私の生活や自分史・読書、旅などの記録


by ttfuji(トコ)

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お日様が恋しい

 5日ぶりにお日様が顔を出した。でもまだ薄日だ。室内の突っ張り棒にかけてあった洗濯物を外に干す。プラゴミを出しに行ったとき、どこのお宅でも、沢山の洗濯物をいっせいに外に出していた。お天道様のありがたさを感じる。

 きのう、こちら南関東は寒波に晒されたが、西日本は暑いほどの日差しだったらしい。狭い日本でも、こんなに差がある。
 しかし、冬らしい冬もあって当然なのだ、昔に比べたら温暖化のせいで、凍えるような思いはしてない。住宅の気密性、ダウンコートなど、防寒対策も万全だし、暖房も完備している。寒さ恐れるに足らず、と納得して歩き回った。

 しかし、今日も日差しは午前中のひとときだけで、雲に覆われ、薄ら寒い日であった。

 今日は、逃げる2月の最後の日。明日から3月、いよいよ春らしい季節を迎えることができるか。世の中も、もう少し明るくなればと願う。
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by ttfuji | 2009-02-28 15:21 | つれづれ日記 | Comments(6)

今年一番の寒さの中・・

 朝起きると、残念ながら雨が降っている。
 郷土史の下見で横浜に行くので、朝食と身支度とゴミ出しを早めにすませるが、外気の冷たさはふるえるほど。相鉄線・海老名駅の改札中側に9時半に集合する。7名が参加した。
 横浜駅に着いた頃は、みぞれ混じりの雨になっていた。
 みなとみらい線に乗って、<馬車道>下車。「横浜県立歴史博物館」へ入る。ここは、4月の行事にも、見学予定場所になっている。4月の当日に説明して下さるボランティアの人も依頼、約1時間の説明と自由見学1時間を予定する。私たちも常設館を見て回るだけで、1時間半かかった。昼を回りみなさん空腹を訴えていた。
 電車を1駅だけ乗って、<元町・中華街>で下車。中華街へいく。
 以前来たことのある店が何軒かある。
 某店の前の看板と献立のランチセットを見て、此処に入ることにする。スープから杏仁豆腐まで7品出ておいしく充分満足した。
 4月も此処で、昼食をとることにし、仮申し込みする。人数が確定した時点で、電話する。会員の参加費が○○円、会からいくら負担するか、貸し切りバス代、駐車料金、博物館入館料などの計算も検討材料だ。ゆっくり食事をし、次に、日本通りの、「日本新聞博物館」へ。
 天気がよければ歩いていける距離だが、横なぐりの雨で、カサもうっかりしていたらとばされそう。一駅だが、みなとみらい線に乗る。<日本通り>下車。駅に接続して博物館はある。シルバーで入館料400円。此処でも沢山の展示物を見た。最近1年間のニュース写真。日本中の新聞から集められたものである。だんだんと時代が遡り、政治・社会の記事や写真を展示。大地震や、天災、事故などもある。ケネディ大統領暗殺のニュース、はじめてテレビがプロレスを街頭放送した記事。戦争中の大本営発表のもの。幕末や明治初期の新聞。その前の壁新聞や瓦版などなど。興味深かった。以前読んだ、吉村昭「アメリカ彦蔵」のことが書かれたものはないかと探したが、記録はなかった。
 新聞のできるまでの印刷機や輪転機、コンピューターの展示や説明もあった。

 展示室が見終わって、<新聞製作工房>に入ると、新聞作りが体験できるという。私たち全員の写真を撮って下さり、新聞に載せるという。写真や記事がはめ込めるようになっていて、会長がパソコンに記事を書き入れる。編集に7人の名前も記入された。
 写真入りの新聞を1枚ずつ頂いた。
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 ここですでに4時。山下公園や外人墓地には行く時間がなかったし、あっても、この雨では無理だ。その後はどこにも寄らず、帰ってきたが、家に着いたのは6時を過ぎていた。
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by ttfuji | 2009-02-27 22:47 | 郷土史・講演会・学習 | Comments(6)

