私の生活や自分史・読書、旅などの記録


by ttfuji(トコ)

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2010年4月の読書

 読書録を書かなければと、思いつつとうとう月末になってしまった。
 いつも、これからは目録だけにしようかと思っているうちに、まとまりのない書評というかあらすじになってしまった。殆どが手元にないので、間違っているかも知れませんが、記憶をたどって書いてみました。

 『許されざる者』  笹本稜平  幻冬舎
 以前、VINさんのレビューをみて手帳に書き留めておいたのが、図書館にあったので借りてきたもの。同じ作者の『時の渚』は読んだような気でいたが、読んでなかった。
 フリーライターの深沢章人は数年前の故郷の湖での兄の自殺に疑問を持っていた。兄はどんなに苦況にあってもそれを乗り越え、自殺するような人ではなかった。そこに、兄の妻から真相究明の依頼を受けたという、探偵がたずねてきて、兄に1億5千万円の保険金がかけられていたという事実を知らされる。受取人は実家で養鶏業と地元の有力者になっている父だという。しかも、その数年前には、母が不可解な交通事故で死亡している。父子の間に断絶があり、兄は母の死を調べるために故郷を行っていたのだが・・。幾つかの事件や人物が複雑に絡み合い面白くしているが、VINさん同様、幾つか無理な構成があるように感じた。

 『青い棘』  三浦綾子  講談社文庫
 電車の中や病院の待合室で読むための、軽くて難しくない本を探していたとき、この著者の本に目がいった。何冊か読んでいる本の中では変わった題名だった。読んでいて、少し前の時代に書かれたものであるが現代にも通じる普遍性を感じた。
 夕起子は夫より義父を尊敬し信じている。心の片隅で大学教授の舅に理想の男性を描いていた。そして舅は夕起子の中に、戦中の青春をかけ愛した、亡き先妻の面影を重ねていた。義父と義母、夕起子と夫、義妹(夫の妹)とその夫、3組の夫婦の危機を孕む人間同士、夫婦、嫁舅それぞれの心の奥にひそむ棘を鋭く衝く問題作。愛とは、結婚とは、戦争とは、を問う。(一部書評欄より)
 義妹は、当時で言えば発展家、思ったことはづけづけいい、身勝手な娘に見えるが、実際はしっかりした面を持っている。夫とのことで苦しみ最後は信仰に縋ることを予感させる。

 『母』  三浦綾子  角川文庫
 母とは、『蟹工船』の作者、小林多喜二の母である。著者が、夫に勧められ、90才近い母親に聞きがたりしてもらい書いた本である。生まれから生い立ち、小林家に嫁入りし沢山の子どもを育て、貧しい暮らしの中で明るく優しさに満ちた家庭だったと誰もが言う。生涯に亘って、多喜二を悼み家族を愛し最後はキリスト教の洗礼を受ける。

 森瑤子 「わが娘の断章」  伊藤三男
 52才で急逝した森瑤子の父が、娘の死後5年経って、初めて娘への思いを明かした。父親の心情が切なく伝わる。子どもの時から、教育に躾に濃密に係わっている。 
 学校の選択、バイオリンの稽古、芸大への入学、みな父親が線路を敷いたものだ。時に反発し反抗し、親を拒否する。世界漫遊の途中で日本に寄り、知り合った英国青年と、親の反対を押し切って結婚。ブラッキンに対する目は厳しい。娘がこの男のためにどれだけ苦労をさせられたか、繰り返し語っている。
 作家への道を歩んだのも、父の才能を受け継いだように思える。
 初めはハラハラし見守っていたが、途中からは応援している。
 私は、初期の作品を幾つか読み、あまりいい感じを受けなかったが、しゃれた内容や文体に惹かれた。『東京発千夜一夜』、ニッカウヰスキーの創立者がモデルの『望郷』もよかった。「ファミリーレポート」も興味があった。死後、瑤子の次女マリアさんの書い
た『小さな貝殻』も読んだ。父親が題材を提供して書くことを勧めた『カピタン』は未完で父が完成させたらしい。
 
