2010年 03月 28日
読書録 2月後半~3月 |
このところ、視力の衰えを感じている。本を読んでいても、霞がかかったように字がはっきりしないことがある。パソコンに向かう時間も少なく意欲も減退しているような気がする。3年前に、白内障の手術をしたが、丁度手術前のような目の疲れを感じる。白内障のレンズは寿命があると聞いたが、早や寿命なのだろうか、とふと思う。今は、蒲団に入っての読書も捗らないし、諦めて目を瞑るが、だからといって寝付けるものではない。ラジオの深夜便をタイマーオフにして何となく聞いているうちに寝入っているし、それでも駄目なときは誘眠剤のお世話になる。4時間ほどの睡眠がとれたあとは、視力が回復している。朝の2~3時間が最もすっきりした読書タイムである。
従って、2月半ばから読書録を書いていないが、ごく簡単に(あるいは題名だけでも)記録しておきたいと思う。
邂逅の森 熊谷達也 文藝春秋
VINさんの紹介で、この著者を知り、何冊か読んだが、マタギの世界を書いたシリーズものは初めてだった。なじみのない世界だが、興味深く読んだ。マタギである主人公、富吉の人間小説でもある。厳しい自然界とそこに生きる動物たち、それを狩猟するマタギ達の闘い、山の神への畏怖と崇敬、絶対的な掟。禁断の恋をしたために、山を追われる富吉の苦難の人生など最後まで引き込まれて読んだ。詳しくは,VINさんの書評をお読み下さい。
http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/181
新参教師 熊谷達也 徳間書店
こちらは上記とはがらっと違った、現代の教育現場を書いた小説。
今、教育の現場では、大学の新卒だけでなく、社会人として充分な経験と実績を積んだ人を採用し、教育に生かそうという場合もあるという。
この新参教師も、損保会社に20年近く勤め、転勤も繰り返して実績をあげ、役職も付き部下もいる人生経験豊かな男性である。会社が合併という期待の持てない事情もあるが、教育委員会の期待の元に採用された。すでに教員の友人から「非常識が常識の世界」と教師の世界を教えられた。かなり自信を持って乗り込んできた現場だったが果たして、戸惑うことや窮地に陥りそうなこともいろいろあった。
あの作家に会いたい 人と作品をめぐる25の対話 児玉清 PHP
児玉清氏は読書家であり博識の俳優である。著書が、読んだ本の著者と対談して書いたもの。
水死 大江健三郎 講談社
大江健三郎氏の本はすらっと読めない。人によっては悪文と酷評する人もいる。でも私は、独特の文体に魅力を感じてきた。数えてみたら10冊以上読んでいる。従って生い立ちや、家族のこと、出身地の森や谷のこと、父母や祖母のこと、友人や尊敬して止まない世界中の知識人や恩師のこと。大江氏自身に批判的な人達なども、多くの著書に共通して登場するので、大体の事情や繋がりはわかる。文章の中で引用される、外国の著名人の原文や訳文は、理解できないときは飛ばして読んだりするが、伝えたいことは分かるつもりでいる。
前置きが長くなったが、『水死』について。父親の死について、いつか書きたいと思っていた。それを書くことに、母親や身内は反対していた。その事情について、「赤革のトランク」の中に、当時の真相が分かるヒントになる手紙や書類が残されているはずであったが、母親は鞄を見せてくれなかった。母親が亡くなり、妹のセツが、トランクを開けてもいい、という母の言葉を伝えた。著者は、最後の懸案の仕事が出来ると、森の家に行く。しかし、中にあるのは手紙類の封筒だけで処分されたのか焼かれたのか、何もなかった。落胆して、成城の家に戻る。
父は、終戦の間際、増水した谷川に短艇を浮かべ船に乗り込む。急流の川を下り水死した。それを小学生の長江古義人(著者の小説上の名前)の分身が見ていた、という記憶がある。赤革のトランクはその短艇に持ち込まれていた。
しかし、流れて拾われ、役所に届けられたが戻ってきた。父の遺体は川底から発見された。どう考えても自殺であった。
父は三椏から紙幣の紙を作る仕事をしていたが、将校達が広い家を利用しており、超国家主義者として、まつりあげられていた。『取り替え子』や他の本には父の死を、木車に乗って信用金庫を襲う(自爆)末期膀胱ガンの男、として登場する。『みずから我が涙をぬぐいたまう日』にも戦前の時代と父のことが書かれている。誰もが愛国者、軍国主義者の時代だ。
