私の生活や自分史・読書、旅などの記録


by ttfuji(トコ)

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 6月の読書会の課題本は、宮下奈都著『羊と鋼の都』という本に決まった。ちょっと変わった題名だがピアノの調律師のことを書いたものと聞き、どんな繋がりがあるのだろうと興味を持った。
 2016年の本屋大賞他大きな大賞を受賞されているという。


 高校生の戸村は、放課後教室に残っていたという理由で、担任から来客を体育館に案内するように頼まれた。「悪いな、戸村、職員会議なんだ、4時に来客があるから、体育館に案内して」といわれ、暇だったから、はい、といい「誰が来るんですか」と聞いた。「調律師だよ」と言う。僕は、調律師という言葉も知らず、空調の修理でもするのだろうか、と思った。4時に玄関に行くとその人はすでに来ていた。「空調の方ですか」と聞くと「江藤楽器の板鳥です、今日は会議が入ったと聞いています、ピアノさえあれば構いませんから」「体育館へお連れするように言付かっているのですが」「ええ、今日は体育館のピアノを」。先に立って歩き出すとその人は後ろについてきた。
 会釈して引き返そうと廊下に出ると、ピアノの音がした。ピアノというより特別な何かとてもいいものを聞いたような気がした。僕はしばらくそこに立ってそれからピアノの方へ戻った。
 その人は、ぼくに構わずピアノを鳴らし続けた。ピアノの蓋を開けた。それは羽のように思えた。支え棒で閉まらないようにしたまま、もう一度鍵盤をたたいた。森の匂いがした。夜になりかけの、森の入り口。日が暮れたらもうそこへ入ってはいけない。子供の頃、聞かされた話や情景が浮かんだ。
 気がつくと、その人は床に置いた四角の鞄を開けていた。見たこともない様々な道具が入っていた。色々な質問したい思いがわいたが、なにも聞かず、邪魔にならないようそこに立っていた。森の匂いがした。僕は自分のかばんを床に置き、ピアノの音が少しずつ変わっていくのをそばで見ていた。多分、二時間余り。・・・「ここのピアノは古くてね」・・「とてもやさしい音がするんです」・・「いいピアノです」。僕は、はい、としか言えなかった。「昔は山も野原もよかったから」・・「はい?」「昔の羊は山や野原でいい草を食べていたんでしょうね」、「いい草を食べて育ったいい羊のいい毛を贅沢に使ってフェルトを作っていたんですね。今じゃこんないいハンマーは作れません」・・「ハンマーってピアノと関係があるんですか」、「ピアノの中にハンマーがあるんです」・・「ちょっと見てみますか」言われてピアノに近づいてみる。「こうして鍵盤を叩くと」トーン、音がなった。ピアノの中で一つの部品が上がり、一本の線に触れたのがわかる。「ほら、この弦を、ハンマーが叩いているでしょう。このハンマーはフェルトでできているんです」。そのあと、いくつかのやり取りがあってあなたはピアノが好きなんですね、とか「よかったら、ピアノを見にきてください」といって名刺をくれた。楽器店の名前が書かれ、調律師 板鳥宗一郎、とあった。

 その後、店を一度だけ訪ね、板取に弟子にして下さいと、直訴した。私は一介の調律師、弟子など取れないが、と言いながら、もし、ほんとうに調律の勉強がしたいのなら、この学校がいいでしょうと手帳に書き、破って渡してくれた。僕は高校を卒業すると、家族を説得しその学校へ進学した。

 長々と導入部を紹介したが、題名が何を指しているかを書いたつもりです。

 戸村は、真面目で純真な青年だ。仕事に才能も自信もないが、一生懸命で試行錯誤し技術を身につけようと努力している。先輩たちも優しく見守ってくれている。顧客も、おおむねいい人たちだ。物足りないくらい順風で大きな問題もなく、どちらかと言えば、癒し系の小説ではないかと思えてくる。顧客の中の、双子の高校生姉妹の存在が戸村にとって、ときめく存在だろうか。

 わが家にもピアノはあった。音楽に鈍い私は劣等感から、娘に音楽への感性を持ってもらいたいと、情操教育のつもりで、小学校低学年の頃、ピアノ教室に通わせた。私に似たのか、上達もせず、2・3年で本人の希望でやめてしまったが。1年に一度、調律の人が見えた。殆どお任せ状態だったので覗くこともなく、ハンマーが羊の毛のフェルトだったことも知らなかったし、説明も聞かなかった。以来、ピアノは部屋の調度品となっていたが、20年程前、リタイアした夫がピアノ教室に通い始めた。夫は、音符は読めなくても口ずさめる簡単な曲は何でも弾けた。