 『長江』  加藤幸子  新潮社
 この著者のものを読むのは初めてだったが、名前だけは知っていた。
 『長江』は、著者の人生がモデルにした、自伝的小説ではないかと思っている。
 藤本佐智は北海道で生まれるが、父が農学関係の研究者のため、戦中の北京大学で教えるため、一家で北市に移り住む。一方、もう一つの家族、福平(フー)の父は農業(養蚕)の指導者、母は医者の次男として佐智より1年あとに生まれる。両家の生活、生い立ち、などが交互に語られる。戦争は激しさを増し、日本軍の攻撃を逃れて、2度ほど疎開するが、残った祖父母達はみな殺される。日本鬼子と恐れられていた。日本の敗戦、終戦後も中国の要請で北京大学に残り、害虫除去のために働く藤本一家、
両家は隣り合うが、フーは佐智をいじめる。日本へ帰れと石を投げる。しかし、父母にそのことを知られ、厳しく叱られ、すべての日本人が悪いわけではない、と諭される。
フーは佐智一家の温かさもわかり、急速に親しみを感じる。佐智達が日本に帰る日、フーは悲しみに落ちる。小学生だった2人も成長、フーには文化大革命で父と兄(イー)が殺されるという不幸もあった。しかしそれぞれ結婚して二女に恵まれる。
 フーの妻が仕事で日本に来たとき、夫の頼みで、佐智を探し出す。佐智が小説を書いていたことから、掴めた消息だった。その後中国で2度の再会を果たす。2度目は、フーの家族が住んでいる長江の流れる重慶だった。大河小説のような感動がある。

 『五体不満足』 乙武洋匡  講談社
 乙武さんの消息を聞かなくなった。この本は、読みそびれていた。テレビなどで紹介され、ご本人もよく語っていたから、かなり詳しく知っているつもりで読まずにいた。あれほどの障害を持ちながら明るく活躍する乙武氏に、両親ともに尊敬した。スポーツの取材やキャスターなど勤めていたが、お元気だろうか。
 
 『私の藤沢周平』  NHK「わたしの藤沢周平」制作班編
 各界の人が、感動した藤沢作品について紹介し感想を述べている。

 『鬼の研究』  馬場あき子
 読書会で取り上げた本。これは、著者の素晴らしい研究書である。若い頃、発表したものだが、今でもよく売れている本とのこと。古代から鬼と言われた人は、多くが鬼にならざるを得なかった人達である。一般社会から迫害され、山奥に追いやられた人達、生きることも許されない人達は鬼になって人里を襲ったりした。伝説や伝承上の鬼も、人を殺して食べる鬼もいる。姫君が盗賊に攫われて、ひどい目に遭い、自身、鬼の心で盗賊の親分になった女鬼もいる。男に裏切られ、怨みの余り夜叉になった鬼、今昔ものがたりや各地の伝説に鬼も数多く紹介されている。鬼の起源も調べて見ると面白いし哀れである。 
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by ttfuji | 2010-04-30 18:30 | 読書・読書会・図書館 | Comments(2)
 3月から4月にかけて定まらぬ天候が続いたが、5月の連休は好天気に恵まれそうだ。
 今年もゴールデンウイークが始まった。毎日が休日、連休のような束縛のない日を送っている私にとって、関係ないようなものだが、何となく落ち着かない。と言うのも、休日は、クラブもサークルもスイミングも太極拳も皆休みなので、何か探して出かけないと、毎日家にいることになる。
 運動不足になるし、毎日家で顔をつき合わせているとお互い鬱陶しい思いがしてくる。
 「女房元気で留守がいい」「亭主元気で留守がいい」とお互い思っているわが家の2人なので、私が出かけるというと機嫌がいい。
 お互いまだ相手に頼らずとも元気でいられると言うことかもしれないが、私より5才以上も高齢な夫が自立宣言しているのは、ありがたいような意地っ張りなような・・もう少し、頼りにしてくれても良さそうな気がしないでもない。