明日は横浜行き

 今日で4日お天道様が顔を見せない。気温も低い。暖かくなるといわれた予報もはずれた。明日も同じような天気らしい。

 明日、郷土史の役員による横浜散策の下見がある。実施は4月だが、見学場所や食事場所など、行程表を作るための下見である。今年横浜開港150年なので博物館や山下公園、外人墓地など見る予定になっている。下見は役員の都合のつく人だけでいいということだが、暫く横浜にも行っていないので申し込んだ。折角だから暖かな、良い天気になって欲しい。

 今日は、スイミング。午後から、確定申告書を作成。控用に添付書類をコピーしてきた。提出は、来週の予定。
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by ttfuji | 2009-02-26 19:21 | 郷土史・講演会・学習 | Comments(2)

日記3日分 降順に

 今日2月24日(火)はまた一段と冷え込んだ。早朝は昨日に引き続き雨だった。スイミングに行くときは止んでいたが、天気予報では午後から小雨が降るので折りたたみ傘を持って出るようにと言っていた。
 銀行や買い物があり、車で行きたかったが、夫が体操に行くため11時半までに済ませなければならず、急いでの買い物は無理なので、午後から歩いていくことにした。 午後、玄関を出ると向かいのご主人が犬の散歩から帰ってきたところ、お天気大丈夫そうですね、と挨拶を交わした。2・3歩歩くとポツンとあたった。それから強い雨ではないがいっせいに降りだした。
 急いで戻り、帽子とカサをとってくる。今日は重い買い物はやめよう。ヨーカドーを一巡。とうきゅうに寄る。銀行を済ませてから、買い物をすることにし、再びヨーカドーへ。
 Yさんが言っていた、かっこいいパンツを探したがどのブティックか聞きのがしたため見つからず、バーゲン品を試着したが気に入らず買わなかった。
食料品売り場で、必要最小限だけをと思っていたのに、肉・魚、パンや嗜好品など買っているうちに、だんだん増えて、1時間に一度、わが家の近く(5分くらい)を通るバスで帰ってきた。以前は、疲れたから、荷物が重いからという理由でタクシーを気軽に利用したが、今はそんな無駄はしないし、できない。
 今日の夕食は、このところカロリーオーバーなので、鯛の切り身の煮付けと鯛の頭とアラの潮汁。具は白菜、葱、椎茸、シメジ、お豆腐。私は、前日残りの鰺の干物半身と潮汁。常備菜の大根の皮の煮物、厚くかつらむきにし、乾した物で切り干し大根より干瓢のような食感でおいしいが、夫は食べない。娘はおいしいと言ってたべたのに。

 ついでに、昨日(2月23日)月曜日の日記。
 太極拳は、自主トレだった。前の週に、ニットのベストを脱いで忘れてきた。その日の午後、取りに行ったが、部屋が使われており、まだ届いてないといわれ、来週来ますから預かっておいて下さいと、頼んできた。自主トレのあと、帰るときに寄ると、係は違う人で、忘れ物ノートに署名して受け取った。結構、みなさんも忘れ物も多いので、安心した?。
 夕食は、オージービーフのすき焼き風。私は昼の天ぷらうどんが、重かったので、パス。干物とほうれん草のおひたしの夕食。

 一昨日(2月22日)の日曜日は、娘を夕食に呼んだ。このところ孫は時々来るが、娘は都合が悪いと言って来てない。孫のTは、部活に出ているとのことだったが、メールを入れておくと言った。7時頃来たのは、娘だけ。Tは、ときくと、部活の友達と外食することになったという。
 けんちん汁を大鍋で作り、天ぷらを山ほどあげ、煮物、サラダなども用意したのにちょっとがっかり。娘も申し訳なさそう。お弁当や翌日のうどん用などにたっぷり持たせ、わが家でも翌日の昼は天ぷらうどん。まだ残っている。カボチャやサツマイモ、シメジやエリンギなどは、甘辛く煮てもおいしいが、カロリーオーバー間違いなしなので冷蔵庫にしまう。 
 
