私の生活や自分史・読書、旅などの記録


by ttfuji(トコ)

<   2010年 11月 ( 16 )   > この月の画像一覧

 漸く、『白き瓶 小説 長塚節』が読み終わった。こんなに、道草をしながら読んだ本はなかった。『土』という代表作があるものの、藤沢周平が、こんなに資料を丹念に集めてまとめたにしては、地味な人物だと思っていた。
 しかし、歌人として当時正岡子規の門下にあり、伊藤左千夫と共に歌壇を代表する歌人であったことは間違いないようだ。非常に専横な伊藤左千夫と若い才能ある三井甲之との確執。伊藤は、節に三井と縁を切れと迫る。伊藤の他人の短歌を攻撃する舌鋒は激しい。『野菊のごとき君なりき』を書いた作家とは思えない。
 当時の歌人達や詩人、小説家などがきら星の如く登場し、深い交流があったことも分かり、意外であり興味深かった。

 長塚節は、茨城の豪農の跡取りだったが、父は、県会議長として政治にのめり込み、家庭を顧みず、莫大な借金をし、高利貸しに追われるような生活だった。農地は、使用人を使い。母と切り盛りするが、時々襲う高利貸しの悪夢から逃れるように、旅に出、歌を作って雑誌に送る。
 筆まめで、旅先から、多くの友人達にハガキや封書で、短歌や、旅の様子や感想など送る。送った先の人達が、それらの便りを保存していたのにも驚く。

 やがて、病が節を見舞う。初めは風邪ぐらいに思っていたが、深刻な病気と分かり、福岡の久保博士の手術を受ける。入院中も、療養中も、その近辺の旅に明け暮れる。そして歌を作り送る。
 生涯独身であったが、結婚願望はあり、良縁も、父の莫大な借金のために破談になる。37才の若さで夭折したが、闘病中も、かって縁談のあった別の女性と、手紙の交流があったり、見舞いに来られたり、で心に灯火がともったこともあった。

 名作『土』は、夏目漱石の推薦で朝日新聞に載ったもの。これは、長塚節以外は書けない小説、と絶賛してくれた。しかし、あまりに暗く、一般受けはしなかったようだ。
 この1冊で、彼の名が残ったことは、良かったと思う。

 この本は、VINさんのレビューで読んだ本。まとめるのがむずかしく、VINさんの書かれたものをもう一度読ませて頂いたが、私が書けなかったことが、過不足なく書かれているので、勝手に下記にURLを示しますので、そちらをお読みになって下さい。

http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/532

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by ttfuji | 2010-11-30 15:38 | 読書・読書会・図書館 | Comments(3)

久しぶりの懐石料理

 いつもの旅仲間と大山・O旅館で早めの忘年会。懐石料理に舌鼓を打った。
 何年か前までは、年に3~4回は行っていたが、回数も減り、今年は2度目である。数ある旅館、料理屋の中でも、味が絶品なのは、味わった人の誰もが太鼓判を押す。
 もう20年からの付き合いでたまにはこれくらいの贅沢もいいと感じる。
 お料理も、ゆっくり運ばれ、時間をかけて楽しむ。
 予約制なので、他に2組の客があったが、何時まででも部屋を使わせて頂ける。大抵、12時から3時半頃までのんびりさせて頂き、大山から伊勢原行きのバスで帰ってくる。今は、紅葉シーズンで、観光客も多くバスも満員だ。親しくなっている女将が、ご主人に頼んで、車で私たちがバスで座って行けるよう、始発場所まで送って下さった。

 今年は、事情があって、春と秋の旅行はできなかった。高齢者ばかりの4人だから、元気なうちに行っておかないと、足だの膝だの腰だのが痛いとか家族の病気などで実行できなくなる。
 いろいろ所属しているサークルで、食事や遊びに出かけることも多いが、この4人は、外国旅行、国内旅行、映画、美術館、郷土史会などでも一緒で気心も知れ合っている。最高齢のTさんがお元気なうちは、続けたいお楽しみ会でもある。