 それはさておき、今までのゴールデンウイークの過ごし方をブログでみたら、去年は明治神宮と小石川植物園へ行っている。他の年も浜離宮や根津神社、お台場や六本木、エビネ苑など行っている。友達と行ったところもあるが一人でも楽しんでいる。
 しかし、歳とともに、身体の不調も出てお一人様のお出かけは心細くなるだろう。誘ってという友人はいるので同行二人で行こうかと思う。
 遠方に行かなくてもハイキングやウオーキングはしたいと思う。
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by ttfuji | 2010-04-29 21:20 | 生活雑記 | Comments(2)

久しぶりのウオーキング

 久しぶりに晴れ渡った。前夜、Yさんから明日歩きませんか、というメールが入った。
 このところ、膝痛と忙しさを理由に、お誘いを断ったりしたが、膝も無理しない程度なら歩いた方がいいようなので、歩きましょう、と返事をした。よかった、と返信がきた。午後に歩くことになった。
 今日、午後1時家を出ると、Yさんもすぐ近くの坂を下りてくるところだった。どこへ行きましょう、1万歩以内なら大丈夫そう、と言うことで、家の近辺を歩くことにした。
 晴れ渡っていたが気温はそれ程高くなく歩くには丁度いい気温だ。隣接している田園風景の中、家々の庭や垣根を彩る花を眺めて歩いた。






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 最後の写真は、低いところから伸びてきた藤の花を撮したが、暗い画面でふじも鯉のぼりもわからなくなってしまった。
 1時間半以上歩いて、最後は駅のドトールコーヒーで一休みして帰る。
 歩数計は12000歩を越えていたが、疲れや膝の痛みは感じなかった。帰宅3時半。
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by ttfuji | 2010-04-26 16:11 | ウオーキング | Comments(2)

九条の会

 昨日(4月24日)は、文化会館で「九条の会」の学習会が行われた。私は「九条の会」に最初から入会しており、打ち合わせや相談会にもよく出席していたが、このところ余り参加していない。世話人や賛同者が集まる会は、殆ど夜おこなわれ、夜の運転に自信のない私は、殆ど欠席だった。
 この日は、昼間だし案内パンフの配布をいつも近く何人かに配っている私としても出席しなければという気持だった。
 午後1時からだったので、その前に整形外科に寄り、ヒアルロン酸注射をしてもらってから出かけた。
 今日の「九条の会」は小規模な会なので文化会館の練習室で行われた。
 まず、冒頭に伊勢原市長が、「平和市長会議」に加盟したという喜ばしいニュースが伝えられた。神奈川県33市のうち10市が加盟。鎌倉市が1958年最初に加盟しているとのこと。広島市長が会長を務める「平和市長会議」は143カ国、3793都市(2010,4,1現在)という。
 ついで、主催者側からの「九条の会」の今までの活動報告。毎月9日の日に、伊勢原駅前での署名活動と商店通りの行進。これは発会以来一度も欠かしたことなく実行しているとのこと。一度も参加したことのない私は、首をすくめる思いだった。

 NPT(核不拡散条約)再検討会議 
  今日の講師は、
 原水爆禁止神奈川県協議会事務局長の永沢丈夫さんと、
 神奈川県生活協同組合連合会専務理事の丸山善弘さん
 お二人の講師の話は具体的でわかりやすかった。世界の原水爆所有国の現状、廃絶への動きや所有国の主張。世界中に起こっている廃絶への運動。世界中から沸き起こる世論が、核拡散の危機的状況の中、核のボタンを押させないでいるという。九条の会で集めた署名簿は、国連ハマショールド広場に世界中から集まった署名簿と共に積み上げられるという。その力を核保有国は無視出来ないはずである。現在、神奈川生協分として集まっている署名159,565筆は4月22日、広島市長に届けられ、5月にニューヨークで開催されるNPT再検討会議の席で参加国の代表に手渡し、被爆国日本から平和を訴えるメッセージを伝える。
 講演のあと、質疑応答、意見などあったが割愛する。九条の会発起人の一人である井上ひさしさんの話や大江健三郎さんの話もあった。
 
