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私の生活や自分史・読書、旅などの記録
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「あなたは村上春樹の本当の怖さを知っていますか」

ひと月前の11月25日、申し込んであった講演を聞きに行った。
伊勢原市立図書館と東海大学附属図書館による市民のための図書館教養講座、と銘打った講演だった。
 場所は、市立図書館の2FAVホール。 
 講師:三輪太郎先生  
 演題:『あなたは村上春樹の本当の怖さを知っていますか』
 
 私がこの広告を見たのは、図書館の掲示板で9月中頃だった。まだ、ノーベル文学賞が決まってない時期で、村上春樹氏が受賞しても、また、今回も受賞できずに終わっても、話題にはなる企画だと思った。
 東海大学図書館と市の図書館の共同企画であったので、当然、図書館利用者より学生の方が多いだろうと予測していた通り、圧倒的に学生の方が多かった。
 三輪先生は、作家であり文芸評論家であり、東海大学文学部文芸創作学科准教諭。早稲田大学文学部卒業。文芸春秋社で9年、書籍編集に携わる。1990年、「『豊穣の海』あるいは夢の折り返し点」で群像新人文学賞(評論部門)を受賞。評論の著作には『死という鏡』『村上春樹で世界を読む』など。小説には『あなたの正しさとボクのセツナさ』『大黒島』『憂国者たち』その他多数。
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 第一印象は、とても若々しい先生だなという印象だった。
 私は、前列から2番目の左側の椅子に座った。写真を撮りたいと思ったからだ。
一応、始まる前に写真の許可は取っておいた。
 自己紹介で、三輪と申します。今年の5月に今回の話を頂き、ラッキーと思いました。というのは、ルパン3世の脚本を書いている金子裕先生がこちら伊勢原にいらっしゃると知り、私は「ルパン3世」の大ファンですので、しおたさん?(市の担当者)にお願いして、駅前のサイデリアで会わせて頂いたのです。そんな縁で、ルパン3世の制作会社に繋がりができ喜んでいます。
 今回の講演日を11月25日にお願いしたのも、私が文芸に関わりを持った、きっかけを作ったある作家の命日だからです。毎年、この日に近づくとそわそわしてきます。その作家とは、三島由紀夫です。1970年11月25日、三島は割腹自殺を遂げ、日本中に衝撃を与えました。私は、小学3年生。高校時代三島文学を読みはじめ、大学で三島由紀夫研究会に入りました。つい最近(3年前)、三島のことを評論と小説を合体させたものを書きました。ボクの人生は三島漬け、なぜこんなに三島が好きなのか30年間考えてきました。
 なぜか・・、村上春樹が原因ではないか、ある時ハッと気づいたのです。三島の持っていたトーチを受けとったのは村上春樹だと。村上春樹は全共闘の時代だから左翼。三島はどう見ても右翼。果たして三島の本心はどこにあるのか。よい作家かどうかはわからない。好きなところも嫌いなところもあるはず。村上春樹は三島を嫌いと言っているが、内心は気になって仕方がない作家であったと思います。
 映像を映す。
 1、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ 旧ユーゴビルの風景 壁にアバタ状の弾痕
 2、セルビア・カラジッチ 内戦で大量の人を虐殺した罪で終身刑。
   彼、カラジッチが、三島文学の愛読者であることを、国連の日本人代表、明石氏から聞き、明石氏に確かめた処、事実だった。  三島作品は私の愛読書ですと語ったという。
 3、内戦のあとの街角の本屋に村上春樹の本が山積みに置かれていた。「ノルウェーの森」ほか1300万部が売れている。なぜそんなに読まれるのか。謎だ。川端康成も大江健三郎もなしえなかったことです。
   