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O旅館から紅葉の山を眺める

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                吹き寄せ と  蕪蒸し
 他に豆乳鍋(手作り湯葉とお豆腐を味わう)、お作り、揚げ物、煮物、和え物、山菜おこわ、香の物、汁、デザート。抹茶ほか。

      
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by ttfuji | 2010-11-29 23:02 | 食・献立・料理 | Comments(4)
 午前中が、郷土史役員会、12月の定例会の資料作り(コピーとホチキス止め)、中央公民館のロッカーの整理があった。ロッカーは幾つかの階にあるが、利用団体が資料や用具置き場などに使っている。これも申し込み制で、借りられないこともある。何年も続いている会では、乱雑になったり収納物が増えたりするが、公民館では使われ方を時々チェックして注意を促す。今回、一旦空にするように各団体とも言われたらしい。幾つかの段ボールが、出され、男性役員が、一旦自宅に保管することになった。
 資料作りの方も、早めに終わった。

 今日は、午後は夫がクリニックへ行く日なので、午前中は車が使えたが、午後の体操は、歩いていくことにした。いつも一緒のOさんが、旅行でお休み。歩くのに丁度いい季節だから、できるだけ歩きましょう、とFさんもいわれる。

 午前中の役員会から帰ると、夫は留守。メモが置いてある。暖かいからバイクで出かける。車をどうぞ、と書いてある。
 クリニックは午後2時半からのはずなのに、どこへ行ったのかしら、と昼食を済ませ、心遣いありがとう。でも健康のため歩いていきます、とこちらもメモを残す。
 片道30分近く歩き、幾つかのリズム体操(元気はつらつ体操・ラジオ体操・体調チェック体操ほか)や様々なダンス、(民謡踊りやフォークダンスなど)を2度ほどの水分補給タイムを入れて身体を動かすとじっとり汗ばむ。
 帰りも歩くと、約8千歩。かなり疲れる。小休止した後、夕食の用意。以前より疲れを感じる。
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by ttfuji | 2010-11-26 19:39 | 郷土史・講演会・学習 | Comments(4)
 今日は、午前中、図書館行き。
 いつものようにTさんを迎えに行く。89才のTさんは、沢山借りたけど、毎日出かけているので、半分も読めなかった、という。私も同じ。忙しいばかりでなく、速度も遅い。何冊か続けて読むと、最初に読んだ本の内容がすぐに思い出せない。少し読み返してみると、ああそうだった、と内容や感想を思い出せる。
 いつものことだが、今日も、読書録を書かないうちに、返却してしまったから、書評を書くのはむずかしいだろう。
 そこで、今日思いついたのが、返す前に、本の帯に書いてあるコピーを書いておくことにする。短くポイントを押さえた、紹介文だ。それを書いておけば、読書録を書いて置かなくても、思い出せるだろう、と虫のいいことを考えた。そのあと、どうしても書いておきたいことを書き足したり、訂正するという方法をとることにした。

 11月に読んだ本
 『さい果て』 津村節子 文春文庫
 『重い歳月』と同じ作者の、内容も似通った作品。殆ど前後して読んだが、読書録に漏れていたので記す。
 吉村昭との新婚生活は貧しく、夫の実家の織物業の関係で、衣料品の販売を始めたが業績が上がらず、行商のような仕事を始める。東北地方や北海道に渡って、売り込みに励むが収益が出るまでに行かず・・。
 二人とも、小説家の夢は捨てられず、家業の合間に小説を書き文学賞に応募していた。著者は、独身時代から少女小説を書き、収入があったので、家計の支えにもなっていた。
 『玩具』『流星雨』など短編も載っているが、『さい果て』の中にとけ込んでいる。

 『嬉しゅうて、そして・・・』 城山三郎 文藝春秋
 城山三郎さんが亡くなられた後、未発表随筆を娘の井上紀子さんの手で発表されたもの。1、私の履歴書 2、政治とは3、経営とは 4、人間とは の4部で編集された。多くの政・財界人や作家、芸術家などとの対談や時代 を憂える熱情と日常生活が描かれている。 かって軍国青年だったが、軍隊のあまりにも非人道的な扱いに、怒り、戦後は、非戦論者になった。自衛隊のイラク派遣にも小泉氏に抗議している。 

