私の生活や自分史・読書、旅などの記録


by ttfuji(トコ)

<   2012年 05月 ( 14 )   > この月の画像一覧

M先生の通夜に参列

 今日、ある意味で恩師だったM先生のお通夜がありました。
 その先生は、私を採用して下さった税理士先生です。

 私は当時としてはわりと晩婚で、娘一人、専業主婦だった私の、仕事をしたいという熱意?の手紙に面接の電話を下さり、履歴書と簿記検定2級の合格証書を持って訪問した。年齢は45歳になっていた。一人娘を鍵っ子にしてはならない、と言われ、私も主婦と育児、PTAや子ども会役員、趣味のサークルなどに参加し、それなりに忙しかったが、娘が高校に入る頃より、このまま専業主婦で終わりたくない、もう一度かってのOL時代のように働きたい、という気持が大きくなっていた。
 人に話すと、年齢的に無理、パートや掃除のおばさんなら使ってもらえるかも。昔経理ができたといっても20年も前のこと、今はコンピュータ会計の時代浦島太郎のように時代が変わっている、ともいわれた。
 諦めかけたとき、商工会議所の簿記講座があると知り、3級程度の講習を受けた。講習が終わって、検定試験は3級と2級を申し込み、両方受かった。2級は問題集をやって勉強した。
 その証書がなかったら、あるいは採用されなかったと思う。コンピューター時代といっても、基本は知識と能力だと言って下さった。取り敢えず3か月の試雇期間を経て本採用になった。事務所は平塚支部圏内で最も大きな事務所だった。先生は、家族全員を一緒に仕事させ他の従業員と差別しなかった。奥さんやお嫁さんを家庭に置いて孤独にさせない思いやりだった。仕事は厳しかったが、人間的に暖かく、辞めた人でも忘年会に招待してくれたり家族全員写真の年賀状を下さった。
 私も5年ほど勤めると、時間の余裕がほしくなって辞めた。
 暫くすると、顧問先で経理をやってくれる人を求めている、勤務体系は相談できると思う、という勤め先を2度も紹介して頂いた。おかげで読書会や古典の会も復帰できた。  アルバイト的に10年ほど働いた。

 29日の午後、最も長く勤め、先生ご夫妻に信頼され頼られていたOさんから、28日先生が亡くなられたとの電話を頂いた。本当にびっくりした。85歳と高齢とはいえ、昨年暮れ頃お元気な姿をお見かけした。お会いすると、事務所に寄っていらっしゃい、家内も居ますから、と言って下さった。やさしい奥様は、従業員と先生との緩衝的役割の人でみんなに好かれていた。
 3月の確定申告まで、書類に目を通していられたという。その後、体調を崩されたのか疲れた、というようになったという。直接の原因は誤嚥性肺炎とのこと。奥様のショックは計り知れない。事務所の方は、息子さんふたりが税理士で支障はないだろうが大黒柱を失って大変だと思う。ライオンズの役職や税理士会の支部長、本部長など長年の功績もあり大勢の人が通夜の式に訪れた。

 Oさんの車に載せて頂き、参列してきた。Oさんは勿論明日も出られる。
 私は明日の告別式には、出られないのでお通夜に参列した。
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by ttfuji | 2012-05-31 23:46 | 友・師・人 | Comments(4)

