2016年 02月 23日
胆嚢摘出手術無事終了 集中治療室から個室に |
2月19日(金)
8時45分から手術と言われ、8時に病院に行くことになっていたが、この時間、道路が混み8時20分になってしまった。担当医の先生は、8時頃見えたという。ご挨拶ができなかったのを申し訳なく思う。
8時40分頃点滴が繋がれストレッチャーで3階の手術室に運ばれて行く。私は個室で待つように言われる。この個室は集中治療室に一泊した後、もう一度戻るが、今夜一日空き室になるため、荷物はすべて運び出さなければならない。
こうなることは初めからわかっているので、下着やパジャマ、タオルや洗面用具など最小限にとどめればいいのに、夫はボストンバックや大きな紙袋に入院中に必要と思われるすべてを用意し、網目の小袋に雑貨類を入れ、髭剃りやシェービングクリーム、保湿クリーム、ヘアケア用品、うがい薬など何袋も持ち込んでいた。
タブレットや携帯電話、充電器、財布や免許証、病院関係の書類、上履きやトレーニングシューズなどもあるので結構重い。
娘も10時頃には来ることになっていたが、11時頃になるとメールが来る。荷物運びを一緒にやってもらいたいし、手術は2時間くらいと言われているので、なるべく早く来て!と返信する。
看護師さんが手術室の前に並んでいる、家族待合室で待つように言われる。やがて名前が呼ばれ、面談室に案内される。
いつもお世話になっている主治医の先生が、無事に終わりました。出血もとくに問題ありませんでした、と言って摘出した胆嚢の開いたものと胆石を見せて下さった。結構大きな胆石や小さいものを含め10数個、黒曜石のようなものがガラスの小瓶に入れられていた。こんなに沢山の石があって胆道に出てきたら痛いはずだと思った。開かれた胆嚢は縮んで小さく感じられた。胆石だけ渡された。
今は麻酔で寝ていますが40分ほどしたら、集中治療室に移りますから、受付して面会して下さい、と言われた。I先生は、人当たりのいい豪快な先生で話しやすい。お礼を言って部屋を出る。
待合室で娘を待つ。急がしたので駅からタクシーで来たという。
病室で、麻酔が覚めるのを待つ。看護師さんに部屋の荷物を引き上げた方がいいかと聞くと、面会が終わってからでいいですよ、と言われた。どうせまた明日はこの部屋に入るのだから置いてくれればいいのに、と前回同様思ったが万一の事があったら困るので空にして頂くのが規則だそうだ。
やがて、集中治療室に移りましたからどうぞ、と案内された。マスクを持ってくるのをわすれ自販機で買う。2個100円。娘に渡す。
夫は麻酔が残っているのか、うつろだったが、娘の顔を見て、ありがとう、と涙目で行った。痛い?と聞くと、まだ麻酔が効いているから、といい、無事終わったことに感慨があるようだった。何度も、娘にはありがとうを言い、忙しいの、と聞いている。
私に、おいしいものでもご馳走してあげて、と言っている。丁度お昼になるところだった。取りあえず、荷物を立体駐車場にある車に運んだ。私ひとりではとても無理だ。明日はこの荷物をひとりでまた運ばなければならないと思うと気が重い。
おいしいもの、と言っても思い浮かばず、娘の希望で5階のレストランへ行く。和食レストランと洋食レストランがあり、和食の方がご馳走があるが、昼からそれほど食欲もなく、カキフライ定食にした。この頃揚げ物はあまり作らないので、おいしかった。
そのあと、スターバックでコーヒーを飲む。
駅まで送り、車に積んでおいた妹の香典返しを渡す。紙袋や箱から出して手持ちの袋に入れて持ち帰った。
2月20日(土)
昼前に個室に移るはず。入院用品を早く届けなければ、と思い、車に入れたままの3つの荷物を取りあえず2つだけ運ぼうとボストンバックの一つの予備の衣類を移し、小物類は届けるバッグに入れた。
夫は、顔を顰め、痛くてたまらない、今までで一番大変な手術だったという。今は6時間ごとに痛み止めの薬が点滴で入れてもらっているが、それでも痛いという。開腹手術したのだから痛いの当たり前、と思うがこんなに我慢できないのかと思い、時間の問題、一日一日と少しづつ痛みも薄らぐでしょうと、他人事のようだが言う。