 『女房が宇宙を飛んだ』 向井万起夫 講談社
 以前、『君についていこう』を読んだ。面白く、痛快だった。妻が宇宙飛行士に選ばれる、その時点で妻の方が超有名人。夫の影が薄く、日本人の夫の多くが、内心嬉しいが面白くない、という男は多い。ところが、万起夫さんは、自分のことのように喜び応援し、アメリカに渡った。マキオちゃん、チアキちゃんと呼び合う仲のいいカップルだ。
 表紙の紹介文 
<’94年夏、向井千秋は宇宙の旅で何を見たのか?
壮大なスケ-ルで展開するユーモアとロマンあふれる人間讃歌
女房は宇宙で単身赴任中、地上から熱烈エールを送る夫のマキオ……。
ベストセラー『君について行こう』に続く、待望の書!>

 『楽老抄 Ⅲふわふわ玉人生』  田辺聖子  集英社
 著者は、幼少の頃から本好きであった。小学校の頃から、家にあった大人の本も読み、古典にも親しんだ。著書を読んでいると、あらゆる古典文学や日本の近年の文豪の本にも精通しているように思う。この本は、文芸案内としても楽しめた。
 
 『二十三階の夜』 曾野綾子 河出書房
 青母子/農夫の朝食/叔母さん応援団/故郷へ/白いスニーカー/トンガリ屋根の駅舎/夜空の明暗/朝の光/二十三階の夜/樹海の満月
 上記10編の短編集からなる。著者のクリスチャンとしての、海外や貧しい国での援助活動や取材を通して書かれたもの、作家としての立場から、見知らぬ人からの手紙で、特異な人生を知らされ書いたもの、どれもシビアな内容。読み終わった後、溜息のような余韻が残る。でも私はこの余韻、嫌いではない。
 特に強烈な印象を受けたのは、「農夫の朝食」の内容。この農夫は、元神父。告解の時、告げられた話は、誰にも話してはならない、という掟がある。ある時、男がやってきて、○時○分発のニューヨーク行きの航空機に爆弾を仕掛けた。と告白する。神父は驚き、立ち去ろうとした男に、すぐ警察に自首するように、と説得したが、そのまま去っていった。殺人予告の告解でも、洩らしてはならないこと、悩みに悩んだ末、空港内にある、ある店に電話し男が飛行機に爆弾を仕掛けた、と言っている。すぐ、その旨、伝えて欲しい、と言って電話を切った。
 緊急に手配され、事件は起きなかった。速やかに、乗客は何も知らされず、別の飛行機に乗り換え、機内を徹底的に調べたがそれらしいものはなかった。このことは伏せられ公表しなかったので誰にも知られず済んだ。しかし、神父は、神父としての約束を破ったという自責で神父をやめた。

 今日借りてきた本は5冊。そのうち1冊は、継続したもの。それは「白き瓶 小説長塚節」である。2度目の継続。あまりにも字が小さく細く、しかも厚く、夜や疲れたときには、読み進められない。でもどうしても読了したい。後、ほんの少しだが、今朝迄に読めなかった。 
 
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by ttfuji | 2010-11-25 19:29 | 読書・読書会・図書館 | Comments(4)
 11月22日(月) 
 午前中、太極拳。来週の自主トレは、指導して下さるMさんが、OKして下さったが、参加者が、極端に少なく,Mさんに申し訳ないほどだ。私も、大山の旅館で旅仲間の会食というか忘年会があり不参加。久しぶりの懐石料理が食べられる。10~12人が自主トレに参加しているが。半数にも満たないようだ。Mさんは、例え2・3人でもやりたいという人がいれば、自分も身体を動かしたいので、やりますよ、と言って下さっている。Yさんに、参加費の集金や、薄謝のことをお願いした。

 午後から、銀行や買い物に行く予定だったが、夫が体操に行くので車を使うというので、急いで銀行だけ済ませた。夫の体操は、火曜日だが、明日は、祭日と重なり、駐車場が満杯で置けないそうだ。それで、急遽今日に変更した。

