2007年 10月 25日
ポーランドと東部ドイツの旅 ⑧ ベルリン・エピソード |
10月14日(日)
ベルリンは、ドイツ統一をはじめて成し遂げたプロイセン王家の本拠地でプロイセン王国の首都だった。そして東西分断の壁が存在した都市、壁崩壊後の新生ドイツの首都、と様々な顔を持つ。
今回の旅行の締めくくりはベルリンである。西ドイツは何年か前、同じ旅行会社のツアーで回ったが、東ドイツに行ってないことに私の心に欠落感があった。それが一応埋められた。
9時、ホテル出発。2階建てバスで車窓観光しながら説明を聞く。東西ドイツ分断と統合の象徴、かっての凱旋門、ブランデンブルグ門へ。門の上には、四頭立ての馬車(クアドリガ)に乗った勝利の女神ヴィクトリアの像がある。説明を聞いた後市内に4カ所残されているうちの1つのベルリンの壁に向かう。
ブランデンブルグ門
ベルリンの壁
加藤さんに表示版などで説明をうける。
そのあと、ベルガモン博物館へ。添乗員の戸田さんの記録によるとBC2~3に栄えたトルコのベルガモン王国の遺跡(ベルガマ)から持って来られた神殿や古代バビロンのイシュタール門、ローマ時代のゼウスの大祭壇など膨大な発掘物が展示されている。トルコ旅行をした折、トロイ遺跡もシュリーマンが発見、発掘を繰り返し、外国に持ち去られたとトルコ人ガイドが嘆いていたが、あの時代、力のある先進国はみなそうだったのかと複雑だった。決められた場所と時間に集まることになっているが、私たちは時間があったので、すぐ近くのノミの市に行った。外国人(アフリカの人たち)が店を出している。珍しいものがいろいろあった。
ベルガモン博物館
ノミの市
ソニーセンタービルの富士山を模した屋根
時間に集まり、昼食のレストランへ。午後は自由行動だが、一旦ホテルに戻る。午後のお勧めコースについて説明がある。バスは縦横に走っており、100番系統とか44系統とかがホテルのすぐ近くに乗車場がある。金額もあるところまでは2.5ユーロ?。美術館なら幾つ目でおり、右へ曲がるとすぐ分かる。博物館は・・・。歩いてもそれ程遠くはない、と教えられた。一応添乗員さんが一緒に案内して下さることになる。絵画美術館に行く人たちと、エジプト博物館へ行く人たちに別れる。同方向だが、絵画館の方が少し近い。私とNさんは絵画、I さんはエジプトと別れた。絵画の数も膨大だった。有名な絵、ラファエロ、ルーベンス、レンブラント、フェルメールなど探して見る。帰りは歩いて帰る。
今日は夕食も、自前である。最後の日くらいは、食べに行きましょうと、戸田さんに相談する。中華、洋食、日本食と歩いて行けるところを教えて下さったが、洋食と中華に別れた。ご夫婦は、別のところへ行ったか、ホテルのレストランですますらしい。
中華を選んだ私たちは、ここで思わぬハプニングに見舞われる。笑い話である。中華は、一人参加の男性と同じく一人参加の女性(どちらも高齢者)。だがお二人とも旅慣れている。
添乗員さんが、ある横に伸びる通りにさしかかると、ここを左に折れて少し行くと、「曙」と漢字を使った中華の店がありますよ、分かりやすいですよ、と教えてくれた。洋食の店はそのまままっすぐ先らしい。
ところが、いくら行ってもそのような店は見あたらない処か、レストランそのものがあまりない。潰れたのかしら、とか言いながら必死に探したが行けどもない。仕方なくどこかに入ることにして戻った。大きなレストランのようなところはあったが、照明が暗い。トルキッシュとか書いてあってトルコ料理だと男性Kさんはいう。ここに入ろうと。暗くて嫌だ、と女性陣。Kさんは英語ができるので、明日帰らず、一人ベルリンに残って行きたいところがあるという方だ。そのトルコレストランの横を入ると、小さいが明るい店があった。料理を作ってテイクアウトもしている店らしい。空腹なのでここへ入ろう、と入った。
トルコ語もドイツ語もできないから、注文できない。英語は通じないようだ。ケースに並べてある品を見て、指さし注文となる。食欲をそそるようなものは余りない。チャーシューのようなスライスした肉類は多い。サラダや野菜も多い、ピザのようなものが見えたのでピザ?と聞くとそうだという。コレ、と頼むと全員かと聞いたらしい。ノー、1つをみんなでとKさんの英語とゼスチャーで伝わったらしい。ベジタブルだのサラダなどもわかったらしい。大皿にピザを切り分けたのや野菜、ハムのようなのが盛り合わせになってきた。何と、ピザはぺらぺらだった。ナン、のようなものかも知れない。ビールも頼んだ。