今年も咲いた二つの花

 今年も、西向きの出窓に、ハイビスカスと源平かずらの花が咲きました。
 数年前沢山の花をつけたハイビスカスでしたが、花が終わったあとは庭に捨て置かれたのを、私のパソコン部屋の出窓に取り入れ、水を与えるだけで、毎年1・2輪の花を咲かせてくれます。
 源平かずらも数年前、末妹が持ってきてくれたもの。冬になると殆どの葉が落ち、もう今年が最後かと思うのですが、春になると葉が茂り始めます。いつの間にか花が咲き数も増します。これから蔓がぐんぐん伸び、夏には日除けになります。まだ、赤い花芯は見えませんが、最盛期には源平の名の通り紅白の花になります。
 この出窓は鉢花の再生工場でもあります。
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by ttfuji | 2012-05-29 23:40 | 自然・花・景色・庭 | Comments(3)
 歳のわりに元気だとか、若いと言われるが、このところめっきり、歳をとったと自覚するようになった。まず、気力。億劫に感じることが多い。記憶の方もかなり衰えてきている。読んだ本の内容、すぐには思い出せない。手元に本があれば、初めの1ページを読めば思いだし、筋も繋がるが、返却してしまえば、登場人物の名前さえでてこない。
 記憶を司る脳細胞が急速に減少しているのかも知れない。凡ミスも多い。日や曜日を勘違いすることもある。日常の出来事が、ずっと以前のことに思えたり、何年か前のことが1・2年前のことと思えたり・・・。外出時、ないと不便なものを忘れたり。
 90歳のTさんに話すと、私もそういう時期があった。注意しなければと肝に銘じた。心掛ければ大分改善される、と言われた。達人だなぁ、と改めて感心した。

 この頃、日中、本や新聞を読んでいるとき、睡魔に襲われる。パソコンをしているときもそうなることがある。だからといって、椅子で目を閉じたり、横になっても眠れるわけではない。相変わらず、睡眠時間は4時間前後である。身体の変調がきっかけで、ぐっすり眠れるようになればいいと願っているが、睡眠障害は治らない。

 この頃また眼瞼炎というか、瞼にかゆみを感じ、眼球まで痒く不快で鬱陶しい。
以前、アレルギーといわれ、残っていた薬を塗っているが治らない。皮膚科に通うことになるかと考慮中である。
 眼瞼炎、何年か前に初めて発症し、飲み薬と塗り薬で治った。翌年の同じ時期も罹り、医師にかかった。昨年は罹らず、安心していたが今年また発症した。花粉症の一種とも言われたが、本当に花粉によるものかどうか分からない。

 女子バレーがたった今、オリンピック出場を決めた。連日応援に力が入ったが、今日の最終戦セルビアに敗れたが2セットとったことで、出場を決まった。勝利して出場を決めたかったと思うが、セルビアも今日勝たなければ、出場できないので、必死だった。まあ、よかったのではないかと感じた。
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by ttfuji | 2012-05-27 21:21 | 医療・健康 | Comments(4)
 親しくしているTさんが、今、ホテル住まいをしている。
 息子さんから家のリフォームをするから、しばらくの間埼玉の娘の家に移っていてほしい、と言われたのは半月ほど前だったか、私が聞いたのがその位前だった。
 困ってしまう、いくら娘の家といっても、移るのも面倒だし、趣味のお稽古にも行けなくなる、気が重い、と仰っていた。
 リフォームなら、別室に一時2階に移って、1階が終わったら戻る、というわけにはいかないの、と聞いてみたがそうはいかないらしい、という。話はその後聞かなくなったので、仮住まいしなくも良くなったのかなと思っていた。

 ところが4・5日前、電話がかかってきて、急に工事が始まって、今2階に移っている、私の部屋は、タンスも押し入れも、ものがいっぱいで着るものも出せない、畳も立てかけてある、という。今日、明日のうちに駅前のホテルへ泊まることになった、ついては、図書館にも行けない、i&iさんにお借りしている「蜩の記」も、読み終わったので返して頂けないか、という。何か、元気のない声だ。
 私は、夕食の支度をすませ、伺った。玄関を開けて驚いた。壁も床もすべて養生というのか板が張られている。本格的建て替えという感じだ。耐震の工事という。築30年の家で耐震構造になっていないので、この時期、どうしてもやりたいらしい、という。息子さんの気持ちがわかる。老親や家族(息子夫婦)を地震から守りたいという責任感もあるだろう。いつ大地震が起きても不思議でない、といわれている。
 私は、これで住むのは無理だ、と感じた。息子夫婦は、2階の1室に住むという。2人とも仕事があるので日中留守も多い。
 暫く、辛抱ですね、と言った。場合によっては、ホテルもまた変わるかもしれない、息子が別なところを手配しているようだ、流浪の民の心境、といいながら、遠くへ越さなくて良かったと納得もしている。退屈なら電話下さい、予定がないときは遊びに行きますよ、と伝えた。
 翌日は、スイミング。携帯にTさんから着信歴。あなたが来るかも知れないと言っていたから、留守にしては悪いと思って、とのこと。すぐ近くのヨーカドーに買い物にでたらしい。本も何も持ってこなかったので退屈だ、という。