 参加者の殆どが、生協関係の人達だった。九条の会の会員も、生協の人達が圧倒的に多い。組織を使っての署名活動なども活発で成果も大きい。
 読書会で一緒のTさんも熱心な生協活動をしているが、この日も参加されていた。
 ご主人がデイサービスに行かれた時間の参加で帰りは車で家近くまで送った。
 
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by ttfuji | 2010-04-25 12:01 | 九条の会 | Comments(6)
 曇り時々小雨
 午前中、郷土史会の役員会。5月例会の資料作りと来年度の行事予定の相談。
 資料作りは、講師より届いたレジュメのコピー。B4、10枚分を40人分。中央公民館のコピー機は、輪転式で早い。用紙だけ持ち込めば、使用料0なのでありがたい。
 以前は、1枚10円のコピー機を使っていたとのことで、経費もかなりかかった。
 印刷出来たものは、大きな円卓に並べ、1ページずつ、10ページ分拾っていき、ホチキス止めする。
 それが終わって、来年度の相談。会長や中心になって計画する人達は、常に10数人の講師の確保と折衝、内容についての相談があり頭を悩ませていると思われる。
 それは、9月総会後の来年度まで予め予定を立てておかなければ、慌てることになる。
 年に2・3回の野外学習、バスを使っての見学などもある。
 また、会報「いせばら」の原稿集めや編集会議などもある。私も、会報には、言われて講義録や見学記など書いているが、今回のものはまだ何を書こうか決めかねている。だんだん自信をなくし、気が重い。講師が目を通すので、いい加減なものは書けないし間違っていると返されるという。
 私が書いたものは、会長が目を通し、間違っているところやわからないところは教えて下さるので、なんとか通っているが、年々億劫になりつつある。
 一般会員からの投稿を常によびかかけているがなかなか集まらないので殆どが役員が書くことになる。
 しかし、まとまって一冊のものになると、書いて良かったという喜びとなる。この冊子を何人かの友人に送っている。
 今日の役員会でも、割り当てのように、さきたま古墳のバス旅行について書くことになった。

 午後は、同じ公民館で体操がある。一旦帰宅して、昼食をとり、午後は夫が車を使うので、Oさんの車に乗せて頂いた。第1週は妹の付き添い、第2週はさきたま古墳の見学で、欠席し、体操の会は今月1回だけの参加となった。そのためばかりではないが、フォークダンスが少しも覚えられない。どうやらダンスの類は私に合わず、苦手なのだ。私より高齢の人がしっかり覚えていて、弱音を吐くと、私たちは何年もやっている、まだ始めたばかりで出来なくて当然、大丈夫、と励ましてくれるが。
 
 以前、体操を会場がとれず近くの自治会館で練習した折、その会館に携帯ラジオを忘れてきてしまい、無くなっての仕方がないと思いながら、手紙をポストに入れて置いた。1ヵ月以上経ってから、その手紙を読んだというTさんから電話を頂いた。
 いつもは管理人も誰もいないところで、寄ってみたこともあるがいつもしまっていた。
Tさんから住所を聞かれ、届けて下さると言われたがそこまでして頂いては申し訳ないと遠慮した。それでは、教室の隅に置いてある、テレビの机の引き出しに入れておくと言われ、体操の会でその会館を申し込んだ人を教えてもらい、その人に頼めばいいと思っていた。
 
