話をしていても、まるで私の方が営業マンのようなんですね。けれども彼は会社でトップセールスだといいます。それなら私にもできるかもしれないと思ったんです。」


 それから間もなく、林さんは地元の小さなホンダの販売会社で「営業マン募集」の広告を見つけます。
 最初は「女性には無理」と相手にしてもらえませんでしたが、林さんの一生懸命な姿に心を打たれた社長は三ヶ月の試用期間というチャンスをくれました。
 本田技研の本社で行われる研修にも「女性はご勘弁ください」と断られるが、代わりに社長が営業マンの心得を教えてくれ、いよいよセールスに乗り出す日がやってきました。
 「このときに渡された百枚の名刺がとにかくうれしかった。これを持って田園都市線のたまプラーザという街のお宅を一軒一軒訪問しました。当時トヨタのトップセールスマンがお書きになった本に『一日百軒回れ』と書いてあったので、素直にそれを実行しました」
 もちろん最初からすぐに車が売れたわけではありません。何軒もの家に何度も足を運ぶうちに、林さんは顔を覚えられ、頼りにされるようになります。
 「セールスマンはいわば招かれざる客です。にもかかわらず、時間を割いて話を聞いてくれる。あるとき、風邪を引いて寝込んでいらっしゃる方がいて、私が代わりに牛乳を買ってきて差し上げたら、とても喜んでくれました。何てありがたいことなんだろう、と思ったんです。」
 営業マンは“信用できる人”“楽しい人”だけではだめ、お客様にとって役に立つ存在になって初めて自社の製品について説明ができるのだということを学びます。初めての一台を売った相手は、訪問していたお宅の御主人が紹介してくれた部下の方でした。
 この経験を通じて林さんは、営業というのはお会いしたお客様に全力投球で心を尽くしていれば、気が付かないところで輪が広がって数字になるんだということ、一人のお客の後に10人の見込み客がいるということを身をもって知ります。
 ショールーム勤務となった後も、このことを基本としたアプローチでセールスを伸ばします。
 「男性の営業マンはスペックの説明から始めますが、私はこれまでの経験から、お客様がどんな対応を求めてらっしゃるのかを知っていました。それはやはり“心”なんですね。セールスマンとお客という関係であっても、人との出会いを楽しみたいんです。自分の存在を認めてもらいたいんです。」
 林さんはショールームに来店するお客様をまずもてなし、話をして、相手のことを知ることから商談を始めました。車についても、人の気持ちは性能だけでなく、色や形などのスタイリングから入るということを知っていたので、着ている服を誉めたり、車の色と合わせてみたりしたそうです。
 臆面もなくお客を誉めまくる林さんの営業を恥ずかしがる男性たちをよそに、林さんは年間150台を売るトップセールスとなります。しかし、顧客が増えるに従って、多忙になり体調を崩したことをきっかけに、転職を考えるようになりました。