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by ttfuji | 2009-02-24 19:34 | 生活雑記 | Comments(0)
 昨日、図書館で借りた小林多喜二・宮本百合子全集で、「蟹工船」を読んだ。若い頃、読んだつもりでいたが、途中で放り出したのか、一部をダイジェストで読んだのか、後半の部分が曖昧だった。改めて、この小説がその時代に書かれた意味が納得できた。と同時に、治安維持法や不敬罪の名目で逮捕され拷問死させられたのも当時のロシア革命の影響や、赤化を恐れた官憲の危機感からだった。
 蟹工船は、日本帝国と資本家が利潤と国策のため、疲弊した農民や、炭鉱の事故から逃げ出した坑夫、漁師、学生、食い詰めた「渡り者」や何も知らない少年まで、季節労働者として傭われた。悪臭の漂う、蚤や虱や南京虫までいる糞壺といわれる船室に、押し込まれ、奴隷のように働かされる。作業が遅い、態度が悪いといっては容赦ない体罰や嚇しが行われ、人命よりも生産高が大事にされ、何人かが犠牲になる。鬼監督は、船長や船医まで命令する。駆逐艦が、お国のために働くこの船を守っているから、ロシアの領海を侵しても大丈夫だと嘯く監督。時々、駆逐艦の幹部を招待して大盤振る舞いなどしている。
 悪天候に、作業ができず、命からがら小舟から戻っても、なぜ戻ったと怒鳴り、追い返そうとする監督。
 監督に殺されるかその前に、自分が殺すかだ。と誰もが思っている。
 団結して労働条件の改善を求めよう、監督だって俺たちが働かなければ困るはず、いや、もっと強硬に実力行使に出なければ駄目だ、というもの。迷っていたらもっと犠牲者が出る。
 そしてみんなが立ち上がる。監督室に押しかけ、それぞれ大声で喚きながら抗議するが、監督はびくともしない。後悔はしないか?、という。怒った一人が暴れ出し備品やドアなど壊すが、ピストルで撃たれる。労働者たちが、監督ともみ合いピストルを奪い、一人が労働条件の改善を求めて箇条書きしたものを読み上げる。
 監督は、わかった、明日の朝までには、色よい返事をしよう、約束する。みな船室に引き揚げる。そして翌朝、どんな色よい返事が来るかと待っていると、来たのは監督からの連絡で武装した駆逐艦の乗組員だった。叛乱の中心人物は、銃で撃たれ殺される。映画はここで終わるが、小説では唆したもの十数人が、拘束され駆逐艦に引き渡される。小説ではそのあとの顛末として、監督は、騒動を起こさせた責任を問われ、1円の報酬も与えられず、追放される、というもの。

 映画は、S28年に、山村総が監督・出演で製作されたもので、画面も小さく、白黒で、古さを感じたが、やがて、衝撃的な迫力に圧倒され、引き込まれた。この映画に主人公はなく、労働者と事件が中心になっている。小説の方もそう感じた。

 映画のあと、10分の休憩、
 3:40~ 主催者挨拶と講演「小説 蟹工船について」
                    多喜二研究家 相原進氏
 4:00~ 講演「多喜二、愛と闘い」 文芸評論家 澤田章子氏
 5:00~ 来賓挨拶 日本共産党 元参議院議員 畑野君枝氏
 終わったのは5:10だった。
 講演はお二人とも、わかりやすくとても良い講演だった。特に、澤田氏の多喜二の母の話には感動した。とても人間的にやさしい人だった。乞食といわれる人や、たこ部屋というようなところから逃れて来た人には、食べ物を与え、身の上を聞いたり、出身地を聞いたりしたという。それは、多喜二にも共通したやさしさだった。

 多喜二が「「蟹工船」を発表したのが、1929年、26歳の時。「蟹工船」以前にも多くの作品を書いているが、その後、1931年、共産党入党。何度か検挙、起訴、収監される。1932年結婚。8月、「党生活者」完成。1933年(昭和8年)、2月20日、29歳の時、赤坂で同志と連絡中、密告逮捕され、築地署で拷問虐殺死される。
 沢山の著作があるが、主なものに「1928年3月15日」「党生活者」「防風林」「不在地主」「東倶知安行」「滝子其の他」がある。
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by ttfuji | 2009-02-21 22:39 | 読書・読書会・図書館 | Comments(4)
 朝のスイミングのあと、Tさんと図書館へ。市役所の駐車場が入口のところで列をなしている。確定申告が始まっているからだろうか。わが家もそろそろ作成しなければ。道路を挟んだ、元法務局跡の駐車場に空きを見つけいれる。
 市役所、文化会館、図書館、その他公共施設が集まった行政区なので、行事や催し物があるときは、市役所の回りの駐車場までいっぱいになる。

