2006年 05月 08日
宗教のことは語れない |
人間、宗教持たなくちゃ、という会話があったということを聞いた。このmixi コミュニティにもキリスト教の牧師さん、クリスチャン、仏教のお坊さんはいらっしゃる。信徒さん、神道の方もいられるかもしれない。そして無神論者も。 日本人は、クリスマスにはクリスチャンになり、初詣や七五三など神社では柏手を打つ。お寺では、数珠を手にお経を唱える。八百万の神や自然への祈りもある。少数派と思うが、アラーの神を絶対と信じている人もいるだろう。
宗教を持っている人にとって、無宗教は考えられないことかもしれない。
入信させ救いを与えたい、と思うだろう。
しかし、世界を見ると、民族ごとに宗教が違い、同じ宗教でも宗派が違う。そしてすごい対立がある。神様を信じている人が、こんな戦争をして、教えに背かないのかと疑問に思う。キリストの教え、お釈迦様の教え、それぞれに、立派な教えであると思う。反面、どの宗教も受け入れがたい部分がある。いいとこ取りで、人生送っても、いいではないか。
信仰の深い人ほど、神は一つ、と主張するからまるくおさまらない。
日本人はいい加減で何事も曖昧で適当。外国人の嫌うところだろう。しかし、だから丸く収まるのかもしれない、と五木寛之さんは言っていた。
このごろ、なるほどと思うようになった。
かっては、キリスト教の受洗直前まで行ったが入信できなかった。
どんな迫害もおそれず、棄教せず、神を讃えながら死んでいった人達を、 尊敬し、あこがれた少女時代もあった。
今、どの宗教も選べない。
しかし、他人の宗教は受け入れるし、それぞれ、尊重する気持はある。
宗教を持っている人にとって、無宗教は考えられないことかもしれない。
入信させ救いを与えたい、と思うだろう。
しかし、世界を見ると、民族ごとに宗教が違い、同じ宗教でも宗派が違う。そしてすごい対立がある。神様を信じている人が、こんな戦争をして、教えに背かないのかと疑問に思う。キリストの教え、お釈迦様の教え、それぞれに、立派な教えであると思う。反面、どの宗教も受け入れがたい部分がある。いいとこ取りで、人生送っても、いいではないか。
信仰の深い人ほど、神は一つ、と主張するからまるくおさまらない。
日本人はいい加減で何事も曖昧で適当。外国人の嫌うところだろう。しかし、だから丸く収まるのかもしれない、と五木寛之さんは言っていた。
このごろ、なるほどと思うようになった。
かっては、キリスト教の受洗直前まで行ったが入信できなかった。
どんな迫害もおそれず、棄教せず、神を讃えながら死んでいった人達を、 尊敬し、あこがれた少女時代もあった。
今、どの宗教も選べない。
しかし、他人の宗教は受け入れるし、それぞれ、尊重する気持はある。
by ttfuji
| 2006-05-08 12:52
| 時事・社会・地域