 明日の図書館、一緒に行きません?。ホテルにじっとしているよりいいでしょう、と言った。そうだ、何も、アンタに返却頼まなくても良かったんだ、急の引っ越しで動転してしまって、という。
 今日が図書館行きの日。ホテル前11時に行く。図書館に入る前に、木陰の椅子で、マンゴープリンを頂く。ホテルの冷蔵庫に入れた置いたので一緒に食べようと思って持ってきた、という。冷たくておいしかった。
 Tさん、図書館で2册返却、2册借りる。これで退屈しないですむ、という。明日は、お習字の日、お習字の仲間が迎えに来てくれるという。私の、先生へのお礼の手紙も、投函せず、Tさんに託した。

 昼食をグラッチェで一緒にした。ラザニアとパスタ、ドリンクバー、お相手を喜んで下さった。

 夕方、i&iさんより、電話。ご主人が畑で採れたばかりの、スナップエンドウを届けて下さるとのこと、申し訳ないので、私の方で頂きにいきます、お返しする本もあるし、言い、すぐに出た。車で5・6分の距離。見事なスナップエンドウだ。早速夕食に頂いた。
 塩ゆでし、ボイルしたあらびきソーセージを皿に盛り、卵を添えた。色の取り合わせがいい。ビールのおつまみにもってこいだ。見事に丸々と膨らんだスナップエンドウはこれまで食べたことがないほど、甘くておいしい。他に豚肉とほうれん草の炒めもの、昆布佃煮でごはんを頂く。
 今日は、良い日だった。
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by ttfuji | 2012-05-24 22:54 | 友・師・人 | Comments(8)
 先日、ミニ書遊展を見せて頂いた先生からその折のTさんの作品とともに撮した写真が昨日送られてきた。観賞に行ったことへのお礼が書かれている。
 さすが、書道の先生、達筆な筆字である。

 お礼は、電話でいいかしら、字にコンプレックスがある私はお習字の先生に手紙を書くのは身が縮む思いだ。Tさんに電話し、電話番号を聞いたが、お稽古や外出も多いから留守だったら、Tさんから私の気持を伝えて下さるという。

 写真を見ているうちに、この写真、スキャンしてブログに載せよう。そして、コピーして岡本先生にお届けしよう、と思い立った。どうにか、その日のブログに挿入、掲載できたが、現物よりはっきりしない、しかし、その方がいいと思った。

 夜、先生に開き直って手紙を書いているうちに、だんだん長くなって字のことはどうでもよくなった。今更見栄を張ってもどうにもならない。いくら足掻いても達筆にはなれないが、パソコンで手紙を書いて、ブログに同封するなんてまさかできないし、それより手書きがいいに決まっている。幸い読みやすい字と言われているからそれで行くしかない。
 それにしても今まで生きてきた間に、美しい字を書きたいと、常に願っていたのに、ついに努力もしなかった。ワープロができ、パソコンができるようになるとそちらに逃げた。でも手書きの代わりはできない。手書きでなくてはならないことも多い。
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by ttfuji | 2012-05-23 22:50 | 家族・身内・私 | Comments(2)
 19日、土曜日の夜、上の前歯(左)が欠けた。干し魚をかみ切り、噛んだとき、小石のようなものが歯に当たった。指でつまんでみると、小さな陶器のかけらのようだ。魚の骨ではなかった。鏡を見ると下の方4㍉ばかりがはげ落ちている。差し歯なので芯の鉛色が出ている。それだけで奇妙な人相になる。どうしよう、またやってしまった、という感じ。
 以前、矢張り、別の前歯が欠けたことがある。私は固い歯ごたえのものが好きだが、干し柿とか干し芋、するめ、フランスパン、お餅などは注意するようになった。いずれも食い千切るとき、歯に相当な力がかかる。
 翌日は日曜日、月曜は太極拳がある。太極拳から帰ったら、すぐ歯科に電話しよう、受付は10時半からなので、電話できない。その代わり、午前は、午後2時までやっている。12時、帰宅してすぐ電話したら、今から来られますか、と聞かれた。車がなかったので、午後からお願いできないか、聞くと、今日の午後の部は予定でいっぱいとのこと。明日、夕方の5時に予約できた。12時40分頃、夫の車が帰ってきた。ダメもとで今から診て頂けないかと電話してみた。1時までに来て下さいと言われた。たまたま空いていたのは幸運だったと受付嬢に言われた。

