私の生活や自分史・読書、旅などの記録


by ttfuji(トコ)

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11月最後の日

 11月も今日でお終い、明日は早や師走を迎える。何という慌ただしさか。
 今日は天気予報では段々と雲が切れてくるといっていたが、南関東はどんよりした雨模様の日だった。それでも昨日よりはいくらか気温は上がった。
 午前中、郷土史会の役員会があった。いつもは、翌月の資料作り、主として講師から送られてくるデジメのコピーなどがあるが、今日は資料が間に合わず、アンケートの件の相談や顧問の先生の特ダネ話など聞く。普段の講義では聞けないような、郷土史の裏話など聞け、これは役得であった。
 帰りにスーパーで買い物して帰る。夕食に、娘と孫が来ることになっておりその買い物もある。
 午後入院中の妹がベッドの上から内緒の携帯電話。喪中葉書のことで、息子のパソコンが不調とのことで、急遽、作成を引き受ける。いつもは年賀状でも何でも早く手配するT家だが、入院騒ぎでそれどころではなかったようだ。夕食の用意を早めにすませ、体操に行った夫の帰りを待って、車で喪中葉書と予備のインキを買いに行く。夫婦連名用と甥の分別々に作成する。印刷がなぜか1枚ごとに白紙で出てくる。それを仕分けしやり直すので付ききりで作業しなければならず、何倍も時間がかかった。でも何とか完了。こういうものは早く出さなければいけないので明日届けよう。

 久しぶりに夕食の披露、というほどのものではないが、山菜の炊き込みおこわ(ぜんまい、舞茸、シメジ、椎茸、牛蒡、人参、油揚げ)と、煮物(里芋、さつま揚げ、厚揚げ、がんもどき)、メンチカツ、キャベツ・トマト、ほうれん草のおひたし、大根とお豆腐、油揚げの味噌汁だった。
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by ttfuji | 2007-11-30 21:39 | 家族・身内・私 | Comments(4)

スイミングと図書館行き

 このところ曇り空で寒い日が続いているが、今日は一段と気温が下がり、真冬のような寒さになった。図書館へ行く日だが、娘が午前中車を使いたいというので、Tさんに電話して図書館行きは3時頃に変更した。夫が、2時に歯医者さんに予約していた。私が歯医者に通い始めたので、途端に自分も行かなければならないことを思い出して、昨日予約の電話を掛けた。私の通っているところより近いので、普段なら歩ける距離だが、この寒さで寒がりの夫は我慢できない。
 私は午前中の予定が空いたので、Yさんとスイミングに行ってきた。明日が郷土史の役員会のため、今日行かないと、今週は1日だけのスイミングになる。
 今日の図書館は返却4冊、内継続が1冊、新しく2冊借りる。i&iさんにお借りした本もまだ読み始めてない。この頃、遅読になっているので、欲張って借りないことにした。
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by ttfuji | 2007-11-29 18:36 | 読書・読書会・図書館 | Comments(0)
 VINさんが、京都旅行に行ってこられ、旅日記ときれいなもみじの写真を載せていられた。
 私も何年か前、同じところへ行ってきたので、ブログを探したが、見あたらない。マイドキュメントの、国内旅行のファイルをみたら、そこに入っていた。2004,11月だからブログをはじめる丁度一年前だった。整理する意味もあって、ブログの「旅」のカテゴリに移すことにした。

 京都の旅 (04,11,16~11,18)
11月16日(火)
 前日からの天気も回復。幸運を思う。いつもの旅仲間4人(井上さん・高山さん・長岐さん・私)。小田原8時12分のこだまに乗る。京都に午前中に着くが、時間節約のため、昼食は小田原で買ったお弁当を新幹線の中で済ます。京都駅のキャリーサービスで大きなバッグを宿に届けてもらう。京都駅バスターミナルでバス回数券千円分(@220×5)を買い11時58分発の嵐山・清滝行きのバスに乗る。愛宕念仏寺下車。
 愛宕(オタギ)念仏寺 左京区嵯峨
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 五百羅漢を見る。ここの羅漢様は年代が広いらしくメガネをかけていたり、子どもを抱いたり、舌を出したりと表情や格好がとても近代的で多様だ。数も五百よりはるかに多い。
ここより嵐山に向かって秋の嵯峨野路を散策する。町並み保存館のまえを緩やかに下る。
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 もみじや三五七仕立てに鉢植えされた嵯峨菊、道端の出店など見ながら旅の情緒に浸る。天気が良くなったのとシーズンのためか人出は多い。
 化野(アダシノ)念仏寺
境内には八千体の石仏が祀られている。寺伝によれば、化野にお寺が建立されたのは、約千五百年前、弘法大師が野ざらしの遺骸を埋葬したと伝えられる。現在、華西山東漸院念仏寺と称し本尊阿弥陀仏座像は湛慶の作。

