2006年 01月 16日
プロジェクトX その1(富士山レーダー建設) |
NHKの「プロジェクトX」は好きな番組だった。放送終了になってしまってとても残念だ。
昨年放送された中で、印象の強いものが2つあった。一つは、富士山に気象用ポラボラアンテナを建設するというもの。
私はそのヘリコプター会社に勤めていた。運航課だったので、運輸省や羽田の航空保安事務所に飛行の許可の申請書を出す仕事をしていた。
運航課にはパイロットがいつも顔を出していた。飛行機を固定翼、ヘリコプターを回転翼といい彼らはどちらも操縦できるベテランだった。軍隊で飛行兵だったのかも知れない。皆自信家に思えた。
ヘリコプターは、写真撮影、ニュース取材、人命救助、物資輸送、薬剤散布、地図作製、遊覧飛行などがあった。
そのころ、計画はずっと前からだと思うが、富士山にパラボラアンテナを建てるという話が広がった。社内あげてのビッグニュースだった。機長は大ベテランの神田さんという人だった。
富士山頂の気象は激しい。強風が吹き荒れる。下から巻き上がる風もある。球形のアンテナの上半分を下にかぶせる。命がけの仕事だったということは「プロジェクトX」で知った。
勿論、中心になった人たちはほかの会社でも大勢いた。台風の進路、大きさなど予測し少しでも被害を少なくするためにレーダーは絶対必要なものだった。
神田機長は完成したとき、上司に詳しい状況など話していたが、私たちOLが賞讃すると、ううん、たいしたことないのよ、と女言葉で冗談を言っていた。その神田さんが番組に出ていられた。懐かしかった。40数年たっているのに、若々しく堂々とした風格は変わっていなかった。そのレーダーも気象衛星が打ち上げられ役割を終えた。
昨年放送された中で、印象の強いものが2つあった。一つは、富士山に気象用ポラボラアンテナを建設するというもの。
私はそのヘリコプター会社に勤めていた。運航課だったので、運輸省や羽田の航空保安事務所に飛行の許可の申請書を出す仕事をしていた。
運航課にはパイロットがいつも顔を出していた。飛行機を固定翼、ヘリコプターを回転翼といい彼らはどちらも操縦できるベテランだった。軍隊で飛行兵だったのかも知れない。皆自信家に思えた。
ヘリコプターは、写真撮影、ニュース取材、人命救助、物資輸送、薬剤散布、地図作製、遊覧飛行などがあった。
そのころ、計画はずっと前からだと思うが、富士山にパラボラアンテナを建てるという話が広がった。社内あげてのビッグニュースだった。機長は大ベテランの神田さんという人だった。
富士山頂の気象は激しい。強風が吹き荒れる。下から巻き上がる風もある。球形のアンテナの上半分を下にかぶせる。命がけの仕事だったということは「プロジェクトX」で知った。
勿論、中心になった人たちはほかの会社でも大勢いた。台風の進路、大きさなど予測し少しでも被害を少なくするためにレーダーは絶対必要なものだった。
神田機長は完成したとき、上司に詳しい状況など話していたが、私たちOLが賞讃すると、ううん、たいしたことないのよ、と女言葉で冗談を言っていた。その神田さんが番組に出ていられた。懐かしかった。40数年たっているのに、若々しく堂々とした風格は変わっていなかった。そのレーダーも気象衛星が打ち上げられ役割を終えた。
by ttfuji
| 2006-01-16 19:02
| 友・師・人