 先生は、どうしましょう、と聞くので、これは30年ほど前に入れた歯で・・というと、平成20年にうちで被せた歯ですよ、保険ですとそろそろ寿命ですね、と言われた。すっかり忘れていた。また、保険でお願いします、と頼んだ。それではもう一つの歯も一緒に治せば、同じようにきれいになる、大事にすれば5年以上持つ、といわれた。被せた歯を外し、念のためレントゲンも撮り、上下の型を取って、仮歯を入れ、何度もかみ合わせをチェックして一応、普通の生活ができる処置はして頂いた。
 治療前に、先生から、結婚式とか旅行はないかと聞かれ、なんにもありません、と答え、それなら暫く仮歯で、と確認されたのだった。
 こんなに早く、問題解決するとは思わなかった。来週の月曜日、1時に予約。本歯がはいる。
 帰りに、買い物して帰る。
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by ttfuji | 2012-05-21 20:53 | 医療・健康 | Comments(2)
 このところ、また天気が荒れ模様である。2日前、テレビの天気予報では、夕方から夜にかけて大荒れになる、硝子戸にはカーテンを閉めて近づかないように、と警告していた。場所によってはまた竜巻の恐れがあるという。
 前回の栃木や茨城に竜巻被害が生じたとき、こちらでは庭の用具やベランダの鉢など横倒しになったが、竜巻はなかった。
 でもこれからは、この地域は安全とは言えずどこで発生するか分からないという。
 地震や津波以来、日本列島がおかしい、いや地球がおかしい、世界的だ、と話題にもなる。
 地球誕生以来、天変地異は繰り返したし、大陸の大移動もある。大洪水もあった。いずれ地球も天体の一つ、滅びる運命にあると達観できればいいが、幾代かの子孫くらいまでは安泰であってほしいと勝手ながら願う。
 未曾有の、想像を超えた大災害も起こりうるわけだから、危機管理が足りないと責任を押しつけることはできないといったら庇いすぎだろうか。
 どんな科学の進歩でも対処できない天災はあると思う。
 ただ、人災や予想できる被害には対処し、手を打ってもらいたい。
 たとえば、原発、自然破壊、過度の消費生活、飽くなき贅沢の追求、資源を求めて宇宙開発などもそこにはいると思う。戦争も人災だ。それによって起こる病気や貧困、悲惨も人災だと思う。
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by ttfuji | 2012-05-19 14:53 | 自然・花・景色・庭 | Comments(2)
 
a0055866_145023.jpg5月11日(金) 
 郷土史会のバス旅行の日、帰ると車はなかった。娘が翌日使いたいと今日夕方のうちに住まいのあるところに乗っていったのだった。土曜日夜そんなに遅くならないうちに返しに来ると言っていた。数日前、打診があった。
 私の予定は伝えてあり、当日はいないが翌日、返しに来たとき久しぶりに夕食の用意するからと言ってあった。
 流しにカーネーションの花束がオケに入っていた。娘からの母の日のプレゼントとわかり、ほんわかとうれしかった。

