2006年 01月 27日
読書 最近読んで良かった本。 |
「奔馬 河上肇の妻」 (草川八重子)
戦中の思想家、学者であり京大教授、資本論やマルクスの研究者、当然思想統制や破防法ができた時代だから官憲に追われ地下に潜ったりかくまわれたりした。彼は弟子や日本中の多くの人に影響を持つ学者だったから官憲はその影響力をおそれ、必死に行方を追い逮捕した。
この時代多くの人が何らかの理由をつけて逮捕され、痛めつけられ虐殺されたり、転向したりしている。河上肇も体も丈夫でなく、年齢的にも獄中生活は限界に来ていたので、出られたら資本論を完成させようという思いを断ち切って、署名しようとしたが、獄中生活をずっと支えてきた、妻、秀はそれを必死に止めた。1年早く出られてもあなたの生涯に汚点を残す、必ず悔いを残すと、訴えた。河上は強い信念の男であったが、決められた面会日には一日も休むことなく訪れ、短い時間でもいたわり続けた妻を心から信頼し頼っていた。
奔馬とは妻、秀のことである。広島岩国の同郷で、東京帝大に通う兄の友人であった河上は、足尾銅山の悲惨さを見て、身ぐるみ与えてきたという熱血の人で、父親は、秀は苦労するだろう、と言ったが、もう一つの銀行員との縁談には目もくれず、肇を選んだ。肇も秀も兄弟姉妹が多く、長男以外は、他家に養子に出して、最高教育を受けさせている。秀の末妹は、末川博の妻になっている。困難に出会ったとき、兄弟は助け合う強い絆を持っていた。あの時代生き延びられたのはその絆が固かったからと。、感動した本だった。
「千住家にストラディヴリウスが来た日」 千住文子
友達に勧められて読んだ。天才、千住3きょうだいとして名が知れている。NHKテレビ、生活ほっとモーニングでも母文子さん、長男で画家の博さん、バイオリストの真理子さんが出演しており、千住家の教育について、いろいろ聞かれていた。作曲家の次兄明さんは出演していなかった。
父親は大学教授。母親は、結婚と同時に研究者の仕事をなげうって、夫を支えるために家庭に入った。母文子さんは、私の趣味も仕事も「子ども」、と言っておられた。3人の天才を育てたことを見れば、納得する。
普通の家と違うからと、世界の名器を手にいれることも夢ではないだろうと浅はかにも考えたが、それはとんでもないことだった。家族の強い絆と、周りの理解と、奇跡といえる不思議なことの積み重ね、何よりも真理子の、家族の強い願望で千住家にやってきたのだった。父の収入だけで、3人の教育にかけ、決して豊かではなかった。しかし、このバイオリンは運命のように千住家へ来た。真理子が大事にしていた今までのバイオリンは傷んで崩壊寸前まで来ていた。真理子自身、弾かせてもらうだけと諦めるしかないと思っていた楽器を手にした途端、虜になり頭から離れなくなった。生前、父は何事も絶対諦めるな、と繰り返し語った。億を超える大部分は銀行からの融資だったようだ。だが真理子は喜んで返済していくだろう。この本の内容を伝えるのはむずかしい。母であり、現在エッセーストでもある文子さんの文章は、説得力があり読者を感動させる。
「八度目の年おんな」 櫛田ふき
これも素晴らしい本である。本の概要と感想を書いていたら、また、長いものになってしまった。簡潔を心がけようという矢先に。そこで、本の扉の紹介文をそのまま拝借することにする。
1899年生まれ、この2月(1995)に96歳の誕生日を迎えた櫛田ふきさん。日本婦人団体連合会会長、新日本婦人の会代表委員として、今なお現役で大活躍です。この本では、幸せだった女子大時代、経済学者・櫛田民蔵の妻としての日々、戦時弾圧下のエピソード、夫の急逝とその後の苦闘、婦人運動をとおした素晴らしい人との出会いと別れ、そして今、平和への夢に挑むーひたむきに生きてきた道が生き生きと浮き彫りにされます。
弾圧下のエピソードとは、夫民蔵の旧師、河上肇をかくまったこと。「当時夫の民蔵は、先生の書斎を捨てての実践活動入りの無謀に反対し、他方先生は、夫が行動を共にしないと、その弱腰を罵倒し、20余年の師弟の交友も絶縁状態になっていた。私にいわせれば、「あれほどののしり、そしられたのだもの、“いわんことじゃない”としらんふりすればいい」だった。しかし夫は、“窮鳥懐にいれば”の思いで旧師を慇懃に迎え入れた。
10日ほど前に読んだばかりの「河上肇」が重なる。河上から櫛田に届いた手紙264通は捨てがたく、保管され後に大内兵衛によって出版されている。
<櫛田ふきさんは、2005.2.6 自宅で102歳で逝去されました>