 Yさんからのお誘いで、お茶を頂きに伺った。小豆島旅行から帰って、四国愛媛の菓子、タルトとお茶、コーヒーを頂いた。弟さんから送られたという、富有柿も頂いて帰る。
富有柿といえば、先日、スイミングで一緒の人から特大の富有柿を頂いたし、夫も体操の仲間から、頂いてきた。一度だけスーパーで買ったが、続けて頂いたので、仏様にも供えてある。富有柿は甘くておいしい。
 天気は下り坂。夜になって本降りの雨になった。孫は、塾で遅くなるが、自転車を置いてバスで帰るだろう。(若ければ車で迎えに行ってあげられるのに、雨の夜の運転は断っている)
 
 11月23日(火) 
 勤労感謝の日。夫は、Tがバイクを使うなら、ガソリン入れて置いたから、と私に言った。Tは日曜日に使ったが、ガソリンが少なかったので一旦帰ってきて自転車で行ったのだった。
 夫は、電話やメールで知らせるようにと言ったわけではないが、私は、メールしておいた。使うとも使わないとも、返事はなかった。塾はなかったらしい。

 11月24日(水) 
 今朝、8時過ぎ、スイミング行きの支度をしていると、Tが車で送ってもらえるか、と聞いてきた。自転車は、22日、雨のため塾に置いてきたままという。昨日は市の図書館へ行っていたとのこと。 スイミングがあるから、送れない、というと、財布を家に忘れて来たので、バス代がないという。送ってもらうつもりで、こちらに向かっていたらしい。バス代貸して、という。
 時計を見ると、20分近くの余裕がある。すぐに出れば学校もスイミングも間に合うかも知れない。急いで身支度、可燃ゴミだし、車にスイミングバッグを積んで、Tに電話した。車で送るから、と言うつもりだったが出ない。すぐTが着いた。途中まででも送るよ、というとありがとう、と喜んだ。寝ている夫に書き置きもせず家を出た。起きていても目覚めていないと断るだろう。
 バスの通る道は回り道なので、いつもの一直線の道を走った。学校に歩ける距離の手前を左折し、信号の手前で降ろした。そのバッグの外側のポケットに、お金入っているから、というと、ここまで送ってもらえばお金いらない、という。じゃ、千円だけ持って行きなさい、と言っても今日は使わないから、と持っていかなかった。学生証とか免許証とかに千円ぐらい入れておいた方がいいよ、と教えたが、頷いただけだった。
 自分で、経験して覚えていくしかないのだろう。ばあちゃんは、先へ先へと心配してしまう。ガバイばあちゃんを見習わなくちゃ。
 スイミングは間に合った。
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by ttfuji | 2010-11-24 15:23 | つれづれ日記 | Comments(4)
  昨年は、Sさん宅に泊めて頂いた3人。今年は、Iさんが家庭の事情で日帰りなら、ということになり、温泉旅行は断念し、日曜日の昨日、Iさんと池袋で待ち合わせ朝霞のSさんのお宅に伺った。
 デパートの、開店を持って、昼食を買って伺うつもりでいたが、前橋から乗り換えなしで来られる湘南新宿ラインは、9時26分池袋着で私もそれに合わせて、家を出た。私が池袋到着は、9時半。Iさんには、下りたホームの新宿寄りのところで待っていて欲しいと伝えていた。デパート開店まで待つのは、時間の無駄なので、そのまま東上線で朝霞へ行った。Sさんには、買い物は朝霞に着いてから適当に駅の売店か、コンビニで買っていく、と伝えたところ、ご飯ぐらい炊きますわよ、と言って下さってので、私は、おかずを持参することにした。
 とにかく、早く来て、沢山、おしゃべりをしましょうと、と待ち遠しい様子だった。Iさんに、私が、ポテトサラダとゼンマイの煮物を作ってきたというと、セブンイレブンでおでんとシュークリームを買った。Iさんは、私たちにいつもおみやげを下さる。高崎で人気の菓子とお茶(自宅がお茶屋さん)、ギンナンを頂いた。

