私の生活や自分史・読書、旅などの記録


by ttfuji(トコ)

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 4月最後の日。あっという間に、1年の3分に1が過ぎた。

 今朝、夫は横浜に出かけた。海港150年の催し物を見てくるとのことだった。
 いつも一緒にスイミングに行くYさんは、上野の国立博物館へ「阿修羅展」を見に行かれ、スイミング行きは、私一人だったので、ついのんびりしてしまい、車で出かけた。

 スイミングの入口で、i&iさんに会う。いつも水曜の「アクアエクササイズ」クラスで練習しているはずなので、おや、と思ったが、昨日は祭日で、休みだったため、モーニングフリーの時間でウオーキングしようと思って、と言われる。

 終わってから、i&iさんが、2日前、ブログで紹介していた、「杉山土建」という会社の、ツツジとボタンを見たいと頼み、案内して頂いた。わが家からは遠いが、Iさんのお宅からはウオーキングで行ける、伊勢原大磯線沿いにある。個人でこんなに広い土地持ちなのにまず驚く。
 今や伊勢原の名所となっているらしい規模の庭園だった。もう盛りを過ぎているかも、と言っていたが、ボタンなどさまざまの色や形でまだまだ見頃の株も多かった。これから咲くサツキも沢山あった。友人同士やご夫婦連れで見に来ている人もかなり多い。
 石造物(観音様やお釈迦様の仏像)がそこそこに飾られていたが、本業に関連した一部ではないかと想像した。

 邸内の一角に「押し花展」の看板があり、入ると、押し花で作った素晴らしい作品の数々が展示されていた。近くの市に教室がいくつかあり、先生と生徒の作品だったが、素人とは思えない芸術品だった。習いませんか、と誘われたが、とてもとても、根気もセンスも持ち合わせてない。見るだけで満足した。

 土産品や初島の特産品などの出店もでて、見るのも楽しかった。
 漬け物や佃煮、お菓子など試食させて頂いた。スイミングのついでに寄ったため、手持ちのお金も余りなく、1・2品だけ買った。焼生姜の佃煮をIさんから頂いた。
 何よりカメラを持ってこなかったことが悔やまれたが、スイミング行きを、車で横着したためにできた想定外の行動だった。何が幸いするかわからない。帰りに、Iさんが借りている畑に寄ると、ご主人が働いて居られ、そこでタラの芽を摘んで私に下さった。Iさんには、いつも頂くばかりで恐縮している。お宅にお送りした時も頂き物をした。

 午後は、銀行と駅前の小田急OXに寄るが、買い物はせず、ヨーカドーへ。ポイントカードがOXでは作ってないためと、昨日の広告で買いたいものがあったためだが、買ったのは、予定外の晴雨兼用の黒の日傘と食料品だけだった。

 夫が出かけるとき、のんびりして下さいと丁寧な言葉を頂いたが、本当にのんびりできた。帰宅時間は不明なので一応夕食の支度はした。
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by ttfuji | 2009-04-30 19:38 | 友・師・人 | Comments(2)
 天候が変わりやすく寒かったり暑かったり。そのせいか、風邪気味の人や体調を崩している友人もいらっしゃる。
 後期高齢者ともなると、気温への適応が難しくなる。後期高齢者より少し年下だが、私も気をつけなければと感じる。

 豚インフルエンザが、メキシコやアメリカで広がっている。こちらも、日本に上陸したら、パニックになるだろう。成田空港や国際空港は、入国者の検疫や防護に必死だ。
 もし、感染者がでたら、不安定な世の中がますます混乱するだろう。早く終息して欲しいと祈る。鳥や豚、その次は何が起こるのか。恐ろしい。

 それにしても次から次へといろいろのことが起こるものだ。ゴールデンウイークもアメリカやメキシコなどの外国旅行もキャンセルが続いているらしい。

 私のようにゴールデンウイークの予定がないのもさみしいものだが、軽いウオーキングや散策などしようと思っている。
 スイミングは休みだし、じっとしていたら足の衰えが甚だしい。この頃、足の攣れも多くなったし。
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by ttfuji | 2009-04-28 23:02 | 時事・社会・地域・自治会 | Comments(0)