取り皿をもらい、結構おいしいわね、とか言いながらコレじゃ足らないからとピザをもう1枚注文した。トマトソースが少しなので、ケチャップを下さいといってもらったら大量にかけそうなので必死に手で制止した。取り敢えず足りたわね、と皆言う。勘定をしてもらったら15ユーロ足らず。ビックリした。Kさんが払い、チップを払って、一人3ユーロね、というと、いいですよ、とKさん。しかし、それはよくない、と3ユーロずつ払った。一人参加の女性、こちらもKさんは、トルコ人のシェフや働いている青年が感じがいいと3人一緒の写真を撮りたいと頼み、カメラを渡されたので私がシャッターを押して上げた。Kさん、私より高齢だが、アフリカのケニアまで一人参加で行ってきたそうだ。15ユーロといえば、ドレスデンで食べたお寿司がひとり15ユーロだったので、安さに驚いた。楽しいひとときだった。ホテルまで15分ほど歩いて帰る。明日はいよいよ帰国だ。疲れたが名残惜しい気持もある。
ところで、中華料理店は、一つ先の通りを曲がるのだった。添乗員さんはそのことに気づき、青くなって私たちを捜しに戻ったという。しかし、どうしても見つからなかった、と洋食の人たちの話だった。添乗員さんは夕食どころではなかったらしい。夜、めいめいの部屋にお詫びの電話が入った。
派手な外装の「ホテルベルリン・ベルリン」
ところでベルリンガイドの加藤さん。この仕事に携わって何年も経ってないという。寅さんですよ、という。インドに何年か放浪し、世界を歩き回ってドイツにきたという。ドイツ語は全くできなかったという。でも1年間飲まず食わずで頑張った。アパートも家賃の安いところを借りている、という。日本食でも何でも残ったものがあったら、喜んで頂きます、とフランクだ。みなさんも何か渡していたが、私もカップ麺やおかゆなど差し上げた。トイレ交渉でも、説明でもかなり勉強しているし、一本筋が通っていると感じたが、苦労しているようだ。実家は横浜。親は帰れと言っていたがこの頃言わなくなったという。
10月15日(月)
朝、8:15ホテル出発後、ベルリンテーケツ空港へ。LX975便にて10:15発にてチューリッヒ、クローテン空港11:40着。13:00発LX168便にて帰国の途へ。時計を7時間進める。
10月16日(火)
7:50成田空港着。無事着きました。
ベルリンは、ドイツ統一をはじめて成し遂げたプロイセン王家の本拠地でプロイセン王国の首都だった。そして東西分断の壁が存在した都市、壁崩壊後の新生ドイツの首都、と様々な顔を持つ。
今回の旅行の締めくくりはベルリンである。西ドイツは何年か前、同じ旅行会社のツアーで回ったが、東ドイツに行ってないことに私の心に欠落感があった。それが一応埋められた。
9時、ホテル出発。2階建てバスで車窓観光しながら説明を聞く。東西ドイツ分断と統合の象徴、かっての凱旋門、ブランデンブルグ門へ。門の上には、四頭立ての馬車(クアドリガ)に乗った勝利の女神ヴィクトリアの像がある。説明を聞いた後市内に4カ所残されているうちの1つのベルリンの壁に向かう。
加藤さんに表示版などで説明をうける。
そのあと、ベルガモン博物館へ。添乗員の戸田さんの記録によるとBC2~3に栄えたトルコのベルガモン王国の遺跡(ベルガマ)から持って来られた神殿や古代バビロンのイシュタール門、ローマ時代のゼウスの大祭壇など膨大な発掘物が展示されている。トルコ旅行をした折、トロイ遺跡もシュリーマンが発見、発掘を繰り返し、外国に持ち去られたとトルコ人ガイドが嘆いていたが、あの時代、力のある先進国はみなそうだったのかと複雑だった。決められた場所と時間に集まることになっているが、私たちは時間があったので、すぐ近くのノミの市に行った。外国人(アフリカの人たち)が店を出している。珍しいものがいろいろあった。
時間に集まり、昼食のレストランへ。午後は自由行動だが、一旦ホテルに戻る。午後のお勧めコースについて説明がある。バスは縦横に走っており、100番系統とか44系統とかがホテルのすぐ近くに乗車場がある。金額もあるところまでは2.5ユーロ?。美術館なら幾つ目でおり、右へ曲がるとすぐ分かる。博物館は・・・。歩いてもそれ程遠くはない、と教えられた。一応添乗員さんが一緒に案内して下さることになる。絵画美術館に行く人たちと、エジプト博物館へ行く人たちに別れる。同方向だが、絵画館の方が少し近い。私とNさんは絵画、I さんはエジプトと別れた。絵画の数も膨大だった。有名な絵、ラファエロ、ルーベンス、レンブラント、フェルメールなど探して見る。帰りは歩いて帰る。