成城の自宅は混乱していた。妻の体調が悪く、長男の病院行きの付き添いも出来ず、郵便局の用事も、大江氏がしなければならなかった。障害のある長男の発作もあったり、病院で待つ間、あることに対して父親が息子に怒りを露わにし「お前はバカだ」と、決して言ってはならないこと言ってしまう。この言葉に、息子は激しく反応し、父親に心を閉ざす。
妻の入院が決まる。妹のセツは、看護師をやっていた経験から、病人の付き添いを買って出る。そして兄と甥のアカリ(光)に森の家で過ごし、2人の関係を修復するよう勧める。
森の家では、セツが世話をしている、大江作品の演劇化しようとして練習している劇団の人達との打ち合わせなどもある。アカリも世話をしてくれる人と信頼関係が出来、次第に表情も落ち着く。
妻のガンの手術も成功したという報せ。このように、大江さんの日常もなかなか大変である。娘の真木が、成城の家と愛媛の家との連絡や細かい事務的なことに協力してくれる。資料はなくなったが、小説の内容は、真相ではなく想像で書いている。
静かな木 藤沢周平 新潮社
これも、VINさんの紹介で読んだ。藤沢周平らしい余韻の残る小説。3編の短編からなり比較的晩年の作品である。
明るい方へ 父太宰治と母太田静子 太田治子 朝日新聞社
Nさんより借りて読む。自殺願望にとりつかれた太宰治、明るく、ただひたすら太宰を愛し、子どもが欲しいと願望した母。子どもが生まれて、父も喜び、娘に父の一字を与え治子となづけた。しかし時を経ずして別の女性と心中する。太宰は過去にも心中事件を起こし、女性だけ死んでいる。本妻には4人のまだ幼い子どもがいた。なんと無責任な父親だろうと思う。太宰は、静子に日記を書くように勧め、書いた日記を持ち去り、『斜陽』にそのまま載せているという。母は、渡さなければよかった、と言っていたという。まさに「人間失格」と断罪したい。
白州次郎・正子の夕餉 牧山桂子 新潮社
娘の牧山桂子氏が料理を再現しエッセイを書いている。器は父母の愛用のもの。何気ない料理だが、盛りつけや器が素晴らしい。
鏡を見てはいけません 田辺聖子
著者と夫が結婚した新婚の頃がモデルと思われる。ただし、夫は会社員。妻は雑誌や絵本のデザイナー。夫は先妻とは離婚。子どもは男の子一人、という設定。例によって『カモカのおっちゃん』風に面白おかしく書いて楽しい作品。
従って、2月半ばから読書録を書いていないが、ごく簡単に(あるいは題名だけでも)記録しておきたいと思う。
邂逅の森 熊谷達也 文藝春秋
VINさんの紹介で、この著者を知り、何冊か読んだが、マタギの世界を書いたシリーズものは初めてだった。なじみのない世界だが、興味深く読んだ。マタギである主人公、富吉の人間小説でもある。厳しい自然界とそこに生きる動物たち、それを狩猟するマタギ達の闘い、山の神への畏怖と崇敬、絶対的な掟。禁断の恋をしたために、山を追われる富吉の苦難の人生など最後まで引き込まれて読んだ。詳しくは,VINさんの書評をお読み下さい。
http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/181
新参教師 熊谷達也 徳間書店
こちらは上記とはがらっと違った、現代の教育現場を書いた小説。
今、教育の現場では、大学の新卒だけでなく、社会人として充分な経験と実績を積んだ人を採用し、教育に生かそうという場合もあるという。
この新参教師も、損保会社に20年近く勤め、転勤も繰り返して実績をあげ、役職も付き部下もいる人生経験豊かな男性である。会社が合併という期待の持てない事情もあるが、教育委員会の期待の元に採用された。すでに教員の友人から「非常識が常識の世界」と教師の世界を教えられた。かなり自信を持って乗り込んできた現場だったが果たして、戸惑うことや窮地に陥りそうなこともいろいろあった。
あの作家に会いたい 人と作品をめぐる25の対話 児玉清 PHP
児玉清氏は読書家であり博識の俳優である。著書が、読んだ本の著者と対談して書いたもの。
水死 大江健三郎 講談社