 5月12日(土) 
 娘が来るのはそんなに遅くないと聞いたので、特別なご馳走ではないが、いつもより多めの夕食の用意をした。天ぷらはエビや桜エビのかき揚げほか7種類、筑前煮風の煮物類だが、孫の好物、孫の分も持たせようと思った。他にサラダや焼き魚を用意した。
 7時半頃、予定通りきたので一緒の夕食ができた。娘は息子に一緒に行かないかと誘ったそうだが、予定があるので行けないけど、おかずもらってきてと言われたそうだ。
 こちらは初めからそのつもりで、大きなタッパーに2つ分と伊豆みやげのお饅頭を持たせた。孫には、たまには顔を見せて、ご飯食べに来て!、とメールしていたが、ご飯食べに気軽に来られる距離ではない。近頃はメールもしなくなった。

 5月13日(日) 
 朝、9時頃、Yさんから電話。今日は忙しい?と聞かれたので、予定なし、と答える。
 Kさんから頂いたジャーマンアイリスがきれいに咲いたので、Kさんどうしているかしら、と思い出した。由紀さおりのCDをお貸ししたいと思っているの、散歩がてら、お訪ねして玄関先でいいから、お会いしたい、顔を見てちょっと話をするだけなら、どうかしら、という。私もすぐに同意した。数日前、Kさんからお電話を頂き、ライラックの白い花が咲いたら、見に来てね、と3月頃話したけれど、今年は白は咲かなかった。紫の方は今咲いている、良かったら見にいらっしゃいませんか、ということだった。私は、Kさんが律儀に約束したことを思い出し、電話してくれた、と思い、伺えば、体調のつらいKさんにご迷惑がかかると判断し、もう少し天候が安定し暖かくなったら、ライラックでなくても別のお花を見せて頂く、と伝えた。
 そのこともあって、Yさんの話にすぐ、同調した。Yさんは、お留守ならポストにCDと手紙を入れておく、とその用意もしていた。
 玄関のカギが開いていたので、開けて大きな声で名乗った。返事がない。再びチャイムを鳴らすと、庭の一段下がった畑からご主人の声が聞こえ、道路の所まで上って来られた。家内も庭にいる、どうぞどうぞと案内して下さった。
 ご主人は、畑仕事をなさっており、奥さんは、木漏れ日の庭で座って、なにか手作業をしていた。ご主人の農作業は本格的だ。畑に鍬で畝を掘り、コンポから堆肥をいれている。作物の種類も多く、果物も花の種類も多い。奥さんは、手伝えないので、時々庭の手入れなど注文を出す。健康なときは奥さんが花の手入れはしていたようだが、何もできなくなって、と寂しそう。
 一旦座ると、だれかの力を借りなければ、立ち上がれないという。Yさんに腕を借りて、鉢類の所に移動。花の好きな者同士、話が続く。これは何?、うちにない、少し頂戴、と言う調子で、ジャーマンアイリスやライラックなども,K家からY家に移ったものも多い。今日も何とか言うグリーンカーテンになる蔓の伸びる苗をもらってきた。そこら中に沢山生えているが、わが家ではゴーヤと朝顔で、蔓を伸ばす余地はない。挿し木でも伸びるといいご主人も手伝って蔓を鋏で切ったり、根の付いたものを袋に入れたり、妻の友へきれいな花が咲きますよと渡して下さったりしていた。

 ご主人は手広く印刷会社を経営し、私も昔から知り合いで、K家の古文書を現代文に書き換えたものを頂き、内容をまとめブログに載せたことがある。公表許可済みです。
 http://ttfuji.exblog.jp/4118259/ 2006,8,13 「笠原家の古文書」
今は息子さんに経営は任せているが、公的にも忙しく、好きな畑仕事も休日や折を見てするだけという。

 2・30分お邪魔し、Kさんは、道路前まで歩いてこられそこでも少しおしゃべり。来て下さって、うれしかった。もう太極拳にも出られそうもないが、少しでも近くを散歩出来るようになりたい、と言われた。ご主人、やさしくて、奥さんのあれして、これして、という言葉を喜んで聞いてくれている、というと、頼むことがどんどん増えている、自分でできないのが哀しいと言われる。少しずつでも、元気になってほしい、と願いながらお暇した。
 