 10時半頃,Sさん宅に着く。今回は、道も覚えたので、出迎えことわり少々迷いながらも何とか着いた。
 一人暮らしのSさんは、いつも電話で話しているが、お会いしたいわね、場所提供くらい毎月でもいいですよ、と言って下さる。
 女3人の話は、尽きることがない。話題は、次々にでて広がったり深まったりする。思い出話もまるで女学生のような気分になる。
 持参のフレンチトーストに柔らかすぎたカボチャサラダを載せて食べて好評だった。ポテトサラダや具を沢山入れたゼンマイの煮物も味見してもらったりするうちに、お昼は、もう要らない、と言いだし、それでは、ご飯は早めの夕食にしましょう、となった。
 3時頃になったら少しお腹がが空き、シュークリームとコーヒーを頂いた。
 ダイニングテーブルで話したので、お湯を沸かしたり、ガスでご飯を炊いたり、即席漬けを作ったり、おしゃべりしながらできた。
 4時半頃、夕食。え、もう、という感じだったが、帰りの電車の予約があり、おでんも温め直し、持参のおかずも、おいしいと言ってくださった。楽しい一日は瞬く間に過ぎ、5時過ぎSさんが朝霞駅まで送って下さった。

 Iさんは、池袋の東武デパートでおみやげ食品など買い物し、池袋6時9分の前橋直行の急行グリーン車で帰り、私も新宿から小田急で帰宅。自宅近くのバス停を通るバスに乗り、8時前に帰宅した。『龍馬伝』に間にあった。Sさんに電話すると、彼女も『龍馬伝』を見ていたところだった。
 Iさんは、私より早く帰宅できたとのこと。家族に楽しかった一日のことを話しているうちに、遅くなり、今日電話頂いた。

 
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by ttfuji | 2010-11-22 21:23 | 友・師・人 | Comments(6)
 今日は、妹の通院に付き合うため9時頃家を出た。小田急線伊勢原駅の改札のところで、ただ今、人身事故のため、○○と○○の間が折り返し運転をしています、と繰り返し放送していた。○○の駅名がはっきり聞き取れない。
 遅れてもそのうち動き出すだろう、とホームで待った。来るはずの電車が来ない。そのうち、やっと来たのは、各駅停車の海老名行き、目的地より大分手前だが取り敢えずそれに乗った。
 急行新宿行が来ないから、各駅ともホームがかなり混んでいる。そのうち、本厚木から経堂まで各駅で折り返し運転をしています、と車内放送が始まった。駅ごとに乗る人が増えて、満員になっていた。車内放送は、状況が変わるたびに小刻みに行き先が変更された。海老名駅止まりだったのが相模大野まで各駅停車で行くことになった。

 途中から、人身事故の撤収(収容)?は終わりましたが、警察の発車許可が下りていませんので、前方に電車がつかえています、という放送もあり相模大野駅の前で何度も止まった。
 人身事故、つまり自殺であろう。痛ましさを感じてか、だれも文句を言う人はいなかった。相模大野の次に町田行きがきた。町田でホームの発車案内の時刻掲示板が、次々に変わった。各停経堂行がくるはずのホームに各停新宿行きが入ってきた。かなり満員だったが、何とか乗りこんだ。若いとき東京の通勤で経験したすし詰め電車だった。シャトルバスのでる新百合ヶ丘まで行かず、病院のある柿生で下りて歩いて行こうと思ったが、電車のドアまで移動するのも大変そうなので、次の新百合ヶ丘まで乗った。シャトルバスで病院へ。
 病院へ着くと、妹に小田急線、事故があって大変だったでしょう、といわれた。妹たちも自宅からタクシーを呼んだが、電車の事故で、タクシーを利用する人が多く、迎えに行けない、と言われたとか、暫く待ってもう一度電話し、どうにか頼めたという。タクシーまで影響した事故だった。
 その後は、いつもの通り、2つの科の受診と会計、調剤薬局を終えて1時のシャトルバス、新百合ヶ丘から自宅までタクシーで帰ってきた。
 1時半過ぎ、買っていったお弁当やおだんごで昼食。

