2007年 04月 14日
郷土史会 市内史跡めぐり |
今日は、市内に残る歴史の足跡をたどる。
雨天中止、小雨決行と決められ、昨夜の風雨で心配されたが、今朝は嘘のように晴れ渡った。日差しはまぶしいほど。私の使っている薬のせいか、症状のせいか、紫外線に当たらないようにと医師とVINさんにアドバイス頂いているので、帽子と日傘と両方持って出たが、メモをとるのに、日傘は邪魔になる。急いで出てきたので帽子を忘れたという友人に、日傘をお貸しする。
伊勢原小学校前を9時半出発のため9時過ぎには現地に集合した。
参加者は25名くらい。いつもより少ないが歩くので自信のない人は不参加だったようだ。今日巡る史跡と地図の書かれた資料を頂く。
郷土史会のことは、ブログに発表できないので、回ったところだけを記録する。何も書かないと今日の日記にならない。
まず、伊勢原小学校校庭の隅に(道路より見えるところ)「二十三夜尊」の塔がある。
三月の講義にもあったが二十三夜の月は上弦の月、船の形である。信仰深い人がじっと見つめると月に阿弥陀様と誓至菩薩(月)が乗っているのが見えるという。
次に「大覚院墓地」。屋敷墓である。
大通りに出て「火伏不動尊」。今も昔も火災の恐ろしさは同じ。神仏の加護をひたすら祈ったであろう。昔は町並みもゆったりし周りの建物が低かったので目立つお不動様だったと思われるが、今は両隣の建物に挟まれて窮屈そうだ。「関東出役定宿」跡。先生ご持参の巻紙に書かれた「御取締役被仰渡書」写を見せて頂く。文政10年に25村の代表(長)によって取り決められた45條に亘る決め事が記されている。「町役場のあった場所。町役場はその後数度の新築移転。さらに行政区に市庁舎が建て替えられ移転した。警察署、郵便局、消防署、伊勢原高校などもこの近くにあった。シティプラザでトイレ休憩。斜め向かいに「伊勢原北側遺跡」(地下室)がある。「高札場跡」は幕府から特別な免許を受けた場所だった。次に「おしゃもじ塚」へ。山田という旧家の裏庭にある。しゃもじ塚とは何か。とても面白い話が聞けた。最後に伊勢原大神宮へ。もとは神宮寺といい、ご本尊は火伏不動尊だったが、廃仏毀釈で放り出されて火伏不動尊に祀られた。「神明社」だったが昭和61年地元の熱い要望から昭和61年、ついに神社本庁から「伊勢原大神宮」として認められたという。(伊勢原郷土史会 会誌「いせばら」2号より)
昼前後で終わり、しおりを頂いたのでお賽銭をあげる。
いつものように、友人達と食事して帰る。
雨天中止、小雨決行と決められ、昨夜の風雨で心配されたが、今朝は嘘のように晴れ渡った。日差しはまぶしいほど。私の使っている薬のせいか、症状のせいか、紫外線に当たらないようにと医師とVINさんにアドバイス頂いているので、帽子と日傘と両方持って出たが、メモをとるのに、日傘は邪魔になる。急いで出てきたので帽子を忘れたという友人に、日傘をお貸しする。
伊勢原小学校前を9時半出発のため9時過ぎには現地に集合した。
参加者は25名くらい。いつもより少ないが歩くので自信のない人は不参加だったようだ。今日巡る史跡と地図の書かれた資料を頂く。
郷土史会のことは、ブログに発表できないので、回ったところだけを記録する。何も書かないと今日の日記にならない。
まず、伊勢原小学校校庭の隅に(道路より見えるところ)「二十三夜尊」の塔がある。
三月の講義にもあったが二十三夜の月は上弦の月、船の形である。信仰深い人がじっと見つめると月に阿弥陀様と誓至菩薩(月)が乗っているのが見えるという。
次に「大覚院墓地」。屋敷墓である。
大通りに出て「火伏不動尊」。今も昔も火災の恐ろしさは同じ。神仏の加護をひたすら祈ったであろう。昔は町並みもゆったりし周りの建物が低かったので目立つお不動様だったと思われるが、今は両隣の建物に挟まれて窮屈そうだ。「関東出役定宿」跡。先生ご持参の巻紙に書かれた「御取締役被仰渡書」写を見せて頂く。文政10年に25村の代表(長)によって取り決められた45條に亘る決め事が記されている。「町役場のあった場所。町役場はその後数度の新築移転。さらに行政区に市庁舎が建て替えられ移転した。警察署、郵便局、消防署、伊勢原高校などもこの近くにあった。シティプラザでトイレ休憩。斜め向かいに「伊勢原北側遺跡」(地下室)がある。「高札場跡」は幕府から特別な免許を受けた場所だった。次に「おしゃもじ塚」へ。山田という旧家の裏庭にある。しゃもじ塚とは何か。とても面白い話が聞けた。最後に伊勢原大神宮へ。もとは神宮寺といい、ご本尊は火伏不動尊だったが、廃仏毀釈で放り出されて火伏不動尊に祀られた。「神明社」だったが昭和61年地元の熱い要望から昭和61年、ついに神社本庁から「伊勢原大神宮」として認められたという。(伊勢原郷土史会 会誌「いせばら」2号より)
昼前後で終わり、しおりを頂いたのでお賽銭をあげる。
いつものように、友人達と食事して帰る。
by ttfuji
| 2007-04-14 19:43
| 郷土史・講演会・学習