    Yさんが道に植えたの ジャーマンアイリスとKさん宅玄関前の石竹

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 5月14日(月) 
 今月初めての太極拳。風がさわやかでよい季節になったと実感。
 午後、食料品買い物。

 5月15日(火) 
 小雨。夜になる頃は本降りになるらしい。
 眼科検診日。11時予約だったので、その前に銀行と郵便局の用事はすます。
 時間に間に合うように出たはずが、ぎりぎりになってしまい、眼科に着いたときには、かなり汗をかいた。看護師さんにそんなに暑いですか、といわれ、30分以上駆け足だったので、と言い訳した。
 眼科ではいつものことながら眼圧も安定。でも緑内障予防の目薬は差すように言われる。買い物をしなかったので、昼には帰れた。
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by ttfuji | 2012-05-15 16:03 | 友・師・人 | Comments(2)
 4月中に読んだ本の記録が書いてないと4月末からずっと気にかかっていた。今度こそ、本当に題名だけにしようと決めた。是非、感想やあらすじを、と言って下さる人が2・3人はいらっしゃるが、義理立てするほどきちんとしたものを書いているわけでもなく、言い訳すること自体滑稽かもしれない。
 楽しいはずの読書が負担になったら本末転倒、もし、改めて気持の余裕と書きたい気が起きたらその時は書くことにしましょう。
 なんでも背負い込んで、できもしないのに引き受けて、美人でないのに八方美人になるなんて愚かなことだ。郷土史会の会報の原稿、読書会のまとめもまだだ。入会を誘われている別の会もある。承諾はしてないが気がなくはない。言い訳はこれくらいにして読んだ本の羅列・・・
 漂砂のうたう  木内昇   集英社
 覚えていない  佐野洋子  マガジンハウス
 父の縁側 私の書斎  壇ふみ  新潮社
 秋の猫  藤堂志津子 集英社文庫
 秋日和  赤瀬川隼 光文社
 容疑者xの献身  東野圭吾 文藝春秋
 トリアングル  俵万智  中央公論社

 「流砂のうたう」はVINさんのレビューで興味を持ち読んだ。著者が女性だったとは思わなかった。余韻の残る本だった。徳川から明治に激変の時代に翻弄された、御家人の次男坊定九郎の人生を描く。あらすじを書いておきたいので、集英社の紹介を使わせて頂く。
 <江戸から明治に変わり十年。御家人の次男坊だった定九郎は、御一新によってすべてを失い、根津遊廓の美仙楼に流れ着いた。立番(客引)として働くものの、仕事に身を入れず、決まった住処すら持たず、根無し草のように漂うだけの日々。ある時、賭場への使いを言いつかった定九郎は、かつて深川遊廓でともに妓夫台に座っていた吉次と再会する。吉次は美仙楼で最も人気の花魁、小野菊に執心している様子だった。時を同じくして、人気噺家・三遊亭圓朝の弟子で、これまでも根津界隈に出没してきたポン太が、なぜか定九郎にまとわりつき始める。
吉次の狙いは何なのか。ポン太の意図はどこにあるのか。そして、変わりゆく時代の波に翻弄されるばかりだった定九郎は、何を選びとり、何処へ向かうのか
御家人くずれの定九郎を中心としてその兄政右衛門。出自が底辺層のものたちとして妓夫太郎・龍造、花魁・小野菊、遊女・芳里、賭博場仕えの長州人・山公、寄席芸人・ポン太ら。それぞれの人物像は時代背景を投影し、くっきりと浮かび上がる。>

 「覚えていない」はエッセー集。内容は覚えていない。そこでこれも、ブックデータよりコピー
 <「私は年月がたっても全く成長などしていないのである」生まれ変わるなら迷わず女を選ぶ。結婚はカン違いのたまもの。教師と医者がヤクザよりこわい。ワイドショーに人間のいとしさを見る。男と女の不思議、ビンボーだった青春時代、子育ての苦労と喜び、父母の記憶―人生のほとんどは、忘れてしまうことばかり。小さな悩みなんか吹っ飛ばす、名言・至言にあふれた痛快エッセイ。>