春の嵐

 昨日から今日にかけて、日本列島は春の嵐が吹き荒れた。気温も下がり再び暖房の出番となった。
 昨夜、突然の雷鳴?。それがいつものかみなりと違って、ドン・ドドドンと不気味な轟きが続いた。
 時々季節の変わり目や台風の時など、こんな雷鳴が起きる。夫に、突然親機のパソコンの電源を切られないうちにとパソコンを終了した。雷の時は、電源を切らないとコンピューターが故障することがあるといわれていた。以前、何か書いているとき、送信前に突然切られて折角書いたものが消えてしまうことがあった。
 昨夜は、言われる前に切った。
 雷鳴らしきものが聞こえなくなって、パソコンを開いた。マイミクシーのま~さんが、「雷鳴?花火?」という日記を写真入りで載せていた。ま~さんも雷と思い、ネットで調べてみたら、花火とわかったという。

 「第一回湘南いせはら芸術花火大会」というのが行われていたとのことだった。市内にいながらこの催しを知らなかった。
 春爛漫の夜だったら、盛り上がったことだろうが、悪天候の夜だったのは残念だった。それでも写真で花火を見せて頂けたのはよかった。
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by ttfuji | 2009-04-26 15:14 | 生活雑記 | Comments(4)

ミスが多くなった

 今日は、午前中、中央公民館で郷土史会の役員会があり、それに合わせて、旅仲間4人で、ファミレスで昼食をし旅行の相談をすることになっていた。

 夫が午後市内の体育館へ行くので、1時半までに帰宅すると言って車で出た。11時半頃、ファミレスの駐車場に入るとき、駐車券を発券機から受け取った。
 1時過ぎ、相談も終わり、他の人達は時間の制約はないので、先に失礼しようと、駐車券をどこへ入れたかとバッグを探し始めた。
 役員を一緒にやっているNさんが、同乗しており、券を手に取るのを見ていて、一瞬、預かろうかと思ったそうだ。大抵バッグの外側のファスナー付きのところに入れる。そこにないので、中心の大きなところを探した。仕切りのすべてを探したがどこにもなかった。レジの人に断って、車の中を探しに行った。車の中には、役員会の資料を入れた大きな袋も置いてある。車の床に落ちてないか、ドアの外側にはと探し、ないので、大きなバッグを店内に持ち込んだ。みんなの目の前で、中のものを一つ一つ出していった。ポケットはといわれ、すでに探したが、もう一度確認した。
 恥ずかしながら旅先で探し物をするのが多いので、みなさんもあきれているだろう。
 キャッシュカードや乗車券などは、細心の注意を払うようになったが、駐車券には注意が足りなかったようだ。
 最近は、どこで買い物しても、駐車券は発行される。仕方なく、店で再発行してもらったが、先日の家の鍵といい、反省しきりだ。
 これから、ますます物忘れが進んだらどうしたらいいのか不安である。

 1時半前に家に帰ったが、夫はバイクで出かけた後だった。天候が下り坂で、夕方以後、雨になるかも知れないと言っていたが、夫はインターネットで調べて夜まで大丈夫そうだったから、バイクで早めに出かけたと言っていた。
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by ttfuji | 2009-04-24 18:30 | 家族・身内・私 | Comments(2)

読書 寡黙なる巨人

 先日の読書録には『寡黙なる巨人』は、途中だったので紹介できなかったが、2日で読み終わった。i&iさんからお借りした本で、次にKさんにお渡しすることになっているが、太極拳で会うまで4日あるので、Yさんに先に読まない?、(Iさんには、話しておくから)と言ったが、今読む本がいくつかあるので、あとでお借りするという。みな、太極拳で親しい仲間だ。本の貸し借りは頻繁である。
 