持って行ったものをそれぞれの場所に収納。小物はテーブルの上に置いてくれと言う。
世間話をできる状態ではないので、目を瞑ってやすんだら、と言うと、やがて寝息が聞こえてきた。20分位。夫に寝ていましたよ、時々痛そうにしていましたけど、というとそうだろ、と寝ていても痛いのだという。
看護師さんがきて入院着からパジャマに着替えるのを手伝って下さった。それから蒸しタオルで、からだを丁寧の拭いてくださった。下半身は自分で拭いてくださいと言われた。足の方は手伝おうとしたが、自分でやるといった。いたたと言いながら着替えも自分でした。
看護婦さんは優しいとしきりに言う。
一応1時間ほどいるが、話すこともないので、お大事にと引き上げる。
夜、看護師さんから電話。ご主人に頼まれました。ご主人に替りますから、と受話器を渡される。
携帯と財布がないという。小物袋は全部入れたのですから、そちらにあるはずだ、というと、もう一つのボストンバッグの内側のチャックの袋に財布や時計携帯を入れたのを思い出した、間違いないという。わかりました、明日持って行きます、と。
2月21日(日)
朝、また電話。パジャマと下着が足りない。起き上がるのが痛くて大変でトイレに間に合わないので・・という。もう一つのバックにたくさん入っていたのに車に残したため、不自由な思いをしたことになる。
昨夜の電話で頼まれたもの(携帯、財布、時計ほか)を含めチェックして持って行く。
前回の入院の時もそうだった。あれ持って来て、これ買ってきて、とうんざりするほど色々頼まれたことを思い出す。ま、私が元気だから仕方がないか。リハビリ用の靴も頼まれたのだった。
2月22日(月)
午前中、太極拳に行く。午後2時頃病院へ向かう。エレベーターのホールで点滴とつけて歩いている夫と会い聞くとリハビリとのこと。13階の通路をぐるっと回ってくるという。朝も何回りかしたという。大分、痛みも治まってきたのかと聞いてみると、痛い、だけど歩かないと歩けなくなると先生に言われた。これからは朝、昼、晩と5周しようと思っている、という。
夫は、お腹の傷口を見せ写真に撮っておいてという。スマホで撮ったがかなりグロテスクだ。夫はそれを見て、イラクの人質みたいだな、と不謹慎なことを言う。まあ記録として撮っておいてもいいか。
2月22日(火)
今日は3時頃行って明日は行かないようにしたい、と思っていたところへ電話がかかる。朝、シャワーで傷口を洗ったという。傷に薬を付けないで、水で流すことで直りがよくなると言われた由。消毒薬はよい菌も殺してしまうから薬ではなく清潔にして治癒力を付けるらしい。従ってその度に、新しいパンツとパジャマが必要と言う。新しい下着がないという。急いで4枚ずつ持って行くが、矢張り4枚では2日分足りないようだ。そろそろ一日おきにしようと思っていたが駄目なようだ。
と言うのも、車で行くだけ、のことがかなり疲れる。行く前の準備と帰ってからの洗濯などの家事、しかし私自身の用事もある。帰ってすぐに別なことをしようとしても、身体がそう簡単には動いてくれない。夫は、病室で本など読んでいると、家で読むのとここで読むのと同じだろうと、まるで本だけ読んでいると思っているようだ。いろいろ忙しいと言ってもいちいち話さないので理解していない。
今日も3時に行くつもりだった、面会時間は3時からだと言うと、それは一般の見舞客の場合だろう、患者の家族の場合じゃないだろう、と言うのでちょっと口論になった。自分のことを優先しないのが面白くないようだ。それなら、午前中に電話して下さい。そしたら早く来られますから、と言った。昼過ぎ、電話がかかってきて、まだ家にいるの、という言い方おかしい。シャワーに入ることなど今日まで知らず3時に行くつもりだったのだから。
相手は病人様。少々、つまらないことで言い合いしてしまった。衣類を5・6組持って行けばすむことかも知れない。