 ここで5分間の休憩。話が煮詰まってくるので・・と言われる。とてもユーモアというか稚気に富んだ先生と感じた。

 後半の講義は、村上春樹の20代の作品と20代の写真。経歴やエピソード。
 早稲田大学文学部入学。1968年。   
 1975年第1文学部映画演劇学科卒業。卒論の指導教授から、「君は小説が書けるんじゃないか」と 言われる。
 僕が小説を書こうと唐突に思いついたのは神宮球場の外野席だ。23年前のシーズンの開幕ゲームだった。その年の10月4日にヤクルトは優勝を決めた。その時も僕は球場にいた。スワローズ球団創設以来20年目にして初めて手にした優勝で僕もたまたま29才だった。その時書いた小説で僕は文芸誌の新人賞を取った。(『神宮球場の外野席で・・・』毎日新聞)
 と、村上春樹が作家として、世に認められたきっかけを知った。
 ●村上龍との対談の話も紹介された。
 うちはおやじとおふくろが国語の教師だったんで、で、おやじがね、とくにぼくが小さい頃にね、『枕草子』とか『平家物語』とかやらされるのね。でもやだ、やだと思ったわけ。それで外国の小説ばかりよみはじめたんですよね。でも、いまでも覚えているんだね、全部頭の中に暗記しているのね。食卓の話題に万葉集だもの。・・・絶対に日本の小説読みたくないと思ったんですよ、ちいさいころ。まして日本語で小説書くなんて思いもよらなかったな。
 ●エルサレム文学賞スピーチ(2009年)
 私の父は昨年、90才で亡くなりました。彼は引退した教師であり、パートタイムの僧侶でもありました。父は大学院在学中に徴兵されて陸軍に入り、中国での戦闘に参加させられました。戦後生まれの子どもだった私は、父が毎日朝食前にわが家の仏壇に向かい、長く深い祈りを捧げているのをよく見たものです。ある時、私がなぜそんなことをするのかと聞くと、父は戦場で死んだ人たちのために祈っているのだと話しました。父は敵も味方もなく、すべての死者のために祈っていると言いました。仏壇の前にひざまずいた父の背中を見つめながら、私は父の周りに漂う死の影を感じていたような気がします。父は死にました。父は、私が決して知ることができない記憶を持って行ってしまいました。しかし、父の周りに潜んでいた死の気配は、私自身の記憶の中にとどまっています。それは、私が父から受け継いだ数少ないものの一つ、そして最も重要なものの一つです。

 できるだけ簡潔にまとめようとしましたが、難しく、殆どは、頂いた資料を写しただけになってしまいましたが、取り上げた本について、解説はさらに難解でした。
こちらも丸写しします。
 ●ジェイ・ルービンの驚き
 抑制された、灰色のリアリズムの研究に長年専念していたため、これほど大胆で奔放な想像力に富む日本人作家が存在するとは信じられなかった。(『村上春樹と私』より)
 ● 『風の歌を聞け』(1979年)の新しさ
 →従来の「文学らしさ」の暗黙ルールをことごとく覆す→見かけの軽さにそぐわぬ批評性
 ● 『羊をめぐる冒険』(1982年)の羊とは何か?
 →「義」の中に「羊」がいる。→親友「鼠」は「義」の始末をする→ありのままの「弱さ」を守るため→本格的消費社会の到来との符号
 以下、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』
    『ダンス・ダンス・ダンス」
    『ねじまき鳥クロニクル』
     村上春樹にとっての「影」
  と簡単な解説のヒントが書かれている、と言われるが、理解不能なので略す。
 三輪先生の感想は、何度もノーベル賞候補になった作家に、日本の論壇はなぜ芥川賞や直木賞を与えなかったが世界から疑問に思われているそうだ。もうこんなにこじれたら今から芥川賞もない、と言われた。村上の文学は批評的哲学的に読むと面白いそうだ。

実は、この感想を書いているうちに、どうまとめていいかわからなくなり中断してしまった。何日も放置した。
 村上作品の怖さを伝えているのに、私には伝わらない。私の頭では理解不能のようだ。先生は、作品のあらすじを話し、こわいですね、と問いかけるが、私には伝わらない。まるで、かって映画の解説で、淀川長治氏が繰り返したように「怖いですね!」がだぶる。余り良い聴講生ではなかったようだ。それにもかかわらず、私は最後に質問をした。学生のまともな質問や感想の中で、先生の著書への感想を述べたのでした。



 


 

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by ttfuji | 2017-12-26 15:19 | 読書・読書会・図書館 | Comments(0)