a0055866_11241571.jpg 二尊院前を通り去来の墓にお参りし落柿舎のお土産店で買いもの、井上さんの案内で瀬戸内寂聴さんの「寂庵」に立ち寄る。庵主さんは留守だったが、世話役の人が鍵を開けてくれ中を拝観させて頂く。ラッキーだった。嵯峨野路は観光客であふれタクシーや人力車で渋滞していた。
途中、「さつき」というしゃれた喫茶店でコーヒー休憩する。野々宮神社、天竜寺前を通り嵐山渡月橋に出る。渡月橋よりタクシーで広隆寺へ。ここは井上さんおすすめの寺。
 広隆寺 右京区太秦
a0055866_12134534.jpg  推古天皇十一年(603)に建立された山城最古の寺院。帰化した秦氏族が聖徳太子から仏像を賜り、それを御本尊として建立した。この御本尊が現存する弥勒菩薩。わが国で最も古く最も美しいといわれる「弥勒菩薩半跏思惟像」は国宝。講堂は重文、桂宮院本堂(国宝)、霊宝殿には弥勒菩薩の他多くの国宝、重文の仏像が安置されており拝観できた。

広隆寺前よりバスで四条河原まで行き、加茂川、高瀬川など渡り先斗町界隈の路地を通って三条通りにある京都ロイヤルホテルに5時半頃到着。部屋は9階。加茂川や京都の夜景が望める。八坂神社や都ホテルなども見える。
 夕食は、ホテル10階の会席料理。井上さんが会員なのでホテルの費用はすべて1割引となり有り難い。携帯電話で計れる歩数計で今日は1万4千余歩歩いた由。

11月17日(水)
 今日は『醍醐寺と宇治浪漫』Dというコースの定期観光バスで回る。昨日電話で予約してあるので9時5分にホテルまでバスが迎えに来てくれる。同行の井上さんは京都好きで2・30年前から毎年3~5回は京都に来ている人なので京都中わが庭のように詳しい。何でも任せて安心でどこへ行きたいか聞かれている。平等院や醍醐寺というリクエストがありこのコースを選んだ。万福寺・平等院・宇治散策・三室戸寺、醍醐寺、三宝院、勧修寺と回る。
 万福寺 10時半~ 宇治市

a0055866_11271944.jpg  黄檗山万福寺。お坊さんが案内して下さる。1654年中国から渡来した隠元和尚が1661年に開創された中国風の寺院で日本三禅宗の一つ、黄檗宗の総本山。大雄宝殿は本堂であり最大の伽藍。日本では唯一最大のチーク材を使った歴史的建造物と案内にある。本尊は釈迦牟尼仏。開ぱんといわれる大きな魚板がつるしてある。口には大きな玉をくわえておりこれは煩悩とのこと。木魚の原型になったもので時を報ずるものとして今でも使われている由。天王殿に祀られている布袋様は弥勒菩薩の化身と説明された。
 宇治平等院 11:25~