 今日は、スイミングのあと、Tさんと図書館へ行ってきた。5冊のうち1冊継続、新しく4冊借りてきた。

 寡黙なる巨人 多田富雄
 著者は、1934年生まれ。東京大学名誉教授。免疫学者。千葉大学医学部卒、千葉大学教授、東京大学教授、東京理科大学生命科学研究所長を歴任。96年、国際免疫学会連合会長、抑制T細胞を発見。野口英世記念医学賞。エミール・フォン・ベーリング賞、朝日賞など内外の多数の賞を受賞。84年、文化功労者。
 能楽にも造詣が深く、脳死と心臓移植を題材にした『無明の井』、朝鮮人強制連行の悲劇『望恨歌』などの新作能の作者とも知られ、大倉流小鼓を打つ。
 2001,5,2脳梗塞で倒れ重度の障害を持つ。
 主な著書に『免疫の意味論』(93年、大佛次郎賞)、『独酌余滴』(99年朝日新聞社エッセイストクラブ賞)、『脳の中の能舞台』(2001年)、『露の身ながら』(柳澤桂子と共著、2004年)など多数。 
巻末の紹介文をそのまま写したが、これだけでただ者ではないと感じる。単なる学者だけでない。多趣味多芸である。

 多田氏は、2001年5月、訪問先の金沢で、脳梗塞で倒れ3日間死の世界を彷徨ったあと、奇跡的に生還された。しかし、絶望的な後遺症が残った。右半身麻痺、言語障害、嚥下障害、舌の感覚0だから、言葉も発せず、水一滴ものどを通らない。眠っている間に、舌が喉に落ち込んでしまうので常に電動ベッドで45度に保たなければならない。痰がいつも喉に絡むが、咳払い一つできないので、吸引機でとってもらう。
 幸い妻も医師で、東京から飛んできて寝ずの看護をしてくれた。「ごくんとつばを飲み込んで下さい」と医師に言われても、それができない。だから涎がとめどなく流れる。地獄の始まりと書いている。喉の麻痺は嚥下も嘔吐反射もできない。うがいも歯磨きもできない。造影剤もゼリー状の薬も食道の方でなく気管の方へいってしまう。鼻から通したチューブで栄養剤など流していたが、妻が液状の食事を口から通したチューブでとるようにした。発熱もあり肺炎と観念したが死ななかった。もう安らかに死なしてくれ、と願ったのに。金沢にいた2ヵ月間、口からものを食べることはなかったが体重は元のままだった。麻痺は3日、3週間、3ヵ月という感じで幾何学級数的に直っていく、と主治医に言われた。言葉は後になっても改善されることもあるから失望してはいけない、ということだった。脳に重大な損傷を受けているから、もう自分ではないのではないか、という不安。記憶が保たれているか。まず九九をやってみたが大丈夫だった。謡曲『羽衣』を謡ってみたが、全部思い出された。難しい漢語の並んだ『歌占』も大丈夫だ。

 しかし、常に日の当たるところを歩いてきたものは逆境に弱い。喪失感から心が萎えた。誰もいないところでは泣いた。ひと言もしゃべれないまま2ヵ月が過ぎた。3週間目頃から言語訓練が始まった。鏡を見ながらの訓練だが、麻痺した右は垂れ下がり涎が垂れ、左は右に引っ張られて歪んでいる。これが自分の顔か、恐怖で訓練どころでなかった。驚きはそれだけではなかった。舌を出して、といわれてもぴくりともしない。舌先を上の歯の裏側につけて、といわれても、タッタッと舌打ちするように言われても無理というものだ。声を出そうとしても全部鼻に抜けてしまう。風のような音がするだけだ。その頃、会話の手段は、トーキングマシンであった。左手でボタンを押して文章にすると声になって出る器械だ。