 本は、6冊借りていたが、うち2冊は読み終わらず継続した。新たに2冊借り、4冊となった。
 帰りに、農協直売所で買い物。大根や白菜など重い物が買えたので,Tさんも喜んでいられた。

 2日前の新聞さがみ版に、伊勢原文化会館で、映画「蟹工船」が上映されると載っていたので、連絡先に申し込んだ。当日は、大ホールでも催しものがあり、午前中も別のものがあるので、なるべく車での来場は遠慮して欲しいと市から言われた由。歩くと30分以上かかるが歩くことにする。「蟹工船」はいま若い人達の間でブームになっているという。
 派遣切りなど、苦難の時代の到来だからか。私もむかし読んだが、かなりの部分わすれているし、映画は観ていないので、見に行くことにした。
 同じ日の新聞に、小林多喜二は、伊勢原に隣接した厚木市七沢の温泉旅館「福元館」に1ヵ月滞在、小説を執筆したという。多喜二祭が、今年は伊勢原で21日に文化会館で。2回に分け映画「蟹工船」を上映。その間に文芸評論家の澤田章子さんに「多喜二 愛と闘い」と題し話してもらう、とある。
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by ttfuji | 2009-02-19 18:47 | 映画・演劇・音楽 | Comments(0)
 午前中、クリニックへ先日の血液検査の結果を聞きに行く。検査結果は血糖値が少し高め以外はどうにか正常範囲に収まっている。薬を処方もいつもと同じ。調剤薬局が終わると11時半。予約が10時半だったのに10時と勘違いし、混んでいたこともあって1時間待つことになった。
 午後は、南公民館へ。今日はもくれん読書会の日である。当番なので茶菓子を用意し早めに行く。
 今日の課題本は「医者の目に涙」、石川恭三著だった。
循環器の臨床医だった著者は、30年に亘ってさまざまな患者との出会いと別れを繰り返してきた。
 杏林大学の名誉教授、日本医学界で名医といわれているという。(インターネット解説) 
 巻末の解説に、建築家の堀江秀人氏が“名誉や経済的安定を求めて医者になる人は多いが、石川先生は、誠実な人柄に裏打ちされた患者いや人間に対するやさしさそのものだ”と書いている。殆どが、患者との悲しい別れを書いているが、常に患者の身になって、何が最善かを考え、入退院にしろ手術にしろ告知にしろ決めている。
 白血病よ去れ
 16歳の少女の死
 ロングウェイ・ホーム
 薄幸な白血病患者、40歳の女性患者。交通事故による内臓破裂のため救急車で運ばれる。なくなる3日前、石川医師に身の上を話す。
 父の仕事の関係で、父母と弟の4人で上海で終戦を迎える。父は、仕事で出かけたまま帰ってこない。弟が疫痢にかかる。少女だけが先に母の実家のヒロシマに行くことになる。ところが原爆で跡形もない。上海の母親とも連絡が取れず施設に入れられ、その後も家族の行方を捜してもらうが、ようとして知れず。施設で育つ。その後、女工を振り出しにいくつか仕事を変えたが、未婚のまま、バーで働く。ある時銀行の窓口に、新銀行員の写真と名前が紹介され、弟の名前を発見。同姓同名かも知れないと思いながら、何度か本人を見ると、面影がある。聞いてみると姉弟と分かり奇蹟の再会を果す。しかし、喜びもつかの間、家族に会わせてもらえない。母は10年ほど前になくなったという。いっそ会わなければよかったと姉弟の縁を切る決意をする。そんなとき事故に遭う。死亡後、弟は謝罪の絶叫をする。姉の骨を母のお墓に納めることになった。石川医師はほっとする。胸の潰れるような話だった。
 他にも「約束」、「主婦の過労死」、「母なればこそ」、「家庭の事情」、「おとめ心」他、哀れで悲しい別れが多い。
 会員の意見も、著者の人間性の素晴らしさ、現在の病院の抱える問題、ご主人が入院中のこと、ご主人が病院の医師である人は、いろいろ勝手な患者がいて医師や看護婦が困る話などもでる。
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by ttfuji | 2009-02-18 19:42 | 読書・読書会・図書館 | Comments(0)