 「父の縁側 私の書斎」は手軽で面白く読んだ。父親は火宅の人だったが、家族をとても大事にした。父の思い出も引っ越しや家の建て増し普請が好きな父に振り回されたことなど懐かしそうに書いている。ふみさん自身、才色兼備ながら結婚もせず子どもを持たなかったのが惜しまれる。凡人の私だが家庭や家族がいることは良いことと思っている。たとえ立派な家庭を得られなくとも。

 「秋の猫」。藤堂氏の本は以前「夫の息子」という小説を読んだことがあり書評も書いている。猫好きの読書会の友人がブックオフで100円で買った、読んでみて、と言われて借りて読んだ。猫や犬が好きで飼い、家族のような存在になっている人は多い。5編の短編は、犬や猫がいかに人間と深くかかわっているかを感じさせる。ある感動があった。

 「秋日和」は図書館で、赤瀬川源平氏の本を探しているときに、偶然隣に並んであった本。名前だけは知っていたが読んだことはない。パラパラとめくって、読みやすそうという感じて借りてきた。
 中高年男性の恋心、恋愛への夢や願望を書いていると思うが抵抗感なくほんわかと読める本だった。中年になっても、異性に惹かれる気持は変わらない。ましてや、配偶者や家族がいない境遇でありきっかけがあれば、美しい女性に惹かれる気持は理解出来嫌みは感じない。抑制のきいた文章でとことん書かないところがいい。

 「容疑者xの献身」は人気作家のリストにあげている本だったが、いつも図書館の書架になく読んでいなかった。
 面白く、最後に近いところまで引きこまれて読んだが、最後、もう一つの殺人を犯す、ということで、私の頭は混乱した。純愛の貫徹、相手を完璧に護るため、そうしなければならなかった、という筋立てに疑問だった。

 「トリアングル」はフィクションとして書いているが、かなり著者自身の生き方が反映されているのではないかと思った。短歌がちりばめられ、恋にもかなり奔放な女性と感じた。別に悪いと言うつもりはない。 
 
 手抜きや見当違いの寸評でわれながら恥ずかしい。今後、どうなるか私自身分からない。
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by ttfuji | 2012-05-13 20:50 | 読書・読書会・図書館 | Comments(2)
 5月11日(金) 
 郷土史研究会のバス旅行。参加者22名。8時30分に中央公民館前を出発した。
 天気良好。今日は一日雨の心配はなさそう。小田原・厚木自動車道から箱根新道を通り、箱根峠でトイレ休憩。頂上は雲がかかっていたが富士も見えた。
 9時半、山中城址公園に着く。山中城は、永禄年間(1560年代)小田原城を護る城として後北条氏により創築され、天正8年(1590年)天下統一を目指す豊臣秀吉の大軍を前にわずか半日で落城した悲劇の城である。
 石を使わず土だけの山城は珍しく北条流築城術の粋を集めた「障子堀」や「畝堀」は有名で、歴史的な面、技術的な面で評価され「日本百名城」にも選定されているという。
 史跡公園として整備され、富士山、駿河湾が一望出来る。ツツジの花が満開とは行かなかったが7分先咲きくらいできれいだった。
 約1時間散策。Tさんも、なだらかな坂道、歩けるところまでと歩き出したが、殆ど全コース歩かれた。
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正面に雲のかかった富士山が見える。
 
 次に向かったのは、「三嶋大社」。約10分で着く。
 伊豆の国の一ノ宮。祭神は、大山祇命。歴史は古く、富士火山帯根源の神として古記録にも朝野の尊崇を受けたと記されている。頼朝が挙兵にさいし祈願し勝利したという。境内は森閑として神域を感じる。本殿にたどり着くまでいくつもの社殿や神社(厳島神社、伊豆魂神社)や建造物もある。取り敢えず交通安全を祈願する。
 続いて、大社の近くに「三嶋暦師の館」を見学。
 奈良時代に京都から移住してきたと言われる河合家(社家)がある。
 同家は古くから国の祭事に司る役にあり庭の一角に天文台、屋内に作業所を設けて代々、三嶋暦を製造販売してきたと伝えられる。
 現在の建物は、安政の大地震で母屋が倒壊したあとに、韮山代官の江川太郎左衛門の肝いりで十里木(裾野市)の関所の廃屋を使って建てられたもの。
 平成18年「国の登録有形文化財」と指定され、館内は「三嶋暦の会」のメンバーがボランティアとして案内して下さっている。
 月の満ち欠けを元にした太陰暦で、大の月、小の月と組み合わせ。農事や漁業に暦は必要不可欠なものであった。太陽暦のように閏年で調整する方法でなく、細かい図や表、数式があって説明を受けたが、時間も足りずちょっと理解出来なかった。

