2021年 02月 23日
ブログを再開 半年ぶり? 再開後のブログは老齢の嘆き |
ブログの書き方を忘れてしまうほどパソコンを開かなくなった。前回11月のブログに「ブログ再開半年ぶり」というタイトルで数行書いてストップしてしまい、そのまま非公開で送信して置いた。きっかけを作っておかないとそのままやめてしまいそうな不安感もあり、あきらめもつかない状態だった。もともと備忘録とボケ防止が目的だったので、悩むこと自体おかしいかもしれないと思った。
友人から、もうブログ書かないの、と問われ書きたい気持ちはあるけれど、能力と気力がついて行かない、すっかり面倒くさがりになってしまった、と伝えた。友人の中には読みたいと言ってくれる人が何人かいる。愚痴が多くてくどくどしくて不愉快でしょうというと、だから面白いのよ、といってくれる人もいる。そんなありがたいことを言ってもらうとがぜんその気になる性分だ。
夫が亡くなって8月で3年になる。法事も親族だけの簡素な葬儀、四十九日(納骨)、1回忌、そして今年は3回忌もある。コロナ禍の為もありお寺と親族で日程が決まらない。その間、法的なことや事務的な面倒なことが目白押しで、娘に頼って大体のことはどうにか片付いたが、入れ替わりに身体の老化と不調に悩まされてきた。
腰が痛くなり歩行がつらくなった。腰と背中が丸くなり、いつの間にそんなおばあさんの姿勢になってしまったの、と複数の人から言われた。整形外科では脊柱管狭窄症の初期と診断され痛み止めと骨粗鬆の薬を処方され同時にウオーターベットと電気マッサージのリハビリを受けている。痛みであまり歩けず、かといって歩かなければ駄目、太陽に当たること、食べることも大事と色々注意を受けている。初めのころは、100メートル歩いても痛みで我慢できなかったが、ある漢方薬を服用するようになり、医師に相談すると、ビタミン系なので飲み合わせの心配はないと言われ、複数の痛み止めを飲んでいる。今は3千歩~4千歩くらい歩けるようになったが、時々痛みはぶり返している。その後、肩や腕の痛みもでてまた正座もできなくなり、老齢の悲哀を痛感している。
いくつかのサークルに入っているが、その殆どがコロナ禍の為活動休止状態で外出も自粛、心身ともに気持ちが晴れない。
夫が亡くなった年、3か月後には実家の兄がなくなっている。長男である兄は優しく大勢の弟妹達を守りかばってくれた。悲しい別れだった。書いていると、いろいろのことがあった、と思い出され例によって長い文になってしまった。
順不動になってしまうが、少しずつ思い出して書いていきたいと思います。
友人から、もうブログ書かないの、と問われ書きたい気持ちはあるけれど、能力と気力がついて行かない、すっかり面倒くさがりになってしまった、と伝えた。友人の中には読みたいと言ってくれる人が何人かいる。愚痴が多くてくどくどしくて不愉快でしょうというと、だから面白いのよ、といってくれる人もいる。そんなありがたいことを言ってもらうとがぜんその気になる性分だ。
夫が亡くなって8月で3年になる。法事も親族だけの簡素な葬儀、四十九日(納骨)、1回忌、そして今年は3回忌もある。コロナ禍の為もありお寺と親族で日程が決まらない。その間、法的なことや事務的な面倒なことが目白押しで、娘に頼って大体のことはどうにか片付いたが、入れ替わりに身体の老化と不調に悩まされてきた。
腰が痛くなり歩行がつらくなった。腰と背中が丸くなり、いつの間にそんなおばあさんの姿勢になってしまったの、と複数の人から言われた。整形外科では脊柱管狭窄症の初期と診断され痛み止めと骨粗鬆の薬を処方され同時にウオーターベットと電気マッサージのリハビリを受けている。痛みであまり歩けず、かといって歩かなければ駄目、太陽に当たること、食べることも大事と色々注意を受けている。初めのころは、100メートル歩いても痛みで我慢できなかったが、ある漢方薬を服用するようになり、医師に相談すると、ビタミン系なので飲み合わせの心配はないと言われ、複数の痛み止めを飲んでいる。今は3千歩~4千歩くらい歩けるようになったが、時々痛みはぶり返している。その後、肩や腕の痛みもでてまた正座もできなくなり、老齢の悲哀を痛感している。
いくつかのサークルに入っているが、その殆どがコロナ禍の為活動休止状態で外出も自粛、心身ともに気持ちが晴れない。
夫が亡くなった年、3か月後には実家の兄がなくなっている。長男である兄は優しく大勢の弟妹達を守りかばってくれた。悲しい別れだった。書いていると、いろいろのことがあった、と思い出され例によって長い文になってしまった。
順不動になってしまうが、少しずつ思い出して書いていきたいと思います。
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by ttfuji
| 2021-02-23 20:11