8時45分から手術と言われ、8時に病院に行くことになっていたが、この時間、道路が混み8時20分になってしまった。担当医の先生は、8時頃見えたという。ご挨拶ができなかったのを申し訳なく思う。
8時40分頃点滴が繋がれストレッチャーで3階の手術室に運ばれて行く。私は個室で待つように言われる。この個室は集中治療室に一泊した後、もう一度戻るが、今夜一日空き室になるため、荷物はすべて運び出さなければならない。
こうなることは初めからわかっているので、下着やパジャマ、タオルや洗面用具など最小限にとどめればいいのに、夫はボストンバックや大きな紙袋に入院中に必要と思われるすべてを用意し、網目の小袋に雑貨類を入れ、髭剃りやシェービングクリーム、保湿クリーム、ヘアケア用品、うがい薬など何袋も持ち込んでいた。
タブレットや携帯電話、充電器、財布や免許証、病院関係の書類、上履きやトレーニングシューズなどもあるので結構重い。
娘も10時頃には来ることになっていたが、11時頃になるとメールが来る。荷物運びを一緒にやってもらいたいし、手術は2時間くらいと言われているので、なるべく早く来て!と返信する。
看護師さんが手術室の前に並んでいる、家族待合室で待つように言われる。やがて名前が呼ばれ、面談室に案内される。
いつもお世話になっている主治医の先生が、無事に終わりました。出血もとくに問題ありませんでした、と言って摘出した胆嚢の開いたものと胆石を見せて下さった。結構大きな胆石や小さいものを含め10数個、黒曜石のようなものがガラスの小瓶に入れられていた。こんなに沢山の石があって胆道に出てきたら痛いはずだと思った。開かれた胆嚢は縮んで小さく感じられた。胆石だけ渡された。
今は麻酔で寝ていますが40分ほどしたら、集中治療室に移りますから、受付して面会して下さい、と言われた。I先生は、人当たりのいい豪快な先生で話しやすい。お礼を言って部屋を出る。
待合室で娘を待つ。急がしたので駅からタクシーで来たという。
病室で、麻酔が覚めるのを待つ。看護師さんに部屋の荷物を引き上げた方がいいかと聞くと、面会が終わってからでいいですよ、と言われた。どうせまた明日はこの部屋に入るのだから置いてくれればいいのに、と前回同様思ったが万一の事があったら困るので空にして頂くのが規則だそうだ。
やがて、集中治療室に移りましたからどうぞ、と案内された。マスクを持ってくるのをわすれ自販機で買う。2個100円。娘に渡す。
夫は麻酔が残っているのか、うつろだったが、娘の顔を見て、ありがとう、と涙目で行った。痛い?と聞くと、まだ麻酔が効いているから、といい、無事終わったことに感慨があるようだった。何度も、娘にはありがとうを言い、忙しいの、と聞いている。
私に、おいしいものでもご馳走してあげて、と言っている。丁度お昼になるところだった。取りあえず、荷物を立体駐車場にある車に運んだ。私ひとりではとても無理だ。明日はこの荷物をひとりでまた運ばなければならないと思うと気が重い。
おいしいもの、と言っても思い浮かばず、娘の希望で5階のレストランへ行く。和食レストランと洋食レストランがあり、和食の方がご馳走があるが、昼からそれほど食欲もなく、カキフライ定食にした。この頃揚げ物はあまり作らないので、おいしかった。
そのあと、スターバックでコーヒーを飲む。
駅まで送り、車に積んでおいた妹の香典返しを渡す。紙袋や箱から出して手持ちの袋に入れて持ち帰った。
2月20日(土)
昼前に個室に移るはず。入院用品を早く届けなければ、と思い、車に入れたままの3つの荷物を取りあえず2つだけ運ぼうとボストンバックの一つの予備の衣類を移し、小物類は届けるバッグに入れた。
夫は、顔を顰め、痛くてたまらない、今までで一番大変な手術だったという。今は6時間ごとに痛み止めの薬が点滴で入れてもらっているが、それでも痛いという。開腹手術したのだから痛いの当たり前、と思うがこんなに我慢できないのかと思い、時間の問題、一日一日と少しづつ痛みも薄らぐでしょうと、他人事のようだが言う。