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平等院は1052年藤原頼道によって開創され、翌年、阿弥陀如来(国宝)を安置する阿弥陀堂(国宝)として建立された。大和絵風九品来迎図、梵鐘、鳳凰一対など国宝文化財多数。
 鳳凰堂は建物の美しさとともに修学旅行やその後も何度か来ているので印象が深い。庭園と阿字池が一体になって史跡名勝庭園に指定されている。
 堂内は現在改修中で一部しか見られない。宇治散策と各自自由昼食が組まれている。
 大きな器に入った鰊茶そばを食べる。
 三室戸寺 13:50 宇治市莵道滋賀谷
 縁起によると宝亀年間(770~780)、光仁天皇の勅願により千手観世音菩薩を御本尊として創建された。堂塔伽藍が整い重文の銅像も多い。三重塔、五千坪の大庭園は枯山水、池泉からなり睡蓮の池が本堂の正面に陣取っていた。あじさい・ツツジの頃は見事らしい。花の寺ともいわれる。
 醍醐寺 14:55~ 京都市伏見区
世界文化遺産。弘法大師の孫弟子にあたる聖宝・理源大師が貞館16年(874)、醍醐山上に草庵を結び、准貞・如意輪の両観音像を彫刻し堂宇に安置したのが醍醐寺の始まり。その後代々の天皇の深い帰依により堂塔伽藍が整った。秀吉の花見宴として知られる。
 勧修寺 15:20 京都市山科
 昌泰3年(900)、醍醐天皇により創建された。「氷室の池」を中心に「勧修寺氷池園」と呼ばれる庭園がある。平安時代にはその池に張った氷を宮中に献上し、その氷の厚さによってその年の五穀豊凶を占ったといわれる。
 定観バスでの社寺巡りはここで終わり、バスは京都駅に向かって帰途に着くが途中の五条で下車。京阪三条まで地下鉄に乗り替える。ホテルに5時半頃帰着。夕食は中華料理。

11月18日(木)
 3日目は私のリクエストで哲学の道を歩く。京阪三条よりバスで真如堂まで行く。平安神宮前を曲がり京都動物園近くを通って、かなり乗ったが220円の回数券で間に合う。9時40分頃、真如堂前から歩いて哲学の道にでる。
 哲学の道
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熊野若王子神社から銀閣寺に向かって緩やかなカーブを描く琵琶湖疎水沿いの全長約2キロの散策路で四季折々の豊かな表情が魅力(五木寛之さんの案内書より)。私たちは途中の約1キロほどを歩く。大正時代、京都帝大で教鞭をとっていた哲学者、西田幾多郎が思索しながら歩いたのでこの名が付いた。山折哲治さんの随筆でも魅力を感じていたがなるほどすばらしい小径である。春は堀の両側に咲くさくらが美しいだろうし、今はもみじがきれい。堀は結構深いし水量も多いので足を滑らせないように注意する。やっぱり来て良かったと実感する。雨が降り出したがひどい降りではない。哲学の道から南禅寺に向かう。途中、もみじの美しい永観堂の前を通るが入園料千円がかかるし時間もないので門から眺めて素通りする。
 南禅寺
正応四年(1291)、亀山法皇が離宮を禅寺に改めたのが起源である。臨済宗南禅寺派の総本山であり格式の高さで知られているという。境内は広く建築物、堂宇、伽藍も多い。石川五右衛門の「絶景かな、絶景かな」で有名な三門に上り、楼閣からのもみじを見渡す。琵琶湖疎水を引いた水路閣、インクラインなども見る。
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帰りはタクシーで錦小路へ。目当てのうどん屋は定休日で閉まっておりもう一軒も閉まっていた。飛び入りで入ったところ混んでいたがおいしい店だった。天ぷらそばを食べる。買物をし、ホテルにバッグを取りに行く。朝、荷物は宅急便で送ったので今日買ったお土産程度で身軽。京都2時40分のこだまで帰り、伊勢原駅着6時半頃。雨が強くなっておりタクシーで帰る。充実した良い旅行だった。
                              04年11月25日 記
 
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by ttfuji | 2007-11-29 12:31 | | Comments(0)

歯科へ・今週の歩数計

 右上奥歯の2本の基礎になる部分が出来上がってきて装着された。これは保険の利かない材質とのこと。先生が見せて下さったが白く歯のようで固そうだった。
 これは絶対折れないとは言えないが他のものよりずっと丈夫ですとのこと。寿命ぐらい保ちますか、と言うと、そういう方ほど長生きしますよ、と笑われた。
 それに被せる「歯の型」がかみ合わせなど調べるため上下とられた。来週には入るらしい。今日は、上の歯の歯石をとって終わりますといわれた。
 左上奥にも根が飛び出したのがあり、先週削って頂いたが、これも根の治療から始まると思う。でも、この分で行くと、早く済みそうで、何ヵ月もかかるとは思えないが、それは分からない。治療、型取りなどでたっぷり30分はかかった。かって3時間待ちの3分治療といわれた時代があったがこの頃は時間を掛け丁寧にやってくれるので安心である。