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            三嶋神社本殿と暦師の館にて
 
 三島から伊豆の国市韮山に向かう。

 韮山の「代官屋敷」という食事処で昼食。おそばとにぎり寿司といなりずしのセット。他に精進揚げ3種、茶碗蒸し、小鉢料理に香の物など、いずれも量は控えめだが完食はできない量。おそばはおいしく、にぎり寿司など高齢な女性達(私も)には食べきれなかったようだ。みやげ物コーナーがありお茶やお饅頭など試飲、試食販売し干し椎茸や茶饅頭など買う。
 午後は、近くの江川邸と韮山城址を訪れる。「江川邸」は、江戸時代の代官屋敷そのままに見ることができる。NHK大河ドラマ『篤姫』が江戸城の将軍に嫁ぐ場面に使われた屋敷とのこと。国の重要文化財となっている。隣接の韮山城跡、広い池(城池親水公園)がある。城池の畔にて会員の人達。
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 韮山城は北条早雲が伊豆進出にあたって、江川家の祖先が土地を提供し築城させ
以来北条家5代の幕僚となった。江川家25代英長は徳川家康に仕えた。徳川幕府が成立し伊豆が幕府の直轄地になってからは江戸時代全期に通じて代々世襲制で代官を勤めた。

 バスに乗りすこし離れた所にある「蛭が小島」は頼朝と北条政子がデートした場所と言うことでふたりの像が立っている。地名が小島とあるが、周りに海も川もない。わずかにこんもり盛り上がった台地に像があるだけ。
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 次に韮山反射炉へ。幕末期、伊豆代官・江川太郎左衛門英龍(担庵公)は、国防の重要性を幕府に建議し、許可を得て大砲鋳造に必要な反射炉を築造した。安政元年に起工、11月に2基が完成したが、担庵公、他界のため、長子、英敏が父の遺業を継ぎ、北側に2基築造。4年の春すべてが完成した。以来、元治元年’1864)に至るまで、ここで大小の砲が鋳造され、江戸湾防備のため品川台場で使われた。現在、完全な形で現存する反射炉としてはわが国唯一のものという。説明は、土産店の主婦という感じの女性。

 史跡めぐりの最後のメインは「願成就院」。 政子の父、北条時政が頼朝の奥州藤原氏討伐の戦勝を祈願して建立した寺であるが、その後は執権として勢力をにぎった北条家の寺として次々に堂塔が建立され繁栄を究めた。阿弥陀如来像、毘沙門天像、不動明王像、矜カ羅童子像、制タ迦童子像は運慶の作。北条政子地蔵菩薩像も時政の肖像もある。
<(コンカラドウジ)(セイタカドウジ)正しい漢字は後ほど訂正します。>
 墓所には、時政公のお墓も、500羅漢も飾られている。

 最後は、伝堀越御所跡に立ち寄る。北条氏の発祥の遺跡がある。路傍には「伝北条政子産湯の井戸」と書かれている石碑も建っている。伝、と銘打ってゆかりの地としているところは多い。
 我が市にも、「伝大伴の皇子の墓」という史跡がある。

 すべての史跡めぐりを終え、帰路に着く。伊勢原着6時頃。予定は6時~7時頃なので予定通りであった。
 役員さんの下見と綿密な調べで、充実した楽しいバス旅行ができた。
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by ttfuji | 2012-05-12 16:27 | 郷土史・講演会・学習 | Comments(4)