12月中旬の日記  網戸・太極拳の書類・歯科で・スイミング最終回

 年のせいか、今年の冬は特に寒さが身に応える。風邪を用心して、厚着で背中を丸めてしまうので、ますます老人ぽくなった。
 12月10日(日)
 屋根・外壁工事の際、ミサワの担当者の最後の点検時、指摘された網戸の破れや壁紙の剝れ、それはこちらでやりますからと頼まなかった。気になるところは沢山あるが、やっと終わったのに、また改めて契約するのは面倒だし、今回は見送ることにした。 
 そしてパソコン部屋の西窓の網戸の張替はわが家で行なった。他にも2枚きれいに張り替えた。
 12月11日(月)
 太極拳。1月29日のコミセン予約。予約日は1月前で、通常の月なら12月29日だが、年末で休みになるため1月5日に申し込むことになっている。遠くから予約を取りに来るのは大変なので、最も近い私が引受けた。何しろ2分の距離だし、10時前に行けば2・3分で済むから申し訳なく思わないでと言っている。
 12月12日(火)
 10時半、歯科医院行き。歯周病予防のため歯石除去や掃除、歯を何とかもたせたいと先生も私も必死だ。チェックしては、うん、まだ大丈夫だ、よく手入れもできているし、とほめられるが、時々痛んでは、1・2日で痛みが消えるということを繰り返している。いずれ、部分入歯も必要になるかもしれない。郵便局、エスポットで買い物して帰る。
 12月13日(水)
 スイミング。夕方より胸の息苦しさあり。しかし、じっとしていると1時間ほどでおさまる。
 12月14日(木)
 銀行行き。
 12月15日(金)
 午後より体操。今年最終日。FさんKさんと。帰り,Fさんとエスポットへ寄る。
 12月16日(土)
 娘と孫、特に孫の情報はラインで知る。唯一の連絡手段である。
 12月17日(日)
 リコーダーで2つの講演記録の下書き。それを後日ブログに簡単に書き換える。
 12月18日(月)
 太極拳最終日。特に反省会のようなこともなく、先生の一言と新年度からの役員交代がある。
 また、コミュニティセンターの場合、代表者が地元地区のものでないと困るという規定があるため、私に代表を頼まれる。来年度役員の2人が他地区住民のため引き受けるが仕事は何もない。
 会員名簿、連絡網、コミセン予約当番表、出欠表などの作成もパソコンに記録が残っているため、順番を変えるだけで作成できるので、毎年引き受けており、今回も引き受けた。こうしたことは他のサークルでも引きうけており、負担には感じない。
 12月19日(火)
 午前中、コスモで灯油とガソリン給油。勿論一人ではできず手伝ってもらう。
 12月20日(水)
 今年最後のスイミング。どの会も今週で最後。お世話になりました。来年もよろしく。よいお年を!とご挨拶。いよいよ押し詰まったという感じ。外回りはきれいになったが、中は手に付かず、断捨離も思うように進まない。
 夕方、太極拳の新役員さんが、名簿や順番など変更事項など記した原稿を持ってこられた。とても恐縮され、お忙しいのに申し訳ありませんと言われたので、気になさらないで、パソコンに入っている去年のデータを訂正するだけですから、と喜んで引き受けさせていただいている旨伝えた。
 送られてきたという、三ケ日みかんを下さった。とてもおいしいミカンでした。
 

 
 
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by ttfuji | 2017-12-20 21:01 | 生活雑記 | Comments(0)

郷土史研究会 『相模の丸山城』について

 12月9日(土)

伊勢原郷土史研究会。本日の郷土史会は、伊勢原図書館2FAVホールで行われた。文化庁協賛事業であり、会員以外にも広報その他で呼びかけ一般の参加もあった。そのため用意したレジュメや椅子が足りず開会の前に、レジュメを受け取っていない人に挙手してもらい急遽増刷したり椅子もほかの部屋から運び入れたりした。
 1時、市の担当者の挨拶。郷土史研究会会長の講師紹介で、以下のように講師紹介がなされた。
諏訪間氏は、昭和60年に市役所に採用されて以来、市史、文化財、遺跡発掘と携わり、郷土史会でも何度も講演して頂いている。予定していた講師が、急遽、都合がつかなくなった時も、お願いしてピンチヒッターを引き受けて下さり、何度も助けられました、と紹介された。

