2012年 05月 12日
天気に恵まれた郷土史会バス旅行(伊豆韮山ほか) |
5月11日(金)
郷土史研究会のバス旅行。参加者22名。8時30分に中央公民館前を出発した。
天気良好。今日は一日雨の心配はなさそう。小田原・厚木自動車道から箱根新道を通り、箱根峠でトイレ休憩。頂上は雲がかかっていたが富士も見えた。
9時半、山中城址公園に着く。山中城は、永禄年間(1560年代)小田原城を護る城として後北条氏により創築され、天正8年(1590年)天下統一を目指す豊臣秀吉の大軍を前にわずか半日で落城した悲劇の城である。
石を使わず土だけの山城は珍しく北条流築城術の粋を集めた「障子堀」や「畝堀」は有名で、歴史的な面、技術的な面で評価され「日本百名城」にも選定されているという。
史跡公園として整備され、富士山、駿河湾が一望出来る。ツツジの花が満開とは行かなかったが7分先咲きくらいできれいだった。
約1時間散策。Tさんも、なだらかな坂道、歩けるところまでと歩き出したが、殆ど全コース歩かれた。
正面に雲のかかった富士山が見える。
次に向かったのは、「三嶋大社」。約10分で着く。
伊豆の国の一ノ宮。祭神は、大山祇命。歴史は古く、富士火山帯根源の神として古記録にも朝野の尊崇を受けたと記されている。頼朝が挙兵にさいし祈願し勝利したという。境内は森閑として神域を感じる。本殿にたどり着くまでいくつもの社殿や神社(厳島神社、伊豆魂神社)や建造物もある。取り敢えず交通安全を祈願する。
続いて、大社の近くに「三嶋暦師の館」を見学。
奈良時代に京都から移住してきたと言われる河合家(社家)がある。
同家は古くから国の祭事に司る役にあり庭の一角に天文台、屋内に作業所を設けて代々、三嶋暦を製造販売してきたと伝えられる。
現在の建物は、安政の大地震で母屋が倒壊したあとに、韮山代官の江川太郎左衛門の肝いりで十里木(裾野市)の関所の廃屋を使って建てられたもの。
平成18年「国の登録有形文化財」と指定され、館内は「三嶋暦の会」のメンバーがボランティアとして案内して下さっている。
月の満ち欠けを元にした太陰暦で、大の月、小の月と組み合わせ。農事や漁業に暦は必要不可欠なものであった。太陽暦のように閏年で調整する方法でなく、細かい図や表、数式があって説明を受けたが、時間も足りずちょっと理解出来なかった。
三嶋神社本殿と暦師の館にて
三島から伊豆の国市韮山に向かう。
韮山の「代官屋敷」という食事処で昼食。おそばとにぎり寿司といなりずしのセット。他に精進揚げ3種、茶碗蒸し、小鉢料理に香の物など、いずれも量は控えめだが完食はできない量。おそばはおいしく、にぎり寿司など高齢な女性達(私も)には食べきれなかったようだ。みやげ物コーナーがありお茶やお饅頭など試飲、試食販売し干し椎茸や茶饅頭など買う。
午後は、近くの江川邸と韮山城址を訪れる。「江川邸」は、江戸時代の代官屋敷そのままに見ることができる。NHK大河ドラマ『篤姫』が江戸城の将軍に嫁ぐ場面に使われた屋敷とのこと。国の重要文化財となっている。隣接の韮山城跡、広い池(城池親水公園)がある。城池の畔にて会員の人達。
韮山城は北条早雲が伊豆進出にあたって、江川家の祖先が土地を提供し築城させ
以来北条家5代の幕僚となった。江川家25代英長は徳川家康に仕えた。徳川幕府が成立し伊豆が幕府の直轄地になってからは江戸時代全期に通じて代々世襲制で代官を勤めた。