持って行ったものをそれぞれの場所に収納。小物はテーブルの上に置いてくれと言う。
世間話をできる状態ではないので、目を瞑ってやすんだら、と言うと、やがて寝息が聞こえてきた。20分位。夫に寝ていましたよ、時々痛そうにしていましたけど、というとそうだろ、と寝ていても痛いのだという。
看護師さんがきて入院着からパジャマに着替えるのを手伝って下さった。それから蒸しタオルで、からだを丁寧の拭いてくださった。下半身は自分で拭いてくださいと言われた。足の方は手伝おうとしたが、自分でやるといった。いたたと言いながら着替えも自分でした。
看護婦さんは優しいとしきりに言う。
一応1時間ほどいるが、話すこともないので、お大事にと引き上げる。
夜、看護師さんから電話。ご主人に頼まれました。ご主人に替りますから、と受話器を渡される。
携帯と財布がないという。小物袋は全部入れたのですから、そちらにあるはずだ、というと、もう一つのボストンバッグの内側のチャックの袋に財布や時計携帯を入れたのを思い出した、間違いないという。わかりました、明日持って行きます、と。
2月21日(日)
朝、また電話。パジャマと下着が足りない。起き上がるのが痛くて大変でトイレに間に合わないので・・という。もう一つのバックにたくさん入っていたのに車に残したため、不自由な思いをしたことになる。
昨夜の電話で頼まれたもの(携帯、財布、時計ほか)を含めチェックして持って行く。
前回の入院の時もそうだった。あれ持って来て、これ買ってきて、とうんざりするほど色々頼まれたことを思い出す。ま、私が元気だから仕方がないか。リハビリ用の靴も頼まれたのだった。
2月22日(月)
午前中、太極拳に行く。午後2時頃病院へ向かう。エレベーターのホールで点滴とつけて歩いている夫と会い聞くとリハビリとのこと。13階の通路をぐるっと回ってくるという。朝も何回りかしたという。大分、痛みも治まってきたのかと聞いてみると、痛い、だけど歩かないと歩けなくなると先生に言われた。これからは朝、昼、晩と5周しようと思っている、という。
夫は、お腹の傷口を見せ写真に撮っておいてという。スマホで撮ったがかなりグロテスクだ。夫はそれを見て、イラクの人質みたいだな、と不謹慎なことを言う。まあ記録として撮っておいてもいいか。
2月22日(火)
今日は3時頃行って明日は行かないようにしたい、と思っていたところへ電話がかかる。朝、シャワーで傷口を洗ったという。傷に薬を付けないで、水で流すことで直りがよくなると言われた由。消毒薬はよい菌も殺してしまうから薬ではなく清潔にして治癒力を付けるらしい。従ってその度に、新しいパンツとパジャマが必要と言う。新しい下着がないという。急いで4枚ずつ持って行くが、矢張り4枚では2日分足りないようだ。そろそろ一日おきにしようと思っていたが駄目なようだ。
と言うのも、車で行くだけ、のことがかなり疲れる。行く前の準備と帰ってからの洗濯などの家事、しかし私自身の用事もある。帰ってすぐに別なことをしようとしても、身体がそう簡単には動いてくれない。夫は、病室で本など読んでいると、家で読むのとここで読むのと同じだろうと、まるで本だけ読んでいると思っているようだ。いろいろ忙しいと言ってもいちいち話さないので理解していない。
今日も3時に行くつもりだった、面会時間は3時からだと言うと、それは一般の見舞客の場合だろう、患者の家族の場合じゃないだろう、と言うのでちょっと口論になった。自分のことを優先しないのが面白くないようだ。それなら、午前中に電話して下さい。そしたら早く来られますから、と言った。昼過ぎ、電話がかかってきて、まだ家にいるの、という言い方おかしい。シャワーに入ることなど今日まで知らず3時に行くつもりだったのだから。
相手は病人様。少々、つまらないことで言い合いしてしまった。衣類を5・6組持って行けばすむことかも知れない。
by ttfuji
| 2016-02-23 21:46
| 医療・健康