つれづれ日記

 気温が平年並みに戻りつつある。今日はそれ程寒くはないが一昨日の夏日から冬日にまたもどるという。2月は更衣だからもっと寒くて当然なのだ。

 今日は、午前中太極拳。午後から血液と尿検査のためクリニックへ行く。2日後に結果説明と薬の処方がある。
 クリニックのあと、銀行と大型店へ買い出しに行く。この店へ行くと、予定以外のものまで買ってしまい、玄関に積まれた袋の数に我ながらあきれ恥ずかしくなる。
 冷凍庫、冷蔵庫、食品庫、野菜籠と仕分けして仕舞う。素材で冷凍するものは、あらかじめ小分けして冷凍しておく。5尾買った魚などは、2尾と3尾というように。切り身や、肉類もトレイに仕切りを入れておく。

 わが家は、娘や孫が突然来ることが多いので、いつでも間に合うように、冷凍食品や食材も用意しておく必要がある。

 土曜、日曜と孫が来た。土曜日は聞いていたのでヒレカツとサラダ、練り物の煮物、ほうれん草のゴマ和えを用意したが、日曜日は、聞いていなかったので、老夫婦は魚料理だった。揚げ鯖の野菜甘酢あんかけと里芋のピリ辛煮、オイスターソースと豆板醤で炒め煮したもので新聞に載っていた。
 私たちの食事が済んでから孫が来たのでびっくりした。
 サカナは駄目なので、急いで牛肉をレンジ解凍しタマネギ、シラタキ、きのこ、ニラなどで牛丼風に作って食べさせた。煮物の残りと味噌汁は間に合った。カアチャン電話するのを忘れたんだ、と言っていた。
 母親不在の時はいつでもおいで、といつも言っている。
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by ttfuji | 2009-02-16 22:15 | 生活雑記 | Comments(4)

読書雑感

  まとめて読書録を書くと、本は返却済み、加齢による記憶力の低下で内容もすぐには思い出せないことが多い。といって1冊ごと書いておくのも面倒である。臨機応変に書くことにする。

 ガール  奥田英朗  講談社
 この著者の本をVINさんの影響で何冊か読んだが、どれも現代的で、刺激的だが結末に破綻がないので面白く読んでいる。「ヒロくん」「マンション」「ガール」「ワーキング・マザー」「ひと回り」の短編5編からなる。
 どれも30代のキャリアウーマン」が主人公。一流企業の第一線で男性の部下を持つ、女性管理職のやりにくさ。夫より収入が良い夫婦の微妙な関係。しかし、夫のおおらかさ、出世欲のなさに救われる話(ヒロくん)。
 結婚願望も諦めて、マンションを購入することに。しかし気に入ったマンションでなければイヤ。妥協はしたくない。今の高収入と安定がないと購入は不可能。ところが、仕事上のライバルが、このマンションを買おうとしている。相手は部長秘書。敵対は自分の地位を危うくする。(マンション)。他の3編も同様な女性心理を描いている。

 ひどい感じ 父・井上光晴  井上荒野  講談社
 井上光晴の子ども時代や青年時代は不遇で九州の炭鉱で働いていたとなにかで読んだことがある。娘二人に、荒野(あれの)、切羽(きりは)などという名前を付けることからして、かなりの変人という先入観を持った。荒野さんの小説を3冊読み、今回この題名の本で、さらにひどい父親像を想像していた。 ところが、いたって当たり前の愛情豊かな父親で、家庭も温かい。
 戦争末期の若い頃、炭鉱で働いたこともあり、共産党に入党、その後、除名された。母は佐世保の老舗菓子舗のお嬢さん。福岡女子大の卒業生で、左翼系の劇団などに入ったこともあって、なにかの集会で母を見初め、アタックしていった経緯や、母の手料理を求め、原稿も母に清書させていたという話は、「誰よりも美しい妻」に共通する。作家以外に文学伝習所などをあちこちに作り、講演や指導をし、外泊も多かったという。本気で母が怒ったこともあり、一生懸命母の機嫌をとる場面もあったという。
 荒野が大学時代、目的もなく過ごしているのに不満で、小説を書き始めていると知ったときにはとても喜んだという。書いたものを見せないというと、見せなくてもいいといいながら、こっそり読んでいたらしいと感じていた。