バスに乗りすこし離れた所にある「蛭が小島」は頼朝と北条政子がデートした場所と言うことでふたりの像が立っている。地名が小島とあるが、周りに海も川もない。わずかにこんもり盛り上がった台地に像があるだけ。
次に韮山反射炉へ。幕末期、伊豆代官・江川太郎左衛門英龍(担庵公)は、国防の重要性を幕府に建議し、許可を得て大砲鋳造に必要な反射炉を築造した。安政元年に起工、11月に2基が完成したが、担庵公、他界のため、長子、英敏が父の遺業を継ぎ、北側に2基築造。4年の春すべてが完成した。以来、元治元年’1864)に至るまで、ここで大小の砲が鋳造され、江戸湾防備のため品川台場で使われた。現在、完全な形で現存する反射炉としてはわが国唯一のものという。説明は、土産店の主婦という感じの女性。
史跡めぐりの最後のメインは「願成就院」。 政子の父、北条時政が頼朝の奥州藤原氏討伐の戦勝を祈願して建立した寺であるが、その後は執権として勢力をにぎった北条家の寺として次々に堂塔が建立され繁栄を究めた。阿弥陀如来像、毘沙門天像、不動明王像、矜カ羅童子像、制タ迦童子像は運慶の作。北条政子地蔵菩薩像も時政の肖像もある。
<(コンカラドウジ)(セイタカドウジ)正しい漢字は後ほど訂正します。>
墓所には、時政公のお墓も、500羅漢も飾られている。
最後は、伝堀越御所跡に立ち寄る。北条氏の発祥の遺跡がある。路傍には「伝北条政子産湯の井戸」と書かれている石碑も建っている。伝、と銘打ってゆかりの地としているところは多い。
我が市にも、「伝大伴の皇子の墓」という史跡がある。
すべての史跡めぐりを終え、帰路に着く。伊勢原着6時頃。予定は6時~7時頃なので予定通りであった。
役員さんの下見と綿密な調べで、充実した楽しいバス旅行ができた。
郷土史研究会のバス旅行。参加者22名。8時30分に中央公民館前を出発した。
天気良好。今日は一日雨の心配はなさそう。小田原・厚木自動車道から箱根新道を通り、箱根峠でトイレ休憩。頂上は雲がかかっていたが富士も見えた。
9時半、山中城址公園に着く。山中城は、永禄年間(1560年代)小田原城を護る城として後北条氏により創築され、天正8年(1590年)天下統一を目指す豊臣秀吉の大軍を前にわずか半日で落城した悲劇の城である。
石を使わず土だけの山城は珍しく北条流築城術の粋を集めた「障子堀」や「畝堀」は有名で、歴史的な面、技術的な面で評価され「日本百名城」にも選定されているという。
史跡公園として整備され、富士山、駿河湾が一望出来る。ツツジの花が満開とは行かなかったが7分先咲きくらいできれいだった。
約1時間散策。Tさんも、なだらかな坂道、歩けるところまでと歩き出したが、殆ど全コース歩かれた。
正面に雲のかかった富士山が見える。
次に向かったのは、「三嶋大社」。約10分で着く。
伊豆の国の一ノ宮。祭神は、大山祇命。歴史は古く、富士火山帯根源の神として古記録にも朝野の尊崇を受けたと記されている。頼朝が挙兵にさいし祈願し勝利したという。境内は森閑として神域を感じる。本殿にたどり着くまでいくつもの社殿や神社(厳島神社、伊豆魂神社)や建造物もある。取り敢えず交通安全を祈願する。
続いて、大社の近くに「三嶋暦師の館」を見学。
奈良時代に京都から移住してきたと言われる河合家(社家)がある。
同家は古くから国の祭事に司る役にあり庭の一角に天文台、屋内に作業所を設けて代々、三嶋暦を製造販売してきたと伝えられる。