 調律したピアノの音は、森のようなにおいがし安らぎを感じると、本のいたるところに書かれているが、ピアノに使われる木材は北の国の森の松の種類であるとも知った。
 ピアノにとって調律はいかに大事か、調律されないピアノはかわいそうだという。世界的な演奏家は世界を回る時、専属の調律師を一緒に伴うという。
 戸村の尊敬する調律師・板鳥宗一郎氏も公会堂や大きなホールでの演奏会にはいつも指名されていた。戸村も大先輩のアドバイスを受け、きっと腕のいい調律師になるだろう、と感じた。


 
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by ttfuji | 2016-06-27 16:07 | 読書・読書会・図書館 | Comments(5)
 ブログの更新がだんだん間遠くなり、週記単位が10日単位の旬記にしようと、6月中頃この日記を書き始めたが、書いては非公開で送信するうちに、早や20日になってしまい、これ以上溜めると収拾がつかなくなりそうで、一旦、10日で区切りを付けることにします。どうということのないことを長々書く必要はないのでしょうが、性分で書いて置きたいのです。
 6月1日(水)
 記述済み。 
 6月3日(金)
 高齢者体操・さつきの会。中央公民館レク室にて。役員から解放されて、場所取りがなくなったので、それだけで気が楽である。
 6月4日(土)
 6月1日の振替で土曜日のスイミングへ行く。水曜日に比べ土曜日は、朝キッズの時間なので1時間以上開始が遅いので、朝は楽である。しかし、土曜日は郷土史などあり、出席できないこともあるので水曜日のコースのみをとっているが、両方来ている人も多い。料金は割安になる。
 夫は東京・新宿での「古代史講座」を欠席。月1回の講座には、体調が許す限り出席していたのに、休むと聞いて意外に思った。体調が悪いとも思えない。
 体操には週3回行っているし、料理には情熱を燃やし、買い物にもよく行く。庭仕事も一生懸命だ。たまには、気が進まないこともあるだろう。今までなら夕食不用というので、なんとなくうれしい日だったが、今は夫が食べたい食材や出来合いを買ってくるので、私も彼の食事には気を使わないことにしている。
 6月5日(日)
 特になし。読書や台所片付け、保存食など作る。
 6月6日(月)
 太極拳なし。
 自治会長より、ミニサロンのことで電話あり。サロン会長とボランティアの人達との間に意見の衝突があったが、話し合いが付かず、会の継続が出来なくなった由。中心的なひとりが手を引くと言ったら全員が引きずられるようにやめたいと言ったという。協力者なく会の運営はできない。サロン会長は一生懸命やって下さったが、取り敢えず休会の文書を作り、協力を得られないのは会長の力不足でまとめられず、ご迷惑をかけて申し訳ない、必ず復活させますからご理解くださいとの回覧を回してほしいと、自治会長に持ってきた。会長は、文面をみて一方的にボランティアの協力を得られないのは、ボランティア側の問題とし、自己弁護に終始しているといい、このままでは回覧できないと副の私に意見を求めてきた。確かに統率力云々と自己弁護している、本当の理由は別の所にある。でも会を楽しみにしている人も多いのに困りましたね、残念ですね、何とか話し合えないのですかねと伝えた。自治会長も、このままではボランティアの人たちの協力は得られない、と言われた。
 結局、事情により、サロンは暫く休会するとの回覧を回した。ひとり暮らしの高齢者や引きこもりをなくそうと立ち上げた会で、3自治会合同で3か月毎に開催される。今では参加者も多く楽しみにしている人たちが多い。その会をこんなに簡単にを閉鎖していいものかと疑問を持った。
 この会を他地区の自治会長と立ち上げたのは、今の自治会長でもある。必ず、来年にはもう一度再開させる、今度は私がやると意気込んでいられるが、自治会長の方はどうなるのか。
 6月7日(火)
 2か月に一度の内科検診。今日は、いくつかの検査もある。
 脳や、心臓や頸部の検査は年に1回は受けているが、腹部の検査は受けていず、一回り若い妹が膵臓癌で手遅れで急逝したことを告げていたのを先生は覚えていられ、発見が遅れやすい腹部臓器の検査(CT・超音波)をすすめられ2か月前に受診した折、今日の予約となった。
 8時に検査の受付と一般内科の受診受付。予約しても受付順なので、7時半ごろから並ぶ。受付けは8時から。診察や検査は9時からである。結局、すべてが終わったのは12時半頃。結果は2か月後に伺うことに。
 調剤薬局で薬を頂き帰宅したのは1時過ぎだった。朝食抜きだったが、それほど空腹も感じず、自販機の飲み物で水分だけ補給していた。でも、昼食はしっかり食べられた。
 6月8日(水)
 スイミング後近くのスーパーへ。Oさんに電話し、買い物はないかと聞く。
 何品か思いつくままに言われたが、カートを押しながら、お薦め品やサービス品などいうと、あ、それも買ってと言われる。カートの上下に別々に入れていく。帰りにOさん宅に寄り買い物を届け精算。彼女は、ご主人のこともあり、あまり出かけられず、ストレスがたまっている。本人も言うが話していて感じる。玄関先で次々話しかけ急いでいるのでというと、ごめんなさい、そうよねえ、と謝られる。誰にもこんなことまで話せないのでつい、と言われる。大変なのはわかる。
 夕方、平塚警察から電話。夫は昨年、平塚総合公園プールでバイクの盗難があったが、そのバイクが川の底から出てきたという。椅子の収納スペースから保険など書類が出てきて電話してきたという。夫に替わり警察署に届けたこと、廃車手続きをし、不便なのでバイクを新しく買ったことなど話し、電話を切った。
 6月9日(木)
 図書館行きの日。2週間に一度Tさんと図書館へ。Tさんは次回6月23日は、ホームステーに入るので、更に2週間遅れになるかも知れないという。息子さん夫婦と同居だが、旅行などで出かける時は、ホームステー行きか、埼玉の娘さんの所へ送られるという。90過ぎの親を一人にできないという、息子さんたちの計らいという。従うしかない、と言われる。
 6月10日(金)
 体操は先生の都合でなし。その代り来週の17日になった。17日は、体操のない日だったが振替になった。
 6月11日(土)
 郷土史研究会。月例で大山先導師の佐藤大住先生の「日本遺産・大山詣り」についての講義だった。以前にも先生の『大山を知って下さい』という講義を受け、それを「会報いせばら」にまとめた事がある。
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 もう少し詳しく書きたいので別記します。
  