 演題  『相模丸山城』について
 講師   市教育委員会の諏訪間伸氏。
 
 
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 講師の自己紹介でも、現在は、子ども科学博物館担当のほか、雨岳文庫ガイドの会、いせはらおもてなし、城郭研究会などにも所属し、先日も母校の駒澤大学で、丸山城について講演してきたとのこと。 本題に入る。

 丸山城について、知っている市民はどのくらいいるでしょうか。知名度は低いと思います、といわれる。丸山城址は、伊勢原市の中央部よりやや東に位置し、国道246沿いにある。
 昭和60年頃、東海大学医学部や大学病院が立ち、隣接のこの地域は、あちこち開発が盛んにおこなわれるようになると、昔ここに、城があったようだとか、言い伝えや史料が出てくる。江戸時代末に刊行された『新編相模国風土記稿』には周辺に丸山という小名がありこのあたりに四面に堀の異形があり平安時代から鎌倉時代初期に活躍した「糟谷左衛門尉有季の居跡」と考えられる、と記されている。民間開発や宅地造成、道路改良工事に伴う試掘、発掘調査が実施され、旧石器時代から近世までの各時代の生活の跡が確認され、特に中世の建物址、井戸址、掘、土塁、地下式坑、溝などが多く検出されている。出土遺物は、青磁、青白磁、陶器、かわらけ等があり、城の時期については「15~16世紀}として報告されている。=レジュメより
 講師の諏訪間氏は、この時期の調査に携わっており、情熱が伝わる。調査は昭和59年の分布調査から平成24年の範囲確認調査までほぼ30年にわたって行われ、市だけでなく、県や、国、民間研究機関、学校なども参加している。
 現在、発掘場所は、埋め戻され城址公園とされているが市民公園という位置づけとなっている。
 諏訪間氏は、史跡公園となっていないのが残念という。史跡公園であれば、調査継続ができるということのようだ。
 また、丸山城は、誰の城か、断定はできず城の中にどのくらいの人数がいたかも不明という。
 開発のため、急遽発掘をしたので、十分な発見ができなかった。発掘はごく一部という。
  従って、丸山城は「幻の城」と言わざるを得ないそうです。
 そうはいっても、堀や土塁、遺構の写真や図面は50枚以上、情熱に頭が下がります。
 ありがとうございました。
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by ttfuji | 2017-12-20 16:20 | 郷土史・講演会・学習 | Comments(0)