 このような状態で始まった、脳梗塞との闘いだったが、2週間経った頃、突然リハビリが始まった。長い腿まである装具をつけて歩く練習、理学療法士、作業療法士、言語療法士によるリハビリのスケジュールが組まれ、一歩歩くことに汗を流した。金沢の友人が、ワープロを差し入れてくれた。今まで使ったことがないワープロにこれしか表現の手段がないと必死で練習した。何とか使えるようになると、不思議に高揚した気分になって、詩のようなものを書き付けた。
  歌占
 死んだと思われて三日目に蘇った若い男は
 白髪の老人になって言った
 俺は地獄を見てきたのだと
 そして誰にも分からない言葉で語りはじめた

 それは死人の言葉のように頼りなく
 蓮の葉の露を幽かに動かしただけだが 
 言っているのはどうやらあの世のことのようで
 我らは聞き耳を立てるほかなかった

    以下略
 この詩は長く十二節まであるが、死の世界を見てきた著者の心象風景が書かれているように思う。若い頃詩の雑誌に投稿していたという才能を伺わせる。
 2ヵ月後、都立駒込病院へ転院。まだ、一声も発せず、一滴の水も飲めない。腕はピクリともしない。この病院には、リハビリテーション科が独立してなく、医師はパートタイムであった。冷暖房の調子も悪く、これが都立病院の実態だと不満だった。しかし、ここで初めて口からの流動食がひと匙喉を通った。涙が出るほどの感激だった。大丈夫とわかって2週間のうちに粥食になる。しかしこれは命がけの食事である。舌は筋肉が萎えて自由に動かせない。激しい咳き込みがいつもあった。
 ちょうどその頃、アメリカで同時多発テロが起きた。新聞で確かめようとしても新聞が読めない。片手で開いたり畳んだりめくれないし、押さえられない。ますます外界から遠のく不安があった。

 病気前、書きかけやまとまりかけている原稿が幾つもあった。生きた証しにそれを1冊の本にまとめたいと思った。トーキングマシンで妻に伝えると、理解してくれ、以前、秘書を務めてくれたひとが朝日新聞出版部に相談してくれることになった。題名は、『懐かしい日々の想い』にきまった。
駒込病院に3ヵ月いて病院を変えることになった。都立では3ヵ月が限度となっている。転院先は、東京都リハビリ病院だ。外観は立派だが病室はお世辞にも快適とは言えない。4畳半くらいしかなくテレビも冷蔵庫もない。ベッドは電動でさえなかったので替えてもらった。冷蔵庫とテレビは持ち込んだ。科学のないリハビリは百害あって一利なし、と思っていたがここへ来て実証されたと思った。
 麻痺した右半身の回復は、遅々として進まなかったが、リハビリに励むことによって、ぐったり疲れ、お蔭でぐっすり眠れるようになった。平行棒の中でしか歩けなかったのが、何もないところで一歩歩けるようになった。一歩が二歩・三歩と歩数が伸びる。介護者の手を借りて30歩歩けるようにもなる。
お正月を自宅でと一時退院しの話があった。自宅での生活は玄関の階段などで無理なので急いでバリアフリーのマンションを探した。
初めてのお正月は、二組の娘夫婦と息子が孫を連れてきて賑やかだった。この帰宅は新たな希望を与えてくれた。庭の木々や自然があった。湯島の近くで、車椅子を押してもらって散策にも出られた。
 4ヵ月経った頃、主治医から退院の打診があった。何かあったらいつでも病院へ戻れるし、リハビリに週四回通うことも決められた。リハビリは一日でも休むと、ずっと以前の状態まで戻ってしまう。
 今いる自分は、元の自分ではない。彼は死んで、今いるのは新しく生まれた巨人だ。言葉がない寡黙な巨人なのだ。
 本の題名はこうしてつけられた。
 この本の後半は、リハビリ生活の中で、雑誌などに載せたエッセーである。短いが珠玉のエッセーだ。
 「考える」をテーマに
 患者様にやさしい病院業務・ 近代医療に欠けているもの・病院ってなに・中学生に教える命の大切さ・日本の民主主義・愛国心とは何か・皇室・祭りにます如く・その他5編。どれも私が共感する内容だった。
 「暮らす」をテーマに
 アレハンドロ参上・声を出して読むこと・善意の謀略・隣の火事・なぜ原爆を題材に能を書くのか・原爆の能・その他。著者の人間性を強く感じた。
 「楽しむ」をテーマに
 雀のお宿・涙の効用・ゾルタン先生のこと・現代の「花盗人」・その他。
 交友の広さ、社会への怒りなど。全体を通して、人間の大きさ、教養の広さ、しかし、言うべきことは言う、こんなことは黙っていられない、という正義感の強さがある。とりわけ、リハビリ打ち切りは、命を奪うものという怒りは、その通りと思う。