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by ttfuji | 2016-06-20 15:39 | 時事・社会・地域・自治会 | Comments(0)
a0055866_11141924.jpg 6月1日(水)

 郷土史研究会の顧問であるT氏の快気祝いを兼ねて(口実に)レストランで食事会とT氏の講義が催された。
 役員、会員、交流の深い他団体の賛同者、親交のある講師など30名ほどが呼びかけに集った。
 会の創設時から長期に亘って会長を務められ、その後顧問となって、郷土史研究会での講演のほか、市の郷土史関係の講演や各公民館主催の講義や学習会などに依頼され広く活動されていられるが郷土史の定例会を2か月続けて欠席、先日の『史跡めぐり」にも不参加で、公にはされず体調を崩されたとお聞きし心配していたが、10日ほど前、突然の快気祝いの呼びかけで、勿論喜んで出席させて頂くと返事をした。

 11時、東海大学病院近くのレストラン「アゼリア」に集合にバスで出かけた。
 病後のことであり、アルコールは出ないだろう、でも、乾杯位はあるかもしれない、しかし高齢者が多いことや車で来る人も多い。あさましいことは考えず、私も車で行くつもりでいたが、午後から夫が使うというので、駅まで歩き、会場まではバスで行った。
 駅からも15分ほどの距離というから、歩けない距離ではないが、普段、あまり歩かない祟りで自信がない。一緒に長く役員をやっていたNさんは、駅までの道も駅からの道も歩くという。店の近くのバス停で合流した。
 11時10分前には着いたが、殆どの人が集まっていた。今日の会費を支払う。
 主催者、会長Wさんの挨拶で、快癒のお祝いをのべ、T氏が如何にこの会の重鎮であるか、T氏が辞められたら、この会は解散になる、お元気でいてほしい、と述べられた。
 T氏の謝意の挨拶に続いて、早速、退院後の休養期間中に用意したらしい「いせはらの稗史・黄檗宗について」の資料が配られ講義が行われた。「いせはら開村400年」「いせはらの黄檗宗」「いせはら地名考」などがT氏のライフワークである。勿論、歴史全般に詳しいが。
 1時間以上座ったままだがお話して頂いた。