 先日、「さきたま古墳」へ行った折、帰りのバスの中で会長が自治会館近くに住んでいることを思い出し、この自治会に所属しているかも知れないと、聞いてみた。
 すると明日、自治会でそこに行くとのことで、ラジオの件を伝えお願いした。
 今日、すっかり忘れていたところ、ラジオを渡された。私の書いた手紙も一緒だった。Tさんは、自治会長とのことだった。お礼の言葉を伝えて下さいとお願いした。
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by ttfuji | 2010-04-23 23:11 | 郷土史・講演会・学習 | Comments(4)
 腰痛も眼瞼炎も大分良くなった。腰痛は、一昨日くらいまで痛みがあったが、昨日辺りから階段の上がり下りも楽に出来るようになった。注射のお蔭か、余り歩いてないからか。でも運動不足は、身体に良くないはず。別の悩みに繋がる。徐々にウオーキングも始めよう。

 眼瞼炎については、ひどい目にあった。2週間以上も薬を飲み続け、軟膏を塗っても余り変化はなかった。3年前と体質が変わったのだろうか。瞼や口角の溝のところがささくれ立っている。かゆみもある。
 数日前、試しに、家にあったアトピー性皮膚炎の薬をつけてみた。
すると、暫くして顔がほてり、赤くなり、かゆみがひどくなった。
 まずかったかと急いで拭き取りお湯で顔を洗った。こんな時は、素肌でいる方が良いに違いないと、掌で水をパタパタとたたきつけた。暫くすると、ほてりも赤みもかゆみもなくなった。
 自分で言うのも気が引けるが、肌はきれいと友人達に言われる。安い化粧品でトラブルを感じたこともない。
 顔の作りはお多福で平凡だから、せめて肌ぐらいはきれいでいたい。ほめられると、照れくさいので、脂肪が多いからでしょうという。
 それが寄る年波で、たるみや皺が増えてきた。今になって吹き出物に悩まされたくない。その後、軟膏はつけないでいるが、特に変化はない。
  家にいるときは、化粧水とクリームだけで、薄い眉に眉墨と口紅だけは塗る。外出の時は薄化粧をする。瞼には何も塗らない。


 それにしても、なんという天候だろう。昨日は夏日、今日は冬日。雨も降って寒さに体調の維持も難しい。

 月曜日、太極拳。水曜日、スイミング腰痛コース。今日木曜日は図書館へ行ってきた。
 昨日、Yさんから特大の取れたて筍を頂いた。1時間ほど茹で、夕食は筍ご飯を作った。娘の所へ届けようとしたが、夜だし時間も遅くならないと帰らないので、届けなかった。今日、筍ご飯をつまんで食べると、冷めていてもおいしかった。図書館の帰りに届けようと、電話し、図書館行きにいつもご一緒のTさんを送ってから、住宅の下で渡した。
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by ttfuji | 2010-04-22 12:36 | 医療・健康 | Comments(6)

昨日今日

 昨日は土曜日。午前中に、眼瞼炎の薬が切れたので皮膚科へ。3年前は、2週間分の薬で治ったが、今回も2週間で直ったと思ったのに、そのままにしていたら、瞼がまた赤くなった。今度は、4週間分の薬を処方された。ゴールデンウイークに、10日ほど、休診になるためと調剤薬局の薬剤師さんが言っていた。
 続いて、整形外科へ。今回は1週間の間隔でヒアルロン酸注射をした。膝の痛みが軽くなったような気がするといって、間隔を少しずつ開けていたのが、私の場合、良くなかったような気がする。また、暫く週1で通うことにする。今日は、立ち上がるときや階段の上り下りも楽だった。
 Yさんに、Wさんと一緒のウオーキングに誘われたが、今回は見送った。お二人と一緒だとハードなウオーキングになる。私に合わせて、軽いウオークでもいいと言ってくれるが、それも申し訳ない気がする。

 夜、9時から「のだめカンタービレ」というテレビを見た。高崎のWさんが、5月に「のだめカンタービレ」の映画、『君に届け』にエキストラ出演すると聞いていたので、関係あるのかと見てみた。響き合うとか支え合う、手を繋ぐ、という意味があると聞いたので、音楽の力を訴える映画かと勝手に思った。