戦中の思想家、学者であり京大教授、資本論やマルクスの研究者、当然思想統制や破防法ができた時代だから官憲に追われ地下に潜ったりかくまわれたりした。彼は弟子や日本中の多くの人に影響を持つ学者だったから官憲はその影響力をおそれ、必死に行方を追い逮捕した。
この時代多くの人が何らかの理由をつけて逮捕され、痛めつけられ虐殺されたり、転向したりしている。河上肇も体も丈夫でなく、年齢的にも獄中生活は限界に来ていたので、出られたら資本論を完成させようという思いを断ち切って、署名しようとしたが、獄中生活をずっと支えてきた、妻、秀はそれを必死に止めた。1年早く出られてもあなたの生涯に汚点を残す、必ず悔いを残すと、訴えた。河上は強い信念の男であったが、決められた面会日には一日も休むことなく訪れ、短い時間でもいたわり続けた妻を心から信頼し頼っていた。
奔馬とは妻、秀のことである。広島岩国の同郷で、東京帝大に通う兄の友人であった河上は、足尾銅山の悲惨さを見て、身ぐるみ与えてきたという熱血の人で、父親は、秀は苦労するだろう、と言ったが、もう一つの銀行員との縁談には目もくれず、肇を選んだ。肇も秀も兄弟姉妹が多く、長男以外は、他家に養子に出して、最高教育を受けさせている。秀の末妹は、末川博の妻になっている。困難に出会ったとき、兄弟は助け合う強い絆を持っていた。あの時代生き延びられたのはその絆が固かったからと。、感動した本だった。
「千住家にストラディヴリウスが来た日」 千住文子
友達に勧められて読んだ。天才、千住3きょうだいとして名が知れている。NHKテレビ、生活ほっとモーニングでも母文子さん、長男で画家の博さん、バイオリストの真理子さんが出演しており、千住家の教育について、いろいろ聞かれていた。作曲家の次兄明さんは出演していなかった。
父親は大学教授。母親は、結婚と同時に研究者の仕事をなげうって、夫を支えるために家庭に入った。母文子さんは、私の趣味も仕事も「子ども」、と言っておられた。3人の天才を育てたことを見れば、納得する。
普通の家と違うからと、世界の名器を手にいれることも夢ではないだろうと浅はかにも考えたが、それはとんでもないことだった。家族の強い絆と、周りの理解と、奇跡といえる不思議なことの積み重ね、何よりも真理子の、家族の強い願望で千住家にやってきたのだった。父の収入だけで、3人の教育にかけ、決して豊かではなかった。しかし、このバイオリンは運命のように千住家へ来た。真理子が大事にしていた今までのバイオリンは傷んで崩壊寸前まで来ていた。真理子自身、弾かせてもらうだけと諦めるしかないと思っていた楽器を手にした途端、虜になり頭から離れなくなった。生前、父は何事も絶対諦めるな、と繰り返し語った。億を超える大部分は銀行からの融資だったようだ。だが真理子は喜んで返済していくだろう。この本の内容を伝えるのはむずかしい。母であり、現在エッセーストでもある文子さんの文章は、説得力があり読者を感動させる。
「八度目の年おんな」 櫛田ふき
これも素晴らしい本である。本の概要と感想を書いていたら、また、長いものになってしまった。簡潔を心がけようという矢先に。そこで、本の扉の紹介文をそのまま拝借することにする。
1899年生まれ、この2月(1995)に96歳の誕生日を迎えた櫛田ふきさん。日本婦人団体連合会会長、新日本婦人の会代表委員として、今なお現役で大活躍です。この本では、幸せだった女子大時代、経済学者・櫛田民蔵の妻としての日々、戦時弾圧下のエピソード、夫の急逝とその後の苦闘、婦人運動をとおした素晴らしい人との出会いと別れ、そして今、平和への夢に挑むーひたむきに生きてきた道が生き生きと浮き彫りにされます。
弾圧下のエピソードとは、夫民蔵の旧師、河上肇をかくまったこと。「当時夫の民蔵は、先生の書斎を捨てての実践活動入りの無謀に反対し、他方先生は、夫が行動を共にしないと、その弱腰を罵倒し、20余年の師弟の交友も絶縁状態になっていた。私にいわせれば、「あれほどののしり、そしられたのだもの、“いわんことじゃない”としらんふりすればいい」だった。しかし夫は、“窮鳥懐にいれば”の思いで旧師を慇懃に迎え入れた。
10日ほど前に読んだばかりの「河上肇」が重なる。河上から櫛田に届いた手紙264通は捨てがたく、保管され後に大内兵衛によって出版されている。
<櫛田ふきさんは、2005.2.6 自宅で102歳で逝去されました>
by ttfuji
| 2006-01-27 10:40
| 読書