 今日は朝のスイミングを休んだので、歯科医院まで歩いた。片道25分、歩数計は往復5266歩だった。帰りに近くのスーパーでま~さんのトマトほか野菜類を買って帰る。

 このところブログに記録してないのでまとめて書き込む。
  11月27日(火) 6085歩 スイミングと銀行・買い物・友人宅
  11月26日(月) 0      太極拳行き。装着せず。
  11月25日(日) 5753歩 講演会行き。自宅から駅往復と
                    鶴巻温泉駅から講演会場往復。
  11月24日(土) 7713歩 妹の病院行き
  11月23日(金) 2315歩 美容院行き
  11月22日(木) 3803歩 スイミング・買い物
  11月21日(水) 8922歩 スイミング・歯科医院

 7日前までメモリーが残っているのでまとめて記入でき便利です。
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by ttfuji | 2007-11-28 15:03 | 医療・健康 | Comments(9)
 11月26日(月)
 午前中、太極拳があった。今この会は、2つの問題を抱えている。会員の減少と練習内容についてである。もう10年も続いている会であるが、指導者に謝礼を払う以上、ある会員数を確保しなければならない。今までも増減は繰り返していたが、ここ何か月かで10人近くの人が辞めていった。いろいろな理由を聞くが、最も多いのは、むずかしくて覚えられない、というのがある。それは、今まで、簡化24式というのをずっとやってきたが、24式は簡化しすぎてすべての経絡の為には不足であると上部指導者から言われたらしい。1年前に、歴史の長いサークルは42式を教えるように、とのお達しがあったそうだ。同じ系列のサークルで42式を取り入れたところは私たちのところを入れて2サークルだけだったようだ。しかし、もう一つのサークルも会員の希望で、少し前に24式に戻したという。
先週、役員から会員にアンケートが配られた。役員から先生には、アンケートのことは断っておいたという。
 内容は、何をやりたいか、いくつかのメニューが書かれている。
ストレッチ、基礎体操、五行歩(ウシンプ)、気功、十三勢、二十四式、四十二式、その他、となっている。
 初期の頃は、準備体操、二十四式、八段筋、気功であったが、現在はストレッチ、五行歩、十三勢、四十二式、収功である。気功がなくなったことと二十四式が四十二式になったことが、多くの会員にとって不満なのである。会は誰のものか。上部指導者のものか、直接の指導者と参加者のものではないか、ということで昨日の終了時に話し合った。何より、高齢者が多い会でむずかしい基本動作は覚えられないし、むずかしければ新しく会員を募ることもむずかしい、という現実的問題もある。
 アンケートはまだ全員から集まらないというが、今の段階で、1名を除き、すべてが24式を希望しているという。
 私は、一年掛けて練習した42式なので、どちらになるにしても、もう一方も毎回1度ずつ位はおさらいしてほしいと言って、時間的にそれは無理だといわれた。
 11月27日(火)
 曇り。スイミングに行く。いつも一緒のYさんは、今日は来客があるので30分だけ泳いで来るという。バイクで行くのでよろしく、と電話があった。
 いつも誘ってもらっているので、間に合うように用意するが、一人で行くとなると途端に少し遅れてしまう。今日はクロール、背泳ぎはほんの数回だけで殆どおしゃべりしながらのウオークで過ごした。先週、スイミングのシャワー室に、リンスインシャンプーを忘れてきた。その前は、ピンクのキャップとゴーグル。全くお恥ずかしい次第。でも忘れ物棚のケースには、沢山の忘れ物がいつも入っている。みんなそうだ、と安心する。
 
 午後、同じ住宅地内のOさんとMさん宅に届け物をし、銀行と買い物に回る。Oさん宅前に帽子を落とし、電話がかかる。
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by ttfuji | 2007-11-27 19:17 | 太極拳・スイミング・体操 | Comments(6)