現在の建物は、安政の大地震で母屋が倒壊したあとに、韮山代官の江川太郎左衛門の肝いりで十里木(裾野市)の関所の廃屋を使って建てられたもの。
平成18年「国の登録有形文化財」と指定され、館内は「三嶋暦の会」のメンバーがボランティアとして案内して下さっている。
月の満ち欠けを元にした太陰暦で、大の月、小の月と組み合わせ。農事や漁業に暦は必要不可欠なものであった。太陽暦のように閏年で調整する方法でなく、細かい図や表、数式があって説明を受けたが、時間も足りずちょっと理解出来なかった。
三嶋神社本殿と暦師の館にて
三島から伊豆の国市韮山に向かう。
韮山の「代官屋敷」という食事処で昼食。おそばとにぎり寿司といなりずしのセット。他に精進揚げ3種、茶碗蒸し、小鉢料理に香の物など、いずれも量は控えめだが完食はできない量。おそばはおいしく、にぎり寿司など高齢な女性達(私も)には食べきれなかったようだ。みやげ物コーナーがありお茶やお饅頭など試飲、試食販売し干し椎茸や茶饅頭など買う。
午後は、近くの江川邸と韮山城址を訪れる。「江川邸」は、江戸時代の代官屋敷そのままに見ることができる。NHK大河ドラマ『篤姫』が江戸城の将軍に嫁ぐ場面に使われた屋敷とのこと。国の重要文化財となっている。隣接の韮山城跡、広い池(城池親水公園)がある。城池の畔にて会員の人達。
韮山城は北条早雲が伊豆進出にあたって、江川家の祖先が土地を提供し築城させ
以来北条家5代の幕僚となった。江川家25代英長は徳川家康に仕えた。徳川幕府が成立し伊豆が幕府の直轄地になってからは江戸時代全期に通じて代々世襲制で代官を勤めた。
バスに乗りすこし離れた所にある「蛭が小島」は頼朝と北条政子がデートした場所と言うことでふたりの像が立っている。地名が小島とあるが、周りに海も川もない。わずかにこんもり盛り上がった台地に像があるだけ。
次に韮山反射炉へ。幕末期、伊豆代官・江川太郎左衛門英龍(担庵公)は、国防の重要性を幕府に建議し、許可を得て大砲鋳造に必要な反射炉を築造した。安政元年に起工、11月に2基が完成したが、担庵公、他界のため、長子、英敏が父の遺業を継ぎ、北側に2基築造。4年の春すべてが完成した。以来、元治元年’1864)に至るまで、ここで大小の砲が鋳造され、江戸湾防備のため品川台場で使われた。現在、完全な形で現存する反射炉としてはわが国唯一のものという。説明は、土産店の主婦という感じの女性。
史跡めぐりの最後のメインは「願成就院」。 政子の父、北条時政が頼朝の奥州藤原氏討伐の戦勝を祈願して建立した寺であるが、その後は執権として勢力をにぎった北条家の寺として次々に堂塔が建立され繁栄を究めた。阿弥陀如来像、毘沙門天像、不動明王像、矜カ羅童子像、制タ迦童子像は運慶の作。北条政子地蔵菩薩像も時政の肖像もある。
<(コンカラドウジ)(セイタカドウジ)正しい漢字は後ほど訂正します。>
墓所には、時政公のお墓も、500羅漢も飾られている。
最後は、伝堀越御所跡に立ち寄る。北条氏の発祥の遺跡がある。路傍には「伝北条政子産湯の井戸」と書かれている石碑も建っている。伝、と銘打ってゆかりの地としているところは多い。
我が市にも、「伝大伴の皇子の墓」という史跡がある。
すべての史跡めぐりを終え、帰路に着く。伊勢原着6時頃。予定は6時~7時頃なので予定通りであった。
役員さんの下見と綿密な調べで、充実した楽しいバス旅行ができた。
by ttfuji
| 2012-05-12 16:27
| 郷土史・講演会・学習