 長い紹介文になってしまった。本が手元にあるとどうしても抜粋が多くなる。短くまとめる能力に欠けているので、通読してください。
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by ttfuji | 2009-04-23 21:17 | 読書・読書会・図書館 | Comments(6)

4月の読書

 読書録を書かなければと思いながら、億劫なものがあって一日一日と遅らせていた。いつももうやめようと思いつつ、題名だけでもと書いてしまう。従って、人様に見て頂けるようなものは書けない。今回は、特に推薦したい本も少なかったし。
 今、松井計さんの「ホームレス作家」を読んでおり、それが読み終わったらまとめて書こうと思っていた。
 ところが、昨日、太極拳に行った折、i&iさんこと、いつ子さんより、素晴らしい本だからと多田富雄氏の「寡黙なる巨人」をすすめられお借りしてきた。夜になってその本を読み始めたが、あまりの闘病生活の凄さに衝撃を受け目が離せなくなってしまった。この2冊はあとに譲るとして、読み終わったものだけ記録します。

  「妖恋」 日本民話抄 北原亜以子 集英社
 妖しげな題名に惹かれて図書館より借りてきた。『雪女』と『道成寺』の2篇。現代版『雪女』と『道成寺』である。原作は女の情念と執念の怖さを男が感じる物語だが。
 「雪女」
 親に内緒で大学を中退したヒロシは、コペンハーゲンの人魚姫の像に会いに行く。そこで出会ったヒロシとレイコは即座に意気投合する。デンマークのロスキレにすみたいというレイコに、そのために日本へ帰って現金輸送車襲撃を決行。うまくいったが、ほとぼりが冷めるまで富山の山奥の温泉地で暮らすことにするが、二人の間に気持の変化が生じ・・・
 「道成寺」
 上野で、『道成寺』の能を見る場面から始まる。学生時代の友人の招待である。友人は、夫の甥で大学生の真哉を晶子に紹介する。その真哉に恋をしてしまった36歳の晶子。
だんだん離れて行く真哉に会いたい一心で大学の門前で待ち伏せし、仕事場の出入り口で待ち伏せし・・・。
 余り、気持ちのいい小説ではなかった。

 『折口信夫』         筑摩書房
 折口信夫の作品と経歴、業績などが書かれている本。短歌、評論、小説、『死者の書』『毒身丸』その他、そのまま載っている。短歌と「死者の書」は思わず再読してしまった。愛弟子から養子にした、藤井氏のことも、戦死され落胆のあまり気力を失ったことも。

 「とんぼ」  伊集院静  講談社
 7編の短編小説集。冬の蜻蛉・睡蓮の雨・チルドレン・うそ時計・ウイリアムテル・あぶな絵・秋野など。帯にはリリカルに哀しく、7つの愛のストーリーとあり、解説には哀しくて、でも生きる勇気はわいてくる、七つの愛の物語。短編小説の名手が繰り出す珠玉の作品集とあるが、私は、一応通読したが、どれにも特別な感動を覚えなかった。好みの作家ではないような気がする。