 1987年にBMW東京に入社。81年にはじめて同社は日本に外国資本でインポーターを設立し、自社輸入を開始して以来、輸入車販売業界全体が右肩上がりの成長が続いていました。
 最初は採用担当者から「60万円台からある国産車メーカーと最低でも400万円弱はする高級輸入車では、売り方が違う。女性には無理」と断られましたが、林さんは手紙を書きます。
 「御社は都心部中心に営業しているようだけれど、これからは郊外の時代。こちらでのセールスが必要になったときには、ぜひお声がけ下さい」と、10年間東京近郊という地域を歩き、車を売ってきた実績を手紙で訴えました。
 「何でもやってみるものですね。ちょうどその時期、BMWは近くに販売店を出す計画があり、私はそこで採用されることになったんです。」
 出店までの8ヶ月間、林さんは世田谷支店で働くことになりましたが、そこでもお客に対しておもてなしするという基本姿勢を崩しませんでした。
 当時の自動車業界は、国産、輸入にかかわらず、「商品力があり、マーケティングをきちんとしていれば車は売れる」というのが常識でした。特にBMWは、非常に商品力にプライドのある会社だったので、ある種の“殿様商売”が成り立っていました。
 「すばらしい自動車を作り、お金をかけてコマーシャルを流しても、多くのショールームはお客様をお迎えするような場所ではなく、営業マンの詰め所というようなお粗末な状態だったんです。」
 林さんはこう考えました。400万円もする車を買うお客様にこそ、買って頂くまでの商談をより豊かな時間として演出しなければならない、と。その考えは、日本人の自動車に対する情緒的な感性にも合っていたのでしょう。88年には林さんは同社のトップセールスとなります。
 93年、新宿支店長に。副都心にある同店は、バブルの頃に年間500台を売り上げていましたが、当時は300台も厳しく、ジリ貧状態でした。
 部下となった7人の営業マンへの林さんの印象は「とても素敵な男性たちなのに、自分の魅力に気付いていない」ということです。また、同店の立地条件の不利を並べ立て、自分たちの職場を否定していることも問題でした。
 「ここで私が持論を説いても、お客様に接する彼ら一人ひとりが自信を取り戻さないことにはどうしようもありません。そこで私が何をしたかというと、彼らのそれまでの評価をすべて取り払って、可能性だけを見たのです。」
 まずその人のいいところを見つけて誉める。そして欠点についてはそのまま言うのではなく、本人が自分で気付いて直すように言葉をかけていきました。
 たとえば、今ひとつやる気の見られない人には「一生懸命やってるわね」と声をかけ、事務所にばかりいて営業に出ない人には「ご苦労様。私もたまには現場で歩き回らないと」と言って同行訪問します。
 そして500万以上かけていたダイレクトメールを半分にし、その分の経費でお客様に楽しんでもらえるようなイベントを企画しました。ショールームでクラシック音楽の演奏会をやったり、パーティを開いたのです。
 そうして赴任当初最下位だった新宿支店をトップの売り上げにし、98年の12月に最下位の中央支店に転勤を命じられたのです。そこでも私は同じように部下を誉め、同時に叱りました。
 「仕事で負のスパイラルに入り込んだ人というのは、自分の素晴らしさを見失っているのです。『何であなたはこんなに才能があるのにそれを自分で潰してしまっているの?』ということが悔しかった。」
中には女性の上司に叱られたことで腹を立て、反抗的な態度に出る部下もいましたが、自分の考えは譲らずにとことん向き合ったと言います。
 「あなたが大事なんだ、私が支店長をやらせてもらえるのはあなたが元気で働いてくれているからなんだ、だから感謝している。だけど今あなたが元気ないのは、仕事で売り上げが落ちていたからでしょう? だったらなぜもっと話してくれないの」と。
 こうしてこの支店は3ヶ月で予算達成率がトップになりました。その間、前の新宿支店は再び最下位になっていました。
 「つまりそれほど職場というのは、“生もの”なんです。心が集まって、魂が寄り添って出来上がる“人”そのものじゃないでしょうか。調子がいいときもあれば、そうでないときもある。だからこそリーダーシップを取る人間が少しでも諦めたら、すぐにそれが数字に表れてしまうんです。逆にリーダーが部下に希望を持たせれば、『自分たちはやれる』『やりたいんだ』という自信と意欲につながります。」
 

 1999年、フォルクスワーゲングループからの誘いを受けて、ファーレン東京(現・フォルクスワーゲン東京)社長に就任。そのときのことを林さんはこのように語ります。
 「自動車業界、とくに輸入車業界という競争の激しい場所にいましたので、正面から話をされることが少なかったんです。私を引き抜いて下さった方は、イギリス人でしたが、私に社長の資格があること、トップマネジメントの仕事に成功し、他の日本人女性を勇気づけて欲しいこと、上司として全力でサポートすることを、真っ直ぐに目を見て話しかけられました。私はとても感動したんです。」
 そうして同社では、4年間で89億から210億円と総売上が倍増しました。
 「社長になって思ったのは、どんなに頑張っても誰にも誉めてもらえないということです。それでも自分の考えをちゃんと話していけば、ちゃんと社員に声は届く、意識改革もされてくるということを、ここで学びました。社名変更のパーティで、それが実感された時は本当にうれしかったですね。」
 2003年、今度はBMWに社長として復帰、それから現在までの流れは各メディアで報じられている通り。林さんがダイエーに行くことを決めたのは、日本の流通業界は、働く人も利用者もほとんどが女性にもかかわらず、女性がマネジメントするケースが非常に少ないということ、もっと女性の感性を売り場に活かすべきだと考えたことが理由です。
 そして実際に売り場に足を運んでみれば、そこには笑顔で接客するスタッフの姿があり、かつてセールスの現場にいたときの自分にイメージが重なったといいます。
 「この人たちと一緒にやってみたかった。戦争から戻った故中内会長が“国民にもっと豊かな生活を”と始めたダイエーの志を、今の多様化した消費者のニーズに合わせるために、5万人の方にアンケートを採り、皆さんと語り合って新しい企業理念を作りました。」
 そのスローガンが「ごはんがおいしくなるスーパー、ダイエー」です。人の心や感性を大事にし、おもてなしときめの細かいコミュニケーションによって営業的にも経営的にも成功を収めてきた林さんが、どのようなリーダーシップのもとに再生ダイエーを導くのか、大きな期待を寄せていきたい。