早や師走 第1週 工事関係終了・ホルターつける・お出かけ・コスモ

 全く、信じられない時間の早さだ。ついこの間、新年を迎えたと思ったのに、今年もあと半月もない。晩年の日々はあっという間に過ぎてゆく。もうそろそろブログも終わりかな、と思う日々。いちいち断る必要もないのに、誰に対して宣言しているのだろうとおかしくもあり気恥ずかしくもなる。 取り敢えず2017年分は書き切ろう。
 12月1日(金)
 今日は、午前、午後とも屋根工事の人が見えているが、午後から体操もあるので、3時のお茶の用意をし職人さんに渡し、出かける。お互いになれて、気を使いすぎないでいられるようになった。帰りにヨーカドーで買い物して帰る。
 12月2日(土)
 8時A内科行き。今日は診察はなく、24時間のホルターを付ける。不整脈があると言われ、息切れ、胸の痛みなど訴えたため、心電図検査は時々あり、ホルターも2度目である。今回は24時間。この結果は来週の診察の折、聞くことになっている。
 屋根工事は3時で終了する。行動の記録を細かく書くがあまりに歩行が少ないので、近所の友人宅に届け物などし2800歩ほど歩いた。家人は新宿行き。
 12月3日(日)
 朝、9時ホルターを外す。行動記録も詳しく書いた。それをコピーして置く。
 私も近所の友人Yさんと本厚木へ出かける。有隣堂や日用品小売店、駅ビルのミロードなど結構歩く。彼女は、必要なものを買うため目的をもって出かける。私は、気分転換やおしゃべりを楽しむ。
 有隣堂では、日記や筆記用具、夫婦で日記を書いており、5年日記が切れるので、ご主人から今回は3年日記を頼まれたとのこと。Yさんは5年日記を買うつもりだったが、夫に合わせて3年にするという。私は、ブログを日記代わりに書いているし、手帳や家計簿でも記録しているので日記帳は不要としている。Yさんは、筆を選びたいというので、めいめい勝手に見てまわることにし、いつも使っている高橋書店の手帳を買い、「明るい暮らしの家計簿」を買おうと思ったがなかった。4階から始まって、3階、2階と下りて1階で新刊書や歴史書など見てまわった。1階で合流、食事場所をさがす。二人とも余り空腹ではないので、広々としたカフェテリアでサンドイッチとコーヒーを頂いた。 寝具店では座布団カバーや布巾用タオルなど購入した。私も座布団カバーを購入。ブティックも覗いたが、欲しいものがなく、ちょっと寂しい気もする。イーオンなどにも入ったが、一回りして外に出る。3時過ぎ、コーヒーでも頂いてから帰りましょうと、かっておいしいと評判だった駅近くのコーヒー店に向かったが、すでに店はなかった。この頃は飲食関係の変わりが激しい。
 結局、伊勢原に戻って、駅のドトールでコーヒーとクッキー一つをつまみ、隣のホクオーでパンいくつかを買い帰宅。9322歩に満足する。
 12月4日(月)
 工事なし。太極拳なし。9時に昨日外したホルターと記録表をA医院に届ける。そのまま帰宅。
 買い物に行くとき、体調を崩している0さんに電話して、買ってくるものを頼まれる。ムニエルにするお魚を3切れづつ2種類という注文。吟味して買い、喜んで頂けた。
 12月5日(火)
 工事最終日。足場や一部残っていた養生も撤去。やっと清々した気分。
 12月6日(水)
 今日は工事関係なし。スイミングに行く。いつもの女性コーチでなく、男性コーチ。顔はこわいけど優しいです、と挨拶。私が、高齢なのでお手柔らかに、というと「そうはいきません」と笑った。
 選手の育成などしており、ベテランだった。
 12月7日(木)
 午前中、前橋のIさんから久しぶりの電話。同窓会の折の写真や会報などを託したのだが、役員さんに渡すのが遅れ、きのうやっとOさん経由でWさんに届けてもらうことになった、と詫びられた。いつでもいいの、面倒なことお願いして悪かったですね、と反対に詫びた。それからいろいろおしゃべりをし、お元気でね、良いお年を、と電話を切った。Iさんは親友なので、なんでも話せる。来年も同窓会で会えるのが楽しみだ。
 午後、ミサワのMさんが工事終了の関係書類を持参。請求書や振り込みの書類を受け取る。防蟻の保証書も受け取る。支払い関係は、夫がすべて行う。取り敢えず、一件落着で胸をなでおろす。
 12月8日(金)
 午前、コスモ石油へセルフサービスの灯油を買いに行く。私の運転が必要となる。エアコンだけでは寒いといい、灯油暖房を自室でも今でも使っている。セルフのガソリンを入れるのに自分でできないのでギブアンドテイクである。
 午後から、体操があり、3時から8時までの間に、A内科の診察がある。午後からの診察は3時からだが、体操が終わって受付に立ち寄ったときには、待合室は人でいっぱい、聞いてみると今受け付けた人は、5時過ぎになるという。いったん戻って夕食の用意をしてから出直すことにする。5時は薄暗く車では不安なので、歩いて行く。順番が来たのは5時半過ぎ。通常の診察とホルターの結果を聞く。不整脈ありとの診断。もし、外国旅行するときは、薬(ニトロ)の携帯が必要と言われる。そう聞くと胸がきゅっと痛んだ。いつもの薬を処方され、会計と調剤薬局を済ませて帰ると6時半だった。
 
 
 
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by ttfuji | 2017-12-18 16:02 | 家族・身内・私 | Comments(0)

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