大江健三郎氏の本はすらっと読めない。人によっては悪文と酷評する人もいる。でも私は、独特の文体に魅力を感じてきた。数えてみたら10冊以上読んでいる。従って生い立ちや、家族のこと、出身地の森や谷のこと、父母や祖母のこと、友人や尊敬して止まない世界中の知識人や恩師のこと。大江氏自身に批判的な人達なども、多くの著書に共通して登場するので、大体の事情や繋がりはわかる。文章の中で引用される、外国の著名人の原文や訳文は、理解できないときは飛ばして読んだりするが、伝えたいことは分かるつもりでいる。
前置きが長くなったが、『水死』について。父親の死について、いつか書きたいと思っていた。それを書くことに、母親や身内は反対していた。その事情について、「赤革のトランク」の中に、当時の真相が分かるヒントになる手紙や書類が残されているはずであったが、母親は鞄を見せてくれなかった。母親が亡くなり、妹のセツが、トランクを開けてもいい、という母の言葉を伝えた。著者は、最後の懸案の仕事が出来ると、森の家に行く。しかし、中にあるのは手紙類の封筒だけで処分されたのか焼かれたのか、何もなかった。落胆して、成城の家に戻る。
父は、終戦の間際、増水した谷川に短艇を浮かべ船に乗り込む。急流の川を下り水死した。それを小学生の長江古義人(著者の小説上の名前)の分身が見ていた、という記憶がある。赤革のトランクはその短艇に持ち込まれていた。
しかし、流れて拾われ、役所に届けられたが戻ってきた。父の遺体は川底から発見された。どう考えても自殺であった。
父は三椏から紙幣の紙を作る仕事をしていたが、将校達が広い家を利用しており、超国家主義者として、まつりあげられていた。『取り替え子』や他の本には父の死を、木車に乗って信用金庫を襲う(自爆)末期膀胱ガンの男、として登場する。『みずから我が涙をぬぐいたまう日』にも戦前の時代と父のことが書かれている。誰もが愛国者、軍国主義者の時代だ。
成城の自宅は混乱していた。妻の体調が悪く、長男の病院行きの付き添いも出来ず、郵便局の用事も、大江氏がしなければならなかった。障害のある長男の発作もあったり、病院で待つ間、あることに対して父親が息子に怒りを露わにし「お前はバカだ」と、決して言ってはならないこと言ってしまう。この言葉に、息子は激しく反応し、父親に心を閉ざす。
妻の入院が決まる。妹のセツは、看護師をやっていた経験から、病人の付き添いを買って出る。そして兄と甥のアカリ(光)に森の家で過ごし、2人の関係を修復するよう勧める。
森の家では、セツが世話をしている、大江作品の演劇化しようとして練習している劇団の人達との打ち合わせなどもある。アカリも世話をしてくれる人と信頼関係が出来、次第に表情も落ち着く。
妻のガンの手術も成功したという報せ。このように、大江さんの日常もなかなか大変である。娘の真木が、成城の家と愛媛の家との連絡や細かい事務的なことに協力してくれる。資料はなくなったが、小説の内容は、真相ではなく想像で書いている。
静かな木 藤沢周平 新潮社
これも、VINさんの紹介で読んだ。藤沢周平らしい余韻の残る小説。3編の短編からなり比較的晩年の作品である。
明るい方へ 父太宰治と母太田静子 太田治子 朝日新聞社
Nさんより借りて読む。自殺願望にとりつかれた太宰治、明るく、ただひたすら太宰を愛し、子どもが欲しいと願望した母。子どもが生まれて、父も喜び、娘に父の一字を与え治子となづけた。しかし時を経ずして別の女性と心中する。太宰は過去にも心中事件を起こし、女性だけ死んでいる。本妻には4人のまだ幼い子どもがいた。なんと無責任な父親だろうと思う。太宰は、静子に日記を書くように勧め、書いた日記を持ち去り、『斜陽』にそのまま載せているという。母は、渡さなければよかった、と言っていたという。まさに「人間失格」と断罪したい。
白州次郎・正子の夕餉 牧山桂子 新潮社
娘の牧山桂子氏が料理を再現しエッセイを書いている。器は父母の愛用のもの。何気ない料理だが、盛りつけや器が素晴らしい。
鏡を見てはいけません 田辺聖子
著者と夫が結婚した新婚の頃がモデルと思われる。ただし、夫は会社員。妻は雑誌や絵本のデザイナー。夫は先妻とは離婚。子どもは男の子一人、という設定。例によって『カモカのおっちゃん』風に面白おかしく書いて楽しい作品。
by ttfuji
| 2010-03-28 23:34
| 読書