 母 円地文子  冨家素子  新潮社
 円地文子の作品は1冊も読んでいない。先入観で好みの作家ではないと決めていた。たまたま、この本を図書館の返却棚から手に取り、読む気になった。娘が書く円地文子とはどんな人なのかと。
 著者は一人娘故、両親の愛情を独り占めし、のびのびというか、自由奔放に育って、歯に衣着せぬ調子で、両親のこと、身内のことを書いている。自由奔放さは、母も同じで、また父も同じく押しの強い新聞記者上がりのお役人だが、不仲の母とも離婚はしなかった。以下、抜粋する。
 母は、いつも離婚しなかったのはあなたのせいよ、と娘に未練がましく言っていたという。「母の終焉」から始まり81歳の母を看とったときのこと、「母の結婚」では、母は夫婦仲が悪く、結婚してからずーっと父と離婚したいと思っていたと言うが、父は自分たちは世間が言うほど夫婦仲が悪かったとは思っていなかっただろう。第一、父は母がどんなに足掻こうと、離婚する意志など生涯持たなかったのだから。それならばと開き直って父のことを悪し様に書くことでうっぷんを晴らしていた・・、いつもは母らしき人物は善人で、我々父娘は悪人もしくは嫌な奴に書かれている。何でこれ程、私と父が悪く書かれるのか、心外だし迷惑な話である。
 母の父、上田万年は東京帝国大学の文学部教授のボスで、日本の比較言語学の始祖といわれた人である。父との縁談を持ってきた人は、当時帝大新聞研究所の所長をしていた。その頃、父は東京日々新聞の記者で、ベルリンの特派員をしていた。折からドイツの飛行船ツェッペリンに同乗し日本に帰国、花形記者として世間を騒がせていた。母も目立つことが嫌いな方ではないし、父に興味を持ったのだろう・・、とこんな調子で父母のこと、一族のことを赤裸々に書いている。あとがきに母は、御伽草子に「鉢かつぎ姫」というのがあるが、母は鉢のような存在だったような気がする。今鉢がとれて、頭が軽くなったような気がしないでもないと書いている。ミーハー的だが面白く読んだ。

 雪の花  吉村昭  新潮文庫
 VINさんのアップで読んだ本。天然痘が恐ろしい伝染力でまん延し、種痘がない江戸時代以前、多くの人びとがバタバタと死んでゆく、助かっても二目と見られない後遺症のあばたを残す。毎年のように死体を運ぶ荷車を見ている、町医者笠原良策は、どうしたらこれを助けることができるかと思い悩む。蘭学の医学で牛痘苗を植え付けることによって、疱瘡に罹らなくなるということが伝わってくる。それを手に入れるために、万難を排し、わが身を捧げてもと雪の峠を越える。、種を繋ぐための子供連れの旅が始まる。 詳しくはVINさんのブログでお読み下さい。
      http://yaplog.jp/ashy_ashy/category_4/
 
 種痘といえば 緒方洪庵の功績が知られているがそれ以前も、こうしたことに命をかけた人はいたのである。

 宮部みゆきの江戸レシピ 
 宮部みゆきの時代小説の中に出てくる料理を、料理人であり食生活史研究家である福田浩さんが再現、写真家の小沢忠恭さんが撮影している。なじみの料理で見て楽しめる
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by ttfuji | 2009-04-21 15:39 | 読書・読書会・図書館 | Comments(2)
 今夜9時より上記のドラマがあります。これは、お薦めのドラマです。

 中国残留孤児だった、城戸幹さんの半生を、娘の城戸久枝さんが『あの戦争から遠く離れて』という本にまとめ出版しました。新聞の文芸欄にも紹介され、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しました。
 この本のことを知ったのは、昨年、マイミクの「ぐんまのおじいちゃん」さんという牧師さんが、甥御さんが結婚されることになり、そのお相手の方が、この度、本を出版したこと、その結婚式に出席することなどをmixi日記に載せました。朝日新聞を見ますと、この本のことが載っていました。とても関心のある内容なので、早速書店に注文しました。終戦時、3歳だった幹さんは、親と離ればなれになり、中国の養母に実の子のように慈しんで育てられ、身を切られるように別れて帰国しました。後に養母に再会する場面などもあります。
 私は、読書録でこの本のことを書き、本を友人達にもお貸しし、友人達からも素晴らしい本だったとの感想を頂きました。
 何年か前、やはりNHKで、『大地の子』原作山崎豊子のドラマを見、とても強い印象を受けました。なにか、ダブるものを感じます。