 今日、11時過ぎTが、荷物が多いので、学校まで送ってもらえるかと自転車でやってきた。
 昨日は雨で、結局、練習試合は中止になり、室内練習もなかったとのこと。なぜ、そんなに荷物が多いのかと聞くと、試合場所への集合が伊勢原駅だったから、引き受けたとのこと。個人の鞄も2つはある。荷物が多いときは、みんなで持つが、半端なときはじゃんけんで決めることもあるという。でも車でなければ持てないというのも困る。

 今日は晴天の下、スイスイと運転できた。ローソンは道路からかなり引っ込んでおり、雨の夜では見過ごすのは無理もない、と感じた。帰りは学校に置いてある自転車で帰るとのこと。友達と夕食を食べてくるそうだ。
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by ttfuji | 2010-04-18 18:37 | 生活雑記 | Comments(4)
 2日間、冬日と氷雨の日が続いたがようやく青空が広がった、がまた雲が出てきた。

 昨日、4回目のmixi記念日だった。2006年4月にこのコミュニティを紹介して頂き、恐る恐る入った世界だが、ミクシー友達を通じて、あるいはこちらからお願いしてご縁を頂き素晴らしい人達に恵まれたと喜んでいる。
 5年目の今年もボチボチのんびり続けたいと思っているのだが、みなさんにうんざりされない程度に簡単に短く、と心掛けようとの決意がいつの間にか、だらだら長い文章になってしまう。これは、俳句や短歌の才のない私の能力不足と、凝り性の性癖のせいもあるが、日記や講義録、読書録、旅行記などなんでも乗せているためで仕方がないことでもある。読んで下さる人の立場より、記録しておきたい私が主体になる。でもそのうちに、長く書く根気もなくなるだろう。
 ああまた、理屈を言ってしまった。
 
 昨夕、Tから電話で、車で迎えに来てもらえないか、と電話があった。外は雨でたそがれ時。まだ完全に夜になっていないので、大丈夫と思ったらしい。学校近くのローソンで待っているという。6時45分頃に着くと思うが、雨で渋滞の場合もあると行って、すぐ家を出た。夫は、学校ならわかるがローソンではわからないという。
 Tの携帯は電池が切れかかっているというからこちらからの電話には出られないという。
 道路は混んでおり、すでに夜の闇だ。ライトの反射で見にくい道を懸命に目をこらして、走った。道路標示や車線なども見えにくい。まだ先、まだ先と思っているうちに、道路の左側を走っていたが道が左に曲がっているのに気付いたときは、行き過ぎたとわかった。
 グズグズしているとクラクションを鳴らされる。Uターンは出来ないから、左折を繰り返して元の道に出るしかない。初めに左折したところは、知っている道だった。随分走って、この辺りで左折すれば元の道路に出られるはず、と行くが見知ったものはなく、なかなか信号にも出会えない。とやっと信号があり、元に戻ったかどうか確かめようもなく、信号を左折した。ところがその道は私の知らない道で曲がりくねっている。次の信号で左折したが、何とその道もローソンより先だった。狐につままれたようだった。焦りは禁物と冷静にと自分に言い聞かせたが、どの道も前後が車で止められないし、脇道もない。
 携帯が鳴ったが出ることが出来ない。3回目の迂回で、右折し、ローソンの向かい側の道路の路肩に乗り上げる形で停車した。停車ランプを点滅させ、外へ出、ローソンを見ると外の駐車場に学生が立っている。
 Tかと思って大声で呼んだ。学生は店内に向かってガラス越しに合図している。左右からの車が途絶えた隙に、車道を渡った。横断禁止の所だったが、必死だった。友達の合図で、Tが出てきた。
 道に迷って大変だったというと、ごめん、まだ明るいから大丈夫と思った、という。見ると、大きな鞄を3つも抱えている。これではバスで帰れないだろう。横断歩道までもどって車に乗った。
 朝から雨で、荷物も少なかったらしいが、あすは練習試合があるという。雨なら取りやめだが、室内練習はあるらしい。ばあちゃんは、やっぱり雨の夜の運転は無理だからね、オカアチャンに頼むしかない。その場合、車で娘の所までは行くことになると伝えた。携帯は、充電の警告のあとも1・2回は電話できるそうだ。目も疲れたし、心臓もドキドキしている。
 豚汁沢山作ったから夕飯食べていったら、というとまっすぐ家に送って欲しいというので送った。Tも待ちくたびれたのと、事故でもあったのかと心配していたらしい。夫もTから電話で、少しは心配していたらしい。
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by ttfuji | 2010-04-17 12:47 | 家族・身内・私 | Comments(4)
 今年の春は何という気まぐれ気象だろう。昨日晴れて暖かく、今日はまた冬の寒さだ。
 膝の痛みは相変わらず。眼瞼炎も完治してない。昨日のスイミング、腰痛コースは、休んで振り替えしてもらおう、と前の晩まで思っていたが、一晩たって気が変わり、家でじっとしていても良くなるわけでもないので、車で出かけた。
 今度のコースは、コーチがついて15分の入念な準備体操や能力別メニューがあり、水中でもたっぷり1時間運動する。水中なので、膝にも負担はなくモーニングフリーの時より目的別運動に満足感がある。