 Jさんは、白内障が進み、24日に入院手術。術後も通院があり、とても大変そうだが、わが家もいろいろあり、なかなか力になれない。Jさんは、緑内障もあり、足取りもおぼつかなくなったようで、あまり外出はしなくなった。病病介護という感じもある。
 近くに住んでいればもう少し、食事の差し入れくらいできるかも知れないが、あまり役には立てない。これからは、こんな家庭が増えていくだろうと思う。
 早めの夕食を頂き、8時頃帰宅した。

 わが家も、夫が12月に、鼻の手術をする。通院治療も何度かしている。明日も鼻の治療に出かける。簡単なものだ、誰にも言うな、と夫に釘をさされているが、こちらの都合を伝えねばならず、ブログ上だけ書く。
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by ttfuji | 2010-11-19 22:30 | 家族・身内・私 | Comments(3)
 11月16日(火) 
 眼科検診日、今日は年1回の視野検査もあり9時半の予約だった。視野検査、眼圧とも問題なし。引き続き、2種類の目薬(緑内障予防と疲れ目や最近保護など)はきちんと差すようにいわれる。ところが、一方は、朝夕、もう一つの方は一日数回、といわれているが、つい忘れがちで、夜になって気付いて注すことが多い。
 先月妹のところへ行った時のこと、妹は白内障の手術を数年前にしているが、見えにくなってきたので、レーザーで削ってもらったら、曇りがとれた、と言っていたので、レンズ入れ替えなくもいいの、と聞いたら、大丈夫みたいよ、といっていた。
 そのことを、先生に聞いてみた。レンズは、消耗品だから、長く使っているうちに、濁ってくる、再手術が必要と、知人から聞いていたので、そのことも伺ってみた。すると、レーザーを当てるだけできれいになります、消耗品と言うことはありませんよ、と言われた。 一安心したが、このブログにも、レンズは消耗品と書いてしまった。コメントでも、そうなんですか、初めて聞きました、と書かれた。
 確かめもせず軽率だったと反省。読んで、信じてしまった方には、訂正してお詫び致します。
 70,80代で手術したとして、寿命まではレーザーなどで保つのではないかと思う。

 眼科、終了後、銀行、本屋さんにまわった。読書会の本が届いたとの連絡が昨日あったので、受け取りに行った。書店の人とおしゃべりをしていると、この本、読みましたか?と湊かなえの「告白」を栞で示された。2・3年前に読んでいます、というと、すごい本ですよね、映画化するそうですが、だれが教師役やるのかなあ、と言う。
 私は、「レオニー」という映画の話をし、本は出ていますか、と聞いた。レオニーという名前ではないが、読んだことあります、と言っていた。
 
 夕食の用意をする時は、孫を呼ぶつもりはなかったが、おかずを作っているうちに、ふとお弁当のおかずに持たせたいと思い、お弁当のおかずあるから、寄れたら寄って!、返事下さい、とメールした。寄る、という返事があったら、あと2品くらい急いで作るつもりだった。筑前煮とコンニャクの炒め煮は容器に用意した。あと、豚肉の生姜焼き、厚焼きタマゴは10分もかからず作れる。入浴もできず10時過ぎても返事はなく、今日は時間がなく寄れないのだろうと思っていたとき、チャイムが鳴った。塾で勉強中はメールできない、終わってからも遅かったので気が急いていた、とのこと。食べてく?と聞くと、もらってすぐ帰るという。来るの分かっていれば、もっと作ったのに、と言い訳して少し待つ、と問えばすぐ帰るという。でも甘いものが欲しそうなので、冷凍の鯛焼きをレンジでチンして与えた。それをアルミ箔でくるんで持ち帰った。食べながら帰るという。

 日曜日も、ジャガイモと挽肉のコロッケを沢山作ったので、とりに来させようとしたら、娘がでて、友達と東京に出かけているという。夕食も食べてくるとのこと。たまの息抜きだろう。
 夜だったが、私が車で届けることにした。急いで、五色キンピラを作ってそれも持っていった。娘が住宅の下まで下りてきて渡した。