 『遙かなる絆』もきっと素晴らしいドラマになっていると思います。しかもノンフィクションですから城戸幹さんは、実在でお元気です。時間があったら是非ご覧になって下さい。

 私は、読書録で、あらすじを書いていますので、お粗末ですが、そちらの方もよかったらお読み下さい。
       http://ttfuji.exblog.jp/6800661/
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by ttfuji | 2009-04-18 18:26 | 読書・読書会・図書館 | Comments(9)
 気温が昨日より10度くらい下がり寒い日になった。
 通院付き添いと言うよりは、会いに行くという感じで出かけた。Jさんの付き添いで、病院へ行っているところに、私が合流、会計後、調剤薬局まで済ませて3人が一緒にタクシーで帰ってきた。
 私は、何も手助けしていないし行く意味もないようだが、Jさんは、来てくれないとさびしいですよ、夕食のビールも睨まれながら飲んでもおいしくないですからね、と言われる。睨まれるのは、きまった量を守らないからなのだが、妹はメタボのお腹が心配なのだという。私がいたら、どさくさに紛れて2本のビールが3本、4本となる。勝手に冷蔵庫から出してくるので、妹も黙っていられなくなる。

 お昼は、私が持っていった“タケノコご飯”、“キンピラ牛蒡”、“若竹煮(筍・わかめ・豚肉・あぶらげ入り)”で済ます。昨夜のわが家の献立だが、差し入れしようと多めに作った。二人に好評だった。

 今まで,Jさんは病院から妹を私に託して、碁会所に向かうのだが、それだけでは済まず、必ず隣にある居酒屋に寄るため問題が生じていた。それで、妹の通院の時は、一旦一緒に家に帰るようになったのだった。

 一日として、家にじっとしていられないJさんは、午前中もコーヒーを飲みに駅前に出かけるそうだ。午後は、歩いてくるといって3時間ほど出かける。おとうさん、呑んでこないでね、というのが妹の日課になっているらしい。夕食時も必ず飲むからアル中になることや肝臓に悪いと心配するのに聞き入れない。

 妹は思ったより元気で顔色もよかった。そういうと、足腰の痛みさえなければいいのだけれど、かなり痛いという。

 今日は、午後から、夕食の用意を勝手にする。食材はわが家以上に冷蔵庫に詰まっている。煮物(レンコン・ゴボウ・人参・コンニャク・厚揚げ・つみれ)、鶏もも肉の照り焼き、けんちん汁など、久しぶりに妹宅で腕を振るった。マグロの柵をぶつ切りにし、漬けにした。煮物は2・3日保存ができるようにしっかりした味付けにしたが減塩の妹には味が濃かったようだ。
 散歩から帰ったJさんは、4時頃から(夕宴を)そろそろはじめましょうと急かす。
 まだ早すぎると、私と妹は脳トレの数独を解いていた。私はいつも解いているので解き方を教えると妹は嵌ったらしい。次の問題に挑戦していた。
 仕方なくJさんはビデオで黒沢映画を見、熱中した。
 5時頃、夕食を初め、Jさんは機嫌良く2本のビールを飲み、次をそっと冷蔵庫に取りに行った。私は、汗をかく季節でないでそれ程呑みたいと思わないが、1本だけ頂いた。私の作ったものをどれもおいしいと食べてくれた。6時半の各駅停車で帰ってきた。