 講義が終わった頃合いを見て、料理が運ばれ始めた。洋食なのでナイフ・フォーク・スプーンのほか箸もおかれコップと水のポットが置かれた。ポタージュスープが置かれた。Wさんは、今日はアルコールは用意しません。どうしても飲みたい人は、別注文になります、と言われた。禁酒の会ではなかったが、場所をわきまえてか誰も注文しなかった。そういえば、会費も安いし、飲めない人が多い。カップに入ったスープで乾杯した。
 食事しながら、順番にひと言挨拶するようにとマイクがまわった。みなさん、同好の趣味だから、会のある日が楽しみだと言われた。私もいつもそう感じているし、言っている。
 何に出るにも健康でなくては楽しめない。Tさんが快癒されたことをみな心から喜んでいられる。色々話す方も居るし、自分の関心テーマについて話される人もいた。それについてTさんは、いちいちお礼を言い、彼は、興味あるテーマには食いついたらとことん納得するまで離さない、とか、別の人には、古文書と向き合う姿勢は、独特の勘の良さを持っている、とか感想を述べている。Tさん、これからもお元気で、われわれに色々教えて下さい、と言えば、熱心な皆さんが郷土史研究会を更に発展させてくれると思うので、安心しているとも言われた。
 
 2時半頃、歓談のうちに食事とデザート・コーヒーも終え散会した。
 とても楽しい快気祝いの会だった。帰りは、Nさんも一緒に駅までバスに乗った。駅からは歩いた。

 今日は、スイミングのある日だったが、土曜日に振り替えていただいた。
 
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by ttfuji | 2016-06-13 19:02 | 郷土史・講演会・学習 | Comments(0)

人生の節目

 5月16日(月)
 車内で頂いた資料の中に、社寺めぐりとは違ったものもあり、市からのチャレンジデーへの呼びかけ、役員のIさん作成の数字を入れる四字熟語のクイズや『人生の節目』という年齢の呼び方など説明した雑学の面白い資料を頂き、なるほど、と感心しながら楽しんだ。例えば、
 
 15歳は「志学」 子曰く「十有五にして学を志す」。
 20歳は「弱冠」 「男は二十歳で冠を付け成人とした。
 30歳は「而立」 男子「三十にして立つ」。子曰く、三十の時に学問の基礎がきちっとして独り立ちできた。
 40歳は「不惑」 「四十にして迷わず」。子曰く、四十の時に狭い見方に捕われることなく心の迷いがなくなった。
 50歳は「知命」 「五十にして天命を知る。子曰く、五十の時に、天が自分自身に与えた氏名を自覚した。
 60歳は「耳順」 「六十にして、耳従う」。子曰く、六十の時に、何を聞いても素直に受け入れることができるようになった。
 61歳は「還暦」 十二子と十干の合う61年目に、元の干支に戻る。
 70歳は「従心」 「七十にして心の欲する所に従えども、矩を越えず」。子曰く、七十の時に自分がしたい自分がしたいと思う言動をしても、人の道を踏み外すことがなくなった。
 また、杜甫の詩より「人生七十 古来稀なり」ともいう。 =古稀
 77歳は「喜寿」 喜の草書体が七十七に見えるから。
 80歳は「傘寿」 傘の略字が、八十に見えるから。
 88歳は「米寿」 米が、八十八になるから。
 90歳は「卒寿」 (卒)の略字が(卆)だから。 
 99歳は「白寿」 (百)の字から一を取ると、白になるから。
 100歳は「紀寿」 一世紀は100年だから。
 108歳は「茶寿」 茶の字は冠部分が「十」が二つと、下が「八十八」に分けられ、これを足すと
百八だから。
 120歳は「大還暦」 二回目の還暦 

「還暦」以後は大体知っているが、「而立」「耳順」「従心」など論語からとったものは知らなかった。漢字の形からの呼び名は日本でつくられたものと思う。
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by ttfuji | 2016-06-06 03:50 | 趣味・雑学 | Comments(0)
 ブログを半月もお休みした。5月15日以来だ。
 私自身は、1週間くらいご無沙汰と思っていたが、今日は早や6月3日、駆け足で時が過ぎる。。
 飛ばして書けばいいものを、手帳を見れば結構いろいろあって矢張り記録したくなっている。