 タッパーがいつもまとめて返される。ばあちゃんの深情け?だろうか。

 11月17日(水) 
 きのう、今日と寒い。
 雨がぱらついてきたので、車でスイミングに行った。寒いせいか人数が少なかった。水中で股関節の大股歩きをしている時、足が攣った。今朝も蒲団の中で足が攣れて10分ほど、痛みをこらえた。このところ、攣れることはなく、快調だったのに、どうしてだろう。思い当たることと言えば、いつもより歩いていることぐらい。といっても、一万歩以内だ。
 体操行き往復8237歩、史跡めぐり9706歩、美容院往復2171歩、太極拳へは694歩で行ける。眼科他5338歩、この位では、歩きすぎとは言えないと思う。
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by ttfuji | 2010-11-17 13:50 | つれづれ日記 | Comments(8)
 11月14日(日) 
 髪の生え際の根元が気になっても我慢していたが、とうとうヘアダイに行ってきた。1ヵ月半のサイクルだから、年末にまた行くことになるだろう。ヘアダイが身体に良くないといわれているが、白髪の美しさは、質量からして自分には無理と思い、ヘアダイを繰り返している。きれいに白髪になる人と交じってグレーになる人と、部分的にかたまって白髪が出る人それぞれいられる。加齢で染めることが無理になることもあるらしいが、もう少しを続けることにしよう。
 美容院のYさんとは、いろいろ話が合う。1人で美容院を経営し、マイペースにやっている。繁華街でないから、気心の知れた人がお客だ。近くにある介護ホームのお年寄りには時間の都合がつけば送り迎えする。勿論、料金など取らない。
 東北出身の方で、素朴で無駄口はきかない。お客の噂や悪口、批判的なことは言わない。
 山が好き、自然が好き、農業が好き、ウオーキングでも水泳でも時間があると1人でさっと出かける。月、火が休業で、山の会の仲間と山登りを楽しんでいる。
 以前に、マチュペチュに行ったときのことは、話を聞きブログに書いた。

 お休みの時は、顧客に前もって伝え、シャッターに張り紙をする。2・3人の客がいることもあるが、電話してくる客が殆どで、混んでいれば、何時頃には待たないでできる、と返事をしている。
 私とは、いろいろ話す。きのう、史跡めぐりでこの前を通ったら先生忙しそうだったと話すとそうだったの、と驚かれた。
 それから、今朝ラジオを聞いていたら、松井久子という女性監督が手がけた『レオニー』という映画の話をしていた。3作目という。レオニーとは、戦前にアメリカに行った日本人男性と愛し合ったアメリカ女性の名前で、太平洋戦争が始まると、男性は日本に帰ってしまう。女性は妊娠していて彼を追って日本にやってくる。大変な苦難があったが、生まれた子は、天才的な才能を持っていた。この映画の試写会を皇后様もご覧になって、監督に、良い映画ですね、を仰ったという。美容師先生は、ぜひこの映画を観たいという。どこでやっているかF(私)さんパソコンで調べてもらえないか、という。

 私も興味があったので、早速、帰ってから検索してみた。『レオニー』はイサム・ノグチ」の母親だった。父親は詩人と名乗っていたらしい。世界的な彫刻家のイサム・ノグチだったら私も少しは知っている。
 監督の、松井久子さんは、『ユキエ』『折り梅』などの映画を作り3作目という。レオニーの一生を知り、父親と息子に対して蔭の存在だった彼女にスポットライトをあて是非、表に出すべき、と思ったという。
 公開は11月20日から東宝シネマ系で上演されるようだ。そのことをYさんに伝えたところ、とても喜んで下さった。私も観たい。

 11月14日(月) 
 天気は下り坂。午前中、太極拳。午後、買い物に行こうとしたら、Wさんから電話があり、アンテナの引き取りを引き受けてくれた、電気屋さんが今から伺っていいかという。お待ちしてますと返事し、すぐに見えた。2階のベランダのフェンスに取り付けてあった2台のうち、一つはさび付いてネジがまわらず難儀していた。申し訳なくしきりにお詫びを言ったりお礼を言ったりした。アンテナが、誰かの役に立ったらいいのに、としきりに思った。
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by ttfuji | 2010-11-15 18:05 | 映画・演劇・音楽 | Comments(6)