読書 破船

 吉村昭の「破船」を読んだ。何とも衝撃的な小説だった。この題名を見たとき、漂流船のことかと思った。今まで「島抜け」とか「アメリカ彦蔵」とか船に関係するものを読んでいるので、船に乗る人たちから見た「破船」かと思っていたがそうではなかった。寒村の貧しい漁村に生きる人々から見た破船である。
 村には長がいて、古くからのしきたりによって村人をまとめている。人々の暮らしの支えは、季節毎に浜で捕れるイワシ、さんま、イカ、たこなどである。それを干したり塩漬けにしたりして山を越えて3日もかかる隣町に雑穀類や雑貨などと交換しに行く。
 とても一家の飢えを凌げるほどのものは手に入らない。口入れ屋に頼んで年季奉公にでる。どこの家でも、娘が売られるだけでなく、一家の主も、母親も15歳になった子どもも年季奉公に出る。年季は5年だったり10年だったりし、前金を受け取る。その金で一緒に送って行った家族は、食料など持ち帰る。食べるものは雑穀の粥である。

 そんな村に、唯一の恵みは、荒れた海から流れ寄って座礁した船からの収奪品である。米を積んだ回船船だったら2年は食べていける。そういう船には米以外の様々な食品、酒、鍋釜、食器類、寝具や衣類などが豊かにあり、木材もすべて役に立つ。細かいものは薪になる。村では、冬になり嵐が来ると、浜で塩作りの火を焚いて「お船様」を呼び寄せ座礁させる行事が行われる。「お船様」は2年続けてやってきたが、2年目に来たのは大きな災厄をもたらす船だった。

 この小説の主人公は、9歳の伊作である。父親は、体格の良い働き者だったため、3年の年季で率の良い身売りをした。伊作は母と弟妹を支えるべく頑張る。父親は3年の年季が明けて帰ってくるが村に襲った災厄のため家族は伊作だけになっていた。父親に合わせる顔がないと、少年は船を沖に向かって漕ぎ出す・・・
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by ttfuji | 2007-11-26 18:07 | 読書・読書会・図書館 | Comments(4)

ブログの印刷

 私はエキサイトブログを使わせて頂いている。

 友人の何人かは、パソコンをやっておらず、コピーして送ったものを読んで下さっている。今までは、印刷の時、月別にコピーするので、○月をクリックするとまずその月の日記の目次が表示され、続いて日付の逆順に本文が表示され、印刷設定で印刷が始まる。そして一カ月分が印刷される。

 ところが、2・3ヵ月前から、1ヵ月分が一気に印刷できなくなった。数ページずつ(数日分ずつ)で止まり、「次のページ」、「前へページ」の表示がでる。「次のページ」、をクリックすると、改めて目次が全部表示され、前日分からまた逆順で印刷される。その度に全部の目次も印刷となる。それを何回か繰り返し、やっと1ヵ月文の印刷が終わる。どうしてこうなったのか、変更の理由を質問しようにもやり方が分からない。
 エキサイトブログを呼び出し、読んでみると、ブログの作り方、書き込み方などあるが、印刷について書かれてない。質問しようとしたら、簡単にと釘を刺される。どなたか分かる方がいらしたら教えて下さいませんか。お願いします。
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by ttfuji | 2007-11-26 14:30 | パソコン・スマホ | Comments(0)

ある講演会

 講演会というより、講座といった方がいいかもしれない。隣の秦野市の鶴巻公民館へ行ってきた。郷土史の会長さんから案内のメールを頂き、会員のIさん、Nさんの3人で参加した。
 演題
  第1部 秦野の地学的環境  
  ー大地の成り立ちと活断層と地下水ー
  第2部 秦野の産業 葉煙草の栽培
というもので主催は
  「NPO地域歴史環境資源保存活用支援機構」という長い名前の団体だった。
第1部はさらに
(1) 秦野周辺の地形・地質
 ① 丹沢・足柄山地と大磯丘陵
 ② 箱根火山と富士火山
 ③ プレートテクトニクスと周辺大地の生い立ち

(2) 秦野盆地
 ① 地形と地質
 ② 活断層群
 ③ 水系と地下水
 ④ 気候の特徴

(3) 自然災害
 ①富士山噴火の影響
 ②関東大地震と震生湖
 上記のような項目で講義がすすめられた。

 久しぶりに地質学の勉強をさせて頂いた。講師は専門家で、地図入り図形入り、写真入りの資料と、パソコン画面をボードに映して分かり易く説明して下さった。新第三紀中新世~鮮新世初期(1700万年~400万年前)の主として火山活動による地形と地質の話である。人類が、生物が誕生するよりはるか昔の話に地球に起きた様々な現象を想像してロマンを感じた。専門家は地質地層を研究し気の遠くなるような年代を確定するのだと納得した。