 この記録は、私の娘が、講演をきいてある雑誌に掲載したものですが、林文子さんに感動した娘が、私のパソコンに送ってくれたものです。
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by ttfuji | 2007-04-25 23:36 | 郷土史・講演会・学習 | Comments(9)

つれづれ日記 春憂

 春に三日の晴なし、とはよく言ったものだ。今日も冷雨である。集金に来た人が、寒いですね。何日か前は夏のような日だったのに、からだがついていきません、とこぼしていた。外回りの人は大変ですね、とねぎらう。

 暖冬を心配していたから、まあこれで釣り合いがとれるか?。
 毎年、今年は異常、と言う声を必ず1・2回は聞くが・・。
 
 先週、旅仲間による恒例の春の旅行が行われたが、3月末に、悩んだすえキャンセルした。母が病院で終末を闘っているのに、旅行など行っても楽しめないと思ったからだ。奇跡的に回復すれば勿論安堵するし、そうでなくとも母とともにいたという気持は納得できる。命の極限にいる親の寿命をはかることなどできない。

 とはいえ春憂の季節でもある。来月は早、若葉萌え立つ初夏である。
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by ttfuji | 2007-04-25 15:12 | 家族・身内・私 | Comments(4)

為我井さんのこと

 先日の、読書会(4月11日)の記録の折、課題本の感想が一通り終わったあと、為我井さんについて話が及んだので、そのことを、一緒に書くつもりでいたが、長くなったので、別記することにした。為我井千代子さん(以後T・Tさんと書く)は、読書会の大先輩、昨年11月に95歳で亡くなられた。

 5・6年ほど前までは、会にも時々顔を出されていた。私の母より2歳年長だった。
 多才の人で、私も尊敬していた。本を良く読み、しっかりした感想や意見をいわれた。エッセーや、詩、短歌、俳句、何でもござれだった。書も絵も上手だった。短冊に書いたものは、市の文化祭などに展示された。昔、小学校の教員をやっており、そんな関係かピアノを弾き、童謡やラジオ歌謡など歌っていた。琴も弾いた。
 自然を愛し、庭には野菜や草花を植え、野菜クズなど肥料にし手入れも怠らなかった。
 社会への関心も高く、平和を愛した。もう少し若い頃は署名活動なども率先して行った。ずっと年下の私は、いつも活動への協力を求められ不熱心を戒められた。でも、アルバイト勤務などしていたので、いいわけにはなったが、啓発されることの方が多かった。ある時期までは社会活動家でもあった。小さな雑誌にも取材され生き様が紹介されたりした。
 猫を可愛がり、”みい卓”というペンネームで物語を作ったりした。社会の不条理や納得できないことにはトコトン質問を浴びせた。正義感が強く、しかし、弱者には優しかった。ご主人が亡くなり、一人暮らしになってからも趣味豊かな老後だった。私も、買い物や詩のワープロ打ちなどし、小さな詩集作りを手伝った。
 
 伊勢原には、「丹沢・大山詩の会」という会がある。
 趣味で詩や小文を書いていたT・Tさんは、いくつもの手作り詩集をつくり、読書会の仲間や友人達に配っていた。
 読書会の仲間のNさんのご主人が、自費出版の詩集を出されていた。Nさんを通して私たちもご主人の詩集を買った。格調の高いむずかしい詩だったが魅力もあった。
 T・Tさんは、Nさんを通じて、Nさんのご主人に詩の会を作ろうと呼びかけられた。詩を作るサークルは、他にもあったようだ。やがて合流する形で「丹沢・大山詩の会」が発足した。
 T・Tさんは私にも入会を勧めたが、詩歌の才能がないのがわかっているのでお断わりした。
 時々定期的に発行される、冊子となったのを読ませて頂いた。立派な詩が幾つも載っていた。
 「詩の会」の発起人でもある、T・Tさんが亡くなられたので、「詩の会」では追悼号を出した。その追悼号の詩集をNさんが読書会に持参した。協力の形で全会員が買った。
 次回の読書会では、この詩集を読もうということになった。Tさんの詩だけでなく全体を読んで、感想を言いあうことになるだろう。
 