 午後は読書会があった。こちらも帰りに買い物に廻るので車で出かけた。読書会は、今日は2人がお休み、Mさんは腰の骨折で、Nさんは体調不良(低体温?)で病院へ行くという。結局4人で行われた。この会もいつまで続くかとふと思う。6人のうち私より若い人は2人。でも会話や意見、感想は活発だった。

 帰りにドラッグストアとスーパーで食料品の買い物。ドラッグストアでは消耗品の他、膝サポーターを買う。早速つけてみたが、膝が楽になるという感覚はまだ掴めない。
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by ttfuji | 2010-04-15 20:31 | 読書・読書会・図書館 | Comments(4)

ミニ同窓会 ② 高崎で

 翌日の12日、6時半頃起床。天気予報では雨だが外はまだ雨が降ってはいなかった。何とか持ってくれればと願ったが、温泉から戻る頃には、雨が降り出した。
 食事を済ませ9時過ぎてロビーに。9時半過ぎ、Wさんから今駐車場に着いたと電話。ロビーのソファーで待っていると来てくれた。
 高崎経済大学の厚い同窓会名簿。初めに高崎短期大学の5期までの記録がある。そのあと、短大は4年制になり、経済大学に生まれ変わった。今の学生はおそらく前身が短期大学だったことを知らないだろう。今や、全国から学生が集まっているらしい。
 NPO法人となった高崎第九合唱団の団長でもあるWさんは、昨年スロヴェニア公演記念と第九合唱団36回演奏会を記念して発行した立派な出版物を3人に下さった。
 団長としての挨拶や、合唱団の歩み、スロヴェニア滞在記など書いている。他に、「ぐんまの桜」?という写真集。全県の有名な桜の写真が載っている。
 故郷高崎のことをなど聞く。写真も撮りあった。 
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 生憎の雨に赤城や榛名湖はとりやめ。取り敢えず出発。あちこち周りながら、高崎観音山方面に。車中ではお互い遠慮もとれて、冗談を言い合って笑いの洪水だった。Iさんが、インタービュアよろしく、深夜便で語っていたことなど次々質問していた。
 途中寄ったところは、箕輪城あと、相馬が原演習場の桜、立ち入り禁止なので入口付近で観桜。芝桜の名所、そして経済大学へ。私たちも入っていいの、と聞くと、大先輩なんだからいいだろう、との返事。父兄以上の年の差に孫の様子を見に来たじいちゃんばあちゃんに見えるだろう。
 教員用駐車場に車を置いて、キャンバス内をゆっくり歩く。青春時代にもどったような錯覚がある。4階建の図書館内も見学する。1階は、読書室か、書架はない。ゆったり読書できる明るい部屋。テーブルに椅子、窓辺はくつろいで読書できるソファーのある空間。数人の学生が読書していた。今の学生はこんな環境で読書できるのかと羨ましい。私たちもソファーの一角にくつろいで、しかしおしゃべりは慎んだ。2階は書架のある部屋。しかし低い書架だ。登録者でないと入れない。Wさんは、カードを持っている。やはり勝手知りたる様子。でも入らなかった。外へ出、構内の桜や門の前で写真を撮る。
 構内にマクロナルドやコンビニがある。今の学生にとって必要なのだろう?。
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 カラス川に沿った道から聖橋を渡り観音山に向かう。すらっとした白衣観音は、遠くからでも目立つ。桜も満開のようだ。中腹から観音様と桜を撮す。
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 食事場所を探すがなかなか適当なところがない。もどって市役所庁舎に向かう。高層のビルに生まれ変わってかなり経つが入ったことはない。Wさんは、最上階に展望のいいレストランがあることを思い出されて、地下駐車場からエレベーターで21階に上がると、360度視界が広がっている。素晴らしい眺めだ。ところがレストランは、月曜は定休日だった。私たちは残念がった。
 すると、Wさんが、遠慮気味に、実は駅の近くに次男がイタリアンの店をやっている。そこで良かったら案内する、という。私たちは、びっくり。初耳である。国立大の工学部を出て、シェフになりたいと、修業をしたそうである。息子さんや娘さん達、殆どが教師になったと聞いていた。遠慮なく言ってくれればいいのに、と思ったが、和食がいいだの、懐石は要らないだの、おそばが食べたいだのと、みな勝手に言っていたし、我が子の店は勧め難かったのだろう、やはりWさんらしいと納得。是非、案内してとお願いした。 2時近く、同級生4人今から行ってもいいかと電話して確認をとる。