 5月16日(月)
 今日は、郷土史会で延喜式内神社の「相模13社めぐり」のうち今年は、大庭神社・宇都母知神社(藤沢)、寒川神社(寒川町)、前鳥神社(平塚)の4社を巡る。天気も上々。マイクロバスで28名が参加した。詳細別記する予定。
 5月17日(火)
 同窓会のことを聞こうと前橋のIさんに電話。iさんも親しい人がみな欠席なので、期限内に欠席のハガキを出したという。なぜか、年々淋しくなる気がする。Wさんはどうだったのかしら、4人で今年中に会えたらいいわね、と語り合う。
 5月21日(土)
 午後2時に自治会集会所で、正副会長3人で、盆踊りのアンケート集計。未回収の班も多く、班長・理事さんに電話。
 5月22日(日)
 アンケートの結果を配布した全会員にお知らせすることにし、原案を作る。賛否のほかに、それぞれご意見を書いてくださった方も多く、ご意見のすべてを文書に載せることにし、回覧文書でなく全員に配布したいとの会長のご意見に同意する。
 5月24日(火)
 午後2時より市の文化会館で、市内102の自治会連合会総会があり、会長と共に出席。副会長が出ることはないのだが、勉強になるからとか、参考になるからとかいわれ、断れない性格の私はお付き合いした。総会の一通りの議事の後、市長はじめ、市役所の各課部長の挨拶と28年度市政現況説明会があった。
 5月25日(水)
 スイミング。帰りにスイミング近くのスーパーで買い物。Oさんに買い物あるかとスマホで聞く。
 急に聞かれたので、思いつくままにいくつか言われたが、私もメモをとらず自信がなく、店内を回りながら、思い出すままカゴに入れ、陳列棚の所で、色々の品名をあげ、要るか要らないか聞く。野菜なども、それ欲しいと言われカゴに入れる。カートの上下にわが家用とOさん用に分け、精算する。Oさんの怪我も大分よくなったが、車を処分したため、買い物には不自由していられる。時々は
車に同乗してスーパーに出かけているので喜ばれている。
 5月26日(木)
 午前中、Tさんと図書館へ。2冊返却、1冊継続、2冊借りる。3冊借りていることになるが、2年ほど前に比べ、借りる本も読書量も半分ほどだ。自分で買った本もあるが。
 5月27日(金)
 午後から高齢者体操。3時半から南公民館で室予約の調整会議。読書会用の予約だが3か月後から5か月後の分の予約で、用紙に書き込むのだが、用紙の取り合いがすさまじい。曜日ごとに机が並び、用紙は月4回~5回、3か月分で12枚から15枚くらいある。なんでこんなことをしなければならないのか、と疑問もわくが中央公民館のように、コンピュータで当選、落選と決められるより話合いと余地があるだけいいのかもしれない。
 5月28日(土)
 集会所で、老いも若きも集える、支え合い、サポートの集いがあった。幼い子どもさんの親子が大勢見えて賑やかだった。
 一方で、高齢者や主婦の手芸を楽しむ人たちもいつもより多く、活気があった。男性も数人。おしゃべりの相手がいるので楽しみにしている方もいられる。お菓子や飲み物も用意され、ボランティアの人たちの接待も温かくいい雰囲気である。写真を何枚もとってお配りする。
 5月29日(日)
 昨日のうちに美容院に電話し、予約のヘアダイをして頂く。
 美容院の先生は、毎朝、5時に1時間ほどウオーキングしていられる。私が駅までの往復がやっとだというと、朝のウオーキングをすすめられる。車が乗れなくなった時のことを思うと、今の内、足を鍛えておかなければと思うのだが、実行がむずかしい。わかっちゃいるけど・・である。
 5月30日(月)
 太極拳。こちらもいい運動になるが、週1なのでやらないよりはいい、という程度。
 しかも、午前中で疲れると、午後はじっとしていたい。
 5月31日(火)
 瞼が脹れて痒く鬱陶しい。数日前からで、いつものアレルギーによる眼瞼炎と思い、我慢していたが、今日、10時半に歯科医院の予約が入っており、その前に皮膚科に行くことにした。
 皮膚科の先生は、カルテで一昨年まで来ているが去年は発症しなかったのですね、といい、付け薬だけでいいかと聞き、のみぐすりは色々のんでいますので、というと軽い塗り薬を出しておきましょう、といわれ患部も診ないで(顔も見ないで)処方箋を下さった。5分とかからなかった。薬局では、飲み薬の方がかゆみに効くし、のみ合わせの心配もないとお薬手帳を見て言われた。
 そのあと歯科へ。1月26日の予約だったが、夫の入院や手術、妹の急逝もあって、予約をすっぽかしていた。歯周病予防なので、歯間ブラシで掃除していた。よく手入れしていると言われたが、しかし、奥の方が手入れが行き届かず指導して頂いた。歯石をとり3か月後の診察を予約して帰ってきた。
 
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by ttfuji | 2016-06-03 23:47 | 医療・健康 | Comments(0)