 明治の女性は、芯が強く、二本足でしっかり大地に立っていると感じる。住井すえさんや佐多稲子さん、市川房枝さんに通じるものを持っていられる。

 私の手元には、T・Tさんから頂いた自作の詩集やエッセー集、愛猫ミー、「美伊卓」のペンネームで書かれた「うちのおばあちゃん」。我が輩は猫であるのTさん版である。これらの膨大の遺品を前にして、私は処分することができないでいる。隠れた詩人であり文芸者であるが、市井に生きた人、ちょっと世の中に名前が出れば、貴重な資料扱いされるのに、と残念に思う。
 世の中には、充分な才能を持ちながら、埋もれて終わる人が多いのだろうな、と思わずにはいられない。
 詩やエッセーの一編をブログ欄にそのうち紹介させて頂きたいと思っています。
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by ttfuji | 2007-04-24 11:20 | 友・師・人 | Comments(2)

献立日記

 例によって家計簿のメモ欄より転記する。相変わらずワンパターンであるが、記録する。
 4月18日(水)
 豚肉の生姜焼き 新キャベツ千切り、トマト
 さんまの梅煮 佃煮風 一尾の3分の2
 ほうれん草のおひたし
 味噌汁 わかめ・豆腐
 4月19日(木)
 ぶりの照り焼き
 がんもどき・竹輪・ふきの煮物
 生野菜 (レタス・みずな・新タマネギ・トマト)
 みそ汁 (わかめ・エノキ・小葱)
 4月20日(金)
 野菜コロッケ(冷凍) キャベツ・トマト
 アジの干物
 胡瓜とわかめの胡麻酢
 みそ汁 (大根・油揚げ)
 4月21日(土)
 家計簿に記入がなく2日前のことなのに思い出せない。
 明太子は、思い出せた。あと何だったか。かに玉を作ったのを思い出した。もう1・2品あったはずだが。???
 4月22日(日)
 白身魚とお豆腐のふんわり揚げ、クズあんかけ)(既製品だが
                              安くておいしい)
 甘塩鮭
 厚揚げ・がんもどき・ふきの煮物
 小松菜の胡麻和え
  みそ汁 (豆腐・葱・水菜)

 
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by ttfuji | 2007-04-23 13:32 | 食・献立・料理 | Comments(4)
 4月22日(日)
 晴時々曇り。今日は、市議会議員選挙の日。昼前に投票に行く。
 午後は、文化会館に映画「フラガール」を見に行く。入り口で、KaさんとHuさんに出会ったので一緒に見る。いい映画とだけ聞いていたので、出かけた。帰りに買い物もあった。
 昭和40年代、福島県の常磐炭鉱では、2000人の人員整理の嵐が吹き荒れた。新しい雇用の場としてハワイアンセンターの建設が計画される。そして炭鉱に働く娘達にダンサー募集の声がかかる。多くの家庭では、フラダンスなどには大反対で理解がない。
 東京から,SKDのダンサーだったという指導者がやってくる。借金に追われて渋々やって来た女性だった。はじめは2・3人で始まった練習だったが、次第に習いたいという希望者も増え、先生も変わっていく。
 昭和40年代、福島県の炭鉱町に誕生した常磐ハワイアンセンターにまつわる実話を基に、フラダンスショーを成功させるために奮闘する人々の姿を描いた感動ドラマである。開業にあわせて猛特訓したとのことだが、ダンスは素晴らしかった。 フラダンスを少しかじった私なので、動作の意味や、練習で注意されたことなど思い出し、共感できた。映画そのものにも感動した。
 
 夜、夕食をすませたところで、チャイム。出てみると、ご近所の奥さん。自治会の集まりへの誘いだった。あっ、すっかり忘れていた。そういえば、配布物が来ていた。先に行って頂き、さっと身支度して駆けつける。
 総会は、3月末にあったが、欠席した。その折、私の班(14班)は、他の班に比べて戸数が多い。自治会費の集金や配布物などが、大変なので、2班に分けた方がいいという意見が前から出ていた。その分け方や班長の決め方について意見が分かれた。
 この班には、集合住宅が三棟、それぞれ不動産会社が違って建てられている。戸建ての5軒がそちらに入る原案が示されたが、これは、その5軒に入った人から反対された。結局、集合住宅の3棟で別の班を作ることに決定した。集合住宅に住む人も何人か見えていたが、その方がやりやすいということで、承諾された。班長の仕事には、ゴミ置き場の鍵の管理や掃除のこともある。新しく班長に当たる人は単身者で決められた時間にゴミ置き場は開けられないという。結局次の人にお願いするために、理事さんが一緒に交渉することになる。
 理事の順番を巡っての問題。その他、問題山積で持ち越しになった議案もある。司会進行した理事は若い人だったが、ベテランの風格があった。そんなこんなで散会は9時過ぎ。忙しい一日だった。
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by ttfuji | 2007-04-22 22:38 | 映画・演劇・音楽 | Comments(4)