 虚言癖というか、嘘吐きみっちゃんと子どもの時から言われ、家庭で話す思い出話や普通の話題のどこまでが本当の話か解らないところがあるという。
 「ひどい感じ」というのは高見順の「いやな感じ」をもじってつけたもので、父の詩にもこの言葉は書かれているし、父がよく使っていた言葉だという。 荒野が書いた小説が賞をもらい、その後の書いたものなど読んで、作家の道を歩むことをすすめたという。
 父が癌のため66歳でなくなる迄を書いている。

 『犠牲』への手紙  柳田邦男  文藝春秋
 前回、読み終えていず、継続した本。次男の自死を書いた本に対しての読者から寄せられた沢山の手紙。若い人から年配者まで、自分が心の病に苦しんでいる、あるいは息子が娘が、と赤裸々に綴られた手紙に息苦しくなる。この本を最後まで読み進められるか、読み飛ばせない本だ、と感じながら一旦この本を手放した。そして、『太郎が恋をする頃までには』を読み、『ガール』を読み、『ひどい感じ 父・井上光晴』を読んだ。そのあと、今日、『犠牲・・・』を読み終えた。そしてじっくり読むことにする。打ちのめされる本だった。
 「なぜ書いたか」「体験と物語」「僕自身による柳田邦男」「書いたこと・書けないこと」などが対談とインタービューに答える形で詳しく丁寧に苦悩しながら書かれている。次男の自死のショックから立ち直るために、その後も多くの作品を書き続けたこと。生涯本当のことは書けないといいながら、妻の心の病が四半世紀に及んでいること、長男も脳炎を患ったこと、などが書かれ、親戚から身内の恥をなぜ公表するのかと抗議されそれに対しての、怒りも書いている。詩人、山本博通氏の「父のかたち」という詩はすさまじい。山本氏もインタビューに答えての会話も衝撃的である。一度は一家心中も心にあったという。亀裂の入った家族のこと、読みながら、断片的にいろいろな感想が頭に浮かんだが、まとめることが難しい。

 書評をまとめるのに自信をなくしている。もともと自信などないが、題名だけと思いながら、自分自身の思い出すきっかけのために恥を忍んで書く。
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by ttfuji | 2009-02-15 22:11 | 読書・読書会・図書館 | Comments(4)
 昨日あんなにやきもきしたのに、お天気に恵まれすぎた。
 夜中は、窓打つ嵐に何度も目が覚めた。4時頃からは、いつものように読書に切り替えた。
 昨夜は12時過ぎ寝付いたので睡眠時間4時間は確保できた。風の音が弱まったり、雨の音が時々聞こえたり。
 6時半に雨戸を開けると、真っ暗。暗雲がたれ込めている。雨は止んだようだ。時々外を眺めると、部分的に明るいところもあるが、大山のあたりは雨雲がもくもく不気味だ。
 今日は、曇っても時々ざあっとくるような気がする。8時頃まではどっちなんだ、はっきりしてよ、という空模様だった。それからだんだんと雲が切れてきた。
 暑くなる、と天気予報で繰り返し言っている。コートは要らないだろう。傘は要るかも。
 車で、公民館まで行き、駐車場に置かせて頂く。シティプラザ集合。みなさん、駄目かと思ったと仰る。会長の言葉も、みなさん行いがいいからと。
 でも参加者は半数に満たない20名以内?。
 気温はどんどん上がり、出発時点で、上着を脱いだりセーターを脱いだり。私もジャケットを脱ぐ。

 今日のコースは田中地区の黄檗宗の寺院や墓碑を尋ねる。軍馬の訓練をした錬馬場跡などもある。
 回ったところは常楽寺跡・聖原、鑑照寺、耕雲寺、せきと橋、竹林寺跡など。それぞれ歴史的に由緒ある寺や寺跡だが詳細は略す。

 歩いている間は暑かったが、道は裏通りで広い屋敷や庭の花々、特に梅の花の盛りでのどかな散策だった。
 最後の竹林寺は、ふじやま公園の近く。昼を回ったところで解散となる。
 246号線沿いのレストランで友人3人と昼食をとる。その時点でIさんの携帯歩数計は8000歩を越えていたそうで、そのあと公民館まで歩いたので、1万歩は歩いたと思う。
 
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by ttfuji | 2009-02-14 19:13 | 郷土史・講演会・学習 | Comments(0)