今日は夕食も、自前である。最後の日くらいは、食べに行きましょうと、戸田さんに相談する。中華、洋食、日本食と歩いて行けるところを教えて下さったが、洋食と中華に別れた。ご夫婦は、別のところへ行ったか、ホテルのレストランですますらしい。
中華を選んだ私たちは、ここで思わぬハプニングに見舞われる。笑い話である。中華は、一人参加の男性と同じく一人参加の女性(どちらも高齢者)。だがお二人とも旅慣れている。
添乗員さんが、ある横に伸びる通りにさしかかると、ここを左に折れて少し行くと、「曙」と漢字を使った中華の店がありますよ、分かりやすいですよ、と教えてくれた。洋食の店はそのまままっすぐ先らしい。
ところが、いくら行ってもそのような店は見あたらない処か、レストランそのものがあまりない。潰れたのかしら、とか言いながら必死に探したが行けどもない。仕方なくどこかに入ることにして戻った。大きなレストランのようなところはあったが、照明が暗い。トルキッシュとか書いてあってトルコ料理だと男性Kさんはいう。ここに入ろうと。暗くて嫌だ、と女性陣。Kさんは英語ができるので、明日帰らず、一人ベルリンに残って行きたいところがあるという方だ。そのトルコレストランの横を入ると、小さいが明るい店があった。料理を作ってテイクアウトもしている店らしい。空腹なのでここへ入ろう、と入った。
トルコ語もドイツ語もできないから、注文できない。英語は通じないようだ。ケースに並べてある品を見て、指さし注文となる。食欲をそそるようなものは余りない。チャーシューのようなスライスした肉類は多い。サラダや野菜も多い、ピザのようなものが見えたのでピザ?と聞くとそうだという。コレ、と頼むと全員かと聞いたらしい。ノー、1つをみんなでとKさんの英語とゼスチャーで伝わったらしい。ベジタブルだのサラダなどもわかったらしい。大皿にピザを切り分けたのや野菜、ハムのようなのが盛り合わせになってきた。何と、ピザはぺらぺらだった。ナン、のようなものかも知れない。ビールも頼んだ。取り皿をもらい、結構おいしいわね、とか言いながらコレじゃ足らないからとピザをもう1枚注文した。トマトソースが少しなので、ケチャップを下さいといってもらったら大量にかけそうなので必死に手で制止した。取り敢えず足りたわね、と皆言う。勘定をしてもらったら15ユーロ足らず。ビックリした。Kさんが払い、チップを払って、一人3ユーロね、というと、いいですよ、とKさん。しかし、それはよくない、と3ユーロずつ払った。一人参加の女性、こちらもKさんは、トルコ人のシェフや働いている青年が感じがいいと3人一緒の写真を撮りたいと頼み、カメラを渡されたので私がシャッターを押して上げた。Kさん、私より高齢だが、アフリカのケニアまで一人参加で行ってきたそうだ。15ユーロといえば、ドレスデンで食べたお寿司がひとり15ユーロだったので、安さに驚いた。楽しいひとときだった。ホテルまで15分ほど歩いて帰る。明日はいよいよ帰国だ。疲れたが名残惜しい気持もある。
ところで、中華料理店は、一つ先の通りを曲がるのだった。添乗員さんはそのことに気づき、青くなって私たちを捜しに戻ったという。しかし、どうしても見つからなかった、と洋食の人たちの話だった。添乗員さんは夕食どころではなかったらしい。夜、めいめいの部屋にお詫びの電話が入った。
ところでベルリンガイドの加藤さん。この仕事に携わって何年も経ってないという。寅さんですよ、という。インドに何年か放浪し、世界を歩き回ってドイツにきたという。ドイツ語は全くできなかったという。でも1年間飲まず食わずで頑張った。アパートも家賃の安いところを借りている、という。日本食でも何でも残ったものがあったら、喜んで頂きます、とフランクだ。みなさんも何か渡していたが、私もカップ麺やおかゆなど差し上げた。トイレ交渉でも、説明でもかなり勉強しているし、一本筋が通っていると感じたが、苦労しているようだ。実家は横浜。親は帰れと言っていたがこの頃言わなくなったという。
10月15日(月)
朝、8:15ホテル出発後、ベルリンテーケツ空港へ。LX975便にて10:15発にてチューリッヒ、クローテン空港11:40着。13:00発LX168便にて帰国の途へ。時計を7時間進める。
10月16日(火)
7:50成田空港着。無事着きました。
by ttfuji
| 2007-10-25 18:14
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