郷土史史跡めぐり

 11月13日(土) 
 今日の史跡めぐりは、私の住宅地に近いお寺や神社を訪ねた。わが家から4分ほどの八坂神社に9時20分集合。30分に出発した。案内は伊勢原市文化財協会会長であり郷土史会の会員でもあるSさん。資料作成と詳しい説明して下さった。
 コースは、八坂神社(京都祇園の八坂神社と同様に江戸時代までは「天王社」または「祇園社」といわれ、午頭天王(ごずてんのう)という仏教の神を祀っていた。廃仏毀釈を逃れるため、祭神を須佐之男命と大山咋神にした。一の鳥居には祇園社の額がかかる。梵鐘は県重文)→
三観寺(黄檗宗)→
入定塚(現在は供養塔の碑、前を通っただけ)→
日月神社(にちがつじんじゃ、大山道道標、左右の面に右「いい山道」、左「大いそ道」とある)→
疫神社(日月神社の境内にある)→
東円寺(臨済宗、古賀の渡しの話が残っている。昔、この下一帯は沼地であり、舟繋ぎの松があった。平塚・城島の浮島の間を舟で行き来していた。現在は田や畑、民家も沢山建っている)→
土地改良記念碑(長い年月の間、沼地は土腐田といわれる田になったが、ぬかるんで人が半分入ってしまうほどで、米の収穫も悪かった。土地改良事業は、大正6年から昭和34年までの苦労が記されている。)→
天王森(八坂神社の古地、昔、祭礼の時はここから八坂神社まで神璽が土腐田の中を渡御したという。)→
神池(農業用水の水源。今でも水がわき出ている。池の中には虚空菩薩の座像と弁財天の石祠祀られている。台座には、再建寛永元年六月の文字がある)→旧家(名主の家、門や邸や広い庭を門の外から眺める。子孫が住んでいる)→
隆安寺(日蓮宗、住職は郷土史研究会、会長の同窓で交流があり、昼食場所に使わせて頂く。広い座敷で食卓、お茶と菓子の用意のして下さっていた。食後、本堂で住職さんの話を聞く。桜井伯耆守の墓がある。)→
神明社(祭神、天照皇大守。村落の鎮守。昔はもっと高いところに社殿があったが、東海道新幹線工事に伴い上部を削られた。その結果、社殿前の広場が広くなり使い勝手がよくなったという。)→
暗闇坂(神明坂の脇に、未舗装の坂道がある。昔は、頂上がもっと高く、木も鬱蒼としていたため昼間でも暗かった。いまも暗い)→
左手は雑木林だが、右側は広々した畑、暗闇坂より少し進むとWさんが、ちょっとと案内してくれた場所がある。5メートルほど奥まったところに大きな上部が平らの石があり、これは昔、侍の死体を焼いた場所だと教えてくれた。後年、その石は放置されたままだが、人通りのない道なので、賭博の場所に使われたという。これは史跡でも何でもなく噂が伝わったものだろう。
無量寺址(わが住宅地に隣接するところにあったというが、それらしい碑も何もない。一部市民の貸し農園にもなっている。)
これで、史跡めぐりは一周してここで解散。時間は、2時過ぎだったと思うが道が分からず、集合場所までご主人に送ってもらったIさんに付き合って、携帯で電話し迎えの車が来るまで一緒に待った。わが家へは3分の距離だった。
道の道標は何カ所かあったし、灯籠などの説明を受けたが、記憶が曖昧なので略した。
 散策には絶好の日和であった。暑くなく寒くなく、風もなく穏やかな薄曇り。歩数計は9706歩だったが、のんびり、ゆったり歩いたので疲れなかった。
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by ttfuji | 2010-11-14 23:32 | 郷土史・講演会・学習 | Comments(2)