 夕方から雨との予報だったが、降った気配はあるものの、一度もカサはささずに済んだ。
 今日、小田急OXが新装開店した。2年ほど休業で建て替えたが、レストランや飲食店が増えたようで、さっと通過しただけではどこに何があるのかまだ分からなかった。
 駅そのものが明るくなった感じがした。
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by ttfuji | 2009-04-17 22:46 | 家族・身内・私 | Comments(2)

mixi記念日に思う

 今日も温かい日になった。朝スイミングに行って、各種取り混ぜて300㍍泳ぎ同じくらい水中ウオークをしてきた。いつも同行のYさんが、あしたは?、と聞くのであしたは妹のところへ行くから休むと伝える。朝、泳いでからでは遅いの?、と聞くがそんなに忙しい思いをしたくない、と答える。彼女は、30分でも毎日泳ぎたいという人だ。その方が体調が良いという。いつも1000~1300㍍以上泳いでいる。

 mixiに入れて頂いてから3年経った。よきmixi友達に恵まれて感謝しています。

 その前に、ブログを半年ほどやっているので、mixiに入っていない人でも、ブログを読んで下さる人の方が多い。アクセス数は、今まで60人が最も多く平均20数名といったところ。突然なぜ60人なんて数字が出たのか不思議な感じがする。
 mixiの足跡というのは、ごく少ない。別にそれを気にするわけでもないが、あ、この方読んで下さっているんだ、とわかりコメントがなくてもありがたく思う。

 真面目に書いた講義録や読書録、旅行記などより、愚痴や悩みを書いたときの方がヒットするようだ。コメントは、マイミクさんや、ブログを読んで下さる限られた人が殆どで人気の日記を書いている人に比べたら極端に少ないだろう。私も、人様の日記は読ませて頂いているが、歳のせいか、コメントすることは少なくなった。つかず離れず、縁を切らず、これからもボチボチ行こうと思っています。
 みなさまよろしくお願い申しあげます。
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by ttfuji | 2009-04-16 13:40 | パソコン・スマホ | Comments(1)

血液検査の結果は

 今日は、また日差しの強い暑い日になった。
 2日前の、血液検査の結果を聞きに行き薬をいただく日である。
 10時半の予約なので、その前に銀行へ行き、すぐ近くの書店へ、読書会の本を6冊予約に行き、それからクリニックへ向かった。
 ぴったり10時半に間に合ったが、待合室はいっぱいだった。血圧と体重を計りメモしておく。
 呼ばれたのは11時20分頃。血圧の測定表を提出。同じ用紙に記入されている体重が1キロ近く増加していることを指摘される。
 それから、2日前の血液検査の結果を見て、血糖値が上がっている、問題の数値だといわれる。
 ずっと、安全値だったのに、これは見逃せないと責められるような感じだった。
 このところ、不眠が続き、頂いたお酒があり寝酒を飲んでいるし、食欲があって食べ過ぎているかもしれない。甘いものもつまむことが多い。
 食後2時間の検査だから空腹時より高くはなるが、いつも食後の検査なので、それが問題ではないだろうという。要するに食べ過ぎ、カロリーオーバーということらしい。スイミングや太極拳をやっているし、少しはあるいているが、運動は年々できなくなるだろうし、運動でカロリーを減らすのは大変なこと、といわれる。
 これ以上薬を増やされたくないので、自己管理しますからと大見得を切った。寝酒のことは問題にされなかった。今回は2ヵ月後の検査でなく1ヵ月後の検査になった。

 調剤薬局で、薬剤師さんにその話をすると、検査表を見て、血糖値197は確かに高いが、ヘモグロビンAIC/LAが5.5だから大丈夫、といわれた。詳しく聞くのをやめたが、大丈夫の言葉に気が楽になった。

 定額給付金の書類が届き、手続きに、銀行口座の番号が分かるコピーと本人確認の保険証などのコピーが必要という。そのコピーにコンビニへ寄る。

 スーパーに買い出しに行ってから帰宅した。
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by ttfuji | 2009-04-15 16:28 | 食・献立・料理 | Comments(4)