 詳しい話はまだまだあったが、時間超過が予想され帰宅が遅れるのが気になったので、私たち3人は第1部だけ聞いて退席した。
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by ttfuji | 2007-11-25 20:22 | 郷土史・講演会・学習 | Comments(4)

妹の見舞い

 第4腰椎圧迫骨折の妹を見舞う。元気なのだが、高齢になっての骨折は、簡単なものではないらしい。入院の3日目かにはリハビリが始まったが、頑張りすぎて痛みが増したという。
 今は、余り無理しないように、少し軽いメニューに切り替えたそうだ。何事も医師任せ、理学療養士任せで本人が勝手に頑張ったわけではない。従って大分長引くようだ。あせらずゆったり取り組んでほしい。幸い病院は新しく広々と清潔で快適な環境である。看護師さんやスタッフの方々も優しく教育が行き届いている感じだ。

 各階に広いロビーがあり、面会自由である。病状の程度にもよるが、そこで面会者や家族と食事もできる。妹も車椅子で自由に移動できる。

 本や新聞、脳トレ本など次々に届けられ、大きめな手帳に入院日記を細かく書いている。これもトレーニングの一環のつもりという。優れものの電子辞書が、お気に入りで何でも調べる。処方のクスリもすべてチェックしている。

 私も画文集と文庫本を届け喜ばれた。 昨日は,JTB時代の友人が二人来て下さったそうだ。明日は、同じく後輩のYuさんが見えるという。この方は、素晴らしいブログ「Yu´s Tiny World」を公開しておられ、妹を通じて読ませて頂いたので、私も親しくなり、妹の入院を私が知らせた。妹がいつもコメントを入れていたのが、突然の不音でどうしたのかと思われるのではないかと余計なお節介をしたのだった。大変驚かれ、再度の入院にとても悲しんで下さった。
 1日違いで行った私に妹は、明日だったらお会いできたのに、と言ったが、残念ながら明日は別の予定が入っている。
 Jさんは、午前中私が行ったときは、もう帰ったあとで、小田急線新松田まで行き、西丹沢行きのバスに乗り、午後まで過ごして帰ってくると言う。午後2時過ぎ必ずもう一度顔を出すというので私もお会いしてから帰ることにした。、ベッド脇で3人でお茶を飲み、おしゃべりして3時頃、前後して病院を出たが、途中で追いつき、柿生駅まで一緒に歩いた。伊勢原駅を降りてヨーカドーで食料を買い、4時半帰宅。急いで夕食の支度。ご飯だけは夫に頼んでおいたので、助かった。
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by ttfuji | 2007-11-24 20:04 | 家族・身内・私 | Comments(4)

美容院の先生と旅行談義

 今日は午前中は寒い日であった。午後からは陽も出て気温は上昇した。
 午後からは空いているとのことで、いつもの美容院ヘヘアダイとカットに行く。ワードでまとめたポーランド旅行記をプリントして持参。
 この美容師先生は、6月に南米のマチュペチュに行ってきて話をして下さった。私もブログにそのことを書いている。彼女も旅行好きだが、山が好きなのでいわゆる物見遊山の旅は興味がないという。
 ポーランドってどんな国?、と聞かれ、歴史的にかなりつらい思いに耐えてきた国と伝える。多くの国と国境を接し、耐えず周りの国から侵略され、国を分割され、ある時は祖国がなくなり、それでも祖国愛が強く何度も立ち上がった。大戦中はドイツに、戦後はソ連の支配下におかれた、アウシュビッツもポーランドにあり、見学してきた。きちんとしたものではないけど、聞いてきたり資料を読んだりしたことを書いているので、旅行記読んで下さいというと、じっくり読ませて頂くといわれる。
 行きたいところはいろいろあるが暇とお金がね、と。働いては少しづつ貯めて行きたいという。私も、いよいよ余裕がなくなり、今回が最後かもというと、そんなこと言わず頑張って楽しんで下さい、といわれる。私はお金があれば楽しんで使ってしまう性格なので、いつも反省しているのである。
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by ttfuji | 2007-11-23 16:28 | 友・師・人 | Comments(0)