 すてきな雰囲気の店だった。欧風居酒屋という意味もあるとのこと。次男さんが挨拶に見える。40半ばの両親に似た感じのいい方だ。母親似と言われているそうだ。おかあさんは、同級生だったのでよく知っているが、目のくりっとした美人である。Wさんにも似てますよ、というとそれはそうだ、父親なんだからと言う。
 さて何を注文するか、メニューと本日のオススメメニューの看板から、オムライス、5色の豆入りカレー、アサリとトマトのパスタ、と分かれた。私はそのどれもおいしそうだな、と思って迷った。特別サービスかボリュームたっぷり。小皿をお借りし、カレーもパスタもオムライスも、4つに分けた。Iさんが手際よく分ける。3種類が味わえたがどれも本当においしかった。
 みな頑張って頂いたが、高齢者に全部は食べきれなかった。こんなおいしい店滅多にありませんよ、評判いいでしょう、というとそうらしいね、と肯定した。合唱団関係の人やNHKの人も見えたそうだ。値段も安いと言うと薄利多売だとのこと。本当は、昼の部は閉めて夜の仕込みの時間なのだろう。食事が終わり、Wさんは群馬の森に案内すると言ってくれたが、雨だし桜も充分堪能したし3時19分の湘南新宿ラインで帰ることにした。Iさんも時々携帯で電話し、自宅のことが気にかかる様子。
 Wさんには、本当に楽しかった、お世話になりました、ありがとう、持つべきものは心友だとめいめい感謝の気持ちを伝えたが、Wさんも、私も楽しかった、いつでもおいでよ、どこでも案内するから、と言ってくれた。友あり、遠方より来たる、またよろこばしからずや、と朗吟してくれた。車の運転、疲れたでしょうとSさんが何度も労うたび、疲れているのは10日前からだと冗談をいっていた。青春切符で絶えず旅行し、東京や鎌倉などにもちょくちょく行くという。大病し大手術してから、今楽しめることを楽しんでいるという。
 Wさんのお蔭で、経大と市役所庁舎の最上階に登れたことは、特にありがたかった。 良い友に囲まれて私も幸せな1日を過ごせた。Sさんと池袋で分かれ、新宿で小田急線に乗り換え帰宅は7時頃だった。 今日一日は足の痛みも我慢出来た。
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by ttfuji | 2010-04-13 20:40 | 友・師・人 | Comments(6)